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赤ちゃんポストが
“こうのとりのゆりかご”として
熊本の慈恵病院に
設置される話に
その是非を論じる声がテレビや新聞を賑わした
塩崎官房長官も談話を発表し
「子育ては親の義務」
「あってはならないこと」
と所感を述べた
はてさて
このブログを書き始めた一昨日から
母親を殺害し
その頭部を持って警察に出頭した青年の話
妊婦殺害事件
少女殺害事件・・・等々が
次々と報じられた
そのために継続して書き続けることができず
しばらく保存しておくここになった
これから先は
多分 前に書こうと考えていた内容とは
違うのもになると思う
親が子を
子が親を…
夫が妻を
あるいは
通りがかりの人を
殺し
また、そこで
殺される命がある
これもまた
「あってはならないこと」
しかし日々 どこかで起きている
命とは何だろう
命とは
常に 生と死を宿して存在している
命を産み 命が生まれるとき
何を期待し
何を願うのだろう
殺されることか
(殺すことだろうか)
捨てられることだろうか
(捨てることだろうか)
「子捨てを助長する」という声もある
では
人殺しを「助長している」のは何だろうか
ただ
生まれた命は
本来 父や母の愛情に包まれ
多くの人たちとのかかわりの中で
育まれ 成長するはずのもの
賛否を論じる前に
命は生と死を宿しつつ生まれ
生きるために
今があり
芥川龍之介の「河童」の世界ではない
「生まれたいか?」
・・・と尋ねられることなく
求めずして
求められて
生まれてきた命だということを考えたい
そこには 自ずと
あってはならないことが
存在しているはずだと
僕は思っている
殺されるためにも
捨てられるためにも
苛められるためにも
生まれてくる命は
一つもない・・・
