朗読 | 演劇人生

演劇人生

今日を生きる!

朗読は難しい。

工夫すればするほど難しいように思う。


私は以前から、

「朗読劇」などと銘打って有料で見せることに抵抗を持っていた。

しかし有名女優や俳優たちが演じる(?)ことも加わり、

いつの間にか市民権を得て今日に至っているようだ。


「走れメロス」「蜘蛛の糸」や、

宮沢賢治作品などが選ばれることが多いようだ。


最近、私もカルチャー教室で受講者に

「葉っぱのフレディ」や「靴屋のマルチン」

自作の詩などを朗読させた。


しかし、読む側は聴く側に立てない。

ここに、朗読の問題がある。

録音したものを聞いても、

自分が読んだものを聞くのは、


「聞く」


であり


「聴く」


ではない。


聞くのは耳かもしれないが、

「門」とは、

全てに開かれたものではない。

一門に象徴されるように、勢力内の構成員を意味し、

門外に対する内輪を意味している。

すなわち「門」は、その領域への入り口なのである。


対して「聴く」の「聴」の耳は先にあるものの、

14の心に連なる必要がある。


朗読者に、聴く側の「14の心」に対する意識があるだろうか。


文字や文章を読んでいるうちは論外で、

作者が描いたであろうイメージに接近し、

それを我がものにしても足りないのが「朗読の世界」だと思う。


更に、

声優や俳優が、CDやDVDとして販売しているようだ。

「その程度でCDなどに固定化してしまっていいの?」

といいたくなるものもある。


舞台をDVDにする話も出る。

しかし、残したくない場合もある。

舞台の作品は進化を続けるものだからである。


例えば、今回の「母」のように、再演を考えれば、

今年の9月公演は残したいとも思わないからなのだ。


仕事は、縁者が死んでも残る。


2時間30分の作品の中の1秒の場面でも、

不満の残るものは残したくはないのである。


「朗読は読みながら出来るからラクだ」

などという人がいたら大間違いだ。


安易なものなんて、そうないものなんです。