番外117.矢としての長髄彦 | 常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった

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長髄彦とは誰か?
われわれ的には、常陸の天津甕星、香々背男である。
長髄彦と矢の関係から、それを考察してみる。
まず長髄彦は、五瀬命を矢で射た。
神武に天の羽羽矢を比べる。

Wikipediaから引用



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さて、大屋彦という神がいる。

古事記の大禍津日神。(オオマガツカミ)

日本書紀の八十枉津日神(ヤソマガツカミ)または大綾津日神(オオアヤツカミ)


Wikipediaから引用


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まず、古事記の禍津日神(まがつひがみ)だが、災厄を司る神とされている。

日本書紀の表記だと枉津日神。

「禍」と「枉」

「禍」とはわざわいだが、その本質は、渦であった。

これはすでにブログ記事で詳述している。

「リヴァイサンとしてのスサノオ」



禍福はあざなえる縄の如し、という漢字本来の意味とは違う諺がある。


矢で射る話は、百嶋資料だと、伊の大神=饒速日の逸話だ。

九州北部には沢山の伊のつく地名がある。

これは、長髄彦を仮借して創作したニギハヤヒを宣伝するためだろう。

いわゆる猿田彦、フツヌシ、山幸彦である。

象徴は、三又槍、トライデントである。

サルタがsaltかもしれないのはまさに的を射ている。

このマークは女神の象徴フルールドリスの盗用だ。

三叉槍トライデント



フルールドリス



では「枉」とは何か?

字統によると、邪曲なり、とあるが、

これは単純に、木へんに王だ。

木を列島にもたらしたとされるのは、イソタケル!まさしく木の王だ。😆

最初に引用した、大屋彦の別名になった🤣

ケモノへんにすると狂😆

どちらも曲がった奴!

史上最大の狂人といえばヒトラーだ。

ウクライナ状況を見ていればよくわかる。

アゾフはネオナチで、シオニストである。

この絶対矛盾的自己同一。大笑いだ。

だからアゾフの若者は、ユダヤ教じゃないがシオニストだというのだ。

シオニストは、塩ニスト。すなわちsalt彦。

テメーが狂っているのに、相手のせいにする手法、これは少なくとも日本の記紀神話に見られる。

つまり藤原氏とハザールのマインドは似ているのだ。

いわゆる火病の一種でもある。

小賢しい駄々のこね方なのだ。

人格神を信じる人たちよ、彼らをなんとかせい!


さて、長髄彦の放った矢は神武皇兄五瀬命の命を奪ったとされる。

体制側から見たら、いかにも禍つ矢である。

神武をスサノオと知られたくない勢力からしたら、枉であり狂でもあったとしたかったのだろう。

その勢力とは藤原氏である。

枉や狂は、わかりやすい現代語にすれば曲るだ。

いわゆるへそ曲がり。

ちゃんちゃらおかしい。

へそが湯を沸かす。

これが藤原手法である😆

つまり、大屋彦とは五十猛であり、その正体は長髄彦だった。

髄に注目しよう。

髄には骨へんがつく。

骨は禍のつくり右半分。

そして、渦。

ウズはスサノオ系統の代表的な文字であった。


まがつのもうひとつの表記、大綾津日神。

この綾(あや)が、や、と訛り、オオヤビコとなったとされるが、記紀の時代は奈良時代。

さらに解釈は江戸時代。

ならばわたしは、21世紀の解釈をしてみよう😆


綾は機織りの手法のひとつである。

そこから、大麻彦と大綾彦の関係が示唆される。

ことば遊びは、自分が注目した点について検索をするから、自説に都合の良いものをピックアップするきらいはあるが、そのことば遊びが落語の原型のひとつであるのだから、風が吹けば桶屋が儲かるのだ🤣

よしとすべし。

さて、綾である。

綾織は常陸太田市の長幡部神社のアシギヌのことだ。

祭神は

綺日女命 (かむはたひめのみこと)

多弖命 (たてのみこと)。

綺はあやぎぬであった。



大綾彦の一人としての長髄彦がいた。

以上を文学的論理性で考察すれば、妥当な線だ。

そして長髄彦は常陸国の天津甕星、甕星香々背男だった。

妻は息栖神社では女甕として表されるオキツヨソタラシヒメだ。

二人合わせて、オキツセ神である。

その子がいわゆる諏訪の神タケミナカタと鴨玉依姫だ。

玉依姫とは織姫のことである。

玉をよるのである😆

つまり糸を撚るのだ。

鴨玉依姫の連れ合いは、天日鷲だ。

製紙や織物の神とされる。

その子については、記紀からも、常陸国静神社のタケハヅチ、天志良波神社の天白羽、長幡部神社のカムハタヒメだった。

つまり、織物の神だったのである。

七夕まつりを思い出そう。

織姫は琴座のベガ、彦星は鷲座のアルタイル。

じつは、ベガもアルタイル鷲の意である。


Wikipediaから引用


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ここにおいて、鷲と織姫がほぼ同一な意味を持つことが推測されるのだ。

琴は機織り機を比喩しているのは、それらの形状からも推測できるはずだ。

しかもだ、機織りは、コットンコットン😄

さらに織られる布は木綿であると推測するのが、21世紀的だ。

その心は、綿花はcottonだからである😅

以上のように、大屋彦とは、五十猛であり、長髄彦であり、織物の神の祖であった。

つまり、フツヌシ、饒速日と言われる、藤原の祖神の正体の一人は長髄彦だったのである。

もう一人の祖神、天児屋根についても、大屋彦の屋に示唆されているのだ。

天児屋根は、百嶋系図では武甕槌だ。天忍穂耳だ。

長髄彦と武甕槌を合わせて、安日長髄彦という。

アラハバキの原型の1パターンである。

彼らは義兄弟だ。

長髄彦の妹コノハナサクヤヒメ=アメノウヅメ、渦女と武甕槌がペア、武甕槌の妹のオキツヨソタラシヒメと長髄彦がペアでこの二組を中心に日本の国家体制が確立され始めるのだ。


それは常陸国から始まり、北は那須、岩背、安積、南は上毛、武蔵に拡大して行った。古墳の築造年からはそう思える。

さらに近畿にまで及ぶことになるのだが、その時期についてはまだ考察途中である。

最初の女性天皇、福島の飯豊青女王まで解明してからの話だ。

長髄彦から武内宿禰、神功皇后まではつながった。

あともうすこしだ。

そのためには、八幡神=応神のデタラメさと倭の五王を解決しなければならない。

21世紀中にはなんとかしたいものだ🤣


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