12月20日、21日に公演する「最後のひと葉」
稽古を重ねるにつれ、原作が名作であることの思いを強くしている。
わたしは原作と少し違う設定のドクター、フェアチャイルド役だ。
肺炎になった友人(ジョアンナ)を助けて欲しいと、
姪のスーディからの連絡で、
バージニアからニューヨークに駆けつける医者の役だ。
そのアパートの一階下の階には、
ベアマンという姪の挿絵のモデルなどをしてくれている老画家もいた。
肺炎になったジョアンナは、窓から見える蔦の葉を見ながら、
「あの葉の最後の一枚がなくなる時、自分の命もなくなる」
そのことばを裏付けるように、
妄想もひどくなり衰弱もひどくなる一方だ。
外は嵐のような風が吹きまくり、
みぞれ交じりの雨が降っている。
数枚しか残っていない蔦の葉は、
風前の灯だ・・・・
ドクターのフェアチャイルドも、
「ジョアンナが生きようとしない限りどうにもならない」
そして、患者が自分に葬式に来る馬車の数を数え始めたら、
医薬の効能は半減する・・・
そう言わざるを得なかった。
・・・・・・・・・・・・
このO・ヘンリーの短編は有名なだけではない。
英語の教科書にも取り上げられているなど、
たいていの人の知っている作品だ。
O・ヘンリー自身、家庭にも人の愛にも恵まれた人生ではなかったが、
著作には、恵まれなかった人間が理想を書いたとは思えない、
体験者でなけらば感じ得ないような内容に溢れている。
アル中で、それがもとで、
家族や周囲とも上手く行かなかったという彼の心中はどのようなものだったのか・・・
これ等のことを考える時、
表面的なところから人を判断し、
「あの人は・・・」
を言い切れないものが多くあるのではないか・・・
と思うのである。
この「最後のひと葉」に関わったことで、
これまでにない人生の深みを感じることが出来た思いがする。