ブログネタ:死ぬまでにしたいこと
本文はここから
『君たちは若いから、
それほど深刻には考えないだろうが、
我輩くらいの歳になると、いよいよ深刻なものなんだよ』
このテーマブログの題名を見た男は不快そうに眉をひそめながら話した。

『先ず以って、「死ぬまでしたいこと」という表現が嫌だねェ・・・
何故、「生きているうちにしたいこと」じゃないんだ。
死というものは何時来るか知れない。
今日これから買い物に行き、
ちょっと足をのばしたがために車にはねられて死ぬことだってある。
明日まで生きられる保障はないのだ。』
そして、
『だったら、「生きているうち・・・」とはどう違うかっていいたいんだろう、
同じじゃないかって?』
こいつはドライアイかな・・・?眼をギュウとつむり、二度三度こすってから・・・
『冗談じゃない』

・・・男は、けぶってはいるが陽の落ちている神社林の緑を眩しそうに見ながら言った。
『今日の天気を見てみろ。陽が当たっているあの木々を見れば晴れているって言うだろう。
曇っている…という表現もないではない。だが眩しく感じている我輩からすれば、
「晴れだね」といわれれば、「う~ん、少し曇っているがね・・・」というセリフは我輩から
出てくるセリフだとは思わんかね。・・・勝手な思いだって? そうかね・・・、
この微妙なニュアンスを理解できないで、編集の仕事を神経使ってやっていると言えるかね』
こんないちゃもんをつける男は、たいてい欲求不満を抱えているものだ、とも思ったが、
言われれば、何処かに肯定せざるを得ない部分もある。
『我輩には、大きく分けて3つのしたいことがある』

何だ…話すのなら、設問の云々はいらないだろうと思ったが、
したいことが盛りだくさんあって、言い過ぎにフタするための前置きだったのかも知れない。
そう考えると可笑しくもある。

な~んだ、くだらない。

・・・・?

・・・駄目だ、こりゃ!





“ないものねだり”…不可能なものばかリじゃないか!
一つ目は、偶然性が伴わない限り不可能。

つまり宝くじでも当たらなけりゃ無理・・・・(それでいて買わないじゃないか)
二つ目は、演劇のことをことばを変えて言っているのだろうが、
一つ目と連動している問題だから、
金がなければお芝居もできない。

どれほどいい作品を持っていようが、
名前があり、金がない限りできっこないんだよ。
諦めな。
お前は世間を知らなさ過ぎる。
不可能に気づかず、
「何とかしたい」
・・・と思いつつ死んでいった奴の屍を積み上げてみろ!
累々と重ねられた屍は、
お月さんにも届いて余りあるだろう…。
些かの可能性があるとしても、
その歳では遅すぎる。
ま、夢見るには金もかからないから・・・・いっかァ・・・
三つ目は、
愛とは何かも知らずに言うな・・・と言いたいね。





正直に「抱きたい」と言えばいいだろう。
だが、お前にはそれ以上のこともできないじゃないか。
もう男を失っちゃいませんか?

泣くなよ・・・・





人間なんて、パーフェクトに生きられると思ったら大間違いだ。
みんな不完全に生きて、不完全なまま死んで行くんだよ。
完全な時は一度だけあったんだが、
本人はもとより、父や母、周囲の誰もが、それに気づいていない。

生まれた時の赤ちゃんだよ。



お前も五体満足・・・って赤ちゃんで生まれたんだろう?
そういった人間は、次第に不満足なものを身体にも心にもくっつけていく。

麻痺を持って生まれ、不自由さを抱えて生まれた子どもは、
満足を我が物にしようと努力し続ける。
周囲だって一緒に努力しようとするだろう。
折角のよいものに、
無駄や余計、邪魔という澱を積み上げ、
必要以上の汚れを身につけ、
欲にまみれて生きてきたのではないのかね・・・



「あれもしたい」「これもしたい」



いまの環境と同じだ。
知識も得た、財も得た、利便さも・・・得たはずだ。
当たり前に生きるということは、どう生きることだ?
100年先に生きる人間も、
1,000年先を生きる人間も、
10,000年後に生きる人間も、
お前と同じように生きられると思うかね?
どうだ?
・・・だったら、「死ぬ前にしたいこと」
というブログテーマこそが、

当を得たものだということに気づくはず・・・

「生きているうちにしたいこと」
だと・・・?

お前は、やっぱり駄目な男だなァ・・・・







『そういうあなたは?』





「ははははは・・・・・それも分からんか
」



「せいぜい頑張って生きてみることだな・・・残りの人生を!」




