§8.カッパの授業プリント例

9.特集「音楽は世界を変えられるか?」 NO.2

 

 以下は政治経済の特別授業計画の後半部分。

①喜劇王チャップリンの願い

・「チャップリンの独裁者」(1940)での床屋の演説

  チャップリンvs.ヒトラー

  great dictator speech charlie chaplin

  miyahoo  2006/06/04 604

・「スマイル」

   1936年のチャールズ・チャップリン(1889~1977)の映画『モダン・タイムス』で使用されたテーマ曲で、チャップリンが作曲した名曲。マイケル・ジャクソンなど多くのアーティストにカバーされている。1954年にジョン・ターナーとジェフリー・パーソンズが歌詞とタイトルを加えた。

 なおチャップリンは「テリーのテーマ」(エターナリー)や「This is My Song」の作曲も手掛けている。

 André Rieu & Jermaine Jackson - Smile

   André Rieu  2014/06/25 446

 マイケルの兄ジャーメインがマイケルの死後、歌った動画を視聴。

 エターナリー (映画ライムライト/チャップリン) --森山良子

   takeo toriyama  2020/06/04 2:11

   おそらくチャップリンは喜劇映画を通じて愛と平和とスマイルに満ちた世界の実現を夢見ていたのだろう。もちろんそれは夢みる乙女の描く空想、「エターナリー」の歌い上げる世界とさほど大差ない、現実離れした営みではある。そもそもがチャップリン自体、かなりの浮気者であったようだ。「エターナリー」は決して現実そのものではない。

   飢餓や戦争、自殺や犯罪の多発、憎しみと悲しみの尽きない過酷な現実が世界には存在している。しかし、それでもなお幸福な世界を夢見る、夢を見続ける事の大切さをチャップリンは説いているのではあるまいか。そしてただ単に夢見るだけではなく、その世界に向かって前進するためには敢えて戦うことも辞さない勇気と行動力をも彼は私たちに求めているのではないか。

 喜劇王チャップリンの持つ愛と勇気の両側面を私たちは忘れてはなるまい。

②忌野清志郎の「イマジン」(1989)9:09

 プリント穴埋め

③ボブ・ディラン「風に吹かれて」(1963)2:48

 ちなみにこの曲も忌野はカバーしている。

 プリント穴埋め

   

※他に反戦平和を訴えた曲としては「花はどこへ行った」(1955:ピート・シーガー)も有名。キング

 ストントリオが1961年、ピーター・ポール&マリーが1962年に相次いでカバーし大ヒット。

ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界

 グッドモーニング,ベトナム, What a Wonderful World シーン, 4K 高画質 

 音質 日本語 字幕 CC イエナオーディオ  2022/12/20  235

 プリント穴埋め

 

 映画は1987年、ロビン・ウィリアムズ主演。映画の主題歌とされたのがこの「素晴らしき世界」。ベトナム戦争を正面から批判したアメリカの傑作映画。

「Mr.Children「タガタメ」from Stadium Tour 2015 未完 Mr.Children   Official Channel  2016/03/08 7:09」

 最後に、この曲を視聴後、ガザ地区で行われている惨劇について世界は、私たちは何ができるのか、問いたい。

 「子供らを被害者に 加害者にもせずにこの街で暮らすため まず何をすべきだろう?」と歌詞にあるように自分たちが被害者になる可能性だけではなく、加害者側にもなりうることを前提にする必要が説かれている。すなわちここからは自分たちは被害者だから加害者への復讐を正当化できる、といったような復讐の論理をあらかじめ排除する、といった思考が見て取れる。

 この論理をガザ地区での出来事に当てはめてみれば、イスラエルはハマスへの過剰な武力報復を行うべきではないという結論になろうか。

 復讐は復讐を呼び、際限のない暴力を引き起こす。従って暴力の連鎖を断つにはまず武力的「復讐」、報復自体の全面否定をどうしても出発点としなければならない、と桜井氏は考えているようだ。これは専守防衛を旨とする日本国憲法の、当初の精神に近いだろう。

 とは言え、ウクライナでの戦争のように、独裁国家による一方的な侵略に対してはさすがに無抵抗でもいられまい。チャップリンが説いたように、毅然たる姿勢で独裁国家には臨むべきである。つまり侵略に対する抵抗は復讐とは違うものとして考えるべきなのだ。

