近所の奥様方と話す機会がある。
昨日は喫茶店には申し訳なかったが、
4時間くらいだべってしまった。
美味しいコーヒーと
ブルーベリータルトで・・・
この中で、
「私も舞台に立ちたい」
とか、
「俳優っていいな」
という話が、
しごく普通の話題としてでるようになった。
最初は、
俳優の仕事などというと
華やかなものという思いがあったのだ。
最近は、
その仕事によって得られる
精神的充実感に対するものになった。
話し相手の一人には、
昨年暮に、
O・ヘンリーの「最後のひと葉」を
観ていただいたが、
人間であることの喜びを
しみじみと味わったいう。
人間って素晴らしい生き方が
できることに感動したと・・・
それに対して、
ぼくら上演する側は、
そのように感じて頂いたことに
感動できる仕事なんですよ・・・
という話に、
更に喜びを感じてもらえたようだ。
ぼくらは、
稽古場で苦しみ、
舞台でも懸命に役と格闘して、
クタクタになって千秋楽を迎える。
「何でこんなに懸命になって
神経をすり減らして、
赤字を抱えながら芝居などを
しているのだろう・・・」
と、その度に思う。
「もう止めよう」
何度考えたかわからない。
だが、懲りずに、またやる。
三浦綾子さんの「母」の
天童公演でもらった中学生からの感想文・・・
ぼく等は何不自由ない生活をしている。
にもかかわらず何かというと
不満ばかりを主張する。
多喜二の兄弟たちは
貧しい中で、兄の就職を祝って
みんなでぼた餅を食べながら、
こんな美味しいものを年に一度でも
食べられたら、
あとは何を食べていてもいいね
というセリフを聞いて、
自分たちの心の貧しさを
しみじみと感じたという。
これはいったい何だろうか・・・
と疑問を持ったと書いてあった。
このような思いを、
ぼくらの演劇から感じてもらえる・・・
俳優をしていてよかった・・・
という感動はここで生まれる。
何かを伝えようとか、
何を掲げようとか考えていない。
ただ、
人の感じることを感じ、
人が悲しむことを悲しめ、
人が喜ぶことを喜べる・・・
俳優の必須条件はこれですよ。
だから、誰でも俳優になれるし、
なれない理由もここにあるんです。
こんな話をしています。