エスカレーターからホームへ出ると、
河童殿は山手線に乗った。
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僕は京浜東北線で浦和まで行くので、
一緒の車輌に乗り込んだとしても、
日暮里、田端・・・と二駅しか同乗できない。
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しかし二度とないチャンスかもしれない・・・
「ドアが閉まります。ご注意下さい」
の声を聞きながら乗り込んだ。
見よ・・・
河童殿は、
空いた席に堂々と座っている。![]()
運良く両脇が空いているので、
「失礼します」と右隣に座ろうとすると、
「こちらへどうぞ」
と、左側を指す。
「は、ありがとうございます・・・?」
言われるままに河童殿の左に腰を下ろそうとすると、
「右側はしずくで濡れちゃったんです。すみません」
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はにかみの表情を見せながら、小さな声で言う。
「そうでしたか・・・、教えていただいてありがとうございます」
「いえ、わたしが濡らしたんです。申しわけありません」
やはり囁くような小さな声だ。
「風邪でもおひきですか?」
これに、思い切って・・・
「河童さん」
と続けた。
河童殿は驚いたような表情で、丸い目を一層丸くして、
「分かりますか!」![]()
今度は普通の声だった。
「はい」
「やっぱり」
そこから始まった話が長かった。![]()
河童は想像上の生き物ではなく、人間以前に地球に棲みつき、
河童文化の花開いた時期もあったのだそうだ。
但しそれは川中文化といい、
川の中で築かれたという。
ところが、インダス川やユーフラティス川が人間に侵食され、
こぞって日本に渡ったが、
ここでも川は人間によって占領され、
童口(人口に対していう河童の個体数)は減少を続け、
江戸時代に入ると、
悪者として迫害を受け、
霞ヶ浦に姿を隠したり、
十和田に隠れ、
八郎潟を最後の棲み家に決めた途端に干拓がはじまり、
それ以後、隅田川の某所に、小さな村落を形成していたのだという。
生存の危機に直面していることから、
以前は田中角栄さんにも陳情したそうだが、
折悪しく、ロッキード事件が発覚し、
その後は、当時の検察官だった堀田力さんにも頼もうとしたが、
人間の介護や福祉に方向を転換したために諦め、
馬力のある鈴木宗雄さんにもターゲットを変更したが、
電話でも「河童」と名乗った途端に、
「いたずら電話」
扱いで、話にもならず、
ほとほと困った末に行き着いた所が、
東京ミッドタウン裏のガーデン内の人工池だというのだ。
ときどきは山手線を一周しながら、
人々の河童に対する意識調査をしているという。
「あ、西日暮里まで戻ってしまいました」
河童は、千代田線で赤坂まで戻るという。
「あなた様の考えていたように、私たちは東京ミッドタウン裏の、
檜公園内の池におりますので、会いに来て下さい」
と言うなり、閉まりかけたドアから、
サッっと降りていってしまった。
「喋りっ放しで、山手線一周・・・!」
1時間の余裕をもって出てきたので、
浦和へ行く用事に支障はないが、
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疲れたァ!!!
≪続けます≫