三浦綾子召天記念祭に・・・ | 演劇人生

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三浦綾子さんが亡くなって8年、

中野の教会で、「召天記念祭」が催された。

僕はクリスチャンではないが、ファンの一人として参加した。

その中で夫君の光世氏が、綾子さんとの生前の思い出話をした。

                                     話をする三浦光世氏
三浦綾子昇天記念祭

三浦綾子さんは、

病気の問屋と呼ばれていた。

結核、脊椎カリエス、帯状疱疹、癌、心臓病、パーキンソン病・・・

様々な病気と闘いながら、

常に命と向き合う生涯を送った。

本格的な作家として仕事を始めたのは、

朝日新聞の1,000万円懸賞小説に入選した「氷点」からである。

その後、「塩狩峠」「天北原野」「泥流地帯」「母」「細川ガラシャ夫人」

「海嶺」「青い棘」「道ありき」「病めるときも」「心のある家」・・・・等々、

僕と綾子さんとの出会いは、

自分の母が他界したことからだった。

しょぼん

北本と言う所の病院にいた母を見舞わない週があった。

ところが、その週に母は亡くなった。

この体験を通して、母についてだけではなく、

父を亡くしたときのことにまで、思いがさかのぼった。

存在していることが当たり前・・・

この面倒を見るのは当たり前・・・

子にとって親であることは当たり前・・・

ニコニコ

このように思っていたことが、

実は、自分にとって、

最も当たり前ではなかったことに気づかされたのだった。


親父とお袋
                             今は亡き父と母(埼玉県飯能市で)

言い換えれば、「当たり前」だと思っていることへの考えを質されたのだ。

人にとって、当たり前に存在していると思われるもの・・・

空気もそうだろう、雨もそうだろう、家も、家族も、友人も、恋人も

・・・いや次第に慣れてきて当たり前になる・・・

親も子も兄弟姉妹も・・・

しょぼん

恥ずかしい話だが、

母が亡くなって数ヶ月ものあいだ、

これに気付かずにいた。

勿論、それ以前はなお更である。

が・・・劇団の友人の父母への思いに接した時、

頭を殴られる思いに襲われたのだ。

僕の心にあった空洞に気付かされたのだった。

・・・恥ずかしい話であるが、事実だ。

!!

学費が親から出てくるのも、

大学を出ても芝居にうつつを抜かし、

仕送りを続けてもらうのも、

親と子の関係であれば当たり前だと思って来たのだ。

が・・・これに気付いたからと言って、

それで埋められたといえるわけがない。

親は死んでしまっている。

いや、考えようによっては、

親を殺していたのではないか・・・とさえ思われた。

!!

初めに、母とは何か・・・考えてみよう。

・・・と手にしたのが、

三浦綾子さんの作品「母」だった。

                       生前の三浦綾子氏
三浦綾子
購入して一気に読みきった。

「ここに親と子がある」

これを演劇にすることで、

他の人たちと一緒に、

親を子を、命を考えられるかもしれない。。。。

メラメラ

誰でもガ必要としている何かが見えるような気がした。

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このような出会いを通して三浦綾子を知った。

それがもとで、ブログの巻頭に、


いのちを見つめる・・・・

などと生意気な文句をも並べている僕なのです。

                              生前の三浦綾子氏と夫君の光世氏
綾子と光世