 ところでヒトをはじめとする社会的生活を営む動物には集団の階層の上位に立とうとする激しい競争意識が本能的に埋め込まれているように思えるが、いかがだろう。またヒトともなれば群の連帯を強めるため、他の群との対抗意識や敵対意識を強める力が強く働くのではあるまいか。と同時に、群内の序列を確立し、集団の和を乱すものへの厳しい制裁を加える傾向が出てしまいがちになるのは社会的動物としてむしろ自然なことなのかもしれない。確かにスポーツに熱狂する人々が少なくないのはヒトが持つ闘争本能のなせる業だと思えなくもないのだ。

 ただ、そうした傾向が行き過ぎると集団内での不和、イジメが横行し、大きな集団間では戦争に発展してしまう…そのように考えればイジメや戦争自体がヒトという動物には必然的に生じがちな出来事と捉えられなくもないだろう。

 人類すべてが愛と平和と笑顔を保てるなら、どんなに幸福なことか…しかし生まれついて序列意識と闘争本能の盛んな人類にとって愛と平和と笑顔に満ちた社会を実現することは残念ながら生物学的観点からも至難の業というほかないような気がする。その難しさを踏まえたうえで、いかにしてイジメを減らし、戦争を減らしていくのか、有効で現実的な、ヒト社会にふさわしい方策こそが法制度や文化面で求められているのだろう。

 音楽はあくまでもそうした方策の一部として愛と平和と笑顔を求める動機付けに貢献するだけであり、当然のことであるが、音楽だけでイジメや戦争を減らしていくには不可能というほかあるまい。今、私たちが何をすべきなのかを戦略的に指し示すのはやはり音楽ではなく、知的戦略の側である。

 しかし音楽のテコ入れ抜きでヒトは動けるであろうか、動き続けられるであろうか。どんなに知的で合理的な戦略であってもヒトは本質的に感情的な生き物である。理屈だけ正しくともヒトの意欲はかき立てられまい。あるいは逆に「智に働けば角が立つ」結果をもたらすかもしれない。

 音楽は理性よりも情動に働きかけることでヒトを意欲的に動かす動力の一つにはなりうると考えられよう。音楽はとりあえず世界を変えるための数多い動力の一つにはなりうるのだ。

 ノーベル賞史上初めてミュージシャンが文学賞を受賞した背景に、もしかすると理屈や理想通りには動かない、情動的な人々の世界への、一つの有力なアプローチ手段として大衆的な音楽の役割が注目され始めた…のかもしれない。

 

 

 以下はプリントの原稿

 

・「床屋の演説」:チャールズ・チャップリン(1889~1977)の「独裁者」より

 ドタバタ喜劇の役者として知られたチャップリンはドイツやイタリア、日本のファシズムの動きを懸念し、喜劇映画の監督としてまた喜劇役者として全世界に向けて一世一代の舞台を設けた。1940年のことである。彼が監督・脚本し主演したこの映画のラストシーン6分間は「床屋の演説」として有名になったもの。演説の途中から彼が笑いを取ろうとする喜劇役者ではなくなり、笑い抜きの真剣な素の自分に戻っていく表情の変化が見て取れよう。

 ラストにいたるあらすじを紹介しておこう。舞台はヨーロッパの大国トメニア(ドイツのこと)。その独裁者アデノイド・ヒンケル(ヒトラーのこと)はユダヤ人排斥を旗印に世界制覇をもくろんでいた。一方、ユダヤ人ゲットーの床屋チャーリーはヒンケルと偶然にも瓜二つのそっくりさん。ふとしたことがきっかけでこの二人が入れ替わってしまう。そして床屋のチャーリーは大観衆の前で独裁者ヒンケルとして演説しなければならなくなる。

  

 申し訳ないが私は皇帝になどなりたくはない。支配も征服もしたくない。むしろできれば援助したい。ユダヤ人も黒人も白人も。人類は互いに助け合うべきである。他人の幸せを願うべきであり、互いに憎みあったりしてはならない。世界には全人類を養うに足る富がある。大地は豊かで恵み深い。人生は自由で楽しいはずなのに、貪欲が人類を毒し、憎悪をもたらし、悲劇と流血を招いた。人類にゆとりを与えてくれるはずの機械は貧富の格差を広げてしまった。知恵は人類を冷たく、薄情にした。

 賢さよりも優しさや思いやりが必要なのである。思いやりがなくなると暴力がはびこる。航空機とラジオは我々の間に横たわっていた距離を縮めた。それらは人類の良心に呼びかけて世界を一つにする力がある。私の声は全世界に伝わり、何百万もの失意の人々にも届いている。これらの人々は罪無くして苦しんでいる。人々は失望してはならない。

