12月17日の祭りで上演する作品、
「この重きバトンを」の選曲をしている。
総計36時間をかけてやっと2曲が決まった。
この作品では、この2曲だけにする。
挿入部分が7箇所あるが、
6箇所は同じ旋律を流すことにした。
それまでに36曲を選んで絞っていた。
・・・が、結局9曲になり、
ついに2曲になってしまった。
今朝、4時半に「これで行こう!」と決めた。
しかし、選曲している間中、
「音楽はいいなァ」
何度繰り返したかわからない。
ぼくの演出には、たいてい器楽のライブが入る。
が、今回は第1部に弾き語りを入れるだけ。
生演奏の入らない演劇上演は
今回が初めてかもしれない。
三浦綾子さんの作品「母」では、
ヴァイオリンの演奏で
幕を開けて幕を閉めた。
芥川龍之介さんの「雛」では、
薩摩琵琶で幕を開け、
中でシンセサイザーとミュゼットアコーデオン、
そして一曲だけの女性ボーカルを入れた。
先日の「壁」では、
ギターの弾き語りで死刑囚を見送り、
そして幕を閉じた。
再来年に企画している作品で、
どうしても入れたいのは長唄と6人の囃し方、
シンセサイザーとミュゼットアコーデオン、
薩摩琵琶、馬頭琴である。
管楽器音も欲しいが、
シンセがカバーしてくれるかもしれない。
しかし、音楽はいい。
楽譜が読めて演奏できる人は
ぼくは誰でも尊敬したくなる。
自らに別世界の扉の鍵を持っているのは幸せだ。
たとえば、モーツアルトのように、
愛の神を意味するアマゼウスの称号は
そのみんなのためにあるのだろうと思ってしまう。
ベートーベンが頭痛と下痢と胃痛にありながら
木漏れ日を仰いだ時浮かんだメロディが
神の栄光と叡智への感謝を表すものであったように、彼等にはぼくにはない世界への扉の鍵を持っているのだと思えてしまうのだ。
さて、これからCDショップに行き、
第2部で使う音楽を聴きに行く。
盲目の乙女、
宣教師の父と日本人妻との間に生まれ、
切支丹弾圧に、親から引き離された兄弟。
兄は眠狂四郎として冷徹な剣客となり、
妹のお京は奥州の居合いの達人に育てられ、
盲目の凄腕として上州に現れた・・・
可笑しなものがたりの曲である。
行って参ります・・・
















