その7.揺らぐデータの信頼性

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考動画

【内申書】受験合否の命運を握る?先生のご機嫌取りが大事?ゴマすり生徒評価?

 誤解されてるだけ?元教師と考える アベプラ【公式】 2023/12/01  16:06

 いわゆる内申書(調査書)の入試での評価のあり方は各学校の状況に応じて変わるべきであろう。教育困難校では出欠席数や部活動の実績を重視する高校が多い。しかし不登校の受け入れを積極的に進める三部制の定時制高校では出欠席数をほとんど合否に関わる評価の対象にはしていないだろう。また進学校では学力重視の観点から多くの場合、内申点の合否判定に占める割合を最低限のレベルにとどめているに違いない(入試に関しては都道府県ごとに厳格な規定があり、各高校ではどの程度の範囲で内申点を評価するのかの規定に沿う必要がある)。

   中学生たちを学力だけでなく総合的に評価すべきだとの観点(この観点自体は正しいように見えるが)から内申書は得点化されるなどして入試の合否判定に用いられているのだが、どうやっても教師の主観性は排除できないだろう。そもそも今の教師たちに個々の生徒を総合的に評価できるほどの力と時間的余裕などあるはずはない。内申書への過剰な期待は極めて危険だと思うがいかがだろう。

 すぎやま氏が指摘するように今や内申書は生徒や保護者に公開する文書であり、とっくの昔に生徒たちを脅すための道具ではなくなっている。少なくともカッパは30年以上、中学校からの内申書に生徒の悪行を指摘するものを一度も見たことが無い。子どもたちにたとえ素行面での問題があったとしてもそのことは一切、記入してはならない…という記入上のルールがあるから当然である。しかしそのことが世間に周知されていないという現状は世間にあらぬ誤解を蔓延させてしまう点でも非常に残念。

 とはいえこの残念な事態が生じている背景に相変わらず牢固な隠蔽体質をまとっている学校教育の在り方が隠れているとカッパは考える。すなわち世間における内申書への誤解は学校側が自ら作り出している側面があるのではないか。実際は生徒のマイナス面を表記できないのに、その点を敢えてボカしておいて内申書を生徒たちの統治にわずかでも利用しようとする老害教師たちの姑息さがこの事態の裏側に見え隠れしているように感じるのは私だけであろうか。

【徹底的】幼児期・幼少期の習い事や教育は本当に将来に影響を与えるのだろう

   か?成田悠輔が自身の幼少期を振り返る!! 成田悠輔の教育論

   半熟仮想株式会社 2023/11/12  12:56

 4:40までの成田氏の発言に注目したい。学校よりも教師が児童生徒の生涯に与える影響は意外なほどに大きい、という。様々なデータがデジタル化されて大量に収集できれば教師の個性と児童・生徒の個性とを個別最適化するマッチングが可能となるのでは…という指摘は彼の「無意識民主主義」の発想にもつながるだろう。いずれにせよ、長時間、長期にわたる大量の生体反応を含めた客観的なデータが必要(アップルウオッチの装着を義務化する…)となってくる。個性化教育、個別最適化教育が目指す方向性が見えてきそうな話である。

   しかし現実は成田氏の予想の遥か手前で迷走を続けており、あまりにも信頼できるデータが少なすぎる、という悲しい教育行政の在り方が教育のDX化の前に立ちはだかっている。さらには児童生徒に対して教師の与える長期的な影響力の大きさを考慮するならば、大学での教員養成教育がこのままで良いのか、厳しく問い直されなければなるまい。

「GINZA CROSSING Talk ~時代の開拓者たち~」 ゲスト:成田悠輔さん【前編】 

 2022年9月1日 2022/09/05 日経CNBC 19:04

「社会性のない子どもを育てたい」データ×教育の専門家、成田悠輔の子育て論

 新R25チャンネル 2022/04/02 28:32

 学校などから押し付けられた価値観から自分や児童生徒たちを解放するために教師として何ができるのか、学校で下手な社会性を育てることの危険性を教師は理解できているのか…極めて難易度は高い。 

【教員不足】財務省と文科省がバトル?少子化なのに足りない?先生のお仕事の境

   界線は?財政審メンバーと考える アベプラ【公式】 2023/10/18  15:55

   教師の数と予算を増やすよりも教師の仕事量を減らすことと待遇の改善を優先しないと現実的な改善は進まないだろう。しかし肝心の文科省からは学校の仕事量をどれだけ減らすのかに関して部活動の地域移行程度の知恵しかおそらくは出てこない。なぜならば彼らは現場の学校の実際を知る努力を一貫してサボってきたからだ。

 もっと教師たちに寄り添って教育行政を行ってきたならば、こんな悲惨な現状であるわけがない。

 確かに部活動問題は決して小さな問題ではなく、教員の働き方改革の大きな目玉ではあるが、これだけでいいはずはない。ブラック職場だから…だけで教職の魅力が薄れ、教員不足を招いているのではない。もしそう考えているならばよほど現場を知らない素人集団である。

 画一的、管理主義的教育行政の在り方や文科省官僚の登用の在り方も今、大きく問われていると感じているがいかがか。おそらく文科省は決定的にその自覚に欠けている。深刻な教員不足を招いた自らの責任を感じることの出来ない文科省ではこれまでの教育行政の在り方を根底から見直すことは出来ないだろう。

 となれば文科省がどれほど予算を増やそうとも結果的には官僚たちや政治家たちが出世したり手柄を立てるために、またぞろ教育改革の名のもとに余分な仕事を増やしてしまうのではあるまいか。そして教員の負担軽減にはまったくつながらずに予算を無駄遣いしてしまうのではあるまいか。

 過去の20数年にわたる「教育改革」の流れに対する根強い不信感は現場の教員の間だけではなく、財務省においても決して小さくはあるまい。自らの反省を抜きにして世間の教師不足を心配する声に便乗し、「ふわっと」予算の増額を求める文科省の厚顔さ、図々しさには呆れてものが言えない。

