126.亀岡八幡宮探検記(栃木県益子町小宅)改訂20170629 | 常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった

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「まつろわぬ」というキーワードから常陸国の歴史を見つめなおします。常陸国は東海道の東のはずれ、鹿児島から始まる中央構造線の終点です。
神社探検の動画はこちら
→ https://youtu.be/8gVu8qGihD8

今回は栃木県益子町小宅に鎮座する亀岡八幡宮です。


亀岡?鎌倉の八幡宮は鶴岡。鶴と亀かと思ったらそういう意味ではありませんでした。(笑)


境内中亀だらけです。



栃木の神社をくまなく調査したKyonsightさんのHPより引用


社傳に曰く後冷泉天皇の御宇康平年間1062-65源義家勅を奉して奥賊安倍貞任等を征する途次下野

國芳賀の古家郷(今の小宅付近の地)に館し(今御館山)遥に男山の霊廟を拜し戦捷を祈願せしに芦○沼上に靈龜出現し瑞を示しかは義家大に喜ひ進みて夷賊を討滅し凱旋の後神殿を古家郷字鴿峯に建立し康平七年1064勅令により龜岡八幡宮と斎き祀りて巨多の神領を寄附せられ後源頼朝伊達泰衡を征する時先古の吉縦を追ひ武運を祈て効ありしにより建久三年1192社殿を改造し今の地に移遷し報賽の禮幣を奉り爾後部門武將の崇敬する所たりしか文禄四年1595蒲生飛騨守宇都宮城に居住せし時大に社寺の領地を没収し當社も其○に遭遇せしか慶長五年1600徳川家康小山在陣の時數多の神領を寄附せられ爾後仝將軍累代崇敬を加へ郷内に於て高十四石の朱印地を賜はり隣村多田羅村に於て高七石の除地を附せられたり…以下長文省略


つまりざっくりいえば、一度は統合されたかに見えた列島において、阿弖流為、平将門から脈々と続く、近畿勢力に対する反逆が依然として東国に存在し、近畿圏の代表としての源頼義、義家が東北征伐に赴く途中、遠く男山八幡宮を奉斎したところ、芦○沼に亀が出現したので、瑞兆と喜び、戦後凱旋の際に御礼として神社を建立したということのようです。


義家が亀に乗る画が社務所に飾ってありますが、亀に乗る仙人のモチーフが複数の神社で確認されています。たとえば、嶽山箒根神社。浦島太郎のイメージが思い浮かんできます。その意味では、源氏は山幸彦系であることが疑われてきます。この際、皇別氏族であるなんてことは忘れた方が賢明かもしれません。源氏は「イカスリ劉一族」と考えた方が歴史の流れを理解できそうではあります。


また亀仙人は安曇磯良のイメージも感じます。われわれ的にはヤマトタケル=タジマモリだと解釈しており、反対勢力にもなってきそうです。


もっとも百嶋系図では安曇磯良は山幸彦と豊玉姫の孫であり、ウガヤフキアエズと鴨玉依姫の子になっていますから、一筋縄ではいきません。通説においてはニニギとコノハナサクヤヒメの子とされ、さらに国宝「注系図」においては天照大神ともされる、百嶋系図において、出自不明の山幸彦=ニギハヤヒB=天火明 をどう解釈するかが研究者の方向性を決めることになります。(通説では山幸海幸は兄弟ですが、百嶋系図ではそうはなっておりません。)


記紀の巧妙な所は、同族に成敗させたり、敵味方を紛らわすようなストーリーを構築しているところにあると考えています。そこにわれわれが正義の味方と解釈している柿本人麻呂が、漢字を駆使し真実をこかしこに散らばめていると思っているのです。ここに白川静の漢字辞典「字統」が必要になってくるのです。


境内には小宅古墳群があり、前方後円墳6基、円墳29基からなり、6世紀後半から7世紀代の築造と考えられているようです(今後解析が進めばもっと古い時代であることが判明すると思いますが)から、それ以前になにかしらの社があったことをうかがわせます。    


  

 小宅古墳群の看板                     R123沿いの一の鳥居



参道途中駐車場にあった古墳の案内図

元宇都宮二荒山神社に勤めておられた宮司さんは、広大な境内に桜の木をこつこつ300本ほど植えたので、今年の春は「下野新聞」にも掲載されたり、テレビ東京のアド街ック天国でも取り上げられたせいか参拝客が増えているとのことでした。よからぬ広告代理店に進出を許さない芯のある宮司さんです。


北関東三県(群馬、栃木、茨城)はブランド総合研究所の魅力度ランキングで恣意的に最下位トリオなので、県はそれを打開しようと、広告代理店にジャンジャン予算をつぎ込んでいるせいか、最近ではテレビでの露出度が増加してきています。もともと全国的に見ても、予算の多い県ですから、労働基準法を順守しない半島企業である電通の格好のターゲットになっているようですね。


朝ドラの「ひよっこ」はもちろんその一環です。その裏にはこれまで何もこれといった実績を残してしてこなかった橋本茨城県知事が7選を目指し、出馬するためのイメージアップ作戦も含まれているに違いありません。だいたい橋本知事は元知事の多選を批判して立候補した経緯があるのですから、いい加減地位に恋々とするのはやめた方がよろしいでしょう。それに橋本知事にいち早く支持を表明している地区の首長は利益誘導の権化が多いように感じますね。道の駅を創るときに自分の工場まで一緒に建てなおしたり、市立病院を既に予定地が決まっていたにもかかわらず、自分の土地がアクセス道路に掛かるように建設地を変更したりしているとのうわさが絶えません。


