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演劇人生

今日を生きる!

昨年から(だと思うが)都営地下鉄の駅に、
路線地図などと並んで、隔月ごとにおかれる
冊子(雑誌)があります。

今回は、今月で取り壊される歌舞伎座に因み、



九代目団十郎と東銀座を歩くをテーマにしています。

以前に、
樋口一葉
森鴎外
永井荷風
等々がとりあげられてきました。

内容22ページの堂々たる冊子です。



しかし手に取る人はまばら・・・
この調子では、
そのうち消えてなくなるかもしれない・・・そんな気がする。

真面目な取材で記事も丁寧に書かれています。
みなさん、もっと関心を持ちましょうよ。

港区広尾にあるふれあい会館で

「表現力講座」を始めて1ヶ月が経ちました。

受講生は5人です。

3人はうちの劇団員で、一般の方は2名です。

読み聞かせ、朗読、語りを中心にしたものですが、

表現力をアップさせることで、コミュニケーション力を

身につけるのが最終的な課題です。


劇団でも、ある程度同じような訓練はしますが、

呼吸法から始まり発声法や、

童話や短編の読みに入りました。


最初に話したことは、

日常生活の(部分的でもいい)意識化です。

日常普段くり返している呼吸を意識する。

気に留めず通っている道端を注意して歩いてみる。

一緒にいる家族と息を合わせようとしてみる・・・など、

何でもいい、普段の当たり前を、

意識化してみる・・・慎重に観てみる・・・


この課題を求めました。


一人ひとりに変化が見えてきています。

これは、最もいい演技の勉強でもあります。

劇団の役者には見えないのに、

カルチャーの講座の受講者に、それが見える・・・

この不思議はなんだろうか・・・

「あなたは何をしに生まれ、生きてきましたか?」
・・・私はそれを母に聞きたいと書いた。

父も母も、祖父や祖母、曾祖父、曾祖母・・・
その人たちによって私は此処に生きている。

いや、その系譜だけではない。
その全ては、それぞれに、多くの人や物、
その時々の環境をはじめ、
その時代、社会を形成した状況と様々な関わりを
持ちながら私に至っている。

この世に生まれたのも、いま生きているのも、
数兆分の一(いや、それ以上だろう)という確率の中から
生まれ命が育てられ、いまを生きていることを考えると、
いまの、この命は天文学的関係の中に存在している・・・
そのように思えてくる。

しかし、命はつながっても、
父や母、祖父母や先祖たちが感じ、培ったものの
何を受け継いでいるのだろう・・・。

母方の祖母は字を読めなかった。
「人間はな、なして(何故)生きるか考えねどな」
と言われたことがある。
「ばぁちゃん、それは哲学という学問だ」
すると、
「おれは学問はないから、ただ考えるだげだ」
「だから、それが学問なんだよ」
すると、
「はっはっは・・・」
と笑った。こんなやりとりがあったにもかかわらず、
「ばぁちゃんは、なして生きてる?」
聞かないでしまった。

それぞれの彼等が生きたから・・・私がある。
彼等が何をしに生まれ、生きたのか・・・
それぞれに聞きたいと思う。
そして、彼等は何を、どんなふうに見ていたのか。

彼等の視野にあったものを知りたいと思う。
彼等の視界に入っていたものも・・・

祖父母の時代は、高速道路も新幹線もなかった。
何百人という人間を乗せて空を飛ぶようなものも・・・

一発で数十万人の命を溶かしてしまうような爆弾も・・・

父と一緒に東京都体育館で行われた

宇宙飛行士ガガーリンの歓迎集会に行ったことがある。
帰りに父は、

「宇宙から原爆も落せるようになったな」

と言った。
「えッ?」

私は、冷戦のさなかだが、ソ連のスプートニクを、

アメリカに対する軍事的優位をはかるためのもの

という位置づけをしていなかったし、

人類が共有できる宇宙開発だとしか考えていなかった。

父母をはじめ、先人達と共有できなかったもの・・・
できないものがあるだろう。

では、いまの子ども達には何が見えているのか。
それが、どんなふうに見えているのか・・・

そして彼等と、どんなふうにつながっていくのか・・・

連休だ、旅行だ、万博だ・・・もいいのだが、

こんなことを考える時であってもいいのではないか。

「わたし、身体壊しているので・・・」

演劇は無理でしょうねという相談をもらった。

雑音の多い電話でだが・・・


演劇に登場する役の人物は様々で、

病気の人もいれば、いろいろですよ。

心身ともに健康で、

悩みのない人間なんてほんの僅かしか登場しません。

だから、絶対的条件は、人であることだけです。


年齢も男女の違いはもとより、

体型の問題も障害の程度も関係ありません。


「だったらやりたいですね」

「ところで、お住いは?」

「春日町です」

「文京区の・・・」

「いえ、徳島市です」

「徳島って、四国の?」

「はい」


あゝ・・・徳島にも春日町って・・・

「あるんですか」

「えッ、東京にもあるんですか?」


考えてみれば方々にありそうな名前だ。

それは活字です。

セリフは言葉です。

この違いをわかって下さい。


妻「ねぇあなた、どう?」

夫「うん」

妻「よかった!」

夫「・・・うん?」

妻「ううん」


他愛のないやりとりだが、

関係のよさを感じる。

お互いの表情が見える。


お互いが相手の目を見たと思える所はどこかなァ。


妻「ねぇ、美味しいでしょう?」

夫「うん」

妻「だったら・・・」

夫「・・・うん?」

妻「ううん」


ちょっとした違いで、

雰囲気は一変する。

何とも噛みあわないズレが見える。


夫は新聞でも読みながら食べているのかもしれない。


言葉で表現できる範囲は狭い。

それを読んでしまっては一層伝わらない。

活字を読んでは尚更伝わらない。


心が動かなければ出てこないはずが、

すらすら出てくるのはなぜですか?

それは、言葉ではなくて活字です。

活字が羽根を広げて飛び交っています。