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演劇人生

今日を生きる!

婚礼司会を始めたのが30年以上前。

4,000組のカップルの新生活のスタートに

立ち会ってきたことになります。


婚礼は単純に「おめでとう」だけの世界ではない、

カップルによってはさまざまな問題を抱え、

それを整理しきれず婚礼の日を迎える・・・

あるいは親戚間の利害のしがらみや、

ふたりの過去のしがらみ、将来不安等々・・・


二人とも20年以上まったく違う生活を送ってきたのです。

お互いに未知の部分があるのは当たり前。

「好きだ」「愛している」が

根本になければならないのは確かでしょうが、

それだけで万時OKだとは言い切れません。


昨日、あるところから集まりで話して欲しいという

リクエストを頂きました。


「婚礼司会おもしろ経験談」と題して、

様々なトラブルを面白おかしく話して欲しいという・・・


丁寧にお断りしました。


「こんな経験をした」という話は、

個人的な話題にするのはいいにしても、

大勢の前で、さらしものにするのは如何なものか・・・

そう思うからです。


「何処の誰かわからないから」

いいだろうともいわれましたが、

婚礼という二人にとって大切な時に

抱えたり脱しきれなかったトラブルを

面白おかしく話せるかどうかは、

当事者だけが判断できるものではないと思うからです。


結婚とは、

それ以後の互いの人生を分かち合うこと。

そのような関係を結ぶ人は他にいないと思います。

親は先に旅立つ。

子はいずれ独立して離れていく。

残るのは結婚する相手だけ・・・


人の欠点は見えやすいものです。

自分にも、それと同じだけの欠点があるものだと

思ったほうがいいのではないでしょうか。


それと同じように、

他人の不幸を笑い話にして溜飲を下げる傾向は

誰にでもあります。


お馬鹿さんをテレビ番組にして楽しむに似ていて、

「あの程度を知らずとも芸能人」

なのではないでしょうか。


今回の話をお断りしたのは、

ぼくの気まぐれではないのです。


二桁のギャラは魅力だがお断りしました。

その理由はブログに書きますと申し上げました。

というわけで、メンバー限定ではなく公開にします。

讀賣新聞に掲載された小林多喜二の笑顔。


三浦綾子さんの作品「母」は、

小林多喜二のお母さんを題材にしたものだが、

この作品を劇化するに当たり、秋田や小樽を

シナリオハンティングしたり、上演に先立ち

ロケハンを試みた。

多喜二に関する写真や資料のほとんどは

小樽の文学記念館に収集展示されていた。


ところが、この中の多喜二の写真すべてに

笑顔がないのに気付いていた。


確かに、芥川といい太宰といい、

写真のほとんどは思索しているような表情の

ものばかりが占めていることに気付く。


小林多喜二も例外ではなかったのだ。


劇団生活
文学者らしい雰囲気のポーズかと思いきや、

うちに父の残して写真を見ると、

太平洋戦争を境にした以前の写真すべてに

笑顔どころかかすかな笑みすら

見えないではないか・・・

「はい、にっこり笑って」というような

時代ではなかったのだろうか・・・

そんなふうにも思えてくる。

ところが・・・・

この笑顔である。ダウン


劇団生活
彼が築地警察署で拷問に合い、

虐殺される8年前、小樽商高を卒業して

北海道拓殖銀行に入社、その社員旅行で

見せた笑顔が写っている。

1925年の写真とある。


そういえば、「ハイ、チーズ!」といっても

ここまでの笑顔はなかなか作れない。

それが屈託ない開けっぴろげな笑顔で

同僚たち(だろう)の彼等と写った

この写真の貴重さは格別である。


私たちは、来年9月、東京麻布演劇市で

「母」を上演する。


劇団生活
拷問で内出血し腫れ上がった下半身


この写真の多喜二は、

今度の舞台を創る上でも大きな影響を

与えるものと考えている。


「闇の向こうは光だよ・・・」

 

予算委員会が開かれ、

予算委員会の中継が放映されていた。


別に面白い必要はないが、

コミュニケーションのなさ・・・

かみ合いのなさに呆れかえる。


これを何といえばいいのだろうか・・・

論議とはいわない

審議ともいえない。

国民の生活にとって大切なものというが、

何処にソレがあるのかもわからない。


政治は地に堕ちた。

お粗末な政治家たちが尤もらしい顔をして、

あゝ・・・の、こう・・・の・・・


もっと真剣に、率直に、真剣にやってほしい。

呆れて言葉もない。


おやすみなさい・・・眠い!!

