番外35.スクナヒコナとは誰か? | 常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった

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「まつろわぬ」というキーワードから常陸国の歴史を見つめなおします。常陸国は東海道の東のはずれ、鹿児島から始まる中央構造線の終点です。
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番外33.建御名方は事代主であり、磐鹿六雁である、の続編になります。


建御名方を最初に持ってきたほうがよいのか、御年神を持ってきたほうがよいのかは、百島神社考古学の研究者にとっては、なかなか難しいところではありますが、誰でも知っている諏訪神社の祭神建御名方(タケミナカタ)を標題にしましょう。

最初に結論を書きます。

建御名方=事代主少彦名=恵比寿=御年(才)神=武夷鳥=聖神=ウマシマジ=磐鹿六雁=

樋口大膳=八尋熊鰐(=羽白熊鷲まだ?)=オオタタネコです。


奥さんは卑弥呼宗女イヨ、稚日女尊=神主玉=
コケムス姫=八坂刀売=菅原道真です。


武夷鳥という名前は、夷がひなと読むので、日向(ひなた)姫=イヨにも当てはまります。

というよりも、武は建や健にも変えられ、建速スサノオを始めとする文字だったと考えますが、系統捏造者は、建を武とし、漢字は表意文字ですぐに意味を思い浮かべる「日本人」は簡単に武神と考えてしまう傾向にあり、本来の日向(ひなた)を男神にしてしまった公算のほうが高いように思います。

また事代主は、「こと」がつくため一言主(ひとことぬし)にも変化します。

百嶋系図では、御年は大年神(タケミカヅチ)の実子とされますが、われわれは実子はイヨとし、その婿だと考えています。

しかし子であることに変わりはありません。百嶋音声データで御子は養子(婿あるいは嫁)だと言っていた記憶があります。また、御年も大年も、正月の年神様であり日本では欠かすことはできません。

神話で国づくりの神とされる大国主と少彦名の組み合わせは、上記の名前で対応させてみると以下のようになります。

大国主―建御名方と事代主(記紀においては親子)

大名彦―少名彦(大己貴―少彦名)


大きい男と小さい男、名は格助詞の「の」。

四道将軍の大彦と建沼河別の親子と比定できるかもしれない。さすれば、建沼河別は少彦になります。

大彦=うず彦の典型は彦国オキツ(後の長髄彦)、建沼河別は沼河姫=オキツヨソタラシ姫の別だから、夫か子供と類推できるので、彦国オキツか、その子建御名方になります。 

タケヌナカワとタケミナカタの発音は誤差の範囲内でしょう。

われわれは百嶋系図を3系統(正統瀛氏、高木系、ハベク系=神沼河耳系)に分離すると、古墳時代から現代までに至るの歴史の流れが分かり易くなることを突き止め、さらに鹿島曻氏の著作から、ナガスネヒコは高木系であることを感化され、なるべく通称ナガスネヒコ=カガセオ、ミトラの正統―瀛(=ウズ)の継承者スサノヲの子を彦国オキツと表記することにしました。

オキツヒコでもよいのですが、大山咋もイカスリ劉藤原=不比等によってオキツヒコの名称を与えられており、紛らわしいので彦国オキツを選択したのです。

彦国オキツ=長髄彦(ナガスネヒコ)です。

ナガスネヒコという名前は瀛の継承者を貶めるための名前です。

ゾロアスター化したキリスト教におけるエデンの園のアダムとイブの説話、禁断の果実を食べさせる蛇=サタン≒ルシファー=金星ということを前提にしているのは明白です。 

要するに彦国オキツはナガスネヒコと改名させられて、堕天使になったのです。

だから、まつろわぬものなのです。

ナーガは蛇、金星はカガセオの代名詞であり、鞍馬山のサナートクマラにも虚空蔵にもつながります。

鞍馬山で修行した牛若丸の出自が推定できますね。

高木系が列島から追い出されて建国した半島新羅の王族を守るための青年組織、源花、花郎(現代日本の芸能界で言えば、AKBやジャニーズ)が、平安末期に列島に侵入し、百済系(山幸系)平安貴族を、これもまた現代の政財界のように「性」で籠絡し、歴史上「臣籍降下」とされる、源平の誕生につながって行きます。