 貪欲はやがて姿を消し、恐怖もやがて消え去り、独裁者は死に絶える。大衆は再び権力を取り戻し、自由は決して失われぬ。

 兵士諸君、犠牲にはなるな。独裁者の奴隷になってはいけない。彼らは諸君を欺き、犠牲を強いて家畜のように追い回している。彼らは人間ではない。心も頭も機械に等しい。

 諸君は機械ではない。人間だ。心に愛を抱いている。愛を知らぬものだけが憎みあうのだ。独裁を排し、自由のために戦え。神の王国は人間の中にある。すべての人間の中に、諸君の中に。諸君は幸福を生み出す力を持っている。

 人生は美しく自由であり、すばらしいものだ。諸君の力を民主主義のために集結しよう。よき世界のために戦おう。若者に希望を与え、老人に保障を与えよう。

独裁者も同じ約束をした。だが彼らは約束を守らない。彼らの野心を満たし、大衆を奴隷にした。戦おう、約束を果たすために。世界に自由をもたらし、国境を取り除き、貪欲と憎悪を追放しよう。良識のために戦おう。文化の進歩が全人類を幸福に導くように。

 兵士諸君、民主主義のために団結しよう。

 

.忌野清志郎(1951~2009)の「イマジン」(9:09)

 忌野は1968年にRCサクセションというロックバンドを率いてミュージシャンへの道を歩みだした。1991年にバンドを解散後、ソロとして様々な活動に飛び込んでいく。過激な歌詞(原子力は要らねえ!電力は余ってる!etc)や君が代の編曲などで何度も放送禁止や発売中止の憂き目にあった。2006年、喉頭がんとなるが摘出手術は行わず、2008年に歌手活動を再開するもガンが転移し、翌2009年5月死去。「ロック葬」には43000人もの弔問者が集まったという。なおこの翌月にはマイケル・ジャクソンも亡くなっている。

 ここでは彼が尊敬してやまないレノンのイマジンを、まったく自己流の翻訳で歌い上げている映像を見てみよう。一見デタラメのようでいて見事に歌の核心を突いた素晴らしい意訳であると思う。最後までヤンチャで子供の魂を失わなかった忌野の「イマジン」。

 

 天国は無い ただ空があるだけ

 国境も無い ただ地球があるだけ

 みんながそう想えば簡単なこと さあ

 社会主義も 資本主義も 偉い人も 貧しい人も

 みんなが同じならば 簡単なこと さあ

 夢かもしれない でもその夢を見てるのは 君一人じゃない

 仲間がいるのさ

 誰かを憎んでも 派閥を作っても 頭の上には ただ空があるだけ

 みんながそう想うさ 簡単なこと

 夢かもしれない でもその夢を見てるのは 君一人じゃない

 仲間がいるのさ

 夢かもしれない でもその夢を見てるのは 君一人じゃない

 夢かもしれない でも君一人じゃない 一人ぼっちじゃない

 違う 仲間がいるのさ 

 夢かもしれない かもしれない かもしれない かもしれない

 夢じゃないかもしれない 君は一人じゃない

 違う 一人ぼっちじゃない

 ・・・以下略

 

4.ボブ・ディラン(1941~)の一曲「風に吹かれて」

 彼は1962年にレコードデビューして以降、常に若者のカリスマ的存在として注目されてきた。これまでにグラミー賞やアカデミー賞、ピューリッツァー賞特別賞など数々の賞を受賞し、「ロックの殿堂」入りも果たしている。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のソングライター」部門では第1位。ブルース・スプリングスティーンやジミ・ヘンドリックス、ルー・リード、日本の桑田佳祐ら数多くのミュージシャンに影響を与えてきた。

 「風に吹かれて」は1963年にリリース。ピーター・ポール&マリーのカバーで大ヒットとなり、作詞作曲したディランの名も一躍有名となった記念碑的一曲である。 

 1963年は8月にキング牧師の演説「I have a dream」の行われたワシントン大行進で公民権運動が最も高揚した時期にあたり、この歌は公民権運動の賛歌と呼ばれた。他方で11月には公民権運動をバックアップしてきたケネディ大統領が暗殺され、アメリカの行く末に暗雲が垂れこむ。以後、泥沼化していくベトナム戦争への反対運動の賛歌ともなり、P.P.M.以外にも数多くのアーティストがカバーして歌い継がれてきた。

 

 人はどれくらいの道を歩めば人として認められるのだろう?

