演劇人生 -214ページ目

演劇人生

今日を生きる!

朗読と名がつくと、つい足が遠のく…これは以前に書いたことがある。
いつも期待を裏切られることから、つい毛嫌いのジャンルになったのだが、
先日友人のすすめがあり、東新宿の教会の集会室で行われた
三浦綾子さんの作品「塩狩峠」の朗読劇を拝見した。
一口で言えば、「よかった」と思う。
何処が…を考えるのだが、作品の良さは勿論ある。また拙い出演者のいる
のは、アマチュアなので致し方がないが、なかなか見ごたえのある出演者もいた。
以前、うちの劇団に出演してもらって、散々手を焼いた女優さんも出演していた。
実はこの方に目を見張った。「変った」と思った。
当時は(失礼だが)「この人、どんな世界に生きているのだろうか…」
相手を無視した芝居作りに呆れ果てた思い出しか残っていなかったのだが、
女優さんになっていた。
豊かな(…とは言い切れないかもしれないが)表現力を身につけていた。
目を見張った。彼女の朗読は始まり数秒のうちに「姿勢を改めて聴かなければ…」
と思わされたのだった。
開幕後に、劇場に座ってしまったことに後悔する芝居に何度も出会ってきた。
「あゝ、後のドア近くに立っていれば出て行けたのに…」
と思う芝居である。「いまによくなるかもしれない」と我慢していて、
よくなったためしがないのである。これは辛い。拷問である。
…が、我慢して座っている。空虚な時間が過ぎていくのだが、
その空虚さを味合うのも人生のひとつと思ってじっとしている。
この日も、そう思って並べられた椅子の後方の端っこに座り、
暗闇に紛れて背を丸めて逃げ出そうと考えていた。
しかし、心地よくその気持が裏切られたのだ。

素人にしては上手い…を越えていたのが、その女優さんである。
聞けば、彼女は今年結婚していた。
終演後、彼女の顔を見たときに、「旦那さんに会いたい」と言おうと思った。
…が、その楽しみを後に残した。
「いやァ、よかったよ」
それだけ言って帰ってきた。
人は変る。

彼女と会うことはたまにはあったのだが、
「付き合いにくい女だ」から、何か言われてものるのはやめようと思っていたので
数回の案内にも反応しなかった。
この5~6年の間に変ったのだろうか。
僕には、結婚した旦那さんの影響に思えてならないのだ。
旦那さんには会ったことも見たことすらないのだが、
答えはそこにあるように思えてならない。

だから、旦那さんが近くにいると聞いても「会おう」とは思わなかった。
もう少し、答えを先延ばししたい…というのは、
彼女の役づくりに匙を投げた自分があるからである。

人は変るのだ…このことを、もっとしっかりと確認したいと思ったからだ。
…自分にその力量がなかったのか、時期を待たなければならなかったのか…
彼女がこの間歩いた歴史のなかに答えがあるのだろうが、直ぐに発見して「これか!」
と納得するものでもないだろうとも思えた。

ひとつの朗読劇を通して、大きな課題を突きつけられた思いがする。

ブログネタ:そば派?うどん派?日本の「国麺」はどっち? 参加中

本文はここから

日本の麺といえば、やはり蕎麦だろうラーメン

最近は海外にも進出しているが、
健康志向のブームに乗って人気を博しているようだ。

うどん屋がそばに手を出すと利益が少ないと聞いたことある。
だからうどん屋は蕎麦には手を出さないほうが利口なのだそうだ。
しかしうどん専門店である讃岐うどん店も頭打ちになってきたような気がする。
赤坂にある一軒だけの讃岐うどん店も閉まってしまった。

年越しといえば蕎麦が相場…
だが、ふるさとの山形では、
大晦日には、「新年(幸せ)がそばに来るように」と蕎麦を食べ、
年が明けたら、「運がど~んと舞い込むように」とうどんを食べる。

語呂合わせだが、少しでもよい年を迎えたいという庶民の願いがここにある。

何とか商会の寒い駄洒落とは似て非なる内容だと思う。

小さい頃の思い出に、
大きな鍋に湯を沸かし、
手打ちのうどんを入れて茹で上げ、
どんぶりにといた納豆につけて食べたことがある。キラキラ

納豆は直ぐにふやけてしまうのだが、
フウフウいいながら啜り上げる暖かさは今でも脳裡に残っている。
これを「すっぽく」(しっぽく)といった。

これに近いのが蕎麦がきだった。
これは「かえもづ」(かい餅)といった。

たいていは粉を入れた鍋にお湯を入れると聞いたことがあるが、
僕の経験では逆だ。
湯の中に舞う程度のご飯を入れて、
そこにそば粉をいれてかき混ぜるのだ。
だまにならないように懸命にかき混ぜる。

