その7.揺らぐデータの信頼性

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

 

 私の大学での大先輩にあたる方が40年余り前、教育困難校での教師がどのようにして困難な状況を乗り越えようとするのかを博士論文のテーマにして取り組んだことがある。「サバイバル・ストラテジー(生き残り戦略)」というキーワードで民族学、文化人類学が用いる参与観察という手法を使って教師や生徒の生態観察を試みたものである。私自身は素晴らしい論文だ、さすがは博士論文・・・などと単純に感心していたのだが、当の教育現場では必ずしもそう受け取られず、大学でも倫理面での批判があったと聞いた。

 

 しかし実はこのような長期にわたる、まさに「潜入捜査」でも試みない限り、すっかり村社会化し、自閉してしまった今の学校の内部や実情を探るのはどんなに優れた学者であっても困難を極めるだろうと今の私は確信している。つまり教育行政や学校現場の持つ牢固な隠蔽体質が研究者の学術的研究やマスコミの真相究明を長年、妨害し、今も頑なに阻んでいると考えているのだ。完全にブラックボックス化してしまった日本の学校教育の内情を理解するのは誰であっても難しい…

 

 従って学校教育の病状が極めて深刻でその症状は誰の目にも明らかになっていたとしても、肝心の症状を生み出すメカニズムや学校や教育委員会の奥底に潜む病巣を明らかにし、適切な診断と治療を施すことは困難を極めるだろう。

 

 日本の学校の病巣を明らかにすることはあたかも医者がウソの記述が混じる空欄だらけの問診票、頭皮をなでるだけの触診、それに体温と血圧の数値だけで脳腫瘍などの診断を行おうとするに等しいほど、実は絶望的で無謀な行為だと思われる。

 

 近頃、教員不足に直面した教育行政側から「教師のバトン」といった美辞麗句を並べたてて若者たちに教職の魅力を発信する動きが目立っている。同時に政府は教師の働き方改革への取り組みも意欲的に進めると表明している。

 

 しかし行政側がどのようなデータに基づいて現状の学校教育を診断しているのか、本当は何を問題視しているのかはしっかりと疑ってみた方が良いのではあるまいか。

 

 教職の魅力など、誰がどんなにきれいごとを並べ立てても、それはブラック企業の社員募集広告や消費者金融などで使われる怪しげな宣伝文句と大差なく、「やりがい搾取」の本質的側面を見誤りかねない、ただの「フェイクニュース」だと思っておいた方が若者にとっては身のためだろう。

 予算、人員ともに不足する学現在の学校現場は地域や学校の種別、管理職の資質などによってかなり大きな差があるものの、基本的に若者には甘くない。

 

 学校の管理職や主任たちの多くに良識があるならば、転勤早々の新任者や新採用の教師を担任や主任にする、複数の教科、科目を平気で任せる、未経験の運動部顧問を強要する、複数の校務分担を押し付ける…といった非常識な校内人事などできないはずである。しかし、学校によってはむしろそれが常態化してさえいるのだ。

 

 こんな荒廃しきった学校社会で教師が無難に生き残るストラテジーとは一体何だろうか…

 

   大学での教員養成教育においては悪徳不動産屋のような嘘八百を並べ、下手な夢や希望を語って若者を徒に惑わし、大切な人生を狂わすよりも、学校教育の裏側を早めに大学生に教えておくことの方が、腐敗し切った学校風土への免疫をつける上でもよほど有益なのではあるまいか。

 

 教師志望者や現役教師たちにとって今や、サバイバルストラテジーの重要性はいよいよ高まっている。

 

 実際、多くの学校は既に相当な教育困難校と化しているからだ。

 

 私は、先見の明に満ちた先輩の研究に今更ながらさらなる畏敬の念を覚えざるをえない。

 

※参考動画

【内申書】受験合否の命運を握る?先生のご機嫌取りが大事?ゴマすり生徒を評

   価?誤解されてるだけ?元教師と考える|アベプラ

   ABEMA Prime #アベプラ【公式】 2023/12/01  16:06

 いわゆる内申書(調査書)の入試での評価は各学校の状況に応じて変わるべきであろう。教育困難校では出欠席数や部活動の実績を重視する高校が多い。しかし不登校の受け入れを積極的に進める三部制の定時制高校では出欠席数をほとんど合否に関わる評価の対象にはしていないだろう。また進学校では学力重視の観点から多くの場合、内申点の合否判定に占める割合を最低限のレベルにとどめているに違いない(入試に関しては都道府県ごとに厳格な規定があり、各高校ではどの程度の範囲で内申点を評価するのかの規定に沿う必要がある)。

   中学生たちを学力だけでなく総合的に評価すべきだとの観点(この観点自体は正しいように見えるが)から内申書は得点化されるなどして入試の合否判定に用いられているのだが、どうやっても教師の主観性は排除できないだろう。そもそも今の教師たちに個々の生徒を総合的に評価できるほどの力と時間的余裕などあるはずはない。内申書への過剰な期待は極めて危険だと思うがいかがだろう。

 すぎやま氏が指摘するように今や内申書は生徒や保護者に公開する文書であり、とっくの昔に生徒たちを脅すための道具ではなくなっている。少なくともカッパは30年以上、中学校からの内申書に生徒の悪行を指摘するものを一度も見たことが無い。子どもたちにたとえ素行面での問題があったとしてもそのことは一切、記入してはならない…という記入上のルールがあるから当然である。しかしそのことが世間に周知されていないという現状は世間にあらぬ誤解を蔓延させてしまう点でも非常に残念。

 とはいえこの残念な事態が生じている背景に相変わらず牢固な隠蔽体質をまとっている学校教育の体質が隠れているとカッパは考える。すなわち世間における内申書への誤解は学校側が自ら作り出している側面があるのではないか。実際は生徒のマイナス面を表記できないのに、その点を敢えてボカしておいて内申書を生徒たちの統治にわずかでも利用しようとする老害教師たちの姑息さがこの事態の裏側に見え隠れしているように感じるのは私だけであろうか。

【徹底的】幼児期・幼少期の習い事や教育は本当に将来に影響を与えるのだろう

   か?成田悠輔が自身の幼少期を振り返る!! 成田悠輔の教育論

   半熟仮想株式会社 2023/11/12  12:56

 4:40までの成田氏の発言に注目したい。学校よりも教師が児童生徒の生涯に与える影響は意外なほどに大きい、という。様々なデータがデジタル化されて大量に収集できれば教師の個性と児童・生徒の個性とを個別最適化するマッチングが可能となるのでは…という指摘は彼の「無意識民主主義」の発想にもつながるだろう。いずれにせよ、長時間、長期にわたる大量の生体反応を含めた客観的なデータが必要(アップルウオッチの装着を義務化する…)となってくる。個性化教育、個別最適化教育が目指す方向性が見えてきそうな話である。

   しかし現実は成田氏の予想の遥か手前で迷走を続けており、あまりにも信頼できるデータが少なすぎる、という悲しい教育行政の在り方が教育のDX化の前に立ちはだかっている。さらには児童生徒に対して教師の与える長期的な影響力の大きさを考慮するならば、大学での教員養成教育がこのままで良いのか、厳しく問い直されなければなるまい。

