114.千種庚申塚及び青柳台西共同墓地の見どころ
・千種庚申塚
青面金剛尊庚申塔:文化12年(1815)
三猿庚申塔:延宝8年(1680)「庚申」の年
笠付き角柱塔の形態をとる庚申塔は古いものが多い。
庚申塔:寛文8年(1668) 三猿庚申塔:年代等不明
笠付き角柱塔
三猿部分を拡大
なかなかユーモアのある秀逸な浮彫で、名のある石工の手になるものか。海保三王山の路傍にある庚申塔を兼ねた道標(明和元年=1764)にも似たような浮彫があり、そちらは瓜本権八の作品(下)。
・青柳台西共同墓地
供養塔上の大日如来(=湯殿山供養塔):嘉永3年(1850.)
大日如来下の基壇部分:寛永7年(1630) 三山塚上の石造物としては市内最古
三山供養塔:文政7年(1824)
大日如来(=湯殿山供養塔):享保6年(1721)
大日如来:宝暦3年(1753) 墓石:延享5年(1748)
供養塚内の墓石は「行人墓」などと呼ばれる
「市原の海 いまむかし」(市原市歴史と文化財シリーズ第13輯 平成20年度歴史散歩資料 市原市地方史研究連絡協議会)の谷島一馬氏によるとこの塚は四隅突出型で県下唯一の形態を持ち、宝龕式三山供養塔(宝篋印塔の一部?)は県内最古であるという。この供養塔には右隅に「奉造立湯殿山大権現御宮」左隅には「于時寛永7年庚午十月 日啓言 上総国青柳村成光院」とあるが、「成光院」という寺は青柳の伝承や史料には一切登場しないらしい。