残留孤児から学ぶ | 演劇人生

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ブログネタ:中国をほめよう 参加中
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農薬ネギむっ
腐らない椎茸ショック!
毒入り餃子しょぼん
スーパーなどで買い物をするのに、
中国製かどうかを確かめるようになった。

ここから長い長い話の始まりである。

僕の奥さんも中国人だった。

…だったというのは、20年ほど前に離婚したからだ。

離婚は中国人だからではない。ハートブレイク

正真正銘…価値観の相違と、
行き届かない、僕の思いやりが原因だったと思う。

大きな違いといえば、
文化大革命や国家感に対する考えの相違は確かにあった。
さかのぼれば、
1937年盧溝橋事件を発端として日中戦争が始まった。
爆弾
…というよりも、さまざまな事情が積み重なっての戦争であった。

国共合作によって、日本は中国相手に戦うことになった。
メラメラ
その頃、日本人にとって中国人は蔑称的にシナ人と呼ばれた。

支那自体は蔑称でもないし歴史的に現中国を指すのだが、
戦時中、シナ人はチャンコロと併せて蔑称だった。
むっ
これは朝鮮人に対しても同じだ。
むっ
鮮人ともいい、両国民を指して三国人ともいった。
石原東京都知事の発言で物議をかもしたが、
地震が起きても火事があっても、
その犯人は、
「主義者か鮮人か、いずれは不逞の輩なりけり」
として犯罪者扱いされたのである。
ショック!
今は亡き俳優の千田是也氏の名前の由来…
大正大震災では、朝鮮人が井戸に毒を入れたなどというデマが流され、
千駄ヶ谷近辺で、その風貌から朝鮮人に間違われた伊藤圀夫氏、
千駄ヶ谷に因んで、苗字を「千田」にし、
名前を朝鮮人のコリャンに因んで是也にしたという。
演劇人であると同時に左翼活動家でもあった千田が、
皮肉ってつけた芸名であるという。
むっ
戦時中とはいえ、
中国や朝鮮から強制的に日本に連行され、
過酷な労働を課せられ死亡した人も大勢いたのだ。
旭川に、中国人強制連行者慰霊の碑もある。

戦争は人から人間であることを奪い去る。
数千年積み重ねてきた人としての在りようを捨てなければならない。
それが戦争だと思う。
走る人DASH!
満州から引き揚げてきたという家族がいた。
「引揚げ」というと体裁はいいが、
「逃亡」だったと聞く。
叫びあせる
1歳と3歳の女の子を連れていたが、
途中、1歳の女の子を中国人にあげてきた(本人のことば)そうである。
その話を聞いた頃は、残留孤児の帰国問題などなかった頃で、
「…生きていれば高校生くらい…」
という話を、「そうか…」という程度に聞いていたに過ぎなかった。
かお
その後、田中角栄時代に日中の国交が回復することになり、
残留孤児の問題が湧き上がった。
パソコン目
妻も中国語を話せる通訳者として孤児の面会などに立ち会った。
日本語を話せる残留孤児など一人もいない。
中国から着てきた服装や、品物もみな中国製の粗末なものだったという。

そこで彼女を何より困らせたことは、
残留孤児が中国人に見えてしまうことだったそうだ。
ビックリマーク
「この人たちは日本人なのだ」
…と、自分に言い聞かせなければならなかったという。
また、侵略され酷い目に合わされた自国の歴史と複雑に混ざり合い、
自分のしていることに矛盾を感じたとも言っていた。
!?
自分達の町や村に軍隊と一緒にやってきて、
立派な家を建て、贅沢な暮らしをしてた日本人が、
命からがら逃げ出して行くのに置き去りにした足手まといの幼児たち。
それを預かったり拾ったりして、
わが子同様に育てあげる…これは大変なことではないのか…
我が身に照らして考えてみる。
自分には出来るだろうかとも思う。
はてなマーク
あるいはまた、歴史を辿り孤児として認定され、
家族探しに来日し、確実に残留孤児だと分かっていても、
引き受ける家族や親族がいなければ中国に送り返されるのである。
日本人である父や母から捨てられ、
日本人であることが分かり面会に来て、
親だ親戚だと名乗る人がいないからといって、
今度は、日本という国から捨てられる。
!!!?!!ビックリマーク
こんなことが行われなければならないのも戦争の悲惨さではないのだろうか。
食糧事情の悪い中、貧しい生活の中で、
敵の子どもをわが子として育てた中国人に敬意をはらいたい。

子どもの一人を置き去りにして満州から逃げてきた知り合いが、
どうしたのか…付き合いが途絶えて久しいので分からないままである。
はてなマーク
いま巷では、残留農薬や殺虫剤の問題が話題になっている。
わが国でも、食品に使用した農薬や殺虫剤、薬物が問題になったことがあった。
中国の農業は、15年前頃の日本にあるような気がする。

安い労賃に目をつけて、
お金¥
“儲けられれば、それ行けどんどん”で進出するだけではなく、
殺虫剤や農薬などについての知識やノウハウを提供すればいいではないか。

グローバルの名のもとに儲けに走る一方で、
行き来しなければならないものを置き去りにしていはしないか。
これは日本にも中国にもいえることだと思う。
お互いにさまざまなものを分かち合うことを考えなければならないのではないか。
これはエネルギーや知識などあらゆるものについて言えると思う。
パンダ音譜
「残留農薬」を耳にして、「残留孤児」に思いが行ってしまい、
何かやりきれなくなってしまったという他愛のない話が、
こんなに長くなってしまった。