「GINZA CROSSING Talk ~時代の開拓者たち~」 ゲスト:成田悠輔さん【前

 編】 2022年9月1日 2022/09/05 日経CNBC 19:04

「社会性のない子どもを育てたい」データ×教育の専門家、成田悠輔の子育て論

 新R25チャンネル 2022/04/02 28:32

 学校などから押し付けられた価値観から自分や児童生徒たちを解放するために教師として何ができるのか、学校で下手な社会性を育てることの危険性を教師は理解できているのか…極めて難易度は高い。 

【教員不足】財務省と文科省がバトル?少子化なのに足りない?先生のお仕事の境

   界線は?財政審メンバーと考える|アベプラ

   ABEMA Prime #アベプラ【公式】 2023/10/18  15:55

   教師の数と予算を増やすよりも教師の仕事量を減らすことと待遇の改善を優先しないと現実的な改善は進まないだろう。しかし肝心の文科省からは学校の仕事量をどれだけ減らすのかに関して部活動の地域移行程度の知恵しかおそらくは出てこない。なぜならば彼らは現場の学校の実際を知る努力を一貫してサボってきたからだ。

 もっと教師たちに寄り添って教育行政を行ってきたならば、こんな悲惨な現状であるわけがない。

 確かに部活動問題は決して小さな問題ではなく、教員の働き方改革の大きな目玉ではあるが、これだけでいいはずはない。ブラック職場だから…だけで教職の魅力が薄れ、教員不足を招いているのではない。もしそう考えているならばよほど現場を知らない素人集団である。

 画一的、管理主義的教育行政の在り方や文科省官僚の登用の在り方も今、大きく問われていると感じているがいかがか。おそらく文科省は決定的にその自覚に欠けている。深刻な教員不足を招いた自らの責任を感じることの出来ない文科省ではこれまでの教育行政の在り方を根底から見直すことは出来ないだろう。

 となれば文科省がどれほど予算を増やそうとも結果的には官僚たちや政治家たちが出世したり手柄を立てるために、またぞろ教育改革の名のもとに余分な仕事を増やしてしまうのではあるまいか。そして教員の負担軽減にはまったくつながらずに予算を無駄遣いしてしまうのではあるまいか。

 過去の20数年にわたる「教育改革」の流れに対する根強い不信感は現場の教員の間だけではなく、財務省においても決して小さくはあるまい。自らの反省を抜きにして世間の教師不足を心配する声に便乗し、「ふわっと」予算の増額を求める文科省の厚顔さ、図々しさには呆れてものが言えない。

 今後は文教族議員の多数に落選してもらうと同時に、教育行政の在り方と文科省自体を徹底的に改革すべきではないのか。特に文科省にはこれまで長らく学校現場ばかりに「改革」を押し付けてきた罪を、自ら痛みを伴う自己改革をもってぜひともしっかりと贖っていただきたい。

 とは言え自己責任を自覚できない組織に期待することなど何もないのだが、あえて期待するとすればできるだけ組織として早く自壊していただく事ぐらいか。戦後、焼け野原になったからこそ新生日本が立ち上がってこられたとすれば、当時、解体された内務省と同様、文科省もいったん解体したほうが良いだろう。すなわち完全な「焼け野原」になっていただく。でないといつまでたっても日本の教育は前に進めない…

参考記事

「本当のことを書いたのに…」生徒・教師らが明かす「合格体験記」のリアルな内 

 幕 検閲の実態、明らかな盛り、役立つ活用法 

 マネーポストWEB によるストーリー 2024.3.27

 進路指導部に長くいたので身につまされる話である。合格体験記を指導する側としては「苦労した」「努力した」「工夫した」といった要素がどうしても欲しくなる。当然、話はドラマチックなほど面白くなるから内容にある程度「盛る」傾向が出てしまいがちなのも否めない。

 また学校側に都合の悪い記述はカットするか、表現を控えめにすることは決して少なくあるまい。それら原稿の修正、改ざんは「教育」のためという理由で正当化されがちなのが学校という「魔界」なのだ。この「魔界」は自分たちにとって不都合な現実を世間から隠蔽し、現状認識を歪ませてしまうベクトルを持っていて、その場にいる人間はすべからく学校についてかなり歪んだ認識を抱えたまま、自らが行った改ざんや隠蔽に一片の疑問すら持たず、職務に専念していると思ってほぼ間違いない。

 といったような具合もあって、学校で本当は何が起きているのか、内部にいる者ほど冷静客観的に語ることが難しいがために、ここ最近、学校に関わる数々の事件、不祥事が学校の外部から続々と露見してきているのだと思うが、いかがだろう。

なぜ人々は数字に騙されるのか…「統計・データ」を扱う時に見落としがちな「単

   純だが重大なポイント」現代ビジネス 飯田 一史 の意見 2024.2.19

   グラフなどの数量データをもとに考える際、前提となる知識が比較的、要領よく整理されており、あらかじめ押さえておきたい記事。授業ではデータを見るたびに繰り返しこれらの見落としがちなポイントを思い出す必要があるだろう。政府やマスコミを通じて出てくる統計、グラフに潜む巧妙な誤魔化し、誘導、解釈の歪み…要注意である。

いじめ被害」など…教師と子どもの間で認識に差 不登校について文科省が委託調査

 日テレNEWS NNN によるストーリー 2024.3.25

文科省、不登校調査の項目見直し 学校と児童生徒の認識にずれ

   毎日新聞 によるストーリー 2024.3.26

不登校につながるいじめ、大半が見過ごしか 学校と本人の認識にずれ

   産経新聞 2023.12.14

いじめ把握できなければ「児童の無気力」? 不登校調査を見直す理由

   毎日新聞 によるストーリー 2024.4.29

   現状とズレまくっている教師側の認識を土台とした文科省の調査がiいかに実態とかけ離れたいい加減なものだったかを物語る記事。こんなことは委託調査をするまでもなく、学校現場にいる者からすればとっくの昔から明白なことであった。この結果は文科省が学校現場の実情を知る努力をまったくしてこなかった証拠である。したがって文科省は自らの怠慢と不明をまず恥じるべきであり、決して学校側の不誠実さ、認識の甘さを云々する資格などないのだ。

不登校のきっかけ1位「先生との関係」保護者の約9割悩む

 リセマム 2023.11.20

 「不登校のきっかけに関する保護者回答の1位は先生との関係(先生とあわなかった、先生が怖かったなど)が最多で261人(33.5%)。文部科学省発表の2022年度(令和4年度) 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果では、教員回答1位は(子供自身の)無気力・不安となっており、両者にギャップがあることがわかった。2位は学校システムの問題(価値観が古い、時代にあわない、風土にあわないなど)で、204人(26.2%)であった。」という。

 そして「行政に望む支援1位はフリースクールなど学校以外の場が無料や利用料減免75.4%(439人)、2位はフリースクールなど学校以外の場に通った場合の家庭への金銭的支援74.2%(432人)」となり、学校が変わってほしい72.3%(421人)、学校教員への研修72.2%(420人)と続いた。」という。

