年越し蕎麦に…年明けうどん | 演劇人生

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ブログネタ:そば派?うどん派?日本の「国麺」はどっち? 参加中

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日本の麺といえば、やはり蕎麦だろうラーメン

最近は海外にも進出しているが、
健康志向のブームに乗って人気を博しているようだ。

うどん屋がそばに手を出すと利益が少ないと聞いたことある。
だからうどん屋は蕎麦には手を出さないほうが利口なのだそうだ。
しかしうどん専門店である讃岐うどん店も頭打ちになってきたような気がする。
赤坂にある一軒だけの讃岐うどん店も閉まってしまった。

年越しといえば蕎麦が相場…
だが、ふるさとの山形では、
大晦日には、「新年(幸せ)がそばに来るように」と蕎麦を食べ、
年が明けたら、「運がど~んと舞い込むように」とうどんを食べる。

語呂合わせだが、少しでもよい年を迎えたいという庶民の願いがここにある。

何とか商会の寒い駄洒落とは似て非なる内容だと思う。

小さい頃の思い出に、
大きな鍋に湯を沸かし、
手打ちのうどんを入れて茹で上げ、
どんぶりにといた納豆につけて食べたことがある。キラキラ

納豆は直ぐにふやけてしまうのだが、
フウフウいいながら啜り上げる暖かさは今でも脳裡に残っている。
これを「すっぽく」(しっぽく)といった。

これに近いのが蕎麦がきだった。
これは「かえもづ」(かい餅)といった。

たいていは粉を入れた鍋にお湯を入れると聞いたことがあるが、
僕の経験では逆だ。
湯の中に舞う程度のご飯を入れて、
そこにそば粉をいれてかき混ぜるのだ。
だまにならないように懸命にかき混ぜる。

それをといた納豆をからめて食べるのである。

つるつるッ…として美味しいが、
イメージとしては、日本酒お酒などを飲みながら食べている大人を見ては、
「…あゝ、これは大人の食べものだ」
と映ったものである。

子どもの頃から、
うどんと比較すると蕎麦は大人の食べものだったのである。

…二八蕎麦といわれると、蕎麦粉20%に小麦粉80%に思うが、
小麦粉20%で充分につなぎの役がつとまるそうなので、
神田の藪ではこの配合と聞いたことがある。(間違ったらごめんなさい)

十割蕎麦というのもあるが、以前郡上八幡に平甚という手打ちがあり絶品だった。
いまもあるのだろうか…?
親父の手打ちだったが、その親父のエピソードを少々…

戦争から帰ってきたときは、
戦場で火傷して、全部の指が引きつって動かなかったそうな…
それが懸命に蕎麦の手打ちをして数年…、
以前と変わらず動くようになったという話である。ニコニコ

その親父のうつ蕎麦は香りといい喉ごしといい絶妙だった。
勿論蕎麦粉100%である。

こうした蕎麦にまつわる話は沢山ある。
ここで書き連ねるわけには行かないのでこのあたりで収める。

しかし蕎麦が香りを残して喉を通っていく絶妙な感触を
しみじみ味わえるのは日本人を措いてないように思える。

そう思うと、この国を代表する麺類は蕎麦と言っていいように思うのである。ラーメンDASH!

僕はうどんも好きだが、やはり蕎麦派…ということにしておこう。
(ただ寂しいのは、日本産の蕎麦粉が少なくて、中国産が多くなって来ているらしいことだ)