それをといた納豆をからめて食べるのである。

つるつるッ…として美味しいが、
イメージとしては、日本酒お酒などを飲みながら食べている大人を見ては、
「…あゝ、これは大人の食べものだ」
と映ったものである。

子どもの頃から、
うどんと比較すると蕎麦は大人の食べものだったのである。

…二八蕎麦といわれると、蕎麦粉20%に小麦粉80%に思うが、
小麦粉20%で充分につなぎの役がつとまるそうなので、
神田の藪ではこの配合と聞いたことがある。(間違ったらごめんなさい)

十割蕎麦というのもあるが、以前郡上八幡に平甚という手打ちがあり絶品だった。
いまもあるのだろうか…?
親父の手打ちだったが、その親父のエピソードを少々…

戦争から帰ってきたときは、
戦場で火傷して、全部の指が引きつって動かなかったそうな…
それが懸命に蕎麦の手打ちをして数年…、
以前と変わらず動くようになったという話である。ニコニコ

その親父のうつ蕎麦は香りといい喉ごしといい絶妙だった。
勿論蕎麦粉100%である。

こうした蕎麦にまつわる話は沢山ある。
ここで書き連ねるわけには行かないのでこのあたりで収める。

しかし蕎麦が香りを残して喉を通っていく絶妙な感触を
しみじみ味わえるのは日本人を措いてないように思える。

そう思うと、この国を代表する麺類は蕎麦と言っていいように思うのである。ラーメンDASH!

僕はうどんも好きだが、やはり蕎麦派…ということにしておこう。
(ただ寂しいのは、日本産の蕎麦粉が少なくて、中国産が多くなって来ているらしいことだ)
昨年ブームになった宮崎県知事だが、
「どげんかせんないかん」が、
名言集で、
「どげんかせんといかん」になっている。
「な」が「と」になっているので、
宮崎出身者に聞いてみた。
「どげんかせんと・・・」
では福岡弁になるという。
宮崎ではいわない言い方なのだそうである。

「どげんかせんな・・・」
なのだそうである。

これどう思いますか?
どうでもいいので問題にならないのか、しないのか・・・
…でしょうね。
2008年を迎えることができて、
感謝と慶びを申し上げます。
関東はカラリと晴れました。
この曇りない空のような清々しい一年になることを祈りたいと思います。
今年を・・・「命みつめる」年にし、
自分のまわりの多くの命…身近な人々から草花にいたるまで、
その命と見詰め合える日々を送れればと思います。

この一年が、皆様にとって素晴らしいものになりますように祈ります。

皆様、ことしもどうぞよろしくお願い致します。

ブログネタ:初詣はどこに行く? 参加中

本文はここから

初詣に行き始めたのは中学生のころからである。

幼い頃、
慈覚大師の開山と言われる山寺の立石寺から聞こえてくる…
いや、実際は遠すぎて聞こえないと思うのだが、

「あれが山寺の鐘の音だ」

…といわれて耳にした鐘の音を、
今もって思い出せるし、信じ込んでいる自分を感じる。

立石寺仁王門    山寺仁王門
「…風の都合で届くことだってあるんだ」…と思い込んでいるからだ。

山形県天童市に住んでいた頃の話である。

鬱蒼と天を突くように伸びた杉木立。

夏には蝉の声で賑わい、

立石寺展望岩   天狗岩(?)

冬は水墨画の世界にひっそりと息をひそめる…そのような世界である。

夏に訪れた芭蕉は、

“静けさや 岩にしみいる 蝉の声”

…詠った。

鴻巣では鴻神社に参りをし、
大宮では武蔵一ノ宮氷川神社、
あるいは浅草浅草寺、新宿の花園神社、
一度は愛知県豊川の稲荷神社に行ったことがある。

あの時は驚いた。
神社なのに皆僧侶なのである。
そしておもむろに般若心経を唱え出すではないか…

「おいおい、お前等ふざけてゃしないか!?」
…と、怒鳴りたい衝動にかられたのを覚えている。
朝食を予約していたので食べたが、
精進料理だった。
神仏混交なので可笑しくないのだと聞いて、
怒鳴ったりせずによかったと思う。
ここからも近くに、赤坂豊川稲荷がある。
あの稲荷にもいるのは僧侶だ。

明治神宮に1度、
一昨年から赤坂氷川神社に行っている。
元日に行くと甘酒をご馳走してくれる。

赤坂氷川神社
マンションの窓の向こうに見える近さもあるが、
神社林も多く、日中行っても落ち着く神社である。

敷地内に、勝海舟の四合(しあわせ)稲荷などもある。

明治神宮のように並ぶ必要もなければ、
すんなりお参りができるのもいい。

それより地元である。
身近な神社や公園に親しみを持つことは心の豊かさに通じる気がする。

自分の心のエリアに拡がりを覚えるのだ。

「気分だよ」
…と言うむきもあるだろうが、この世知辛い世の中、
この気分こそ大事にしたいシロモノじゃないのかなァ・・・・

…というわけで、31日23時30分、
マンションを出て氷川神社に向かおうと思っている。