 きわめて常識的な回答であり、文科省の調査結果の方がはるかに常識はずれで信用ならない。当然、不登校児童生徒の保護者、というバイアスがかかるのでこちらの結果も鵜呑みにはできないが、それでも文科省のものよりははるかに実態に近い、というのが大方の印象であろう。

 要は絶望的なまでに文科省の実態把握のピントがズレまくっているということであり、この役所にまともな期待を抱いてはいけないという苦い教訓が残るだけである

いじめは大きく増えていない!いじめ研究の第一人者が語る文科省データの実態 

   JBpress 長野 光 によるストーリー 2023.11.8

 文科省などの調査結果があてにならない原因がよく分かる。

待機児童「5年連続過去最少」の〝ウソ〟「隠れ待機児童」が増えている理由

   AERA dot. 板垣聡旨 によるストーリー 2023.11.6

こども家庭庁が「子ども・若者4000人が参画」とPRの看板政策、実際は最大

   533人にとどまる…政府関係者「かけ離れている」 

   読売新聞 によるストーリー 2023.11.6

   ただでさえ信用されていない文科省から出される統計に加えてこども家庭庁までがこんな詐欺まがいの宣伝をしている。この政府、やはり嘘つきだらけなのでは…

「事前対策ダメ」も4割実行 学力調査3教科1位の石川、県教組調査

 朝日新聞社 によるストーリー 2023.11.7

 基本的には文科省の指導に従わないことが多くの教師たちにとって圧倒的にお得となっている。すなわち学校現場や教育委員会としては今や「面従腹背」こそ、かしこく生き延びる方途であろう。そして真面目な勤労意欲を失いつつある教育現場における驚くべき手抜きの実態とある種の「無法状態」がイジメ等の事件の隠蔽や記録の改ざん、入試の採点ミス、体罰や暴言の横行等にもつながっているのだろう。

 事の発端はひたすら教育現場に山のような仕事を押し付け、教員免許更新制度のような「無法」「非道」を長年許してきた文科省側にあるのはもはや明白。全国学力テストの結果など、とっくの昔に現場の人間は信じていないし、石川県などの上位グループ以外は気にもしていないはず。こんないい加減なデータをもとにして教育行政が動かされることは決してあってはならないのだ。かつての沖縄県を見ればそんなことは一目瞭然である。

 ウソだらけの県教委の報告を真に受ける方がどうにかしているのだ。

男性の自殺、13年ぶり増加=小中高生は過去最多514人―女性も3年連続増・

   政府白書 時事通信 2023.10.20

 円安、物価高の生活難が増してきたようで中高年の自殺が再び増加に転じている。小中高生の自殺が過去最多となり、いよいよ学校教育の行き詰まりが危機的状態にあることも明確になってきている。

尾木ママに聞くいじめ問題「認知件数は氷山の一角、見落とされる重大事態」

   JBpress 湯浅 大輝 によるストーリー 2023.10.30

「不登校の原因はいじめ=0.2%」という文科省と学校を信用できないワケ

 JBpress 石井 志昂,湯浅 大輝 によるストーリー 2023.8.18

 実際、調査の現場にいた人間からすれば、お役所によるこの手の調査結果は全くと言って良いほど信用できない。

不登校原因を文科省が調査したら「いじめ」わずか0.3%専門家が疑問 経験者が

   語った「静かに心を削られた」東京新聞 2023.10.19

不登校児童の8割「前兆あった」原因はいじめが最多

 リセマム 2023.9.21

 文科省のデータよりもこちらの方がはるかに信頼できる。

不登校に至る「重大いじめ」の大半が見過ごしの恐れ 学校と子どもでいじめ認知に

 乖離 テレ朝news によるストーリー 2023.10.18

 教師によるイジメ認知件数と児童生徒によるイジメ認知件数の両方とが比較可能となって初めて調査の意味が生まれてくるのであり、今の調査はまったく実態から遊離した片手落ちのもの。実態が十分に把握できていないのだから、本来ならば対策を立てようはずがないのに、なぜか毎度のことであるが文科省からその場しのぎの対症療法的対応が示される。そして学校現場はその対応に追われてしまうことで一層、混乱し、きめこまやかな対応も一層、困難となる。一体、いつまでこの悪循環を繰り返せば文科省は気が済むのだろう。これはもはや地獄というほかない。

“文科省 vs 財務省 教師不足めぐり真っ向対立 財政審委員「ふわっとした予算要求

 をして、後から国会議員が乗り込んでくることが他の役所より多い」

 ABEMA TIMES によるストーリー 2023.10.18

 財務省と文科省の対立から見えてくるのは予算における数字の根拠を厳しく問う財務省と信頼性の低いデータばかり集めて過去の反省を一切せず、その結果「ふわっとした予算要求」しかできない文科省の無責任で非科学的な姿勢との違いであろうか。

 そもそも教育界にありがちな総花的な美辞麗句ばかり並べ、「~改革」という美名に隠れて耳障りの悪い「スクラップ」をサボり、聞こえの良い「ビルド」ばかり積み重ねてきたこれまでの教育政策のツケがここにきて一気に噴出してきているのだ。

 文科省はまともなデータを現場から得られないためもあってか、数多く打ち出してきた「~改革」のきちんとした見直しや反省をせずにひたすら「垂れ流し状態」にしてきた。無責任にも改革の大風呂敷を広げ過ぎて学校現場を混乱させ、極限まで教師たちを疲弊させてきたのだ。

 せっかく児童生徒数の減少や学校の統廃合の進展で本来は減るはずの教育業務の総量を、ろくでもない政府から請われるまま、徒に増やし続ける愚策を文科省は繰り返してきた。しかもそのことへのまともな反省を一切せずにきたのである。

 受けが良くない業務の「スクラップ」化政策は学校の統廃合や部活動の地域移行などに限られ、結果的に現場の仕事の総量を延々と増やし続けてきた日本の教育行政の罪は圧倒的に重いにもかかわらず、自分たちの責任を棚に上げて確かな根拠もなく予算と人員の増加を「ふわっと」財務省に要求してくる…この厚かましさは確かに誰にとっても受け入れがたいだろう。

 まず真っ先に文科省が取り組むべきは膨大に膨れ上がった学校の仕事量の大胆な削減であり、教師がしっかりと授業に専念できる体制作りである。運動部指導の地域移行だけではなく、高校などでは時間割の削減、教科科目数の削減をも大胆に進めることまで考える必要があるかもしれない。

 たとえば高校での体育や芸術を教科として廃止し、それらの教員も社会教育へ移管することで文化部も含めた部活動全体の地域社会への移行を進める…といった身を切るような政策はいかがか。もちろん小中学校では児童の実態からみてもこれらの教科の削減は明らかに不適切だが、高校ならばこれらの教科の削減はおそらく無理ではあるまい。しかも特定の生徒たちを社会教育においては今まで以上に長期的視野に立って育成指導することも可能となるだろう。これまで3年間の指導で結果を出すことを迫られてきた指導者にとって小学校、中学校、高校といった学校の枠を超えた長期的で一貫した指導が可能となればそれなりに精神的余裕も生じてきて暴言や体罰、シゴキなどは自ずと減少していく事だって期待できよう。