やっぱり清和源氏は「姓は源氏」で良さそうです。それとも「性は源氏」か。

源氏物語が書かれたのは必然的ですね。

聖徳太子を厩戸皇子としたイエス誕生の模倣など、記紀を創作した不比等及びその背後にいる秦氏にはゾロアスターキリスト教の東方版である景教の影響が見受けられます。母の穴穂部間人皇女がそれほど目立たないのは、聖母マリアを単なる生母とした景教の影響をみることができます。

イカスリ劉藤原お伽話ですからきちんと整合性は取れません。(笑)

記紀のお伽話に何らかの意味があるに違いないと頭を悩ませていると時間の浪費でしょう。

さて、われわれ百嶋学徒は、ピピピピピ-ンと、少彦から細男を思い起こさなければなりません。

持統天皇を神格化するために創作されたらしい神功皇后に関係する、細男=黒男です。

福岡県吉富町の八幡古表神社では住吉神とされています。

安曇磯良を海中から呼び出すために細男が舞うのです。

安曇磯良は鹿島大神と同神ともいわれ、常陸国の鹿島の海から出てくるとされています。この鹿島はもしかしたら、安曇磯良の形跡と考えられる、北茨城市の磯原や五浦(いずら)から少し北にある、福島県いわき市鹿島になるかもしれません。(安曇磯良=建許呂=ヤマトタケル)

アントラーズの鹿島は砂浜で磯場が無いことも理由の一つです。

そこは、まさに比類なき高き国、多珂国(後の常陸国から磐城国)に該当します。

安曇磯良は建御名方の御子(娘婿)であり、実在しない神功皇后?の祖父になります。


八幡古表神社のHPより引用

 八幡古表神社においては、地主神(その土地の守護神)として西御殿の「住吉神社」にお祀りされています。

当社境内地は海に近く、山国川の河口に位置しています。その為、海の神であり、河口の神である住大神が当地にお祀りされたと考えられています。

当社の伝統神事「細男舞・神相撲」では、西方最後の力士として登場されます。 

そのお姿は、別名御黒男神(おんくろおのかみ)と言われるように、潮焼けによって黒々とし、小さいながらもたくましく表されています。

得意技は相手を蹴って倒す「蹴倒し」です。


古表は小兵でもあり、胡兵でもあると考えますが、黒男ともされるのは、インドのドラヴィダ系だからかもしれませんし、ミトラの中国版墨子が関連しているかもしれません。胡はエビスとも読みます。

墨は黒の土、黒に圡、すなわち黒の王とみなすことができます。黒のおう、くろおですね。そして、クロウcrowはカラスです。

後に三足烏に導かれ、羽黒権現を感得し出羽三山を開いた蜂子皇子に関係してくることでしょう。

墨子はおそらく住吉=住之江(すみのえ)の元になるものでしょう。(墨はスミ)


  

 古表神社の住吉大神        

相撲を取る住吉大神=細男=黒男



  

ドラヴィダ人              

蜂子皇子


   

細男のイメージ  蜂子王子クリソツ。

ジャック・スパロー 雀男  大鷦鷯天皇は仁徳



 安曇磯良のイメージ ビル・ターナー


神社HPには河口の神としていますが、建御名方=建水方=大水口はまさに水の口、河口の神です。

八幡古表神社には誉田別は祀られていません。ということは、本当の八幡神とは応神ではないと考えられそうです。

長野県の神社の考察で、誉田を品田と推測しました。田と野は、ほぼ同義と考えられますから、信濃は品田、つまり誉田になります。シナはスサノオ、シナコはアメノウヅメ=木花咲耶姫でしたから、品田はその子イヨになるかもしれません。すると、品田別=誉田別は夫であるタケミナカタになる、という解釈が成り立ちます。


