宇野重吉さん・・・
著書「新劇愉し哀し」
名前を知らない若者が多くなった。
演劇をしていながら知らないという人も多い。
かつてぼくは、大学を出て民藝に入った。
「民藝はコネがないと入れない」
この提言に、知人を介して紹介してもらい、
宇野重吉さん宅に
コネになってくれないかと頼みに行った。
不快そうな表情の宇野さんに、
「君はコネがないと入れないのか?」
と逆質問され、
「いや実力で入ります」
・・・渡してあったサントリーのだる磨を返してもらい
正規の受験をして俳優教室に入った。
後日談が耳に入ってきた。
伊藤というおかしな男が来るから、
一先ず入れて置けという指令があったらしいのだ。
ぼくは途中で、その宇野重吉さんのもとを離れた。
親と同様、師の死に目にあっていないのだ。
1988年、宇野重吉さんが他界するまで
近くで影響を受けた(ろうと思われる)はずの人達もいる。
だから、伊藤の言は違うという御仁があるかもしれない。
「イルクーツク物語」
「七月六日」
「拓かれた処女地」
「審判」
「星の牧場」
「うちのお姉さん」
「ケイトンズヴィル事件の九人」等々、
左(宇野重吉氏)中央(秦野明氏)
右(ジョセフラブ氏)後向き右(有吉佐和子氏)
その演技や演出を通してぼくの学んだこと・・・
それは、人として生きることと、
人として感じること・・・
思うこと・・・
である。
これは、
今のぼくの演出の原点(原典)になっている。
写真無断拝借
偉大なこの演劇人は
福井出身で日大芸術学部を経て・・・・
厳しい戦前の演劇界に身をおいた。
築地小劇場から左翼劇場に入り、
戦後、新協劇団を経て民藝をつくった。
正直言って、
文学座や俳優座の舞台は随分観ていたが、
民藝だけは一度も観ていなかった。
だが、安保闘争のさ中、国会前を通り過ぎる、
群青色の民藝の旗だけが、妙に印象に残っていた。
面接で、「尊敬する人物は?」と聞かれて、
「カストロとゲバラ」と答えたのを覚えている。
ぼくの民藝に入った当時と
比較するのもおかしいかもしれないが、
今の若い人達は演劇の現状については詳しいし、
発想の豊かさも各段の違いがあるに違いない。
だが自分に父や母、祖父や祖母があるように、
その演劇も突然降って湧いたものではない。
脈々と受け継がれた歴史が背景にある。
それを考えると、
父や母に近い先人に学ぶものがあってもいいのではないか・・・
そう思うのである。
映像の世界にも大きな足跡を残した人である。
また演出技法には独特のもがあった。
必要な勉強もせずに演じることを徹底的に嫌った。
その人物を演じようとする前に必要なものは、
それを探し、自分はどう思うのかだけだというのだ。
だから、眼をかけた役者には、
俳優である前に人間しての生き方を考えさせた。
役の人物は、誰が演じても、
演じる人以外の何者でもないし、
役者が別人にれると思うのは錯覚でしかない。
とすれば、役者である前に、人として何を感じるか。
その上で、
役の人物は何を感じて何をしゃべっているか。
何を思って、何をしたいのか・・・
その総合体が演技だと教えられた。