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演劇人生

今日を生きる!

近頃、

このまま死ぬのは辛いことだ・・・と思う。


火葬の準備どころか、

精神的準備など何もしていない。


我輩がここで死んでいたら・・・

何人もの人が迷惑だと思うに違いない。


「何だよ、保険もかけてないのか」

「この荷物どうすりゃいいんだよ」

「少しの金も残ってないのかよ」

「好き勝手なことをしてきたからなァ」

その場に臨んでいるかのように、

わが心に容赦なく問いかけてくる。


眼を覚まして・・・

「あゝ、よかった。まだ生きていた」

こんな思いで、しばらく天井を見ながら・・・


チェーホフ作短編「白鳥の歌」の

イワン・ワシーリウィッチを思う。

「・・・こんなことをしていていいのだろうか」

「もう燃えカスじゃないのか」って・・・

洗濯に行こう。

そして夜は稽古だ・・・


豆腐売りの喇叭が聞こえる。


「忘れちゃいけねぇ・・・いつでも思い出さなきゃ。

我輩は、まだ死ぬ準備をしてねぇってことを」


宇野重吉さん・・・

劇団生活 著書「新劇愉し哀し」

名前を知らない若者が多くなった。

演劇をしていながら知らないという人も多い。


かつてぼくは、大学を出て民藝に入った。

「民藝はコネがないと入れない」

この提言に、知人を介して紹介してもらい、

宇野重吉さん宅に

コネになってくれないかと頼みに行った。


不快そうな表情の宇野さんに、

「君はコネがないと入れないのか?」

と逆質問され、

「いや実力で入ります」

・・・渡してあったサントリーのだる磨を返してもらい

正規の受験をして俳優教室に入った。


後日談が耳に入ってきた。

伊藤というおかしな男が来るから、

一先ず入れて置けという指令があったらしいのだ。


ぼくは途中で、その宇野重吉さんのもとを離れた。

親と同様、師の死に目にあっていないのだ。



1988年、宇野重吉さんが他界するまで

近くで影響を受けた(ろうと思われる)はずの人達もいる。

だから、伊藤の言は違うという御仁があるかもしれない。

「イルクーツク物語」

「七月六日」

「拓かれた処女地」

「審判」

「星の牧場」

「うちのお姉さん」

「ケイトンズヴィル事件の九人」等々、
劇団生活

  左(宇野重吉氏)中央(秦野明氏)

  右(ジョセフラブ氏)後向き右(有吉佐和子氏)


