番外123.理屈じゃねーんだよ!宗教はすべてカルトだ! | 常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった

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「まつろわぬ」というキーワードから常陸国の歴史を見つめなおします。常陸国は東海道の東のはずれ、鹿児島から始まる中央構造線の終点です。
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麻生が岸田に「理屈じゃねーんだよ」と安倍の国葬を強要したようだ。

つまり麻生は、食口=統一協会信者か、あるいは統一協会を支援していることが推測できるだろう。


日本は選挙制度を中選挙区制から小選挙区制に変えてから、清和会=朝鮮進駐軍による支配が強まったように感じる。

中選挙区制度は、1選挙区内で自民党公認候補者が複数立候補できたので、いろんな自民党議員がいた。派閥の争いがあり、緊張感が強かったように思う。

二大政党制が浸透しない間は、中選挙区制度が好ましいと思う。


さて本題の宗教論に移るが、これまでに何度も書いている。

歴史を見れば、宗教が戦いを起こしてきたことは明らかだ。

モーゼ の出エジプト、アレクサンダーの東征、十字軍の遠征、植民地政策、島原の乱、明治維新、911、、、


細かくいえば、宗教を利用した政治家が戦争を起こしてきた。

ひとりを殺せば殺人者だが、何百人も殺せば英雄だ、と誰かが書いていた。

為政者は宗教を利用することで、国をまとめてきた。戦前の日本を見てみれば、国家神道が国の中心思想だった。

天皇を現人神とし、神社をその祭壇としていた。

日本書紀、古事記を金科玉条として、万世一系のデタラメ歴史を強要してきた。

これはまさにカルトだ。

今回の参議院選では参政党が、保守を標榜し、スピバカを中心にそれなりの勢いを見せた。

わたしには、なぜそんなにかの国家神道体制に戻りたい人がいるのかは理解できない。

たぶん、論理的な思考ができないのだろうとは感じるが。

ツイッター等で、わたしは宗教は不要だ、と書くが、そうすると、決まってカルトとそうでないものに分ければ済むことでは?なんて書き込みをされる。

しかし、前述したように、国家がそれを悪用してきた長い歴史があるのだから、分けることなどできないと思う。国民はそれほど利口ではないし、自制心があるわけでもない。

自らの宗教に入れば幸せになれる、などという教義は選民思想に違いない。


日本国憲法は、信仰の自由を保証し、政治の宗教利用を禁止している。

しかし、信仰の自由は、家族内では否定されがちだ。だから、2世、3世信者の悲哀が常に話題になる。

わかりやすく書けば、子どもは否が応でも親の指向に従わざるを得ないのだ。

憲法は、政治と宗教の分離を謳っているが、宗教団体が圧力団体又は政治活動をすることは禁止していない。

さらに宗教法人は、基本非課税という、特別扱いをされている。これは公共の利益があるとされたためらしいが、特別扱いしてはならないと憲法には記載されている。


憲法第二十条

第二十条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

だから、創価学会のように、信濃町を占拠し、全国の主要な町に、文化会館なる教会を建てることができた。

ざる法なのだ。

少なくとも、一般法人並みの課税は必須だ。

ある学者が、カルトと宗教の違いを述べていた。

①簡単に脱退できること

②高額なお布施を要求しないこと

③教祖を拝まないこと

だいたいこんな感じだと記憶しているが、あまい。

甘すぎる。

例えば、葬式仏教では、戒名代にいくら払う?

お墓にいくらかかる?

死んだ後まで年忌法要。

結局、ひとり死ねば、数100万円がお寺に流れ込む。

墓代以外はほぼ非課税。

昔から言われる坊主丸儲け。

そして大工町に外車で乗りつける。


お寺も神社も霊感商法だろう。

神社をパワースポットだと宣伝し、縁結びや、病気平癒、家内安全、商売繁盛、などという現世ご利益を謳う。

ならば、それが実現しないならば、消費者生活センターに通報したり、詐欺罪で訴えるかといえば、我が日本人はけしてそんなことはしない。

だから、このおおらかさ、いい加減さがあるため、日本には唯一神を奉斎するキリスト教は根付かなかったと思われる。


しかしだよ、しかし、国家神道には服従させられたのだ。

現在は、統一協会が裏にいる自民党に国の行方を左右されている。

もちろん、その裏にいるのはアメリカ在のシオニストである。


シオニストとは、偽ユダヤ教徒である。

エルサレムを再興しようと画策している。

それが東ウクライナの根本原因なのだ。

中国、日本、韓国で言えば、儒教が彼らと同祖となる。始皇帝が焚書坑儒をしたのは、選民思想のユダヤ教の排除だった。

そしてそれが、いわゆる葬式仏教だ。

心地よい先祖崇拝という言葉にもおき換えても良い。

つまり、すべての宗教はカルトであるのだ。

だからわたしは、日本教からの決別を進言したい!