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演劇人生

今日を生きる!

台風が接近だというニュースで朝が明けテレビは、

夕刻のこの時間には関東への接近の懸念を注意している。


そんな中、コインランドリーへ行って来た。

「オニイサン、これ、100円にチェンジOK?」

このランドリーは外国人が多い。

「OK!」

と、10枚の50円を100玉5枚に両替してあげると、

「ヤクルト飲むか?」

と、3本のヤクルトとストローを一本・・・

無理やり押し付けられてしまった。

「これ健康にいいのよ」

「Oh、サンキュー」と喜んで頂いた。

わたしの二倍はあるような女性2人だった。


彼女たちは洗濯機に衣類を入れて出て行った。


それから数十分して、

乾かした洗濯物を袋に入れて自転車に乗ろうとしているところへ2人が戻って来た。

「Woujd you like some coffee?」

と言われたように思い

「Thankyou 」

というと、コンビニコーヒーのMサイズを

「どうぞ」

わたしの分をちゃんと用意して来てくれていたのだ。


嬉しい休日になりました。


この勢いで、赤坂アークヒルズ近くの肉屋さんに自転車をとばし、地域の老人クラブの総会案内状を届けに行くと、

「弁当持って行って」

とヒレロースカツ弁当を2つ、これは有無をいわさず持たされた。

これで元気百倍!

「雛」の台本を読みたいとリクエストのあった方へのレターパックを3通出して帰ってきた。


さ、これから東京ドームに野球でも見に行きますか・・・

また何かいいことがあるかも知れない!!

昨日、かつての友人と会うのに川越に行きました。

ま、駅近くのレストランで食事をしながらですから、

正しくは、「川越に行った」とまではいえませんか・・・。

会ったのは40年振りの友人です。


新宿三丁目から副都心線で直行できるわけですから便利です。

食事をしながらの話が、

演劇から演技についての話題になりました。


「演技って何だろうね?」

「今更何故?」というような質問が彼の口から出てきました。

彼も役者をしていた人間です。

「どうしてそんなことを?」

「今の自分は役者も芝居もしていない立場だが、時々芝居は観るんだよ」

という彼によると、

最近芝居を観て「人間っていいなァ」とか「生きているってこういうことなんだ」というような思いをすることがない。

以前は、そういうものを求めて芝居もしたし、していたように思うんだがと言うのです。

「演技も、そのためのものだったと思うんだよ」

「いま芝居をしたいという若者の多くはどうなんだい?」

この質問への彼への答えは、定義のようなもので納得してもらえるかもしれません。

人の生き方として演技とは何かを学んできた彼だと思うからです。


演劇って何千年の歴史があるわけでしょう?

役者としての自分にも何世代にわたる歴史があります。

役の人物にも同じような歴史があり、

その一部分が脚本に書かれている・・・


その歴史すべては自分から始まるような錯覚に満ちていやしないか?

これが彼の、いま観る演劇や役者にたいする最大の不満らしいことがわかった。



    彼が大好きだと言う作品「母」

 東京六本木 東京豊島公会堂 六本木再演

 川崎 埼玉加須 山形県天童ライフワーク作品




 気がついたら、手のひらが汗ビッショリ

 になっていたという場面。

 殺された兄の枕元で演奏する弟三吾

 

明治時代の役者から考えれば、

いまの役者は数十倍上手くなっているのは当たり前だと思うのですが、何か後退しているように思えてならないというのが彼の思いでした。


私たちにお祖父ちゃんやお祖母ちゃん、曾お祖父ちゃん、曾々お祖父ちゃん・・・

と祖先あっての自分で、その歴史を背負って今があるように、様々のものにもそれがある。

一輪のタンポポにもぺんぺん草にも受け継がれてきて、受け継ぐ命の歴史がある。

演劇といわれるジャンルにも、他のすべてのジャンルにも・・・

すべてに「コレ」があるはずじゃないの?

演技って何・・・という答えはここにあるんじゃないか?

