113.今津朝山能蔵院(真言宗豊山派)の見どころ

 

十九夜塔:正徳5年(1715)

正面に如意輪観音、側面に六地蔵が浮き彫りにされている。

 

基礎に近い部分に女性の名前(おみの、おたんなど)が列挙

 

角柱宝塔型宝篋印塔:享保18年(1733)

 

  札所塔(四国八十八か所「五十五番」)      西賀翁筆塚(文化14年=1817)

 

左 阿弥陀如来塔:年代判読困難…「無縁講」の文字が読める。足元には女性の名前がやはりびっしりと刻まれている。どうやら三塔とも女性中心の講(多くは月待講で市内では十九夜講や二十三夜講が確認されている)が造立したようだ。古くて立派な造りであり、今津朝山地区の豊かさが偲ばれる。

 

    阿弥陀如来塔:元禄3年(1690)      十九夜塔(如意輪観音):享保4年(1719)

 

享保4年の仏塔の下部に列挙された女性名

 

元禄3年の仏塔の下部にも女性名が列挙

 

無縫塔:正徳年間  

ただし僧侶の墓石ではなく、「奉納萬当為父母諸願成就所」とある。父母の「所願成就」のために万燈を奉納したことが記されている。万燈とはこの場合、仏前にともしびを供えて罪を懺悔する法会(ほうえ)の一つと考えられる。

 

 

補足資料:今津共同墓地近くの一画に庚申塔と石祠が祀られている。庚申講は徹夜をして日の出を待つ日待講の一種で多くの場合、男の講。年に6回のペースで庚申の日に行われ、3年続けると貯めてきた18回分の講金をつかって庚申塔を建てる風習が大流行していた。この庚申塔は笠付き角柱塔に三猿が浮き彫りにされた、古くて立派な造りである。市内の庚申塔の中でも優品に属するもの。

 

  庚申塔:寛文4年(1664)          石祠:嘉永5年(1852)

 

補足資料:本堂棟札の内容

能蔵院棟札 表面

梵字でタラーク(宝生如来か虚空蔵菩薩)

「一切日皆善 一切宿皆賢 諸仏皆威徳 羅漢皆断□ □□誠實□ 願我成吉祥」

奉再建殿堂一宇 右為 令法久住利益人天 天下泰平国土安穏

殊者助成檀越施主自他平等二世安楽供養導師法然山(=能満釈蔵院)主盛運

 文政二己卯(1819)十月朔日(一日)

 上総国市原郡今津朝山村

  能蔵院

  発願主 法印快山 法印栄岳 

  現住  法印快見

 同国同郡同村

   大工 吉三郎

 

棟札 裏面