 今後は文教族議員の多数に落選してもらうと同時に、教育行政の在り方と文科省自体を徹底的に改革すべきではないのか。特に文科省にはこれまで長らく学校現場ばかりに「改革」を押し付けてきた罪を、自ら痛みを伴う自己改革をもってぜひともしっかりと贖っていただきたい。

 とは言え自己責任を自覚できない組織に期待することなど何もないのだが、あえて期待するとすればできるだけ組織として早く自壊していただく事ぐらいか。戦後、焼け野原になったからこそ新生日本が立ち上がってこられたとすれば、当時、解体された内務省と同様、文科省もいったん解体されたほうが良かったのだろう。すなわち今頃になって、ではあるが、完全な「焼け野原」になっていただく。でないといつまでたっても日本の教育は前に進めない…

参考記事

教員の働き方改革は現場との乖離が鮮明に 多忙が「やりがい」を削ぐ構図

 報知新聞社 2026.4.10

 文科省の働き方改革は掛け声ばかりで7割ほどの教員が負担の減少を実感できていない、という調査結果が出ている。さもあらん。ただし、残念ながらこの記事はデータとしての利用価値がかなり低いように見受けられる。

     …業務の中でも時間を圧迫しているのは「授業準備」(42.2%)、「成績処理」(33.7%)、「学校行事の準備・運営」(31.9%)と、本来業務と事務作業の双方が重なっている…

     この結果に首をかしげる教員は決して少なくあるまい。高校では部活動こそが時間を圧迫する最大の元凶であるはず。しかし調査結果では「授業準備」がトップに来てしまっている。私たちの実感としては本来できるだけ多く確保しなければならない「授業準備」の時間がほとんど部活動に取られてしまうことこそ、最大のストレスであったはず。この調査結果、どこか不自然であり、奇妙というほかない。

     おそらくこの調査で調べられているのは教員が学校にいる間、すなわち勤務時間内において多くの時間を殺いでしまう職務の種類を問うているだけなのかもしれない。休日や勤務時間外におよぶ部活動の指導時間は完全に調査対象外ということか。仮にそうであるとするならば、この調査結果、教師の過重労働の実態を十分に分析することができず、記事としてほぼほぼ無意味である。

 残業時間の調査結果も怪しい。現今、問題となっているのは教師の自宅への持ち帰り業務の増大である。学校の勤務時間を厳守させて教師たちを定刻で無慈悲にも学校から追い払うことが「働き方改革」の最大のテーマなのであり、学校業務の削減ではない。そちらはほとんど手付かず。その結果、表面的には学校のブラック化に歯止めがかかったように見えるが、実際には残業の持ち帰りの増大によって教師の家庭が一層ブラック化したに過ぎない。ブラック化のみならず、光熱費の負担までもが、教師の家族に転嫁されているのだ。お陰様で教師の家庭は憩いの場から殺伐とした残業の仕事場と化し、家族から団らんと行楽の機会を奪い続けている。

 しかし校長らは残業時間と学校の光熱費の大幅な削減を自分の手柄のように誇り、県にその成果を報告している。県教委も自分の手柄のようにして文科省に報告する。文科省も全国からの報告を受けてあたかも自らの手柄のように学校での働き方改革の進展ぶりを自慢する。しかしそれは姑息なただの欺瞞に過ぎず、教師側からすればむしろ「改悪」そのものなのだ。

     文科省や教育委員会でも、持ち帰り残業の時間はほとんど残業時間として計上されていないおそれがある。この記事で紹介された調査はその欺瞞性を実証する上で役立つものかと思いきや、どうやら完全に期待外れのようだ。結局、マスコミもまた文科省同様、学校現場から乖離した認識しか持てていないことがこれで分かるだろう。

 実際に質問の内容の詳細を知ることができないので、こちらで勝手に憶測するほかないのだが、何はともあれ、このような学校の実態から遊離した、焦点のまったく合わない、ピンボケ過ぎる記事を平気で公にできるマスコミの堕落ぶりにはただただ閉口するしかない…いかがか。

公立教員の残業時間が前年より改善 2024年度調査 文科省「『働き方が大変そう』と

    いうイメージ払拭したい」ただし「持ち帰り業務」の時間は含まれず

    TBS NEWS DIG_Microsoft 2026.3.9

中学教諭、残業上限超え39% 小学校は22%、24年度調査    共同通信 2026.3.9

    残業時間を減らすために校長らが今、行っているのは、本来、取り組むべき教員の業務削減などではなく、ただ上辺だけ時短のデータを示すために教師を定時に学校から追い出す事に過ぎない。したがって多くの教師は残った仕事を自宅に持ち帰り、実態としてはサービス残業を自宅で続けている。「働き方が大変そう」というのは文科省からするとただの世間的イメージ=誤解に過ぎず、それはあくまでも錯覚だと言いたいようだが、明らかにとんでもない欺瞞、詐欺行為そのものなのだ。

    文科省が公表するデータに騙されてはいけない。現在、学校で進行しているのは自宅でのサービス残業の増大による学校という場での残業時間の削減と、公費で賄うべき光熱費などの家計への転嫁に過ぎない。むしろ教師たちの業務負担量は減らされずに据え置かれる一方で、教師側の経済的負担は増えているのが実情なのだ。

小中高生の自殺者532人で最多2025年全国は初めて2万人下回り最少に  リスク高

     い子どもの発見にAI活用検討 こども家庭庁     FNNプライムオンライン 2026.1.29

 統計的には自殺者数ではなく、自殺率(1万人当たり何人…)を記事にすべきではないか。対した手間はかかるまい。若年層の自殺問題は、極端な少子化の中で自殺者数が増えている点にある。その酷さの程度、年次変化を知るには自殺率(男女別の自殺率も出してほしい)の年次比較(40年間程度の折れ線グラフで)が最も役立つだろう。ただでさえ厚労省、子ども家庭庁、文科省のデータは当てにならないのだ。せめてマスコミならば自殺率を算出する程度の手間くらいかけてから記事にすべきだと思うが、いかがか。