 そもそもが少子高齢化社会である。素朴に考えてみても学校教育の仕事は通学者数の減少に伴い、相対的に軽減されていくはずであり、「働き方改革」を通じてさらなる仕事量の削減に向かうはず。他方で増加するお年寄りの孤立や孤独死を避けるためにも高齢者を対象とすることの多かった社会教育の負うべき仕事量は今後も増大していく一方のはずである。ところが既に図書館や公民館などでは予算と人員の不足に直面している。今後の運営が成り立つのか、不安は大きくなるばかりだろう。

 ならば高校教師の一部を社会教育機関へ移し、公民館、図書館等の社会教育施設における将来的な人手不足の深刻化の解消に努めるべきだろう。もちろん学校の人手不足ばかりが今は派手目に表面化しているが、それだけに目を奪われてしまうと社会教育を含めた教育界全体でのバランスを崩しかねまい。

 体育と芸術の、教科としての削減を含む高校での教科再編が進めば高校の時間割は少なくとも一日5時限となり、一時限ほど長くなった放課後を生徒は社会教育の場で自分の好きな事に割り振れると同時に教師の時間的ゆとりも確保できるはずだ。地域によって見られるスポーツや芸術関係の指導者及び施設不足も高校の施設を放課後開放し、体育科や芸術科の教師を指導者に割り振ることでこれまでの不足分を相当程度カバーできるようになるだろう。

 部活指導に熱心だった教師は社会教育の場で他の業務に煩わされることなく自分の専門性をいかんなく発揮できるようになれる。それは何も体育や芸術の教師に限らなくてもよいだろう。授業やクラス担任が苦手な国語教師は図書館や公民館に移りやすくすればよい。同様に日本史の教師は私のように公民館で郷土史講座や歴史散策の会を主催すればよいのだ。

 加えてこのプランはおそらくそれほどの新規予算を必要としないと思われるが、いかがか。財政難が続く現在、検討してみるだけの価値は十分あると思うのだが…

 何はともあれ今の学校教育行政にまず求められているのは手を広げ過ぎた学校の仕事からの潔い撤退であると考えるがいかがだろう。

文科省、朝日新聞社の不正確な報道に対しコメント

   リシード 2023.10.11

 もちろん報道において統計データの記載に間違いはできるだけあってはならないだろう。報道の信頼性が損なわれる。しかしそもそもが、この調査統計にどれだけの信頼性と妥当性があるのか、それ自体が極めて疑わしいのは学校現場にいたものなら周知の事実である。一体、誰がこの調査に回答しているのか、少し考えてみれば分かるはず。当然、イジメ調査にしてもしかり。あくまで教師、学校側が認知できた限りの調査結果であり、その数値が現実とはかなり遊離したものである可能性を教師自身、否定できまい。

 こんな無意味なバカげたコメントをしているヒマがあるなら、長期にわたって不登校者数の増加を招いた文科省の無能さと責任の重さについて謝罪のコメントをまずしておくのがスジだろう。

 しかも・・・朝日新聞社は2023年10月4日、朝日新聞の朝刊1面の記事「不登校2割増 最多29万人」にて、2022年度の不登校の小学生数を10万5,113人、不登校の小中学生数を計29万9,049人と掲載。しかし、文部科学省によると、正しくは不登校の小学生数は10万5,112人、不登校の小中学生数は計29万9,048人だという…つまり、それぞれわずか一人分多くカウントしたに過ぎない。

 自分たちの無能さを棚に上げ、いかにも上から目線で他者のわずかなミスを大げさにあげつらう、文科省の恐ろしいほどの傲慢さに辟易してしまう。

 それほどこの統計結果が一人たりとも揺るがせにできない重要なものであるならばなぜ、不登校問題を自らの不始末として自己責任を感じようとしないのか、なぜこれほどまでに厚顔無恥をさらすのか、実に不思議である。

 数値にこだわりたいのならば子供の自殺件数の厚生労働省との100人以上のズレを文科省はどう説明するのか、厳しく問いただしたい。当然、児童生徒の場合も事故なのか自殺なのか、判別が難しいケースが多いように、不登校と長期的な体調不良や怠学との区別が極めて難しいケースもある。その判別を必ずしも自殺や不登校の専門家ではない現場の教師に丸投げしておいて、どの口がこんな不遜な言いがかりをつけるのか…まったく開いた口がふさがらない。

 こんな役所にまともな教育改革を期待する方が愚かである。

不登校のきっかけは「先生」3割、「合わない・怖い・体罰」など…保護者が休職

   や転職する場合も 読売新聞 によるストーリー 2023.10.11

 もちろん教師個人の問題もあるだろうが、教員養成教育や教員採用試験にも問題はあるだろう。また教師が置かれている環境の劣悪さも問われる。画一的で管理主義的な学校教育の在り方が問題の根本にあると私は考える、この調査結果を今までのように一方的な教師叩きに悪用することがあってはなるまい。

子どもの自殺411人で最多水準 「望ましい」はずの詳細調査は少数

 朝日新聞社 によるストーリー 2023.10.4

 文科省調査の411人と警察庁調査の485人とでは74人もの差が生じている。厚生労働省の514人とでは何と103人もの開きがある。私たちは一体、どちらを信用してよいのだろうか。

 加えて「指導死」やイジメが原因の可能性がある中高生の自殺では責任官庁である文科省を中心に徹底した原因究明が必須であるはず。しかし全体のわずか4.6%、19件しか行われていないのはなぜだろう。

 やはり何もかもが地方や組織の末端に丸投げで、中央の上層部が本気で取り組もうとしていないからである。文科省以下、責任逃れに走る教育委員会や学校の無責任体質と隠蔽体質をここでも厳しく追求すべきだろう。

小中学生の自殺“過去最多” 近年増加「市販薬のオーバードーズ」による死が統計に

 含まれない事情 弁護士JPニュース によるストーリー 2023.10.5

 「全国の精神科医療施設における薬物関連精神疾患実態調査」によると、10代の薬物使用における「市販薬」の割合は14年には0%だったが、16年には25%、18年には41.2%、20年には56.4% 、22年には65.2%と増加している。その結果として、市販薬のオーバードーズによる死亡が後を絶たない…という。しかもオーバードーズによる死亡は自殺としてはカウントされていない可能性があるらしい。

 とすれば児童生徒たちの「自殺」件数は厚生労働省のものですら信用できない。

女子中高生の自殺増加=コロナ流行の20年以降―政府白書

   時事通信社 2022/10/14 16:57

 中高生、いずれも自殺の原因のトップが学校問題である。短い記事なのでこれを授業の導入に使用できるだろう。まずは学校の何が女子中高生自殺の原因となっているのか、生徒に列挙させてみたい。

小中学生の自殺者「過去最多」の衝撃、現場で何が起きているのか…苦悩する

   専門家たち 弁護士ドットコムニュース によるストーリー 2023.10.15

  この記事でも文科省のデータへの信用性に疑義が出されている。もちろんお役所の調査の妥当性も疑われるのだが、判断材料のあやふやさが大きく残る限りはまともな対応が出来ないのは仕方あるまい。 