な~んて、彼と別れて乗り込んだガラガラの電車の中で考えていました。


家に着いたのは20時を少し過ぎていました。



今朝、丸ノ内線内で「雛(ひな)」の脚本を読みながら、

後半の直しをしていた。

週に4日間赤坂見附から荻窪に行くのに使う地下鉄ですが、

大抵はゆっくり座ることが出来ます。

今日は日曜だけのせいとは思えないほどガラガラの車内で、

一輛に二、三人・・・

誰に気兼ねなく読み続けていてフト目を上げると,

正面に座った若い女性が心配そうに私を覗いているのに気付きました。


「あれッ、おれ涙を流していた」

慌ててハンカチで拭きました。


そういえば以前ですが、

うちの劇団のライフワーク作品「母」の本直しをしていた地下鉄で、

赤坂見附から荻窪、またUターンして池袋まで行ってしまったこともありました。

脚本の車内読みはかなり危険です。

本当は、書斎でカフェオレでも飲みながらじっくりとやるのがいいのだろうが、

マンション一部屋の独り住まいでは落ち着かない。


さて、不思議そうに私の顔を見ていた女性は南阿佐ヶ谷で降りて行った。

電車の通り過ぎるホームを歩く彼女に目をやると、こちらに眼を送っていた。


「あ、彼女、”雛”の主人公、少女時代のお鶴の雰囲気だったなぁ・・・」

先ほどまでは全く通りすがりで自分の涙を気づかせてもらっただけだった。


こういった出会いとも、すれ違いともつかない目線のからみから

何かが生まれることは99.99%ないのだろうが、

「お鶴はいる」

「何処かにいる」

と思わせてくれるものがあった。


面白い! 面白いのだ人生って!!

お鶴


問い合わせをいただきました。


「お鶴はどんな役ですか」との問い合わせでした。

原作がありますのでお読みいただくのが手っ取り早いかもしれませんが、舞台化することで、役の人物はより具体的になっています。


始めは、お鶴が90歳近いお婆ちゃん姿で登場します。

この役は三園が演じます。

そのお婆ちゃんの語りでお芝居が始まります。


「はい、わたしは鶴と申します」

そのお婆ちゃんの語りと並行して演じられるのがお鶴の少女時代です。


代々受け継がれてきて今はお鶴のものになった雛人形が、

家の貧しさを救うために売られていく物語です。


詳しくは、

脚本を読んで頂きたいと思います。


お問い合わせをいただいた方には、一両日中に脚本をお送りします。


数十ページの本ですが、

先ず、お読みいただいた方がいいと思います。

何処かのプロダクションに所属している人はマネージャーにも読んでもらって下さい。

またお父様やお母様に読んでいただき、感想を聞いてみて頂くのもいいかもしれません。


「う~ん、難しい本だねぇ」

と言われるかもしれませんが・・・


ご希望の方は、このブログからメッセージをいただくか、

劇団にメールを下さい。ご希望の方法で脚本をお送りします。

勿論無料です。

E-mail: gekidan@ad-hoc.jp

件名を「台本希望」としてください。

港区のカルチャー「表現講座」

という私の教室があります。


朗読研究が主な内容で、

毎回繰り返すボイストレーニングや

個人が探してきた短編や随筆等様々な作品を朗読したりします。


昨日は一つの質問をぶつけました。

「鬼ババァ」という言葉はあるが、

何故鬼ジジイというのがないんだろう」


みんなは・・・

「ほんとだ、ないね」

「何で?」


「好々爺(こうこうや)というのはあるが、

好々婆というのは?」

「ないわね」

さまざまな考えが披露されたが、

その根拠は憶測の披瀝だけで終わった。


「でも鬼っていえば男をイメージするわよね」

「鬼が島にも女はいるだろうけど出て来ないし・・・」

それなのに、何故ババァに鬼はついても、

ジジイに鬼がつかないのか。

女って

「舌きり雀」の話でも雀の舌を切ったり残酷だけど、

爺さんはいい人で描かれていない?」


女性の多い教室は憤懣やるかたないという声が渦巻きました。


なかなか議論は沸騰するばかりで収集はつきません。

・・・と、これは宿題にしました。

来週、どんな答えが出てきますか。