122.京葉高校を起点とする歴史散策コースⅡ

 今回は京葉高校を起点に島野方面に向かって移動します。まずは相葉商店、京葉高校の校門(西側)あたりをスタート地点として順に見ていきましょう。左側迅速測図の左隅の赤い印は島野の三光院。真ん中やや右下に京葉高校が位置します。

 

 上の地図(GoogleMap)の右下隅に京葉高校があります。そこから西方向、田んぼの中に墓地と古川神社があるので見てみましょう。最終目的地は地図の左上隅、三光院です。

 西側の校門から道路を西方向に道なりに進みます。工務店のところを右に折れて田んぼの中を進むと右手に三光院の墓地が見えてきます。

 

墓地の右手前に三山塚があり、石造物がいくつか祀られています。

 

  廻国塔・大日如来塔(明和元年=1763)   大日如来塔(湯殿山供養塔)(享保4年=1719)

江戸時代、市原地区では真言宗寺院が多かったこともあり、出羽三山詣でが盛んでした。

 

 田んぼの中にポツンとある古川神社。小さな石祠があるだけですが、神社名が示すようにかつてこの側に養老川が流れていたのかもしれません…100mほど先は内房線。

 ここから線路近くまで進んでから線路沿いに姉崎方面へ向かい、踏切を超えて島野の集落に入ります。下の地図で左上隅にある墓地に向かいます。住宅地の中にあるので入口が分かりにくいでしょうが、左に入っていく道に折れます。

 

 

・島野墓地

頭部は欠損

 角柱宝塔型の宝篋印塔で三光院の境内にあるものと比べるとかなり高層化している。高層化は市内では18世紀中頃以降から見られる特徴。

 

墓地から139号線を北上すると100メートルほどで三光院

 

・三光院(真言宗智山派):新四国八十八か所第六十三番

 

手水鉢:享保20年(1735)か?摩滅していて判読困難

 

  角柱宝塔型宝篋印塔:享保16年(1731)   庚申塔:文化14年(1817)か?石工は関佐七

   念仏講や光明真言講によって造立

 

馬頭観音の道標:天明2年(1782)

「西 姉崎一里 高蔵五里 東 牛久三里 笠森四里」

 

  大日如来報身真言塔:明和3年(1766)          宝塔:年代等不明

     「アビラウーンケン」

 

札所塔(63番):側面が見えず年代等判読不能

「五井町歴史年表」によると天明3年(1783)

※「五井町歴史年表」は五井周辺ならば石造物の年号等の文字が判読不能の際には役立つ資料。

 

      庚申塔:享保9年(1724)         子安観音:寛政10年(1798)