クチコミネタ:好きな匂い
本文はここから
道を歩いていては…
「金木犀の香りね…秋ねェ」
しみじみというのである。
一瞬にして、別世界へ誘われる思いがする。
一緒に劇団を立ち上げた友人だ。
彼女は季節を感じ、その香りの誘う思い出の世界を旅するらしい。

幼い頃、海岸端に漂っていた香りであったり、

学校への行き帰りに、
行きは朝の香りとして、
帰りは夕陽の色と混ざり合って複雑に…



仲の良い友達の庭先で…
郵便ポストの横であったり…
疲れて足を引きずっていた彼女が、
途端に元気になるのも、こんな時だ。
僕は、このような感性は持ち合わせていなかった。

だから驚いて彼女を見たのを覚えている。
不思議な人だ…と、最初に感じたのはこのことだった。
この感性を放っておくことはない。
こんなことを思って…悦に入っていた時だ。
「伊藤さん、はいガム…口くさい」
「・・・・」
「ギョ、満州屋で…ギョ、餃子食ったから・・・」

こんな会話で現実に引き戻されるのだが、
その1年後、一緒に劇団を立ち上げることになったのだ。
金木犀と言えば、
僕は、便所花と呼んでいた。
関東の…特に埼玉辺りのトイレの裏には、
金木犀が植えられていたからだ。
小花の集合体で、
かなり遠くまで香りを漂わせる。
昔からトイレのにおい消しに利用していたのではないか…

金木犀の香りを嗅いで、
便所を連想する僕とでは、
朝の香りだったり、
夕陽に溶け込んだような想いでの香りとは、
感性に雲泥の差がある。
その日から僕も、
香りと、“よきもの”との融合を求めようとした。
・・・が、駄目だ。
僕の得意は、
「あ、これは上等なカツオ節を使っているとか、昆布だしの香りだァ…」とか、

「あ、サンマを焼いているな」

「これはアジの干物だ」

「サバの塩焼きだ」

「これはイワシだ」

「鮎を焼いている」
「レンコンの入っていない煮物だな」
・・・・何とも、香りとはいわない臭いの類だ。
年をとると、老臭がするそうだ。
僕もするのだろうな…と思う。
昔から体臭も気にしていた。
若い頃は、腋臭は別にしても、
異性を誘うような体臭があるらしい。
僕にはなかったようだ。
誘われてついてきた女性など…と言っちゃァ、
別れたとはいえ、元女房殿に申し訳がないか…。
が、臭いについてきたとは思えない。
大らかで明るくて優しい性格についてきたのだろう…
人の臭いは気になっても、
自分の臭いだけは嫌いな人は少ないように思う。
僕は家に帰ると靴下を脱ぐが、必ず臭いをかぐ癖があった。
4~50代くらいまでだが・・・・
でも最近は匂わなくなったようだ・・・
脱いだ靴下を鼻に持って行くこともなくなった。
これも、自分の臭いだから嗅いでいたのだと思う。
年とともに若者の持つ匂いは消えていく。
臭い奴から…遠ざかって行く。
その分だけ、季節季節のいい香りには敏感になりたいものだ。
・・・・でもまた、あの初恋でくすぐられた、甘い彼女の香りだけは、
誰にも見つからない、心のうちポケットにしまい続けておきたい・・・・・と思う。