知事の出身地の東海村は、311であと数十センチ津波が高かったら、福島第一原発と同様にメルトダウンした可能性の高い東海第二原発があるところです。再稼動については新潟県のように、県がイニシアチブを取って慎重な姿勢は見せる手法はとっておらず、東海村の判断をひたすら待っているだけです。


率先して廃炉に動くのが人間としての道でしょう。小学生にでもわかる論理が理解できないのです。日本最初の原子の火を灯した東海村は、日本最初に廃炉を推進ずべきところでしょう。そうすれば雇用の確保もできるし、全世界展開も可能になることでしょう。来るべき県知事選挙では、原発再稼働問題ならぬ、廃炉を争点にしてほしいものです。


日立市出身の50代若手候補予定者は、元通産官僚で30代で早々と退職し、マイクロソフトアジアの役員として天下りし、自民党の推薦を受けながらも、無所属で出馬するようで、当選しても結局は現知事と同じ路線を歩むことになることでしょう。若い感覚でますます広告代理店に対する出費が増えそうです。


いまさら自民党を選択するなんてことは、県民の生活を向上させようなどという高尚な志があるわけではなく、収入確保のための政治屋になりたいだけだと私は判断します。

さて、益子町は宇都宮から東に20km程度に位置し、茨城県笠間市とともに焼き物の町で、春秋の2回ほど陶器祭りをしています。その時期は東京から笠間経由益子行きの直通バスが運行されているようです。


また茨城県の筑西市(旧下館市)から茂木町までは真岡鉄道が走っており、毎週日曜日にはSLが運行しています。道の駅「茂木」は栃木県内では比較的低予算の施設だと思われますが、一押しの道の駅ですね。もちろん場内からSLが見えます。




八幡宮なので主祭神は譽田別命


 配 神は息長足姫命・玉依姫


境内社 伊門(いと)神社・藤森稲荷神社・皇大神宮


境外末社 古峯神社


  

 手水舎の隣の亀                       拝殿の扁額

  

 本殿の千木と右三つ巴紋

本殿 千木は男千木 大きいが意匠のないシンプルな本殿


誰かのHPで「これほど簡素な本殿は見たことがない」と書かれてしまったと、宮司さんは嘆いておられました。しかし本来神社とは簡素なものでなければなりません。一切の化粧を廃し、簡素な静寂さにこそ神社たる所以があるものと考えます。ゾロアスター仏教との融合において、神社は神社でなくなってしまっていました。お寺に鳥居を付けたようなものに変貌してしまっていたのです。


重要なのは本殿後ろの伊門(いと)神社(左)と皇大神宮(右)


伊門に関して宮司さんは、井戸つまり水源地を意味しているのではないかと言っておられました。


伊門(いと)神社の祭神は豊城入彦 奇しくも宮司さんの元の職場宇都宮二荒山神社の祭神


豊城入彦は百嶋系図でも記紀でも贈崇神と遠津年魚目目妙姫(トオツアユメマクワシヒメ)の子としていますが、われわれは父親は屋主忍武雄心と推定しています。


豊城入彦は毛野国において最重要人物のひとりです。


95.嶽山箒根神社探検記(栃木県那須塩原市)参照


箒根神社は、宇都宮地名の元となったと考えられる重要な神社でした。塩原が大元で、延喜式にあるように河内(宇都宮)の二荒山神社を建立したということであれば、南からの移動ではなく、北からの移動が考えられるのです。文化(権力)の移動は西からとだけ考えていると、栗本慎一郎の「聖方位」は理解し得ませんし、草原の道から、アムール川を下って樺太に渡海し、北海道から東北に入ってくる民族移動や青森の十三湊が縄文あるいは石器時代においてシベリアとの交易をしていたという「事実」をいつまでも理解できないことになります。


  
伊門(いと)神社の屋根にあった卍紋           皇大神宮には七曜紋


  

南南東向きの社殿 一説には同町内の御霊(ごれい)神社(写真右下のハートマーク)と向き合っているようです。


どちらも古墳がある。栗本慎一郎の「聖方位」(北西に20度の傾き:シリウス信仰)に近い傾きを示している。


御霊神社の祭神は天太玉命。豊玉彦が天太玉と名乗った場合、百嶋系図では、妻は阿蘇ツ姫=天豊

ツ姫=天比理乃咩、われわれはさらにオキツヨソ足姫と同神だと推定していますが、その子は天日鷲、われわれの解釈では=彦太忍信=比多珂であり、天太玉は海幸彦=タケミカヅチに相当しますから、この場合のオキツヨソ足姫は木花開耶姫に相当することになります。


御霊神社が北北西の聖方位を向いていることの説明ができるし(鹿島神宮も聖方位)、さらに彦太忍信と遠津年魚目目妙姫の子が豊城入彦ですから、まっこと見事に説明ができるのです。


イカスリ劉、藤原氏は記紀において、大山咋と彦太忍信を恣意的に混同させているという解釈です。


われわれの基本的な考え方は、劉系(山幸彦、崇神)はスターウォーズでいう反乱軍に相当します。多少ストーリーは異なりますが、ジェダイの騎士ルークは長髄彦、双子だったレイア媛はコノハナサクヤ姫。


ハンソロは海幸彦。詳しくは別稿で。




新解釈系図(豊城入彦の系統)


おまけ

宮司さんの趣味の焼き物。窯は境内で野焼き(ただしドライヤーでタタラ替わり)

焼成に充分な温度に達し、立派な、それもなかなか良い味を出しています。


百嶋由一郎先生の演会CD、資料、神代系図を入用の方は、常陸国ふしぎ探検隊河野まで。

メール k_kplanning @yahoo.co.jp


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