92.菊間八幡の概要
参考文献
「歴史散歩資料 市原市菊間周辺の遺跡と文化財」 市原市歴史と文化財シリーズ
第6輯 市原市地方史研究連絡協議会 2001
「八幡神社修理工事に関する覚書―神社の歴史と平成8年調査、修理に伴う発見物等
について―」 瀧本平八 市原地方史研究 第19号 1999
迅速測図(1881年)との比較図(歴史的農業環境システムより)からこの地の歴史の古さが伺われよう。東京湾を見下ろす台地、丘陵の縁辺は千葉の場合、縄文時代には貝塚が形成され、弥生時代には環濠集落などが築かれ、古墳時代には古墳群が形成され、戦国時代には城が築かれ、歴史の古い寺院や神社が立地するなど、いわゆる歴史的遺産の集中するホットスポットであることが多い。たとえば市原の八幡周辺では菊間台、五井周辺では国分寺台、姉崎では姉崎台がまさにそうした地域になる。
台地と海辺の砂堆列との間は縄文末期から潟湖(…海上潟)や低湿地が続いていたが、弥生時代に入ると海退が進み、徐々に水が引いていく。人々は丘陵から平地に下りて葭などが繁茂する草原に火を放ち、水田地帯に変えていったと思われる。実は五井から八幡にかけては戦後間もなくまで何と千年以上の長きにわたり、古代条里制の痕跡を残していたのである。
弥生時代は飲み水と燃料の確保の観点からおそらく丘陵と平地との境目にまず集落を形成することが多かったと思われる。
なお、迅速測図では菊間台地上に整然と道路が伸び、大きな建造物が並んでいる。明治期に入っても当初は江戸時代の風景にほとんど大きな変化が見られなかった市原においてこの菊間と鶴舞は例外的な地域にあたるのだ。明治初年に菊間藩と鶴舞藩が設置されたため、急遽、新たな都市的整備が施され、江戸時代とはまったく異なる風景がこれらの地域に現出したことを地図は示す。しかし菊間の南西部、若宮八幡のある集落周辺は江戸時代の面影を色濃く残していることも分かるだろう。
菊間の台地上、およびその周辺には古墳群やかつての市原郡内の真言宗寺院において能満の釈蔵院につぐ力を持っていた千光院など、歴史的に見所が多い。
境内に入るとたちまち近世のはるか遠く、中世、あるいは古代をもを偲ばせる古社の佇まいに圧倒される。海辺の平野部を見下ろす丘のふもとから長めの参道が上に伸びていく。周囲は中世の山城を思わせるような濠状の窪みが見られ、いかにも古めかしい。神社には鎌倉時代にさかのぼれそうな随身像があるらしく、平野部を見下ろす高台の縁にあたることからもかつて「鎌倉街道」がこのすぐ近くを通っていた可能性を感じる。
当社には社家が六家もあり、祭事は別当寺に頼らず、社家のみで行われていたという市内ではかなり特殊な神社である。しかも別当寺は四か寺あるにもかかわらず、不思議なことに式内社、国史現在社ではない。謎の多い社であり、本来は八幡社や若宮八幡ではなく、もっと古い歴史を持つ神社であろうか。
菊間国造を主祭神としている、近くに古墳群が存在…などからして式内社の姉崎神社と同様、創建は古墳時代までさかのぼれそうな、市内有数の古さをうかがわせる、実に歴史的ロマンあふれる神社である。
・社伝:白鳳2年、久々麻国造大鹿国直(くくまのくにのみやつこおおかくにのあたい)、日本武尊及び武甕槌命(たけむかつちのみこと)を祀る。長保2年(1000年)、再興される。鎌倉時代の造像とも考えられる随身像二体がある。
治承4年(1180年)、源頼朝の祈願により千葉常胤が鎌倉より「おおささぎのみこと=仁徳天皇」を勧請し、以後、若宮八幡宮とも呼ばれた。
・本殿:延享5年(1748年)再建。三間社流造。周囲に瑞垣をめぐらし、瑞門も付くかなり本格的な造り。
・拝殿:天保7年(1836年)再建。
・神輿・神楽殿:文政13年(1830年)再建。
・主な石造物
手水鉢:寛文8年(1668年)市内では飯香岡八幡に次ぐ古さ
石祠:ここで紹介したもの以外にも江戸時代のものが3基ほど残っている。
大山権現:天明3年(1783年) 赤疱瘡神:明和8年(1771年)
※疱瘡神:「市原市にある疱瘡神」(松浦清:「市原市歴史と文化財シリーズ第13
輯」)によると当時「疱瘡」=天然痘は死亡率が2~3割あった恐ろしい伝染病。治
癒後、顔や首中心に痘疹痕が多数残る。1796年にジェンナーが種痘法を確立して予
防に成功し、現在はほぼ根絶している。
日本では1955年に最後の患者が発生した後、1976年、国内では天然痘が根絶し
たと判断して種痘制度を廃止。WHOも1980年に世界中から天然痘が根絶されたこ
とを宣言している。
江戸末期、繰り返し天然痘が流行し、市内でも「痘瘡神」の祠が幾つか見られ
る。菊間八幡以外では今津朝山鷲神社の安政4年(1857)、青柳若宮八幡の文化14
年(1817)、諏訪神社の文久4年(1864)等の石祠が残されている。また五井大宮
神社の摂社「大杉神社」(「アンバサマ」:茨城県稲敷郡桜川村の大杉神社。疱瘡
や疫病除けの神として関東各地に勧請されている。河川に沿って信仰が伝播したた
め利根川沿いなどでは水上交通の守護神としても信仰されている)は「痘瘡除け」
の神として知られている。
天照大神神宮祠:明和9年(1772)
石段塔:享保17年(1732)のもので市内では最古級
台風の被害状況:2019.11.28撮影:9月9日の台風15号でご神木等に大きな被害。
社務所の屋根も倒木により損壊していた。