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演劇人生

今日を生きる!

演出には立ち入ることのできない領域が、

それぞれの役者にあります。

それを無理にこじ開けようとするととんでもない摩擦が生まれます。

それがあるのは確かだけれど正体をつかまえるのは難しく感じます。

教養なのだろうか。

資質なんだろうか。

感性ではないのか。


生まれながらにして備わる天性というように理解する資質ですが、生まれながらにして天から授かる性質などというものがあるのだろうか。

・・・これは育てられ方や幼児期の体験、思考の経緯等によって裏付けられたり、あるものは定着したり、あるものは流動的で、その後の経験によって変化するものではないのだろうか。

これは統計もないし、私にはわかりません。


ここで取り上げている「セリフ音痴」も、音楽的素養とかではなく、上の部類に入るのかもしれません。


「おはようございます」

というたった一つの言葉をセリフにする難しさ。

役の人物・・・80数歳まで生きる人であれば、その人生の中の2秒にも満たない挨拶なのだが、その人の、その時だけの一回きりの「おはようございます」なのです。


何で、そんなに難しく考えるの?

と言われそうですが、「おはようございます」の最初の「お」の音をどうするかで、相手へのかかわり方(積極的か等)が変わってくるのは事実です。

つまりは相手のかかわり方へも影響を及ぼすのです。


必要で最適な音のセリフかどうか。

セリフ音痴かどうかにつながるというお話でした。

「そのイメージによって音は変わるね」

友人も肯きました。

「この例はいいね」

イメージ訓練になるといいます。


しかしお芝居の稽古をするときは、

その先のイメージを加えて感性の訓練にするための稽古だと私は思っています。


感性を豊かにするのに、

稽古場でいくら訓練を重ねても役立つとは思わないのです。


物を観、音を聴き、香りを嗅ぎ、ものを思い、

何をどう感じて何をするか・・・

この一連の経緯を感性といいます。


街を歩いていて、

「あゝ、春が歩いてきたわよ」

「え?」

「何処にあるんだろうスズラン・・・」

「・・・」

「こっちから香ってくる」

ビルの隅にかがみ込み手をさし伸ばした先には数本のスズランが白い花をつけていた。

「春なんだわ。嬉しい気持ちが高まってくるじゃない?」

・・・と笑顔を向ける。

うちの劇団の三園ゆう子さんを例に出しました。


この一連の経緯の中から求められる音がそこにありました。

「あゝ」という感嘆音の高低、硬軟、強弱、寒暖、弛緩等々を決めるのも感性なのかもしれません。

「セリフ音痴を直す一番適している場所は日常生活の中にあるんだよ」

すると、

「そのセリフをもっと高い声からスタートさせて」

とよく言う私の演出について彼は疑問を呈した。

「あの演出って間違いなんだ」

私は素直に認めた。

私のやり方は、技術に頼る方法なんです。

ただその前に「感じて」という注文を出します。

それでも変化のない場合、或いは待っていられない場合です。


 三園ゆう子さんの感性は素晴らしいものがある


彼には異論があるらしい。

「芝居って表現なんだから演技術ともいうじゃないか」

だから、それでいいのではないかというのです。


(続く)


「ね、セリフの音を取れない人っているよね」

こんな話から、歌の音痴とセリフ音痴について侃侃諤諤・・・

音楽の音痴と同じように、必要な音を出せない。


こんなシチュエーションでのやり取りに、


今日もA子は人影のない早朝の街に自転車をこぎだした。

毎朝の牛乳配達なのだ。

間もなく雪が来るこの季節は手袋をしていても指がかじかんで来る。

ガチャガチャと牛乳瓶が重そうな音を立てる。

キーとブレーキ音をさせてA子は自転車を止めた。

そして一本の牛乳を手に路地に走り、

一軒の家の玄関の前に立つと、

「おはようございます。牛乳です!」

まだ誰も起きていないに違いない家に向かって挨拶をした。

そしてペコリと頭を下げ、空ビンと持って来た牛乳瓶を交換して自転車に戻り、

またこぎだした。

誰も起きていないだろう家に向かって声をかけ、お辞儀をするのは、この仕事を始めた最初の朝からだった。

誰がいようがいなかろうがA子にはどうでもいいのだが、自分の配達した牛乳をしっかり飲んでもらえることに、とてつもない感動を覚えるのだ。

もしかしたら二人で分け合って飲んでいるのかもしれない。

あるいはナベに入れて温め、ふうふういいながら飲んでくれているのかもしれない。

毎日、お年寄りが楽しみに待っているのかもしれない。

すべてがA子の勝手な想像で、顔の知らない人もいる。

だが、配達する家の人全ての顔も表情も思い浮かぶのだ。

その人達に向かってA子は声をかける。

「おはようございます。牛乳です!」

いい終わってにっこり笑い、ペコリとお辞儀をする。


この「おはようございます。牛乳です!」

どんな声なのか。

向かう先は古ぼけた板戸かもしれない。

ガラス窓かもしれない。

裏口の牛乳入れの箱かもしれない。


この時のA子のイメージを先ず作る必要がある。

相手を作る必要がある。

そして表情を作る必要がある。


友人と、このような話をした。

(続く)


軍拡、謀略、略奪、抑圧、貧困、

戦争、侵略、惨殺、殺戮、破壊、

それに欺瞞、搾取・・・

このような言葉が蔓延する時代を考えています。


2000年の或る時、

20世紀は、まさにこんな、

人が人間であることを捨て去った世紀といえたね。

21世紀こそ「こんなことはやめようよ」

という意識を高めて・・・世の中を変えたいね。


このような話し合いの中から、

2000年11月劇団アドックを設立しました。

いい世の中をつくるには、

人の心というものに目を向けよう・・・


そこで選んだのが、

芥川龍之介原作「雛(ひな)」


 

  再演した「横浜開港15年祭」記念公演「雛」


ロビーには茶席を設けました。

今回の公演でも同様に茶席を設けたいと考えています。


鴻巣市の「ひな記念館」から享保雛を借りて展示

今年は劇団創立15年目にあたります。



              「雛」のラストシーン

演奏は薩摩琵琶の生演奏や切ないボーカルも

入ります。

公演日は、

   11月13日~15日

   麻布区民センターホール(六本木)

(続く)



毎週金曜日、

港区白金で「表現講座」なるものを行っています。

今の場所は仮で、

現在工事中の広尾駅ビルが出来れば移ることになっています。


一階は自転車置き場になるらしいので、

二階以上上になるはずですが、

フリースペースの談話室などもできるらしく、

今より使い勝手がよくなる・・・らしいです。


それを機に、

港区に中高年者を中心にした劇団を起ち上げて欲しいという意見が沢山あります。

今の表現講座を転換してもいいという受講者もいます。

港区には、現役は勿論ですが、

映画監督や俳優、女優、画家や作家等々・・・

かつて第一線で活躍して引退(?)している著名人が大勢います。

冥途に足を踏み入れる前に、

もう一度大仕事をして欲しいというのが狙いです。

セカンドステージとも言えなくもありませんが、

二度目の青春、或いは青春の先の人生として考えたいと思います。

今の受講者も中年以上中心ですが、

若い人たちにも参画してもらええるようなグループづくりをしていきたいと考えています。


いいでしょう?