朗読と名がつくと、つい足が遠のく…これは以前に書いたことがある。
いつも期待を裏切られることから、つい毛嫌いのジャンルになったのだが、
先日友人のすすめがあり、東新宿の教会の集会室で行われた
三浦綾子さんの作品「塩狩峠」の朗読劇を拝見した。
一口で言えば、「よかった」と思う。
何処が…を考えるのだが、作品の良さは勿論ある。また拙い出演者のいる
のは、アマチュアなので致し方がないが、なかなか見ごたえのある出演者もいた。
以前、うちの劇団に出演してもらって、散々手を焼いた女優さんも出演していた。
実はこの方に目を見張った。「変った」と思った。
当時は(失礼だが)「この人、どんな世界に生きているのだろうか…」
相手を無視した芝居作りに呆れ果てた思い出しか残っていなかったのだが、
女優さんになっていた。
豊かな(…とは言い切れないかもしれないが)表現力を身につけていた。
目を見張った。彼女の朗読は始まり数秒のうちに「姿勢を改めて聴かなければ…」
と思わされたのだった。
開幕後に、劇場に座ってしまったことに後悔する芝居に何度も出会ってきた。
「あゝ、後のドア近くに立っていれば出て行けたのに…」
と思う芝居である。「いまによくなるかもしれない」と我慢していて、
よくなったためしがないのである。これは辛い。拷問である。
…が、我慢して座っている。空虚な時間が過ぎていくのだが、
その空虚さを味合うのも人生のひとつと思ってじっとしている。
この日も、そう思って並べられた椅子の後方の端っこに座り、
暗闇に紛れて背を丸めて逃げ出そうと考えていた。
しかし、心地よくその気持が裏切られたのだ。
素人にしては上手い…を越えていたのが、その女優さんである。
聞けば、彼女は今年結婚していた。
終演後、彼女の顔を見たときに、「旦那さんに会いたい」と言おうと思った。
…が、その楽しみを後に残した。
「いやァ、よかったよ」
それだけ言って帰ってきた。
人は変る。
彼女と会うことはたまにはあったのだが、
「付き合いにくい女だ」から、何か言われてものるのはやめようと思っていたので
数回の案内にも反応しなかった。
この5~6年の間に変ったのだろうか。
僕には、結婚した旦那さんの影響に思えてならないのだ。
旦那さんには会ったことも見たことすらないのだが、
答えはそこにあるように思えてならない。
だから、旦那さんが近くにいると聞いても「会おう」とは思わなかった。
もう少し、答えを先延ばししたい…というのは、
彼女の役づくりに匙を投げた自分があるからである。
人は変るのだ…このことを、もっとしっかりと確認したいと思ったからだ。
…自分にその力量がなかったのか、時期を待たなければならなかったのか…
彼女がこの間歩いた歴史のなかに答えがあるのだろうが、直ぐに発見して「これか!」
と納得するものでもないだろうとも思えた。
ひとつの朗読劇を通して、大きな課題を突きつけられた思いがする。