26日はここまで・・・


昨日は眠かった。

きょうはすこぶる爽快である。


補正予算、関連法案、問責決議・・・・

国会は別世界のようだ。


食うに困らない人たちが、

食うに困る国民のために何をしたいの?

自分たちのためにではなく、

国民のために・・・です。

「焦ってきますね」

劇団員でもない、それほど親しくもない、

街中で顔をあわせては、

「どうもどうも」くらいの挨拶を交わす・・・

その程度の関係の隣人から、

12月の「劇団祭り」で上演する

演劇作品の稽古に関していただいた

親身なコメントである。


一瞬、返答に困ったが、当たり障りのない

「えゝ、まあ・・・」

で応えた。

「体こわさず頑張ってね」

このひと言が嬉しい。

「ありがとう」

と、丁寧に返事を返した。


一つの演劇作品を創り上げるには

命を削る思いが必要である。


自分の頭の中に描くイメージとは違い、

生身の人間とともに、贋物の風景や家の中で、

戯曲に書かれている生活を創り上げなければならないのだから、並大抵では成立しない・・・

劇団生活 さとうみちこ画

演出をしていると、

みなノンビリしているようにしか見えない。


「考えているのか?」

と言いたくなってしまうのだ。


稽古の時間に、演出家に何とかしてもらおう・・・

そんな意識は持っていないとは思うが、

どうも、家での稽古の形跡が見えてこないのだ。

一日何回本を読んでいるか・・・

少なくても2回読めばわかるはずのことが

稽古場で、それらしい形跡が見えてこない。

・・・だからなのか、焦っている気配も見えない。


こんなところで、

演出ばかりが焦っても仕方ない。

カッカしても変わらない。

怒鳴りつけても相手は萎縮するばかり。

昔は物も投げつけた。

が、変わらない。


何度の何度も、

こんなことの繰り返しで、

我輩もいつの間にか「ほとけの伊藤」になった。


・・・というお話です。


で、「頑張ります」

という、嘘っぽい挨拶でお別れした。

「不思議な人・・・」

どういわれても我輩は我輩自身でしかない。

「ストレスないの?」

ないわけはない。週に一度くらいは・・・

「いま死んだら楽だろうなァ」

と思うことがある。


洗濯物は目いっぱいに溜めてから

コインランドリーへ行く。

「あ、金がない」となると、

箪笥には着るものがなくなる。

・・・金がなくなると、

財布に小銭もなくなる。

勿論、貯金などあるはずもない。

いや、正直言うとある。

・・・が、千円以下ではATMで引き出せないのだ。

「じゃ、何処へもいけないでしょう」


いえいえ、自転車でなら山手線圏内なら

お出かけに支障はない。


だからといってストレスがないわけがない。


しかし、演出中の台本をめくると、

いっぺんにストレスは何処へやら・・・


が、悲しいことがひとつ・・・

どうも空腹には勝てないのだ。

おかずは納豆一つでもいい。

たまご一個でもいい。

130円のパック一つのご飯があればいい。

劇団生活

空は青い。(写真は・・・??!!)

氷川の杜も綺麗に色づいている。

何もかも優しい。


延坪の爆撃事件、問責決議・・・・等々、

国内外は切羽詰った状態にある。


こんな中、まったくリラックスしているなんて・・・

一種の罪悪感すら覚えるが、

何も持たないが故の気楽さなのだろうか・・・