119.畑木の見どころ(後編)

・畑木神社

 

     鳥居:文化14年=1817                 力石

 

狛犬:文政10年(1827)

 

石灯籠:文政9年(1826)

 

 

手水鉢:寛政11年(1799)

 

 

                        富士塚(一山講)

 

      富士塚上の年代不明の祠            阿夫利神社碑(年代不明)

 

・医王寺(真言宗)

札所塔:天明3年(1783)  新四国八十八か所「第五十番」

 

    御宝号塔天明3年(1783)        石階寄付塔:寛政12年(1800)

 

     地蔵:正徳6年(1716)         手洗い鉢(下):元文6年(1741)

 

手洗い鉢:元文6年(1741)

 

梵天が祀られており、現在はこちらが三山塚の役割を果たしているようだ。

 

廻国塔:天保9年(1838) 中供養

 

  三山・坂東秩父供養塔:文化8年(1811)     光明真言読誦塔:寛政12年(1800)

 

 馬頭観音(駒型文字):延享3年(1746)

 

「平胤保」と刻まれた小さな石塔(詳細不明)

※辻井義輝氏の「旧市原郡今富村本陣名主千葉家の歴史」(2022年)によると今富の千葉家の先祖千

 葉精胤(よしたね?)の妻の父親が「本庄新六郎胤保」と名乗っている。「胤」が名前につくことか

 ら本庄氏も千葉氏と同じく平氏の末裔と考えられなくもないだろう。

  なお、今富の千葉家の先祖、精胤はかつて根本村(松戸市内)で育ったが天正14年(1586)に今

 富に移住したと伝え、江戸時代は生まれ育った根本村にちなむ根本姓を名乗り、根本藤右衛門と称し

 たという。ただし石塔自体はそう古くはあるまい。石階寄付塔(寛政12年=1800)など、他の石造

 物に登場する人物名を確認すべきかもしれない。

 

南北朝期の宝篋印塔:塔身部分が欠損し後補 隅飾りが垂直に近い古式の関東型

※基礎部分が四角く二か所に区分されているのが関東型の特徴

 

三山塚:前編で紹介した庚申塔や馬乗り馬頭観音の道標などが祀られている古墳と思しき塚から南南東方面、山中に入る細い道を行く。

三山塚:19世紀中ごろの石造物が一基だけあり、他は近代以降のものなのでこの塚自体は比較的新しい時期のものと推察。

 

大日如来(湯殿山供養塔):嘉永5年(1852)