不登校35万人時代「学校行きたくない」親のNG対応

     東洋経済オンライン こど看 2026.1.29

 子どもが行きたくなくなる学校とは一体どんな学校なのか、に関してもっと議論すべきだろう。自殺者に加えて不登校も過去最多の日本…もはや公教育の行き詰まりは明らかではないか。

日本の子供は計算力が高いが「好き・自信」は中学で急落、スプリックス教育財団

 調べ こどもとIT 高橋正和 2025.12.5

 「中学に進む過程で、計算に対する前向きな意識が急速に失われ、否定的・中間的な意識へと大きく分散していく」とのことだが、どう見ても調査対象の児童、生徒数が少な過ぎるだろう。そもそも調査対象の小学校4年生は算数の力の格差が大きく拡大する時期にあたり、仮に調査対象の間に算数の学力の偏りが多少ともあったとすれば、他国や中学2年生との比較はかなり乱暴である。

     数的データを示して比較する調査は、なまじ客観性を帯びてしまい、調査分析にそれなりの説得力が出てしまいがちとなる。あらぬ誤解を生じさせないためにも、調査対象の集団的偏りを徹底的に排除し、それなりの数的規模を確保して実施する必要があるはずだ。

文科省調査の「不登校41万人」は氷山の一角に過ぎない?「登校したけど教室に入

 れない」「学校になじめない」不登校傾向・予備軍も合わせるとその何倍にもなると

 いう現実 集英社オンライン 2025.8.1

 今さら繰り返すまでもなく、文科省の調査データのほとんどは信用できないものである。とりわけ不登校関係の調査データは無意味。不登校の多い定時制を経験し、この手の文科省や県教委からのアンケートに幾度も応えてきた個人的な体験から見てもこれは疑うべくもない事実である。

 管理職側から不登校の原因について暗に学校側の要因を選ばぬよう、生徒指導部長を通しての間接的な誘導があっただけではない。そもそも不登校の原因を答える際の選択肢が、公教育側の持つ本質的な原因をはぐらかし、学校側よりも個人の資質(怠惰等)や家庭側の要因を選ぶように出来ている。

 調査は大抵、成績処理やイジメ調査の時期と重なり、繁忙を極めているタイミングである。本来、一人一人、念入りに時間をかけて調べなければ分からないはずの不登校の原因を、こんなタイミングで、しかも通り一遍の安易な手抜きの質問紙調査で調べようとするのがそもそも許せない。学校現場の人間は多くがこの手の調査に応えること自体、苦痛そのものになっている。それほどに学校はブラック化している。そのことへの認識が決定的に欠けている文科省にはどんな施策に対しても、もはや反発しか覚えないのだ。

学習指導要領の内容量、小中「外国語」などで教員負担感   リシード 2025.4.3

 教育にはどうしても「べき」論が横行しがちである。しかし教師と児童生徒の双方の実態をしっかりと踏まえない限り、老害政治家たちの「べき」論は学校のブラック化をひたすら推し進める要因となりがちなのではあるまいか。

 したがってこの手の調査を行うに当たっては、調査対象を教師だけに限定するのではなく、学ぶ側の児童生徒にも負担感や難易度を問うべきだと考えるが、いかがか。もちろん、小学校低学年の質問紙調査は回答の信頼性、妥当性に難があるので調査不要だが、高学年以上ならばぜひ調査しておきたい。学習指導要領の見直しは、本来ならこの二つの調査結果を突き合わせて学習の量だけではなく、その質、難易度をもしっかりと検討すべきであろう。

文科省不登校調査、自治体6割「課題あり」 全国教育長協議会が提言 

 毎日新聞 2025.3.27

 手抜きの現場任せの調査結果が信用できないのは当然の報いだろう。予算が足りないためにきちんとした調査が出来ないのであるならば、文科省は潔くそのように世間へ公表すべきである。あてにならない調査結果を基にして教育政策を進めるのは国民に対する欺瞞であり、犯罪そのものでさえある。

校長が休日出勤の記録を削除 1年半で45回、栃木の小学校  共同通信 2025.2.25

 こういう事は栃木県に限らず、全国各地の公立学校では日常茶飯事と捉えるべきではないか。文科省が上辺だけ一律に「働き方改革」を標榜して残業時間の削減を強引かつ機械的に進めようとすれば、現状では学校現場の誰かが嘘をつくほかあるまい。仕事量が大幅に削減されてもいない段階で無理やり残業時間を減らそうとすれば、こういうゴマカシが学校の日常風景となるに決まっている。管理職としてはこっそりと数字合わせ、帳尻合わせでごまかす他に手は無いだろう。

   そもそも文科省の通達を真に受けて本気で学校の仕事量を減らすことなど、教育委員会や管理職の多くは考えていない。彼ら自体が今までいかにして配下の教師たちを限界近くまで働かさせられるのか、それこそが管理職としての力量の見せ所であり、出世のカギを握ってきた重要ポイントのはず。そんな仕来りに慣れきっている人々が学校の仕事削減に本気で取り組むことを期待する方こそ、どうにかしているのだ。

「先生はいませんが、不足はしていません」どういうこと?日本の「教員不足」の

 カラクリ ダイヤモンド・オンライン 佐久間亜紀  2025.2.24

 教員の定数をどのような基準で決めているのかを巡る佐久間氏の指摘にも文科省の悪しき官僚主義が伺えるだろう。文科省では学校現場で実働している本当の教員数ではなく、教員名簿に記載された表面的な教員数を基準に学校に配置されている教員の過不足を判断しているのだ。

