俳優修業
つくられる役者・・・
これは貴重な経験である。
「創られる」という字を当てるべきかもしれない。
舞台に限らない。
テレビドラマやCMの収録を通して、
これを感じたことが多い。
NHKの大河ドラマで「徳川家康」に出演した時に
特に感じた。
佐治日向守という役だったが、
秀吉の妹を妻にしていたが、家康にやりたいので返せと迫られ、抗うことの難しいことから自害して果てるものだったが、相手役のかかわり、カメラワークなど(つまりは演出による)の助けによって創られた自分を感じたのだった。
他に、舞台では宇野重吉さん演出「イルクーツク物語」や「七月六日」「うちのお姉さん」「星の牧場」という作品での役づくり、浅利慶太さん演出「ヴェニスの商人」のグラシャーノー役でもそうだった。
自分は懸命に役を創っているつもりだが、「これは自分の力量では創れなかった」としみじみ感じた役がいくつもあった。
また40年にわたって継続(最近は収録がめっきり少なくはなったが)している通販のCMがある。
いま演出をする機会が多くなったが、どの役にでも、
そのような環境をあてがう演出を出来れば最高だと思う。
役者は将棋の駒ではない。
実を言えば、私は将棋に詳しくはない。
しかし、その素人でも、動かせる程度は出来る。
考えてみれば、本当の意味での「駒」なのかもしれない。
いや駒でいいのかもしれない。
歩が裏返って金になるかもしれないが、
その役割は飛車角や様々な働きを併せ持つことが出来る。
役者一人一人も計り知れない可能性をもっている(筈だから)。
それを引き出す演出がいて、
自らも気づきそれを活かせればいい。
続く。