相撲の起源は、WIKIによれば、

日本における相撲の記録の最古は、『古事記』の葦原中国平定の件で、建御雷神(タケミカヅチ)の派遣に対して、出雲の建御名方神(タケミナカタ)が、「然欲爲力競」と言った後タケミカヅチの腕を摑んで投げようとした描写がある。その際タケミカヅチが手を氷柱へ、また氷柱から剣(つるぎ)に変えたため掴めなかった。逆にタケミカヅチはタケミナカタの手を葦のように握り潰してしまい、勝負にならなかったとあり、

これが相撲の起源とされている。

であり、

人間同士の相撲で最古のものとして、垂仁天皇7年(紀元前23年)7月7日 (旧暦)にある野見宿禰と「當麻蹶速」(当麻蹴速)の「捔力」(「すまいとらしむスマヰ」または「すまいスマヰ」と訓す)での戦いがある(これは柔道の起源ともされている。)

当麻蹴速(たぎまのけはや)は黒男=住吉大神の得意技「蹴倒し」に関係があるでしょう。

古事記の製作者の脳裏では間違いなくこの二つは同源であったに違いありません。

けたぐりの名手、若浪を思い出します。得意技は吊りや打っちゃりですが、ここ一発で見せるけたぐりはみごとでした。

若浪は茨城県猿島郡出身。平将門の活躍していた地域です。

幕内優勝一回、178cm、体重103kgの小兵力士でした。まさに細男といってもよいでしょう。

スマヰは住まいで、阿須波神=建御名方となり足盤、足場の神・足下の神。足で踏んで立っているところを守る神とされます。まったく相撲を取る住吉大神の写真のとおりです。

別名の御年はハイキノ神、疋野も蹴速のイメージがあります。

野見宿禰(のみのすくね)や武夷鳥は菅原道真の祖になっていますが、まさにそれを裏付ける内容とっています。

細男は、ほそお、ほそおとこ、くわしお、さいのお、せいのお、などと読み、才男や青農とも表記されるようです。御年→御才や、神農が想起されます。神農すなわち農業や医薬の神様です。少彦名が、大国主と一緒に国土開発をしたことや、薬や醸造の神と呼ばれることにつながっていきます。

もちろん酒造の神様としての松尾大社の祭神大山咋はこれをパクッていると考えます。

醸造は醸す(かもす)ですから、神主玉(かもすたま)を思い出さねばなりません。

もう一人の祭神中津島姫はイチキシマの別名とされていますが、宗像大社では辺津宮に祭られており齟齬を感じるところです。沖だろうが中だろうが辺津だろうが何でもよいのでしょう。この整合性の無さは記紀製作者、当時?の為政者の詰めの甘さを感じます。あるいは当時ではなく、再度高木系から権力を奪回した、薩長中心の南朝百済勢力の教養の低い、万世一系を作り上げるために「大日本史」や、先祖からの系統を述べ続ける「旧約聖書」を参考に、儒(jew)教国家神道を作り上げた伊藤博文明治政府の可能性も十分に考えられるところです。

そして、すくなひこの「すく」は、「くす」のさかさまですね(笑)

くす、は薬師(くすし、やくし)如来を示し、すくなひこの本地仏になります。延喜式神名帳には、茨城県の大洗磯前神社や酒列磯前神社は薬師菩薩神社と記載されています。(祭神は大己貴、少彦名)

「そんなの偶然だっぺよ」

なんて思ったら、言葉の持つ「言霊」を軽んじていることになります。(おおわらい→大洗)

「すく」は、SICK(シック)の転訛ともとれます。SICKすなわち病気です。

「な」は、NURSE(ナース)傷病者の世話、看護するひと。

したがってすくなひこは、SICK NURSE彦。病気を治す男。

「ふん、冗談だ」と、またまた鼻で笑ってはいけません(笑)

病は気からというではないですか。

タミル語(ドラヴィダ語の現代版)で悩みのことをCIKKAL(シッカル)といいますから。英語のSICKの語源でしょう。叱る(叱咤激励:がんばれ~と応援する)の語源でもあるでしょう。