 これまでも繰り返し指摘してきたが、文科省には学校現場の実情を捉えようとする意欲がまったく見られない。実態を本当に反映しているのかどうかが極めて怪しい、管理職や教育委員会を経由したデータ、報告にばかり依拠して文科省は教育の施策を判断している。しかし、最近、注目されているテレビドラマ「御上先生」のように、学校現場へ教員として派遣される文科省の官僚が多数派にならないと、ブラックボックス化した学校の実態を文科省が捉えることは極めて難しいのだ。

不登校実態調査、34万人超の現状明らかに リセマム 2025.1.14

 一言でいえば「何を今さら」というに尽きる。

 不登校の問題が「登校拒否」という言葉で初めて社会問題として浮上してきてから一体、何年の歳月が費やされてきたのだろう。おそらく既に50年近くが経っているはずだ。この間、政府、ことに文科省はその実態把握のためにどんな工夫と努力を重ねてきたのか…実に怪しい限りである。各教育委員会や学校からのいい加減でゴマカシだらけの報告に全面的に依拠した、手抜きの実態把握がどれほど不正確で歪められた判断を教育行政にもたらしてきたことか。

 文科省によるいい加減な調査とそれに基づくいい加減な認識、いい加減な教育行政こそが不登校問題をここまでこじらせ、問題解明を遅らせてきた張本人ではなかったのか。多くの児童生徒、その家族、担任教師らの苦悩が文科省の怠惰と「無知無明」の闇の中で、半世紀もの間、ひたすら放置されてきた。その重大な責任はなお、一切、問われることが無いのだから、教育行政の責任官庁とは実にお気楽なものだ。そしてその責任の重大さを繰り返し、執拗に追及してこなかったマスメディアの責任もまた、決して小さくはあるまい。 

「本当のことを書いたのに…」生徒・教師らが明かす「合格体験記」のリアルな内

 幕 検閲の実態、明らかな盛り、役立つ用法 マネーポストWEB  2024.3.27

 進路指導部に長くいたので身につまされる話である。合格体験記を指導する側としては「苦労した」「努力した」「工夫した」といった要素がどうしても欲しくなる。当然、話はドラマチックなほど面白くなるから内容にある程度「盛る」傾向が出てしまいがちなのも否めない。

 また学校側に都合の悪い記述はカットするか、表現を控えめにすることは決して少なくあるまい。それら原稿の修正、改ざんは「教育」のためという理由で正当化されがちなのが学校という「魔界」なのだ。この「魔界」は自分たちにとって不都合な現実を世間から隠蔽し、現状認識を歪ませてしまうベクトルを持っていて、その場にいる人間はすべからく学校についてかなり歪んだ認識を抱えたまま、自らが行った改ざんや隠蔽に一片の疑問すら持たず、職務に専念していると思ってほぼ間違いない。

 といったような具合もあって、学校で本当は何が起きているのか、内部にいる者ほど冷静客観的に語ることが難しいがために、ここ最近、学校に関わる数々の事件、不祥事が学校の外部から続々と露見してきているのだと思うが、いかがだろう。

なぜ人々は数字に騙されるのか…「統計・データ」を扱う時に見落としがちな「単

 純だが重大なポイント」 現代ビジネス 飯田 一史  2024.2.19

   グラフなどの数量データをもとに考える際、前提となる知識が比較的、要領よく整理されており、あらかじめ押さえておきたい記事。授業ではデータを見るたびに繰り返しこれらの見落としがちなポイントを思い出す必要があるだろう。政府やマスコミを通じて出てくる統計、グラフに潜む巧妙な誤魔化し、誘導、解釈の歪み…要注意である。

いじめ被害」など…教師と子どもの間で認識に差 不登校について文科省が委託調査

 日テレNEWS NNN  2024.3.25

文科省、不登校調査の項目見直し 学校と児童生徒の認識にずれ

   毎日新聞  2024.3.26

いじめ把握できなければ「児童の無気力」? 不登校調査を見直す理由

   毎日新聞  2024.4.29

 現状とズレまくっている教師側の認識を土台とした文科省の調査がいかに実態とかけ離れたいい加減なものだったかを物語る記事。こんなことは委託調査をするまでもなく、学校現場にいる者からすればとっくの昔から明白なことであった。この結果は文科省が学校現場の実情を知る努力をまったくしてこなかった証拠である。したがって文科省は自らの怠慢と不明をまず恥じるべきであり、決して学校側の不誠実さ、認識の甘さを云々する資格などないのだ。

不登校のきっかけ1位「先生との関係」保護者の約9割悩む リセマム 2023.11.20

 「不登校のきっかけに関する保護者回答の1位は先生との関係(先生とあわなかった、先生が怖かったなど)が最多で261人(33.5%)。文部科学省発表の2022年度(令和4年度) 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果では、教員回答1位は(子供自身の)無気力・不安となっており、両者にギャップがあることがわかった。2位は学校システムの問題(価値観が古い、時代にあわない、風土にあわないなど)で、204人(26.2%)であった。」という。

 そして「行政に望む支援1位はフリースクールなど学校以外の場が無料や利用料減免75.4%(439人)、2位はフリースクールなど学校以外の場に通った場合の家庭への金銭的支援74.2%(432人)」となり、学校が変わってほしい72.3%(421人)、学校教員への研修72.2%(420人)と続いた。」という。

 きわめて常識的な回答であり、文科省の調査結果の方がはるかに常識はずれで信用ならない。当然、不登校児童生徒の保護者、というバイアスがかかるのでこちらの結果も鵜呑みにはできないが、それでも文科省のものよりははるかに実態に近い、というのが大方の印象であろう。