 白い鳩はどれくらい海を越えれば砂浜で安らぐことができるのだろう?

 一体 どれほどの銃弾が飛び交えば殺戮は終わるのだろう?

 その答えは風に吹かれて誰にもつかめない。

 

 山が崩れて海となるまでに一体、どれほどの時が流れるのだろう?

 人は自由になるまでに一体、どれほどの時を必要とするのだろう?

 真実から目をそらさなくなるまでに

 人は一体、どれほど顔をそむけるのだろう。

 その答えは風に吹かれて誰にもつかめない。

 

 どれほど人は見上げなければならないのだろう?

  本当の空を見るために

 どれほど多くの耳を持たねばならないのだろう?

  他者の叫びが聞こえるようになるために

 どれほどの犠牲者を出さなければならないのだろう?

  その死が無益だと知るために

 その答えは風に吹かれて誰にもつかめない

 

5.ルイ・アームストロング「この素晴らしき世界」:プロテストしない「闘い」

 ルイ・アームストロング(1901~1971)はルイジアナ州で貧しい居住区に生まれた。子供のころ、ふざけてピストルを発射し少年院に入れられた。そこで彼はジャズの世界と出会う。1923年に楽団の一員となってミュージシャンの道に入るが、公演先では白人と一緒のホテルに泊まれず、劇場の入り口も別々という差別を体験。しかしトランペッターとしての技量に加え、持ち前のサービス精神、愛嬌のある笑顔と独特のハスキーボイスで人気者になり、「サッチモ」の愛称で親しまれた。

 「この素晴らしき世界」は1967年に発表されている。彼の晩年の代表作である。この当時、次第にベトナム戦争が泥沼化し、翌年にはキング牧師が暗殺された。黒人たちにとって新たな辛い時代の始まりに位置する。白人からも人気のあったアームストロングはそれまで政治的な立場を鮮明にしてこなかったこともあり、過激化していった公民権運動の側からは白人に媚びる「裏切り者」という見方もされていたという。しかしテレビ放映された1967年の彼を見たとき、彼なりの壮絶な「闘い」が密かにあったことが伝わってくる。ディランとはまったく異なる、一切プロテストしない静かで、しかも過酷な「闘い」。

 彼が後続の世代に託した思いとは何だろう?

 

 緑の木々が見える。赤いバラも咲いている。私とあなたのために。

 そして私は思う。なんてすばらしい世界なんだろう。

 青い空に白い雲。明るくうららかな日。暗く厳かな夜。

 そして私はひとり思う。なんてすばらしい世界なんだろう。

 虹の色は空に映えて行きかう人の顔を照らす。

 友人たちが手を振って挨拶してくれる。

 本当は「あなたが大好き」って言ってるんだ。

 赤ちゃんが泣いている。彼らの成長を見守ろう。

 きっと彼らは私なんかよりずっとたくさんのことを学ぶんだ。

 そして私はしみじみ思う。なんて素晴らしい世界なんだろう。

 

 以下は実際のプリント資料

 

特集 続 音楽は世界を変えられるか? NO.2

  )組(  )番(          

 

・「床屋の演説」:        (1889~1977)の「独裁者」より

 ドタバタ喜劇の役者として知られたチャップリンは(     )やイタリア、日本の(       )の動きを懸念し、喜劇映画の監督としてまた喜劇役者として全世界に向けて一世一代の舞台を設けた。(     )年のことである。彼が監督・脚本し主演したこの映画のラストシーン6分間は「床屋の演説」として有名になったもの。演説の途中から彼が笑いを取ろうとする喜劇役者ではなくなり、笑い抜きの真剣な素の自分に戻っていく表情の変化が見て取れよう。

 ※チャップリンは大の親日家であったため、身の回りの世話をするのはすべて日本人にしていたほ

  ど。彼は(    )年5月14日に来日している。翌日、(      )首相と懇談するスケジ

  ュールも組んでいた。実はチャップリンはアメリカ資本主義の手先として海軍皇道派の暗殺対象で

  あったという。つまり彼の日程に合わせて(     )事件は発生したという説がある。幸い、

  チャップリンは首相との懇談を直前にキャンセルして歌舞伎鑑賞へ出かけたため、殺されずに済ん

  だらしい。彼のこうした経験もこの映画に生かされているのだろう。

 