その演技や演出を通してぼくの学んだこと・・・

それは、人として生きることと、

人として感じること・・・

思うこと・・・

である。


これは、

今のぼくの演出の原点(原典)になっている。              
劇団生活  写真無断拝借

偉大なこの演劇人は

福井出身で日大芸術学部を経て・・・・

厳しい戦前の演劇界に身をおいた。

築地小劇場から左翼劇場に入り、

戦後、新協劇団を経て民藝をつくった。


正直言って、

文学座や俳優座の舞台は随分観ていたが、

民藝だけは一度も観ていなかった。


だが、安保闘争のさ中、国会前を通り過ぎる、

群青色の民藝の旗だけが、妙に印象に残っていた。


面接で、「尊敬する人物は?」と聞かれて、

「カストロとゲバラ」と答えたのを覚えている。


ぼくの民藝に入った当時と

比較するのもおかしいかもしれないが、

今の若い人達は演劇の現状については詳しいし、

発想の豊かさも各段の違いがあるに違いない。


だが自分に父や母、祖父や祖母があるように、

その演劇も突然降って湧いたものではない。

脈々と受け継がれた歴史が背景にある。


それを考えると、

父や母に近い先人に学ぶものがあってもいいのではないか・・・

そう思うのである。


映像の世界にも大きな足跡を残した人である。

また演出技法には独特のもがあった。


必要な勉強もせずに演じることを徹底的に嫌った。

その人物を演じようとする前に必要なものは、

それを探し、自分はどう思うのかだけだというのだ。

だから、眼をかけた役者には、

俳優である前に人間しての生き方を考えさせた。


役の人物は、誰が演じても、

演じる人以外の何者でもないし、

役者が別人にれると思うのは錯覚でしかない。

とすれば、役者である前に、人として何を感じるか。


その上で、

役の人物は何を感じて何をしゃべっているか。

何を思って、何をしたいのか・・・

その総合体が演技だと教えられた。

昨夜、役者仲間の友人と会った。

やつはいい男だ。

ぼくにはないスマート感を持ち合わせ、

独特のしゃべり口調があって、

ぼくは、それが好きだ。


やつも芝居が好きな男で、

世話焼きで、

喋りが好きで、

どうも、女も好きらしい。


昨夜も、待ち合わせの時間を30分過ぎた頃、

一人の女性が来た。


あ、そうか・・・彼女との待ち合わせまでの

時間つなぎにおれを呼んだ・・・?

と思ったが、そんなことはどうでもいい。


女性は鳥取出身だそうだが、

ま、背は我輩より大きい。

172センチ?

だとすると、我輩の背の高さは

かつてと比して4~5センチ縮んだことになる。


やばッ!


名刺をもらうと、肩書きにモデルとあった。


いま女性と会うと、

来年6月に公演する「母」の出演者に重ね合わせる癖がある。


「蟹工船」の作者、小林多喜二が愛した女性、

タミちゃん(本名:田口タキさん)である。


劇団生活

遊郭から身請けした多喜二だったが、

「好きだ」とも言えずに死んでいった・・・

とも言われているが。

昭和9年に多喜二は死んだが、

このタキさんは、長寿を全うして

昨年102歳で亡くなった。

三浦綾子さんは、このタキちゃんの名を

タミとして「母」に登場させた。


最近の女性は160は当たり前だ。

「大きいなァ!」

小さい必要はないが、

なかなか難しい、いや、簡単じゃないなァ・・・

つくづく思う。


劇団生活


劇場には匂いがある。

この匂いが好きだ。

この場所は不思議がいっぱい詰まっている。

お客さんが何百人入っていても、

一対一の世界が生まれる。


演劇人は、ここを憧れて必死に自らを磨く。


人と会い、そしてここに住みついている

鬼というか、演劇の神様に会いたいと願いつつ。


ある演劇人は、

その正体を見破ってやろうと思う。


だが、声を持たない、姿を持たないその存在を

誰一人見てはいないようだ。


これからの人生を通して、

おれが果たして、その姿に出会えるという保証はない。


だが、生死をかけた舞台を創っていると、

その存在をちらりとだが匂わせてくれるのだ。


これが劇場に染み付いている匂いなのかもしれない。


何度となく生死をかけた芝居が、

この劇場でも展開された証拠なのだと、

おれは思っている。


劇団生活

嬉しいことに、

「壁」公演が終わって1ヶ月を過ぎたのに、

そのご感想を今でも寄せて下さる方が・・・

http://profile.ameba.jp/gekidan-adhoc/  

に掲載させていただいた、


神尾哲人は「壁」は終わっていないと言う。


そういえば一昨日、初めて処刑室が公開された。

そして「死刑とは」「裁きとは」が論議されている。


顧みても、公演を終えて1ヶ月も経った気がしない。

うだるような灼熱の体育館で続けた稽古・・・

「熱中症に気をつけよう」と、

お互い注意しながら、

大型扇風機を何台まわしても、

熱風をこね回しているようにしか感じない中、

合宿稽古をした日々を考えると、

秋の涼しい季節が来て初めて、

「壁」が終わったと思えるのかも・・・


しかし「壁」は目の前に立ちはだかり続けるように思えてならない。

いつも公演が終わると、

「終わったァ!」

「さぁ、次だ!」

・・・という思いになれるのだが・・・