 要は絶望的なまでに文科省の実態把握のピントがズレまくっているということであり、この役所にまともな期待を抱いてはいけないという苦い教訓が残るだけである。

いじめは大きく増えていない!いじめ研究の第一人者が語る文科省データの実態 

   JBpress 長野 光   2023.11.8

 文科省などの調査結果があてにならない原因がよく分かる。

こども家庭庁が「子ども・若者4000人が参画」とPRの看板政策、実際は最大

 533人にとどまる…政府関係者「かけ離れている」 読売新聞   2023.11.6

   ただでさえ信用されていない文科省から出される統計に加えてこども家庭庁までがこんな詐欺まがいの宣伝をしている。この政府、やはり嘘つきだらけなのでは…

「事前対策ダメ」も4割実行 学力調査3教科1位の石川、県教組調査

 朝日新聞社  2023.11.7

 基本的には文科省の指導に従わないことが多くの教師たちにとって圧倒的にお得となっている。すなわち学校現場や教育委員会としては今や「面従腹背」こそ、かしこく生き延びる方途であろう。そして真面目な勤労意欲を失いつつある教育現場における驚くべき手抜きの実態とある種の「無法状態」がイジメ等の事件の隠蔽や記録の改ざん、入試の採点ミス、体罰や暴言の横行等にもつながっているのだろう。

 事の発端はひたすら教育現場に山のような仕事を押し付け、教員免許更新制度のような「無法」「非道」を長年許してきた文科省側にあるのはもはや明白。全国学力テストの結果など、とっくの昔に現場の人間は信じていないし、石川県などの上位グループ以外は気にもしていないはず。こんないい加減なデータをもとにして教育行政が動かされることは決してあってはならないのだ。かつての沖縄県を見ればそんなことは一目瞭然である。

 ウソだらけの県教委の報告を真に受ける方がどうにかしているのだ。

尾木ママに聞くいじめ問題「認知件数は氷山の一角、見落とされる重大事態」 

 JBpress 湯浅 大輝  2023.10.30

「不登校の原因はいじめ=0.2%」という文科省と学校を信用できないワケ

 JBpress 石井 志昂,湯浅 大輝  2023.8.18

 実際、調査の現場にいた人間からすれば、お役所によるこの手の調査結果は全くと言って良いほど信用できない。

不登校原因を文科省が調査したら「いじめ」わずか0.3%専門家が疑問 経験者が

   語った「静かに心を削られた」 東京新聞 2023.10.19

不登校児童の8割「前兆あった」原因はいじめが最多 リセマム 2023.9.21

 文科省のデータよりもこちらの方がはるかに信頼できる。

不登校に至る「重大いじめ」の大半が見過ごしの恐れ 学校と子どもでいじめ認知に

 乖離 テレ朝news  2023.10.18

 教師によるイジメ認知件数と児童生徒によるイジメ認知件数の両方とが比較可能となって初めて調査の意味が生まれてくるのであり、今の調査はまったく実態から遊離した片手落ちのもの。実態が十分に把握できていないのだから、本来ならば対策を立てようはずがないのに、なぜか毎度のことであるが文科省からその場しのぎの対症療法的対応が示される。そして学校現場はその対応に追われてしまうことで一層、混乱し、きめこまやかな対応も一層、困難となる。一体、いつまでこの悪循環を繰り返せば文科省は気が済むのだろう。これはもはや地獄というほかない。

“文科省 vs 財務省 教師不足めぐり真っ向対立 財政審委員「ふわっとした予算要求

 をして、後から国会議員が乗り込んでくることが他の役所より多い」 

 ABEMA TIMES によるストーリー 2023.10.18

 財務省と文科省の対立から見えてくるのは予算における数字の根拠を厳しく問う財務省と信頼性の低いデータばかり集めて過去の反省を一切せず、その結果「ふわっとした予算要求」しかできない文科省の無責任で非科学的な姿勢との違いであろうか。

 そもそも教育界にありがちな総花的な美辞麗句ばかり並べ、「~改革」という美名に隠れて耳障りの悪い「スクラップ」をサボり、聞こえの良い「ビルド」ばかり積み重ねてきたこれまでの教育政策のツケがここにきて一気に噴出してきているのだ。

 文科省はまともなデータを現場から得られないためもあってか、数多く打ち出してきた「~改革」のきちんとした見直しや反省をせずにひたすら「垂れ流し状態」にしてきた。無責任にも改革の大風呂敷を広げ過ぎて学校現場を混乱させ、極限まで教師たちを疲弊させてきたのだ。

 せっかく児童生徒数の減少や学校の統廃合の進展で本来は減るはずの教育業務の総量を、ろくでもない政府から請われるまま、徒に増やし続ける愚策を文科省は繰り返してきた。しかもそのことへのまともな反省を一切せずにきたのである。

 受けが良くない業務の「スクラップ」化政策は学校の統廃合や部活動の地域移行などに限られ、結果的に現場の仕事の総量を延々と増やし続けてきた日本の教育行政の罪は圧倒的に重いにもかかわらず、自分たちの責任を棚に上げて確かな根拠もなく予算と人員の増加を「ふわっと」財務省に要求してくる…この厚かましさは確かに誰にとっても受け入れがたいだろう。

 まず真っ先に文科省が取り組むべきは膨大に膨れ上がった学校の仕事量の大胆な削減であり、教師がしっかりと授業に専念できる体制作りである。運動部指導の地域移行だけではなく、高校などでは時間割の削減、教科科目数の削減をも大胆に進めることまで考える必要があるかもしれない。

 たとえば高校での体育や芸術を教科として廃止し、それらの教員も社会教育へ移管することで文化部も含めた部活動全体の地域社会への移行を進める…といった身を切るような政策はいかがか。もちろん小中学校では児童の実態からみてもこれらの教科の削減は明らかに不適切だが、高校ならばこれらの教科の削減はおそらく無理ではあるまい。しかも特定の生徒たちを社会教育においては今まで以上に長期的視野に立って育成指導することも可能となるだろう。これまで3年間の指導で結果を出すことを迫られてきた指導者にとって小学校、中学校、高校といった学校の枠を超えた長期的で一貫した指導が可能となればそれなりに精神的余裕も生じてきて暴言や体罰、シゴキなどは自ずと減少していく事だって期待できよう。

