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演劇人生

今日を生きる!

ブログネタ:好きなことわざ、四字熟語ってある? 参加中
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劇団ブログでは、
積水成淵(せきすいせいえん)を書いたが、
現状の自分を観ると、
大きな演劇の世界を前に、
「う~ん…う~ん」
淵の見えない深淵の中にあり、
腕組みをして地上に出ようともがき苦しんでいる姿に見える。

今まさにある姿が

切歯扼腕

である。

が、みていろ…!

歯軋りが収まったときは、
天に飛び、
宙を飛び回る燕だぞッ!

いま、三浦綾子さんの「壁の声」脚色を手がけている。

これも切歯扼腕中…

「闇の向こうは光だ」
これも大好きなことば。

幾つになっても学び続け、
努力することには扉は開かない。

な~んて言いながら、
宝くじは買い続ける姑息な男である。

が、それ以上のギャンブルには手を出さない小心者でもある。
さて、残りの人生で、どうなるか!
ブログネタ:ドタキャンにどんな理由使う? 参加中
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中学生くらいまでの自分を振り返ると、
自己保身のために嘘を付きまくっていた。

・・・しかし高校に入って、小学生時代に読んだ
吉川英治著作の「宮本武蔵」を読み直した時から姿勢を変えた。

また、天悉る地悉る師悉知る我悉る(…だったと思うが)のことばに接し、
「嘘も方便」から脱却しようと決心した。

そのために別れた友もいる。
仕事をふいにしたこともある。
一度こじれた関係が修復出来ずに、
いまだにくすぶり続けているものもある。

ドタキャンは、
それがどのようなものでも、
深刻な契約違反だ。

これは言い訳は通じないと思う。

言い訳で誤魔化す自分を定着させてしまい、
偽りのことばを口にだけはしたくない思いが強い。

ドタキャンするには理由はあるだろ。
遅刻や忘れていたのとは違いがある。
僕も一度経験している。

しかし理由は正直に言った。
それで関係悪化が生じてもしかたがない。

ドタキャンする行為自体関係断絶を覚悟が必要だと思う。

友人との待ち合わせ程度だから・・・・・

一期一会ということばを軽い気持で使う人が多いが、
そこには「命」がからんでいるのだということを考えれば、
言い訳で通じるものではない。

自分をかけて出来ないドタキャンはするべきではない。

・・・・これが僕の考えです。
ブログネタ:移住したい街 参加中
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住みたい街…

このことばを耳にすると、
ルネ・クレールの「パリの屋根の下」という映画を思い出す。
得意げ
モノクロの、切ないアコーデオン音楽が流れる映画だった。
たしか1930年頃のものらしいから、
出来たのは僕が生まれる前の作品だし、
僕が見たとき既にフィルムも古く、全編雨降り映画だった。
大学時代だが、こころの奥底に、
頼りないシャボン玉のように浮かび続けている映画だ。
それを見た映画館も、2本立ての古い名画座だったと思う。
得意げ
ところが、僕がこの話をすると、必ず、
「パリの空の下セーヌは流れる」
の間違いでしょうといわれる。
この映画も見ているから間違いはない。
こっちはジュリアン・デュヴィべ監督でカラー映画だ。
カチンコ
題名も似ているが、映画の中で歌が流れるのも似ている。
「パリの空のしたセーヌは流れる」の歌はサントラとしても有名で、
エディット・ピアフも歌ったと聞いている。

この有名なカラー映画ではないモノクロの「パリの屋根の下」は、
僕をパリに誘ってくれた。
東京タワー
「パリに住みたい」

と思わせてくれた。

ただ映画のような白と黒のトーンの街なのである。

♪ パリの 屋根の 下で ・・・・雨

アコーディオンの奏でる、

恋があり、歌があり、弱い人間達がせっせと生きている、
ちょっと憂鬱な街でなければならないのだ。
むっ
しかしその後、パリを舞台にしたいろいろな映画が来たが、
「パリの屋根の下」のようなパリには出会わない。
ジャッキー・チェーンまでパリを舞台にした映画をつくった。
「レミーの美味しいレストラン」も、
モノクロの「大人はわかってくれない」にも、
あのパリはない。
ショック!
本物のパリへは行っていないが、
映画を通してパリを見、そして知るのだが、
「男と女」では、ダバダバダが耳につき、
「シェルブールの雨傘」などは憂鬱過ぎる。

何処かに行ってしまったのだろうか…
「パリの屋根下」の、あのパリ・・・・
住みたい街だが・・・・

考えてみれば、あれは戦前のパリじゃないか…
はてなマークビックリマーク
そのイメージだけが、
心の何処かに、
モノクロの七色の光を湛えたシャボン玉…
その中にあるのかもしれない。
しょぼん
触れることも許されない、
シャボン玉の世界なのかもしれない。
ブログネタ:何歳からおばさん? 参加中
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書いているうちに内容がタイトルから逸脱したぞッ音譜にひひあせる

一昨日妹から電話が来た。
「元気?」
そのひと言だった。

一人住まいの毎日を送っていると、
亡くなった父ばかりではなく、母や叔母、従兄弟などに思いが行く。
一人だけの妹のことをも・・・

バス
先日、久々に都バスに乗って、
一人のご夫人に席を譲った。
「奥さん、どうぞ」
というと、チョッと不満そうな表情(…に見えた)を見せて席に座った。

ひと言

「どうも」

と言ったように思ったが、
ありがたがられるとは思わずに、
譲った席なので、何を言われたのかに気も留めなかった。

むっあせる
その後フト、このご婦人はおれより若いな…と思った。
分け目のが白くなっていたので、白髪を染めているのが分かった。
それで、示した不満そうな表情だったのだろうか…

その後、幾つめかの停留所で停車のボタンをおして、
席を立つ時に、にっこりと笑顔を見せ、
にひひ音譜
「あたし奥さんじゃないわよ」

小声で言って降りて行った。

「・・・・・・?」むっ!?