なぜ盛った?「児童相談所の成果」 自治体「今後も最高記録を出し続けるしか」 各

 地で数え方バラバラ 東京新聞 2023.10.4

 学校と同様に児童相談所も深刻な人手不足に直面している。相談件数を「盛る」ことで職員の増員配置と予算拡大を狙う意図は元教師として心情的にはよく分かる。自治体や相談所ごとにカウントする基準が異なる点は修正すべきであるが、学校と同様、深刻な人員や予算不足に直面している児相の置かれている厳しい状況を改善することが急がれるだろう。

 若者と子供、特に女性に無関心な男ばかりの老害政治家たちこそが日本社会の改善を阻む最大の抵抗勢力なのではあるまいか。

実は誰も知らない、虐待児童の実人数 調べなくていいの? こども政策担当相に聞い

 てみた 東京新聞 2023.10.7

 国が統一基準を示さないがためにまともな統計が得られない、というお粗末な実態は児童虐待にもみられるらしい。イジメ、不登校や自殺に関する統計もしかり。日本政治の死角がいかに大きく、それが若者や女性たちにとってどれほど致命的なものであるのか、今になって気付く。

“Fラン大学と揶揄されるけれど掛け算割り算ができぬまま高校を卒業する学生が

 少なからず存在している怖い事実 集英社オンライン オピニオン 2023.7.29

 この記事にはビックリ。高校では一桁の足し算が出来ない、南極が熱帯だと勘違いしている、東と西の方角を指さすことが出来ない、日本地図を一つの円としてしか描けない、ひらがなが読めない…といった生徒が入学し、ほとんど特別な指導を受けずにほとんど何も分からないまま、出来ないまま卒業しているケースが少なくない。いわゆる「形式卒業」である。

 これは現場では周知の事実であり、「怖い事実」などではない。本来ならばマンツーマンの手厚い指導を必要とする生徒たちに対応するだけのゆとりと能力を今の教師に期待するのはそもそも間違いである。同様のことはもっと頻繁に小学校、中学校でも起きていて、実際にはどの学校段階でも「形式卒業」が繰り返されている。大学だけが例外であるわけがない、という当たり前の事実に過ぎない。

成田悠輔氏 日本人のデータリテラシー不足に嘆き「教育の失敗であり、社会の失

 敗」 東スポWEB 2022/11/17  18:48

 日本の場合、学校や教育行政に限らず、様々な政策がDXの遅れや情報公開の大きな制約ゆえに実際には政策の有効性、成否をきちんと検証されることなく、時の政権の思惑に左右される形で、まさに「垂れ流し」状態のまま、次々と実行に移されてきたと考えられる。

「うちらは捨てられてる」先生が教室に現れず、授業を受けられない子どもが増

 加…教育現場で今起きている“非常事態” 

 文春オンライン いしい しんじ によるストーリー 2023.6.19

 学校教育の隠蔽体質は、ただでさえブラック化した学校において正規教員の不足という最悪の事態の進行をも招いてしまった。学校自らが教師不足という致命的な事態を世間一般からは見えにくくしていたのだ。それが社会問題と化し、表面化してきた現段階に至ってしまっては最早、手遅れに近いほどに学校の病巣は進行し、肥大化しているのではあるまいか。

 もはや手の施しようのない末期患者と同様、日本の公教育は大げさに言えば存亡の危機に直面しているのではないのか。垂れ流し状態の「教育改革」の連打がいかに学校現場を疲弊させ、限界まで追い詰めてきたか、改めて教育行政の責任を問いたい。

公立小・中学でのいじめ認知件数 自治体間で最大30倍の格差

 毎日新聞 によるストーリー 2023.6.21

 学校によってはイジメ認知件数がゼロのところもあったという。もちろん現実的に見て「ゼロ」はありえない数字である。といっても別に驚くことはあるまい。市町村によっては学校からの報告に虚偽が含まれるのは当たり前であり、むしろ普通のことではないのか。

 管理職が自らを不利にするような報告をお上にあげるわけがない、と思うのが教育界の常識。全国学力テストの結果がほぼほぼ信用できないのと同様に、学校の上っ面をフワッとなでる程度の安易な手法による報告や調査で学校現場の実態がつかめる、と思う方が今やあまりにも能天気なのだ。

 いや、もとより調査を命じた側も「やってます」感を演出するためだけに嫌々、調査を行なわせているに過ぎないはず。でなければ神戸市のようにイジメ事件の隠蔽が学校や教育委員会の中で執拗に繰り返されるはずがないのである。逆に文科省が各教育委員会や学校の牢固な隠蔽体質を知らぬわけがあるまい。所詮は「同じ穴のむじな」なのだ。この調査自体が国民を欺くだけの、ただの茶番だと思うべきだろう。

 しかし、こうしたアリバイ作りを主な目的とする虚しいだけの仕事だからといって決して侮ってはいけない。学校のブラック化はお上から送り付けてくる文書の山が生み出している側面があるからだ。

 教員不足が問題視される以前から指摘されていたのが、学校における管理職希望者の減少であった。

 実際、傍から見ていても教頭や教務主任の仕事量は異常なほど多く、多岐にわたってきている。管理職として必要とされる能力はもはや学校教育への深い理解や豊富な経験、授業の力などではなく、膨大な事務仕事を滞りなく表面的に無難でスマートにこなす事務処理能力の高さに特化してきているという印象が強い。

 形骸化した事務仕事の削減は文科省以下、すべての部署に共通した切実な願いとなっているはずだ。そしてこの願いが実現するためには予算と人員の増大が必要不可欠であることは言うまでもなく、しかも予算増の可能性は現政権下、限りなくゼロに近い。これに由来する先の見えない絶望感こそが現今、多くの教師の心身を追い詰めている最大の元凶なのではあるまいか。

「毎週100枚の書類が教育委員会から届く」藤原和博が見たベテラン教員を忙殺す

 る"いらない書類仕事"の実態 

 プレジデントオンライン 藤原 和博 の意見 2023.6.21

教育再生」の象徴、なぜ年に一度も開かれない?…4都県232市区町村で会議がゼ

 ロ 東京新聞 2023.6.25

「学校の先生は不人気職業」は真っ赤な嘘…大企業並の退職金をもらえる"教員ブラン

 ド"を貶める"犯人"は誰か 2023年10月09日 11時15分PRESIDENT Online

 これほどトンチンカンな議論は見たこともない。日本の場合、教員ブランドなど元々存在しないどころか、あったとしてもとっくの昔に地に堕ちたブランドである。

 ことの本質は日本の学校教育における様々な面での深刻な行き詰まりであり、教員不足はそうした問題の表れの一つに過ぎない。ところがこの議論では教員不足の背景にある肝心の問題の多くをすり抜け、教員の働き方改革と学習指導要領や教職の魅力の見直し推進を問題解決のカギとするような誤魔化し、問題の表層化、歪曲化、すり替え、矮小化を行ってしまっている。

 こうしたその場しのぎの弥縫策では屋台骨まで腐ってしまった日本の学校教育をいたずらに延命させるだけで、かえってマイナスに働く危険性すら感じてしまう。

 不登校者数とイジメ認知件数、校内での暴力沙汰、児童生徒の自殺者数が増え続けている理由を、自らの落ち度とせずにもっぱら「コロナ禍」やSNSの普及などの影響に帰する文科省の論調には違和感を超えてもはや責任逃れの卑劣さしか感じられないのだが、皆さんはいかがだろう。