 そもそもが少子高齢化社会である。素朴に考えてみても学校教育の仕事は通学者数の減少に伴い、相対的に軽減されていくはずであり、「働き方改革」を通じてさらなる仕事量の削減に向かうはず。他方で増加するお年寄りの孤立や孤独死を避けるためにも高齢者を対象とすることの多かった社会教育の負うべき仕事量は今後も増大していく一方のはずである。ところが既に図書館や公民館などでは予算と人員の不足に直面している。今後の運営が成り立つのか、不安は大きくなるばかりだろう。

 ならば高校教師の一部を社会教育機関へ移し、公民館、図書館等の社会教育施設における将来的な人手不足の深刻化の解消に努めるべきだろう。もちろん学校の人手不足ばかりが今は派手目に表面化しているが、それだけに目を奪われてしまうと社会教育を含めた教育界全体でのバランスを崩しかねまい。

 体育と芸術の、教科としての削減を含む高校での教科再編が進めば高校の時間割は少なくとも一日5時限となり、一時限ほど長くなった放課後を生徒は社会教育の場で自分の好きな事に割り振れると同時に教師の時間的ゆとりも確保できるはずだ。地域によって見られるスポーツや芸術関係の指導者及び施設不足も高校の施設を放課後開放し、体育科や芸術科の教師を指導者に割り振ることでこれまでの不足分を相当程度カバーできるようになるだろう。

 部活指導に熱心だった教師は社会教育の場で他の業務に煩わされることなく自分の専門性をいかんなく発揮できるようになれる。それは何も体育や芸術の教師に限らなくてもよいだろう。授業やクラス担任が苦手な国語教師は図書館や公民館に移りやすくすればよい。同様に日本史の教師は私のように公民館で郷土史講座や歴史散策の会を主催すればよいのだ。

 加えてこのプランはおそらくそれほどの新規予算を必要としないと思われるが、いかがか。財政難が続く現在、検討してみるだけの価値は十分あると思うのだが…

 何はともあれ今の学校教育行政にまず求められているのは手を広げ過ぎた学校の仕事からの潔い撤退であると考えるがいかがだろう。

不登校のきっかけは「先生」3割、「合わない・怖い・体罰」など…保護者が休職

 転職する場合も 読売新聞   2023.10.11

 もちろん教師個人の問題もあるだろうが、教員養成教育や教員採用試験にも問題はあるだろう。また教師が置かれている環境の劣悪さも問われる。画一的で管理主義的な学校教育の在り方が問題の根本にあると私は考える、この調査結果を今までのように一方的な教師叩きに悪用することがあってはなるまい。

子どもの自殺411人で最多水準 「望ましい」はずの詳細調査は少数

 朝日新聞社  2023.10.4

 文科省調査の411人と警察庁調査の485人とでは74人もの差が生じている。厚生労働省の514人とでは何と103人もの開きがある。私たちは一体、どちらを信用してよいのだろうか。

 加えて「指導死」やイジメが原因の可能性がある中高生の自殺では責任官庁である文科省を中心に徹底した原因究明が必須であるはず。しかし全体のわずか4.6%、19件しか行われていないのはなぜだろう。

 やはり何もかもが地方や組織の末端に丸投げで、中央の上層部が本気で取り組もうとしていないからである。文科省以下、責任逃れに走る教育委員会や学校の無責任体質と隠蔽体質をここでも厳しく追求すべきだろう。

小中学生の自殺者「過去最多」の衝撃、現場で何が起きているのか…苦悩する専門

 家たち 弁護士ドットコムニュース   2023.10.15

  この記事でも文科省のデータへの信用性に疑義が出されている。もちろんお役所の調査の妥当性も疑われるのだが、判断材料のあやふやさが大きく残る限りはまともな対応が出来ないのは仕方あるまい。 

なぜ盛った?「児童相談所の成果」 自治体「今後も最高記録を出し続けるしか」 各

 地で数え方バラバラ 東京新聞 2023.10.4

 学校と同様に児童相談所も深刻な人手不足に直面している。相談件数を「盛る」ことで職員の増員配置と予算拡大を狙う意図は元教師として心情的にはよく分かる。自治体や相談所ごとにカウントする基準が異なる点は修正すべきであるが、学校と同様、深刻な人員や予算不足に直面している児相の置かれている厳しい状況を改善することが急がれるだろう。

 若者と子供、特に女性に無関心な男ばかりの老害政治家たちこそが日本社会の改善を阻む最大の抵抗勢力なのではあるまいか。

実は誰も知らない、虐待児童の実人数 調べなくていいの? こども政策担当相に聞いてみた 東京新聞 2023.10.7

 国が統一基準を示さないがためにまともな統計が得られない、というお粗末な実態は児童虐待にもみられるらしい。イジメ、不登校や自殺に関する統計もしかり。日本政治の死角がいかに大きく、それが若者や女性たちにとってどれほど致命的なものであるのか、今になって気付く。

参考動画

“Fラン大学と揶揄されるけれど掛け算割り算ができぬまま高校を卒業する学生が

 少なからず存在している怖い事実 集英社オンライン オピニオン 2023.7.29

 この記事にはビックリ。高校では一桁の足し算が出来ない、南極が熱帯だと勘違いしている、東と西の方角を指さすことが出来ない、日本地図を一つの円としてしか描けない、ひらがなが読めない…といった生徒が入学し、ほとんど特別な指導を受けずにほとんど何も分からないまま、出来ないまま卒業しているケースが少なくない。いわゆる「形式卒業」である。