何を言いたいの?
考えたが分からなかった。
ニコニコ音譜
「私、あなたより若いわよ」

とか、
べーっだ!音譜
「自分の年を考えないで無理しちゃって」

とか言われれば、即、納得だが、

「…奥さんじゃないわよ」

これは、「“意味深”だ」

う~ん…考えすぎかなァ…?むっ汗

その後、フッと妹のことを考えた。

僕とは4つ違いだから、
年齢的にもおばあちゃんだ。

その妹から、
「私はもうオバサンだから」
何気なく言ったのだろうが、何故かにドキリとした。
むっ
数年前のことだから、60過ぎのおばあちゃんなのだが、

僕にはおばあちゃんでも勿論なく、オバサンでもない、可愛い妹だったからだ。
走る人DASH!
そういえば、いま一緒にお芝居をしている40歳を過ぎた女優さんもいる。
走る人DASH!
彼女が誰かにオバサンと呼ばれたら、どんな顔をするだろう。
本
オバサンという字はいくつかある。
本
お叔母さん(伯母さん)・・・これは甥や姪からする親の姉妹の呼び名
小母さん・・・これは親しさをもって大人の女性を呼ぶ言い方
本
だと思う。
それ以外のオバサンは、年の行っている大人の…というより、
お嬢さんを卒業した既婚の、
或いは結婚していて当たり前の年齢に達した女性を言うようである。
にひひ
昔は、18歳まで結婚しないと出遅れなどと言われたらしい。
貧しい家では食い扶持を減らすために13、4歳になると嫁に出されるのも当たり前だったそうである。
13歳の娘さんが、嫁に行くということ自体何をすればいいのか知らなかったのではないか。
その頃を考えれば、18歳にもなれば立派な大人として見られたはずだから、
「オバサン」年齢は17~8歳からということになるだろう。

ダウン

現代に戻って、30過ぎれば…とか何とかいわれるとすれば、
20代いっぱい少女だということになるのか…?
あせる
つまり「オバサン」年齢などというものはないのだと思う。
音譜
幼女、少女は辞書にもあるが、それ以後は突然老女になる。
じゅくじょなどという文字は、パソコンで変換しても出てこない。
べーっだ!
…とすれば、少女と老女の間をオバサンと呼ぼうか。
こうなれば、わが妹もオバサンに入れていいと思う。

だがやっぱり、妹は少女ではないが、
オバサンでも勿論ない。

「オバサン」

実は、この世に伯母さんや叔母さん、小母さんいがいの「オバサン」なんていないのだ。

バスに乗っていた人にしても「オバサン」ではなくて「奥さん」と呼んだが、
僕に「オバサン」と呼ばれたら、

別の意味で、

「あたし、オバサンではないわよ」むっ

と言われたかもしれないのである。

オバサンという呼び方ではなく、「お嬢さん」でいいのかもしれない。

でしょう・・・お嬢さん!音譜!!

昨日、仙台から上京した友人にあった。
東京で数人の人たちに会うので、
それまでの時間に会えるかという問合せがあった。

朝9時からの仕事があるので無理かと思ったが、
交渉して1時間前に時間をずらしてもらい、
約束を果たせそうなので会うことにした。

さてわれ等の仕事は結構水物で、
約束もあって無きが如し・・・
案に相違なく一時間おしてしまった。

仕事が終わり、
地下鉄霞ヶ関付近に置いた自転車を走らせ、
約束の有楽町に着いた時には、
待ち合わせの皆が集まり、
昼食のレストランに移動が始まっていた。

音譜自転車DASH!
友人T嬢(はい、女性であります)は、
行っていいものかを迷いながら最後尾にうろうろしていたようだ。
「あ、ごうさん!」
待ちに待ちました…の声に「良かった!」がにじんでいた。
岡山、長野、大阪、福岡、茨城…10名ほどの人たちとの待ち合わせだった。
飛行機が遅れて旭川からの上京者は後で合流するらしい。
あら、何人かは僕の知っている人たちだ。
T嬢は何も教えてくれていなかったので、
それまで分からずにいたが、
全員、三浦綾子作品のファンの人たちで、
全国の世話人が集まるのだという。
!!
この人たちには頭が下がる。
一人の作家を通して、
その作品を勉強しながら読書会を開いたり、
交流の集まりを開いたりするらしいが、
北海道や九州からも集まってくる。
ビックリマーク
有楽町のマリオンにある韓国料理店で食事をして、
晴海埠頭行きの都バスに乗って宿泊所に向かったが、
そのころは旭川から来たお二人も加わっていた。
にひひ
仙台から来たT嬢から、お土産だと言って、
南部せんべいのスープセットや、
相田みつお記念館の入場券などを頂いた。
それに固焼きのクッキー…
こうした気持が嬉しい。
クラッカー合格
特別なにを言うでもない、
目を見つめ、
何となく握手をし、
笑顔を交す…
こんな中に、得がたい触れ合いが生まれる。
音譜音譜音譜
思いやりということばは僕は嫌いだし使わないが、
こうしたお互いの在りようを僕は“優しさ”ということにしている。
優しさとは接触ではない“触れる”がそこにある。
ニコニコ音譜
家族同士、ことばを交さなければ触れ合いがないように言う人もある。
ことばとは具体的なようだが、私たちの日常表現の2~30パーセントだと思う。
心のやり取りはことばにはない。
昨日のさりげない交流の中に、
心地よい、この“触れる”があったように思う。
だから、いい1日になった。