しっかり!という言葉はまさに精神の高揚を促す、励ましの言葉です。

疾患の語源かもしれません。

姉の鴨玉依姫の別名は神直日で、これまた直す=NURSE(ナース)がついています。

さらにタミル語で鎌をCIKKIL(シッキル)といいます。鎌は諏訪神社のシンボルでもあります。

かみそりのメーカーにSHICK(シック)がありますね。

ブッダは勇敢に流れを裁てと言っています。悩みを解消するには、その原因となるしがらみを断ち切らねばなりません。ぶった切ることしか今の悩みを改善することはできませんよ。家族でも、友人でも、会社でも、あなたが隠し持っている心の「カミソリ」で勇敢に流れを裁ちましょう。

でもね、ゴータマ・シッタルダとは羊の群れの先頭にいる山羊という意味で、盲目の羊ちゃんを導く山羊(ゴート)です。シッダルタのシッダは英語のシッターの語源であることに気付かれたことと思います。

少彦名はさすがに一言主の別名を持つように、言葉遊びが大好きのようですね。

ちなみ茨城弁では「強意の切る」を「カッ切る」と言います。


大黒様―恵比須様

大歳(海幸だったり、神社によっては日吉大社のように山幸だったりする)―御年

百嶋系図では実の父子としていますが、われわれの系図では、義理の親子(娘婿)になります。

少彦名は、大国主の称号を持つ、彦国オキツと、オキツヨソタラシヒメの子だったのです。

そして、八幡古表神社の住吉大神は、少彦名=タケミナカタだったのです。

つまり、オキツヨソタラシヒメとタケミナカタの親子を祀る、世にもまれな正統な歴史(民族の移動経路や系統をも含む)を残す神社であると私は考えます。700年代に創建されたいわゆる「出戻り新参」なのですが、スバラシイ!

 これこそ正統九州王朝(スサノヲ系統)のプライドと呼ぶべき神社でしょう。

だから応神はイカスリ劉藤原不比等、百済南朝(田布施システムの大元)によって創作されたものだということができそうです。

オキツヨソタラシヒメの別名武内足尼(タケウチタラシニ=タケウチスクネ)の子孫は代々足尼を使っていますが、少彦名(スクナヒコナ)もスクナ=宿禰であって、宿禰彦なのでしょう。

百嶋先生によれば、宿禰は本来天皇もしくはそれに準ずる位を指すとのことです。
御年は、記紀では孝安天皇になっています。われわれの系図では孝靈天皇の一人と推定していますから、まさに宿禰となります。

われわれは、八幡神の本質に近づきつつあるように感じます。常陸国で光圀がなぜ八幡潰しをしたのか、それでも残されていた八幡神社とはなんだったのか、やっと論理的な説明の糸口をつかんだのかもしれません。


追記:

安曇磯良を招聘するために、なぜ相撲を取ることになったのかを考えていた。

オーパ!はアイスバーンの上で横Gを感じていた、僅か数秒間のうちにやってきた。

「安曇磯良は女神だからだ❗️」

この説明には、天照の岩屋の話を思い出さなければならない。

天照はなぜ岩戸を開けたのか?

この理由が安曇磯良招聘の相撲に結びつくのだ。

天照はアメノウヅメのストリップで岩戸を開けた。

なぜか?

女性のストリップを見たがるのは普通は男である。われわれの推定では天照は五瀬尊かスサノオであるから、まったく問題はない。岩戸を放り投げたのはタヂカラオ=スサノオだから、この場合の天照は五瀬尊である。

しからば男の力強さや裸を何の躊躇もなく見られる相撲は、女性の楽しみになるのかもしれない。したがって、海底から相撲見物に上がってくる安曇磯良は女神に違いない。

ヤマトタケル(われわれは安曇磯良と推定)

は、おとぎ話の東征時、走水で水難にあい、弟橘姫が波を鎮めるために身を投げて、海の藻屑と化したとされる。

これが海底に住む安曇磯良の原型ではないか?

つまり安曇磯良は弟橘姫かもしれない。

曇良はスミヨシだろう。

神話は同じモチーフを使い回しているのだ。


百嶋由一郎先生の講演会CD、資料、神代系図を入用の方は、常陸国ふしぎ探検隊河野克典まで。

メール k_kplanning @yahoo.co.jp