 これは現場では周知の事実であり、「怖い事実」などではない。本来ならばマンツーマンの手厚い指導を必要とする生徒たちに対応するだけのゆとりと能力を今の教師に期待するのはそもそも間違いである。同様のことはもっと頻繁に小学校、中学校でも起きていて、実際にはどの学校段階でも「形式卒業」が繰り返されている。大学だけが例外であるわけがない、という当たり前の事実に過ぎない。

成田悠輔氏 日本人のデータリテラシー不足に嘆き「教育の失敗であり、社会の失

     敗」 東スポWEB 2022/11/17  

 日本の場合、学校や教育行政に限らず、様々な政策がDXの遅れや情報公開の大きな制約ゆえに実際には政策の有効性、成否をきちんと検証されることなく、時の政権の思惑に左右される形で、まさに「垂れ流し」状態のまま、次々と実行に移されてきたと考えられる。

参考記事

公立小・中学でのいじめ認知件数 自治体間で最大30倍の格差 毎日新聞 2023.6.21

 学校によってはイジメ認知件数がゼロのところもあったという。もちろん現実的に見て「ゼロ」はありえない数字である。といっても別に驚くことはあるまい。市町村によっては学校からの報告に虚偽が含まれるのは当たり前であり、むしろ普通のことではないのか。

 管理職が自らを不利にするような報告をわざわざお上にあげるわけがない、と思うのが教育界の常識。全国学力テストの結果がほぼほぼ信用できないのと同様に、学校の上っ面をフワッとなでる程度の安易な手法による報告や調査で学校現場の実態がつかめる、と思う方が今やあまりにも能天気なのだ。

 いや、もとより調査を命じた側も「やってます」感を演出するためだけに嫌々、調査を行なわせているに過ぎないはず。でなければ神戸市のようにイジメ事件の隠蔽が学校や教育委員会の中で執拗に繰り返されるはずがないのである。逆に文科省が各教育委員会や学校の牢固な隠蔽体質を知らぬわけがあるまい。所詮は「同じ穴のむじな」なのだ。この調査自体が国民を欺くだけの、ただの茶番だと思うべきだろう。

 しかし、こうしたアリバイ作りを主な目的とする虚しいだけの仕事だからといって決して侮ってはいけない。学校のブラック化はお上から送り付けてくる文書の山が生み出している側面があるからだ。

 教員不足が問題視される以前から指摘されていたのが、学校における管理職希望者の減少であった。

 実際、傍から見ていても教頭や教務主任の仕事量は異常なほど多く、多岐にわたってきている。管理職として必要とされる能力はもはや学校教育への深い理解や豊富な経験、授業の力などではなく、膨大な事務仕事を滞りなく表面的に無難でスマートにこなす事務処理能力の高さに特化してきているという印象が強い。

 形骸化した事務仕事の削減は文科省以下、すべての部署に共通した切実な願いとなっているはずだ。そしてこの願いが実現するためには予算と人員の増大が必要不可欠であることは言うまでもなく、しかも予算増の可能性は現政権下、限りなくゼロに近い。これに由来する先の見えない絶望感こそが現今、多くの教師の心身を追い詰めている最大の元凶なのではあるまいか。

「毎週100枚の書類が教育委員会から届く」藤原和博が見たベテラン教員を忙殺す

 る"いらない書類仕事"の実態 プレジデントオンライン 藤原 和博   2023.6.21

「学校の先生は不人気職業」は真っ赤な嘘…大企業並の退職金をもらえる"教員ブラン

 ド"を貶める"犯人"は誰か 2023年10月09日  PRESIDENT Online

 これほどトンチンカンな議論は見たこともない。日本の場合、教員ブランドなど元々存在しないどころか、あったとしてもとっくの昔に地に堕ちたブランドである。

 ことの本質は日本の学校教育における様々な面での深刻な行き詰まりであり、教員不足はそうした問題の表れの一つに過ぎない。ところがこの議論では教員不足の背景にある肝心の問題の多くをすり抜け、教員の働き方改革と学習指導要領や教職の魅力の見直し推進を問題解決のカギとするような誤魔化し、問題の表層化、歪曲化、すり替え、矮小化を行ってしまっている。

 こうしたその場しのぎの弥縫策では屋台骨まで腐ってしまった日本の学校教育をいたずらに延命させるだけで、かえってマイナスに働く危険性すら感じてしまう。

 不登校者数とイジメ認知件数、校内での暴力沙汰、児童生徒の自殺者数が増え続けている理由を、自らの落ち度とせずにもっぱら「コロナ禍」やSNSの普及などの影響に帰する文科省の論調には違和感を超えてもはや責任逃れの卑劣さしか感じられないのだが、皆さんはいかがだろう。

 もちろん学習指導要領の見直しは一見、大きな改革ポイントに見える。が、それだけでは既に些末に過ぎ、まったく不十分だと思えるほどに日本の学校教育の病状は深刻だと私は考える。北欧の教育と比べれば少なくとも半世紀あまり、日本は遅れてしまっているとさえ感じているのだ。したがって今すぐにでも教科書検定制や学校設置基準の見直しなど、教育基本法や学校教育法レベルの改革までもが必要不可欠となっていると考えるが、大袈裟だろうか。

 このような全面的な見直しは本来、それなりの時間と労力がかかるはずだが、残念ながらそうした大改革がもはや一刻の猶予をも許されなくなっているほどに日本の学校教育は現在、切迫しており、致命的な行き詰まりに直面しているのではあるまいか。そうであるならば強烈な痛みを伴う根本治療は今や不可避である、というのが日本の学校教育に対するカッパの見立てなのである。

 根本的に見直すべきは画一的、管理主義的な日本の学校教育全体の在り方であり、時代遅れで役立たずの教員養成教育であろう。もちろん、そうした中で最も急がれるべきは確かに教員の働き方改革であるが、それはあくまで数多くあるその場しのぎの小さな対症療法の一つでしかなく、根本的な解決には一切つながるまい。

