一つ前のブログに、麻布の蝦蟇の話をかいたところ、
今、麻布の何処を探しても蝦蟇の形跡はないという。
ま、火事を消した “蝦蟇” というのも荒唐無稽だし、
火傷した家人が、蝦蟇の汗を煮つめる・・・というのも、
理由もつまびらかにされていないし、突拍子のない話でもある。
さて、これは蝦蟇ではなく蒲ではないか・・・と考えてみた。
麻布界隈には、池もあったろうが、
渋谷川から目黒川に名前を変え、
渋谷から白金近辺の四の橋、
三の橋と流れてきて、麻布近辺から一の橋、
更に芝を通って品川へ・・・
この河川の両岸には、かつて葦や蒲などが生えていたに
違いない・・・と考えたのです。
大体、四方に鏡を張り巡らせて、蝦蟇に脂汗を出させよう…などと
考えるだけで嘘っぽい臭いプンプン・・・ではないか。
では何故「蝦蟇の油」などという奇想天外な薬が売られていたかである。
その製法はいざ知らず、売られていたのは事実であり、
年配者紳士淑女諸君は、祭りや縁日で売り屋の口上を聞いたに違いない。
「さあさあお立会い。ご用とお急ぎでない方はゆっくりと聞いておいで・・・」
癇の妙薬といわれる孫太郎蟲や、精力剤と言われる赤蛙と並んで、
蝦蟇の油が出てくるが、派手な口上でお客をひきつけるのは、
蝦蟇の油売りにかなうものはいなかったに違いない。
これも伝説の域を出ないが、筑波山にある寺の和尚・・・
実はこの和尚、蝦蟇によく似た顔だったそうだが、
持ち歩く薬が、怪我などによく効いたらしく、
蝦蟇和尚の油として評判をとったらしい。
これが、いつの間にやら、「蝦蟇の油」になったという話があります。
では、麻布の“がま”は、ガマではなく、がま・・・なのだろうか????
因幡の白兎が、赤むくれの身体を横たえて、治癒したと伝えられている…
あの蒲の穂に違いない・・・というのが、
これまで推測しうる僕の結論です。
確かに、蒲には止血作用や利尿作用もあるといわれます。
ですから一昨日僕が書いた『しらなかった…ガマ由来』は、
蝦蟇由来ではなく蒲由来だったともいえそうです・・・