 もちろん学習指導要領の見直しは一見、大きな改革ポイントに見える。が、それだけでは既に些末に過ぎ、まったく不十分だと思えるほどに日本の学校教育の病状は深刻だと私は考える。北欧の教育と比べれば少なくとも半世紀あまり、日本は遅れてしまっているとさえ感じているのだ。したがって今すぐにでも教科書検定制や学校設置基準の見直しなど、教育基本法や学校教育法レベルの改革までもが必要不可欠となっていると考えるが、大袈裟だろうか。

 このような全面的な見直しは本来、それなりの時間と労力がかかるはずだが、残念ながらそうした大改革がもはや一刻の猶予をも許されなくなっているほどに日本の学校教育は現在、切迫しており、致命的な行き詰まりに直面しているのではあるまいか。そうであるならば強烈な痛みを伴う根本治療は今や不可避である、というのが日本の学校教育に対するカッパの見立てなのである。

 根本的に見直すべきは画一的、管理主義的な日本の学校教育全体の在り方であり、時代遅れで役立たずの教員養成教育であろう。もちろん、そうした中で最も急がれるべきは確かに教員の働き方改革であるが、それはあくまで数多くあるその場しのぎの小さな対症療法の一つでしかなく、根本的な解決には一切つながるまい。

 中核となっている奥深い病巣に手を付けないままであるならば、教員不足という一つの症状を改善できたとしてもいずれ別の症状が学校に出現するまでである。

 その場しのぎのモグラたたき、弥縫策を際限なく繰り返していても埒が明くまい。

 

 古色蒼然とした今の日本の学校の多くはもはや才能と意欲のある若者が心身の健康を保ちながら働けき続けられる職場ではない、と見切りをつけるべきなのである。きっとたまたま比較的恵まれた職場にいられた教師がきわめて狭い料簡で極めて限られた自分の知見をもとに教育制度全体を語るから、こんなトンチンカンな意見が出てきてしまうのだろう。

 これはとどのつまり、文科省の官僚が言い出した「教師のバトン」などとほとんど同じレベルの、表層的な観察に基づく極めて粗雑な意見に過ぎない。

 すなわちただの問題のすり替えであり、矮小化である。

 

「不登校の大半は親の責任」東近江市の市長が発言…翌日釈明「極端に言い過ぎた

   かも」(2023年10月18日)MBS NEWS  2023/10/18  0:46

   ※◎「不登校、大半の責任は親」発言の東近江市長が取材に応じる「私は問題提起をした」

    毎日放送 によるストーリー 2023.10.18

      〇「フリースクールは国家の根幹崩す」発言に批判拡大、市長は撤回せず…多くの施設が運営に困

           難 読売新聞 によるストーリー 2023.10.24

      不登校のきっかけ、最多は「先生」 文科省調査と違う結果に 滋賀

          毎日新聞 によるストーリー  2023.11.15

 

 この程度のトンチンカンな認識しか持てないのに偉そうに私見を述べる市長がいる日本の地方政治の現状に「老害政治」の深刻な弊害を感じる。「…感覚的なもの、経験則に基づくと、やっぱり親が多い。」とインタビューに答えているが、確たるデータを無視して「感覚的なもの」に基づき、市長たるものがそれほど詳しくもない教育の分野に軽率な意見を述べること自体、空恐ろしささえ覚える。

 72歳の小椋正清市長は警察上がりで3期目、10年にわたり市政を運営しているベテランらしいが前回の選挙では対抗馬がおらず、どうやらしばらくの間、無風状態が続いているようだ。明らかに長期政権特有の腐敗、驕りが感じられる暴言である。

 おそらく文科省が公表する教育統計への信頼性、妥当性が揺らいでいる現状が長く続いてきてしまったために、こうした暴論めいた印象論の台頭を許してしまっているのだろう。とすればここでも文科省の責任が問われる。

滋賀県教育長「意見を述べる立場にない」 フリースクール否定発言に

   朝日新聞社 によるストーリー  2023.10.24

   県の教育長とは実際、どんな存在なのか、よく分かる記事。所詮は文科省の天下りに過ぎず、与党の政治家には逆らわないことが習い性になっているような人物ばかりが選ばれている。これで教育基本法が定めている「教育の政治的中立」など守れるわけはない。滋賀県知事すら疑問を呈する東近江市長の発言に対して無批判でいられる教育長に存在価値など一片も認められないだろう。教育長がこんなザマだから大津事件の反省がいまだに学校現場で生かされていないのも当たり前である。

フリースクール巡る発言の市長が会見「東近江市にはない」しかし「あ、2つある

   って」MBSニュース 毎日放送 によるストーリー 2023.10.25

   不登校の何たるかをほとんど知らず、何らの根拠を持たないただの印象論をあたかも長年抱いてきた自分の信念であると強弁する図々しさこそ「老害政治家」にありがちな、硬直した政治姿勢であろう。こんな人物を10年も市長にしてしまった東近江市の若い市民たち、特に児童生徒たちが気の毒というほかあるまい。

しがnote 不登校「きっかけ先生」の衝撃、滋賀県フリースクール等連絡協議会

   が実態調査 産経WEST 2023.10.25

 教育に関わるこの手の調査は調査を行う主体の違いによって種々のバイアスが強く加わるため、一つの調査結果を鵜呑みにすると大きな間違いを招く恐れがある。

   不登校側主体の調査では不登校のきっかけを先生とするような結果が当然予想されよう。逆に文科省や教育委員会の調査では実際、不登校者本人やその家族に原因を帰属させがちな調査結果となっている。

 こうした調査結果の大きな差異を踏まえて行政の長たるものはバランスのとれた判断を下す必要があるのだ。とりわけ閉鎖的で強い隠蔽体質を抱える学校教育関連は信用できる調査が極めて少ないがゆえにバランスの取れた判断を下すのは専門家ですら極めて難しいと考えるべきである。

 つまりバランスのとれた発言を可能とするような十分な予習をまずは市長自身が済ませておくべきだった。しかし教育問題に関するアップデートを怠ってきた老害政治家が自分の狭く、古い料簡を周囲に押し付けがちになるのもよく観察されるケース。すなわちこうした事態は当然、市長の周囲にいた者たちならば事前に予想できなければなるまい。

 したがって今回の東近江市長の不用意な暴言騒ぎは市長の個人的資質の問題に限定すべきではないのかもしれない。その周囲にいる副市長以下、教育委員会や教育長などの資質も絡んだ問題ではないのか。特に教育長や教育委員会がこれまでの間、自分たちの偏ったデータばかりを偏重して偏った考えを市長に吹き込んでこなかったのか、疑ってみるべきだろう。

 この件は調査主体の差異によっていかにその結果と分析に強いバイアスが加わり、下手をすると正反対の結論に達してしまうのかを示す格好の教材となるだろう。

 ぜひ、授業で取り上げ、討論の俎上に載せたい。

日本の高1「学校の一員と感じる」トップ でも手放しで喜べないわけ

   朝日新聞社 によるストーリー  2023.12.5

   PISAの結果、日本の高校一年生が「学校の一員」と感じる割合が先進国でトップレベルであったようだ。文科省はこの結果は手放しでは喜べないとし、不登校者が調査に参加していない点を指摘している。昨年度は過去最高の不登校者数を記録している日本である。至極当然の分析と言えようが、私からすればむしろこの分析はあまりにも突っ込みが浅く、自分たちに甘すぎる認識だろう。

