好きな役者を並べ始めたら・・・きりがない。
続々と出てくる。
どこで打ち止めにするか難しくなってきた。
きょうは演劇の神様についてです。
「何処に劇場にも神様がいる」
これは私の持論ではありません。
この9月に再演した「母」で天童公演に行った時、
舞台稽古を終えてホテルへ帰り、
食前にビールを酌み交わしながら出た話です。
舞台監督のY氏・・・
「何処の劇場に行っても感じる重~いものがない?」
と質問されて直ぐ、
「ぼくが感じるのは神様だね」
と答えた。
「鬼のときもあるよ」
実際にそうなのである。
舞台には鬼が棲み、客席には神様がいるように思えるのだ。
初めての劇場に入り、
最初に出会う人に、「おはようございます」と、
かける声がある。
・・・というより「音」がある。
ぼくにとって、
会った人への「挨拶」ではない。
神様と鬼に対する「音」のつもりなのだ。
そして楽屋や舞台へ向かう。
そこには、目覚めた鬼の気配を感じるし、
大向こうから見下ろす神様の視線を感じるのである。
「劇場だ!」
心に叫ぶ。
特に「裏窓」はよかった。
緻密なプランを立てて役を創り上げる
知性豊かな俳優としての印象が強い。
西部劇には不向きに見える風貌だが、
「西部開拓史」などをみると、その風貌を
巧みに活かし、根無し草のような役を、
見事に描いていた。
「翼よ!あれがパリの灯だ」や「めまい」
などに、彼の緻密な計算がみえる。