 ラストにいたるあらすじを紹介しておこう。舞台はヨーロッパの大国トメニア(ドイツのこと)。その独裁者アデノイド・ヒンケル(      のこと)は

     )人排斥を旗印に世界制覇をもくろんでいた。一方、ユダヤ人ゲットーの床屋チャーリーはヒンケルと偶然にも瓜二つのそっくりさん。ふとしたことがきっかけでこの二人が入れ替わってしまう。そして床屋のチャーリーは大観衆の前で独裁者ヒンケルとして演説しなければならなくなる。

  

 申し訳ないが私は皇帝になどなりたくはない。支配も征服もしたくない。むしろできれば援助したい。ユダヤ人も黒人も白人も。人類は互いに助け合うべきである。他人の幸せを願うべきであり、互いに憎みあったりしてはならない。

 世界には全人類を養うに足る富がある。大地は豊かで恵み深い。人生は自由で楽しいはずなのに、(    )が人類を毒し、憎悪をもたらし、悲劇と流血を招いた。人類にゆとりを与えてくれるはずの(    )は貧富の格差を広げてしまった。

    )は人類を冷たく、薄情にした。

 賢さよりも(     )や思いやりが必要なのである。思いやりがなくなると暴力がはびこる。航空機とラジオは我々の間に横たわっていた距離を縮めた。それらは人類の良心に呼びかけて(        )にする力がある。私の声は全世界に伝わり、何百万もの失意の人々にも届いている。これらの人々は罪無くして苦しんでいる。でも失望してはならない。

 貪欲はやがて姿を消し、恐怖もやがて消え去り、独裁者は死に絶える。大衆は再び権力を取り戻し、(    )は決して失われはしない。

 兵士諸君、犠牲にはなるな。独裁者の奴隷になってはいけない。彼らは諸君を欺き、犠牲を強いて家畜のように追い回している。彼らは人間ではない。心も頭も機械に等しい。

 諸君は機械ではない。人間だ。心に(   )を抱いている。愛を知らぬものだけが憎みあうのだ。独裁を排し、自由のために戦え。神の王国は人間の中にある。すべての人間の中に、諸君の中に。諸君は幸福を生み出す力を持っている。

 人生は美しく自由であり、すばらしいものだ。諸君の力を民主主義のために集結しよう。よき世界のために戦おう。若者に希望を与え、老人に保障を与えよう。

 独裁者も同じ約束をした。だが彼らは約束を守らない。彼らの(    )を満たし、大衆を奴隷にした。戦おう、約束を果たすために。世界に自由をもたらし、

    )を取り除き、貪欲と(    )を追放しよう。良識のために戦おう。文化の進歩が全人類を幸福に導くように。

 兵士諸君、(       )のために団結しよう。

 

・忌野清志郎(1951~2009)の「イマジン」

 忌野は1968年にRCサクセションというロックバンドを率いてミュージシャンへの道を歩みだした。1991年にバンドを解散後、ソロとして様々な活動に飛び込んでいく。過激な歌詞(     は要らねえ!電力は余ってる!etc)や      の編曲などで何度も放送禁止や発売中止の憂き目にあった。

 2006年、喉頭がんとなるが摘出手術は行わず、2008年に歌手活動を再開するもガンが転移し、翌2009年5月死去。「ロック葬」には43000人もの弔問者が集まったという。なおこの翌月にはマイケル・ジャクソンも亡くなっている。

 ここでは彼が尊敬してやまないジョン・レノンのイマジンを、まったく自己流の翻訳で歌い上げている映像を見てみよう。一見デタラメのようでいて見事に歌の核心を突いた素晴らしい意訳。決してただのカバーでは終わらない、終わらせない、最後までヤンチャで子供の魂を失わなかった忌野の「イマジン」。

 

 天国は無い ただ空があるだけ

 国境も無い ただ(    )があるだけ

 みんながそう想えば簡単なこと さあ

 社会主義も (    )主義も (    )人も 貧しい人も

 (        )ならば 簡単なこと さあ

 (   )かもしれない でもその夢を見てるのは 君一人じゃない

 (         

 誰かを憎んでも 派閥を作っても 頭の上には ただ空があるだけ

 みんながそう想うさ 簡単なこと

 夢かもしれない でもその夢を見てるのは 君一人じゃない

 仲間がいるのさ

 夢かもしれない でもその夢を見てるのは 君一人じゃない

 夢かもしれない でも君一人じゃない 一人ぼっちじゃない

 違う 仲間がいるのさ 

 夢かもしれない かもしれない かもしれない かもしれない

 夢じゃないかもしれない 君は一人じゃない

 違う 一人ぼっちじゃない

 ・・・以下略

 