   そもそも私服を許さない制服社会は自ずと自分の所属する社会集団の一員たることの自覚を強める効果がある。だからこそ欧米と比べて日本は制服を強制することが大好きなのであり、制服の無い学校は日本では極めて珍しい。日本の高校生が「学校の一員」と感じる割合が高いのは当たり前の結果であり、むしろそれを狙っての制服なのである。

 「学校の一員」たることの自覚はある程度まで「チーム…」としての組織力、団結力を高めることにつながる一方で、集団の空気を上手に読み、周囲との軋轢を避けるべく同調圧力を強め、精神的息苦しさを伴いがちになる。同質性が極めて高い日本の学校が作り出す、ガチガチなチームワークの強さ、硬さは他方で集団から異質性を排除し、同質性をメンバー全体に強く押し付けてくるのだ。

 メンバー内の個性、多様性をうまく許容できない、柔軟性を欠く、妙に結束力の強い集団は個性的、異質的要素を強く持つ生徒たちに集団から外れる事の恐怖、不安を強いてくるだろう。したがって日本の多くの学校では「チームの和を乱す」「空気を読めない」などとの理由でイジメがはびこり、同調を強いる窮屈な空気感に嫌気がさしてきた児童、生徒たちの間に不登校が蔓延してきたのではなかったか。

 PISAの調査が物語っているのはすでに幾度も指摘されてきた日本の学校教育の不毛なまでに強すぎる同調圧力がもたらす表層心理の一側面に過ぎない。こんな簡単なことすら分析できないくせに肩の上から偉そうに語る無反省な文科省の姿勢にはひたすら辟易するだけであり、教育行政を主導する資格など今の政府や文科省にあるわけがない。またこの程度のことすら指摘できない日本のマスコミに存在価値などあるわけがない、と思うのだが、皆さんはいかがだろう。

日本の学校ICT、探究学習への活用進まず 頻度「最下位」の項目も

   朝日新聞社 によるストーリー 2023.12.6

   これもまた浅薄な分析。これまでの長きにわたる文科省の指導によって日本の学校が学習内容の統制、画一化を毀損しかねない可能性をはらむ探究学習を伝統的に忌避し、部分的な導入にとどめてきた結果が今になってOECD加盟国最下位という惨状をもたらしたに過ぎないはず。日本の教育史を振り返れば分かることだ。

   画一的教育内容への異常なレベルでのこだわりと安価で手抜きの大規模学級を土台とする集団主義的一斉講義型の授業が多くの教育問題の元凶であることを認めようとしない文科省の頑迷さには最早愛想が尽きる。

   つまるところ「個別最適化」のため学習を成立させるための人員と予算の不足を誤魔化し、教員の過重労働という犠牲の上に無理くり個別最適化を達成しようという、与党や文科省の虫の良過ぎる考え方が最大の元凶なのではあるまいか。

 ところが与党や文科省は従来のごとく、この結果を学校現場の能力や努力工夫の不足と見なして自らの責任を回避し、またぞろ無駄な教員研修を増やすことで教員に責任転嫁しつつ、結局は学校のブラック化を一層推し進めてしまうに違いない。

 そしてこれまたくどいようだが、この程度のことすら指摘できないマスコミなどただの「マスゴミ」であり、無用の長物に過ぎないのではないのか。

国際学力調査、日本は読解力3位に改善 数学・科学も高水準「世界トップレベル」

   産経新聞 2023.12.5

   こちらもおなじみの自画自賛、日本万歳と言わんばかりの薄っぺらい報道でいかんなく日本のマスコミの「マスゴミ」っぷりを発揮している報道。

   そもそもPISAが国家レベルでの教育評価の基準として本当にふさわしい内容なのかは疑問が多い。日本の全国学力テストの結果が信用できないように、この結果も決して鵜呑みに出来るものではなかろう。

   近年、フィンランドがPISAの得点順位を落としてきているが、既にフィンランドでは自分たちの目指す教育の在り方とPISAの結果に決して小さくないズレがあるとの共通認識であるため、順位に一喜一憂するような軽薄な風潮はもはや見られないという。

   かつて日本の児童生徒のPISAにおける得点は世界最高水準であり、国民の基礎学力の高さが日本経済の成長を支えてきたと言われていた。しかし21世紀に入って以降、日本は得点的に低迷し始め、「ゆとり教育」の問題点がやたらに喧伝されたことがあった。そして凋落していく日本のかわりにフィンランドなど北欧や香港、シンガポールなどの高得点が注目されるようになった。「ゆとり教育」の見直しが進んだ成果なのか、今、日本はPISAの順位が再び世界トップレベルとなってきている。

 ならばここ30年ほどの動きに関してPISAの結果は日本の場合、国家的規模の経済活動の動きと連関しているのだろうか。もしも正しく比例しているのであれば国家としても現在の結果は万々歳であるが、日本経済の状況は言うまでもなく、むしろ児童生徒の「学力」に反比例しているといった方が良い位の惨状であろう。

 ことは長期に及ぶ日本経済の低迷にとどまるまい。不登校やイジメの増加などを見ても、日本の児童生徒の「学力」向上は決して子供たちの自己評価を高めていないどころか、幸福感などは低くなる一方ではないか。児童生徒の学校離れと若者の教職離れが進むなかで日本の公教育はむしろ危険水域に陥りつつあるのが実情である。

 そもそもがPISAという一つの尺度に一喜一憂する方が間違っているのであり、多次元的な尺度から日本の公教育の現状を見直す必要があるのだ。この当たり前のことを踏まえることの出来ないマスコミなど、あまりにも軽薄過ぎてまったく存在するに値しない…戦時中、ウソだらの大本営発表をオウム返しに繰り返すだけだった当時の新聞やラジオ報道の域にまで後退しつつある日本のジャーナリズムの現状を皆さんはどうお考えだろう。

 もちろん大本営発表に等しい、怪しげな現状分析を性懲りもなく繰り返す政府や文科省の愚かさと危険性を国民が徹底的に糾弾すべきなのは言うまでもないのだが…

こども大綱案が判明 校則は「生徒の意見を」 自己肯定感数値目標も

   毎日新聞 によるストーリー 2023.12.12

 一体、どこのどなたが子どもや青年たちの自己肯定感をひたすら下げ続けてきたのか…またぞろ、末端にいる教師の責任を問うつもりなのだろうが、恥知らずにもほどがある。今や校則に生徒の意見を反映させるのは当然として、今後は教育行政にも生徒と教職員の意見をもっと反映させていくべきだろう。いや、それ以前に、教育行政の隠蔽体質を徹底的に見直し、生徒や教職員が自分たちの意見形成に必要な情報を必要な時に手に入れられ、私たちがまっとうな意見を持てるような、開かれた教育行政の環境をまず整備していただきたい。

 …子ども・若者の意識面の数値目標は今後5年間での達成を目指す。「こどもまんなか社会に向かっている」と思う人の割合70%(2023年15・7%)▽自己肯定感が高い子ども・若者の割合70%(22年60・0%)▽「子ども政策に関して自分の意見が聞いてもらえている」と思う子ども・若者の割合70%(23年20・3%)――など12項目を盛り込んだ…などと記事にある。

 まさに非現実的で圧倒的に「異次元」の数値目標であり、よく、お役所としてこれだけのホラが吹けるものだと呆れるほかない。「こどもまんなか社会」とか世間的に聞こえの良い言葉だけが飛び交うウソ臭さ…それにしても行政に携わる者としての責任感の欠片すら感じることの出来ないほど、見事に現実離れした数値目標の設定である。日本の学校教育が直面している絶望的なまでの悲惨な現状において、一体、何の根拠とどんな勝算があってこれだけ壮大な妄想花火をかくも堂々と打ち上げられるのか、現場にいる人間としてはいよいよ頭を抱えるしかないだろう。

 この数値目標達成に向けていずれ各教育委員会ではデータの捏造に励み、おそらく5年後、子ども家庭庁はその結果を鵜呑みにして各数値が多少は改善したことを誇らしげに報告することになるのだろう。

 そもそもこんなことで自己肯定感が爆上がりするのは一握りの政治家と官僚だけである。そしてその裏側で生徒や教師たちの絶望感だけが募っていくのは火を見るよりも明らかである。

 この政府が日本の子供や青年たちの自己肯定感の低さが何によって生じているのか根本的に理解できていないのは今や明白である。まったく理解できていないからこその、一時の目くらましに過ぎない打ち上げ花火としての、あまりに浮世離れした数値目標の公表なのだ。この誇大な数値目標がまともに達成できると思う学校関係者はおそらく一人もいないだろう。

 この政権の繰り出す誇大広告に振り回されるのはもうコリゴリである。

  ※参考動画

   ◎自己肯定感の回復、伸ばす方法 #早稲田メンタルクリニック #精神科医 #益田裕介 Recovery

   of self-esteem 2022/06/06 11:05

  精神医療の立場からの見解は自己肯定感を高める上で大いに参考となるだろう。そして当然のこと

  ながら自己肯定感を高めることは簡単ではない。児童生徒たちが自らの力で学校文化が押し付けて

  くる偏った価値観に巻き込まれずに一定の距離感を保つことはかなり難しいし、それは教師にとっ

  てもまた至難の業である。

   つまり精神医療の立場から見ても、政府が示した数値目標のように自己肯定感を一気に高められ

  ることなぞ夢のまた夢。

 ◎【自己肯定感の育て方】スタンフォード式 親子でできるメンタルトレーニング/危険な自己肯定

  感・求めるべき自己肯定感/最新の脳科学・心理学200以上の研究論文に裏打ちされた子育てメソ

  ッド PIVOT 公式チャンネル  2023/10/31  30:41

  成功体験よりも失敗体験を豊富に経験させることが自己肯定感を高める上で重要という指摘に注目

  したい。ネガティブな感情や失敗を回避することに強く拘泥してきた日本の学校教育の在り方は根

  本から見直す必要があるだろう。ネガティブな感情や失敗としっかり向き合うことからしか、自己

  受容は成立しない…とすれば子供たちの自己受容力と自己肯定感を高めようとする子ども家庭庁の

  目標を達成するには大幅な教育内容と教育方法の見直しは不可欠であり、教師側には教育方法や教

  育観のアップデートが不可欠となる。

   はたして文科省がそれらを実行する能力と予算を持っているのか…疑問は尽きない。

   ◎【第七回目のゲスト】子供たちに自由を提供すべく学校じゃない学校を絶賛構築中のしいさん 

  観るラジオLook@The Radio  2023/11/29 37:33

  義務教育の段階ではどうしても教育の公正、平等性を無視できない。したがって学習内容の自由度

  を多少、犠牲にする側面が出てしまうのは不可避である。とりわけ公教育ではどうしても自由度の

  制限が大きくなってしまう傾向にある。このためただ単に「自由が大切」と言われても日本の場

  合、国民的合意はなかなか得られないだろう。

   しかしそうではあっても教育方法の観点から見ればもう少し、自由度と多様性の幅を広げた方が

  良いのでは…という意見は既にかなりメジャーなものになってきているのではあるまいか。タブレ

  ット等がもっと普及し、ソフト面での進化が実現すれば集団主義的一斉指導の割合が減少し、個別

  最適化した学習がどの学校でも徐々に可能となってくるはずである。

   ただこうしたこと以上に本質的で重要なのは児童生徒の学習における自己決定権、学習主権の尊

  重を通じての子供たちの自己肯定感、自己受容力を向上させることの方ではあるまいか。もちろ

  ん、それは児童生徒に学習方法や学習内容の選択を完全に丸投げして学習内容や到達度に過度な偏

  りが生じてしまうことを良しとするわけでは決してない。当然、AIなどの監視を通じて極端な偏

  りの是正を児童生徒に促す技術は必要不可欠だろう。また学習の個別化だけではなく、グループの

  中で学習の成果を発表したり、一人一人の意見の表明、議論を通じて学習の協働性を実現する必要

  もある。

   大切なのはこれまでの日本の学校教育が子供たちから学習における主体性を必要以上に奪い、学

  習過程全体を大人たちの強い管理下に置こうという、あまりにも過度な全体主義的統制が牢固に存

  続してきた点をしっかりと反省することであろう。そうした傾向が古臭い一斉講義形式をいつまで

  も残存させ、「落ちこぼれ」や「吹きこぼれ」問題に加えて子どもたちの自己肯定感や幸福感の低

  下など、様々な負の側面を生じさせているのではあるまいか。

   こうした日本の学校教育を改革していくためには大学での教員養成教育の徹底的な見直しが急が

  れよう。教員養成教育の講義自体が古臭い一斉講義形式ばかりであって良いはずがない。少人数に

  よるゼミ形式で様々な試験的授業実践を幾度も繰り返す…かなりの時間と労力を要する新しいプロ

  グラムが教員養成では沢山、必要となるはずだ。大学院まで進学しなければ教員免許を与えない北

  欧の厳しい教員養成制度はそれなりの理にかなっていると考えたい。

   残念ながら現在の日本の教師たちが置かれた貧弱で過酷な職場環境の下では一斉講義形式の省エ

  ネ効果が持つ強烈な呪縛から自力で抜け出すのはほぼ不可能だろう。そこから抜け出すにはどうし

  ても相当の修練と経験、すなわち膨大な時間と労力とが必要となる。体罰や暴言の根絶が難しいの

  と同様に、お粗末な官製研修ですぐさま改善できると思うのは大間違いである。

   高校においてならばタブレット利用や討論形式の授業を少しずつ導入することで一斉講義形式の

  弊害を減らしていくことはある程度可能だろうが、義務教育段階ではそれすら難しいに違いない。

  そもそも教師自身の授業観が時間をかけてしっかりとアップデートされない限り、効果的な学習の

  個別化と協働化を同時に進めることはほぼ不可能に思えるからだ。

   子ども家庭庁の打ち出した安易な数値目標のいい加減さに今後、文科省が一方的に振り回される

  ようでは、いよいよ日本の学校教育は詰むに違いない。