4.ボブ・ディラン(1941~)の一曲「風に吹かれて」

 ディランは1962年にデビューして以降、常に(           )的存在として注目されてきた。これまでにグラミー賞やアカデミー賞、ピューリッツァー賞特別賞など数々の賞を受賞し、「ロックの殿堂」入りも果たしている。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のソングライター」部門では第1位。ブルース・スプリングスティーンやジミ・ヘンドリックス、ルー・リード、日本の桑田佳祐ら数多くのミュージシャンに影響を与えてきたといわれる。

 「風に吹かれて」は1963年にリリース。ピーター・ポール&マリーのカバーで大ヒットとなり、作詞作曲したディランの名も一躍有名となった記念碑的一曲である。1963年は8月に(     )牧師の演説「I have a dream」の行われた(       )大行進で(     )運動が最も高揚した時期にあたり、この歌は公民権運動の賛歌と呼ばれた。他方で11月には公民権運動をバックアップしてきた(      )大統領が暗殺され、アメリカの行く末に暗雲が垂れこむ。以後、泥沼化した(      )戦争への反対運動の賛歌ともなり、P.P.M.以外にも数多くのアーティストがカバーして歌い継がれてきた。

 

 人はどれくらいの道を歩めば人として認められるのだろう?

 白い鳩はどれくらい海を越えれば砂浜で安らぐことができるのだろう?

 一体 どれほどの(    )が飛び交えば殺戮は終わるのだろう?

 その答えは風に吹かれて誰にもつかめない。

 

 山が崩れて海となるまでに一体、どれほどの時が流れるのだろう?

 人は自由になるまでに一体、どれほどの時を必要とするのだろう?

 真実から目をそらさなくなるまでに

 人は一体、どれほど顔をそむけるのだろう。

 その答えは風に吹かれて誰にもつかめない。

 

 どれほど人は見上げなければならないのだろう?

  本当の空を見るために

 どれほど多くの耳を持たねばならないのだろう?

  (        )が聞こえるようになるために

 どれほどの犠牲者を出さなければならないのだろう?

  その死が無益だと知るために

 その答えは風に吹かれて誰にもつかめない

 

5.ルイ・アームストロング「この素晴らしき世界」:プロテストしない「闘い」

 ルイ・アームストロング(1901~1971)はアメリカのルイジアナ州で貧しい居住区に生まれた。子供のころ、ふざけてピストルを発射し少年院に入れられ、そこで彼はジャズの世界と出会う。

 1923年に楽団の一員となってミュージシャンの道に入るが、公演先では白人と一緒のホテルに泊まれず、劇場の入り口も別々という(      )を体験。しかしトランペッターとしての卓越した技量に加え、持ち前のサービス精神、愛嬌のある笑顔と独特のハスキーボイスで人気者になり、「サッチモ」の愛称で親しまれた。

 「この素晴らしき世界」は1967年に発表されている。彼の晩年の代表作である。当時、次第にベトナム戦争が泥沼化し、翌年には(    )牧師が暗殺された。黒人たちにとって新たな辛い時代の始まりに位置する。白人からも人気のあったアームストロングはそれまで政治的な立場を鮮明にしてこなかったこともあり、過激化していった(     )運動の側からは白人に媚びる「裏切り者」という見方もされていたという。

 若くてクールに見えるマイルス・デイビスに対して陽気なアームストロングは卑屈に見えてしまったようである。しかしテレビ放映された1967年の彼を見たとき、彼なりの壮絶な「闘い」が密かにあったことが伝わってくる。ディランとはまったく異なる、一切(       )しない、静かで過酷な「闘い」…

 彼が後続の世代に託した思いとは何だったのだろう?

 

 緑の木々が見える。赤いバラも咲いている。私とあなたのために。

 そして私は思う。なんてすばらしい世界なんだって。

 青い空に白い雲。明るくうららかな日。暗く厳かな夜。

 そして私はひとり思う。なんてすばらしい世界なんだって。

 虹の色は空に映えて行きかう人の顔を照らす。

 友人たちが手を振って挨拶してくれる。

 本当は「あなたが大好き」って言ってるんだ。

 赤ちゃんが泣いている。彼らの成長を見守ろう。

 きっと彼らは私なんかよりずっとたくさんのことを学ぶんだ。

 そして私はしみじみ思う。なんて素晴らしい世界なんだろう。