 中核となっている奥深い病巣に手を付けないままであるならば、教員不足という一つの症状を改善できたとしてもいずれ別の症状が学校に出現するまでである。

 その場しのぎのモグラたたき、弥縫策を際限なく繰り返していても埒が明くまい。

 

 古色蒼然とした今の日本の学校の多くはもはや才能と意欲のある若者が心身の健康を保ちながら働けき続けられる職場ではない、と見切りをつけるべきなのである。きっとたまたま比較的恵まれた職場にいられた教師がきわめて狭い料簡で極めて限られた自分の知見をもとに教育制度全体を語るから、こんなトンチンカンな意見が出てきてしまうのだろう。

 これはとどのつまり、文科省の官僚が言い出した「教師のバトン」などとほとんど同じレベルの、表層的な観察に基づく極めて粗雑な意見に過ぎない。

 すなわちただの問題のすり替えであり、矮小化である。

 

日本の高1「学校の一員と感じる」トップ でも手放しで喜べないわけ 

  朝日新聞社  2023.12.5

   PISAの結果、日本の高校一年生が「学校の一員」と感じる割合が先進国でトップレベルであったようだ。文科省はこの結果は手放しでは喜べないとし、不登校者が調査に参加していない点を指摘している。昨年度は過去最高の不登校者数を記録している日本である。至極当然の分析と言えようが、私からすればむしろこの分析はあまりにも突っ込みが浅く、自分たちに甘すぎる認識だろう。

   そもそも私服を許さない制服社会は自ずと自分の所属する社会集団の一員たることへの自覚を強める効果がある。だからこそ欧米と比べて日本は制服を強制することが大好きなのであり、制服の無い学校は日本では極めて珍しい。日本の高校生が「学校の一員」と感じる割合が高いのは当たり前の結果であり、むしろそれを狙っての制服なのである。

 「学校の一員」たることの自覚はある程度まで「チーム…」としての組織力、団結力を高めることにつながる一方で、集団の空気を上手に読み、周囲との軋轢を避けるべく同調圧力を強め、精神的息苦しさを伴いがちになる。同質性が極めて高い日本の学校が作り出す、ガチガチなチームワークの強さ、硬さは他方で集団から異質性を排除し、同質性をメンバー全体に強く押し付けてくるのだ。

 メンバー内の個性、多様性をうまく許容できない、柔軟性を欠く、妙に結束力の強い集団は個性的、異質的要素を強く持つ生徒たちに集団から外れる事の恐怖、不安を強いてくるだろう。したがって日本の多くの学校では「チームの和を乱す」「空気を読めない」などとの理由でイジメがはびこり、同調を強いる窮屈な空気感に嫌気がさしてきた児童、生徒たちの間に不登校が蔓延してきたのではなかったか。

 PISAの調査が物語っているのはすでに幾度も指摘されてきた日本の学校教育の不毛なまでに強すぎる同調圧力がもたらす表層心理の一側面に過ぎない。こんな簡単なことすら分析できないくせに肩の上から偉そうに語る無反省な文科省の姿勢にはひたすら辟易するだけであり、教育行政を主導する資格など今の政府や文科省にあるわけがない。またこの程度のことすら指摘できない日本のマスコミに存在価値などあるわけがない、と思うのだが、皆さんはいかがだろう。

日本の学校ICT、探究学習への活用進まず 頻度「最下位」の項目も 

 朝日新聞社   2023.12.6

   これもまた浅薄な分析。これまでの長きにわたる文科省の指導によって日本の学校が学習内容の統制、画一化を毀損しかねない可能性をはらむ探究学習を伝統的に忌避し、部分的な導入にとどめてきた結果が今になってOECD加盟国最下位という惨状をもたらしたに過ぎないはず。日本の教育史を振り返れば分かることだ。

   画一的教育内容への異常なレベルでのこだわりと安価で手抜きの大規模学級を土台とする集団主義的一斉講義型の授業が多くの教育問題の元凶であることを認めようとしない文科省の頑迷さには最早愛想が尽きる。

   つまるところ「個別最適化」の学習を成立させるための人員と予算の不足を誤魔化し、教員の過重労働という犠牲の上に無理くり個別最適化を達成しようという、与党や文科省の虫の良過ぎる考え方が最大の元凶なのではあるまいか。

 ところが与党や文科省は従来のごとく、この結果を学校現場の能力や努力工夫の不足と見なして自らの責任を回避し、またぞろ無駄な教員研修を増やすことで教員に責任転嫁しつつ、結局は学校のブラック化を一層推し進めてしまうに違いない。

 そしてこれまたくどいようだが、この程度のことすら指摘できないマスコミなどただの「マスゴミ」であり、無用の長物に過ぎないのではないのか。

国際学力調査、日本は読解力3位に改善 数学・科学も高水準「世界トップレベル」 

 産経新聞 2023.12.5

   こちらもおなじみの自画自賛、日本万歳と言わんばかりの薄っぺらい報道でいかんなく日本のマスコミの「マスゴミ」っぷりを発揮している報道。

   そもそもPISAが国家レベルでの教育評価の基準として本当にふさわしい内容なのかは疑問が多い。日本の全国学力テストの結果が信用できないように、この結果も決して鵜呑みに出来るものではなかろう。

   近年、フィンランドがPISAの得点順位を落としてきているが、既にフィンランドでは自分たちの目指す教育の在り方とPISAの結果に決して小さくないズレがあるとの共通認識であるため、順位に一喜一憂するような軽薄な風潮はもはや国内に見られないという。

   かつて日本の児童生徒のPISAにおける得点は世界最高水準であり、国民の基礎学力の高さが日本経済の成長を支えてきたと言われていた。しかし21世紀に入って以降、日本は得点的に低迷し始め、「ゆとり教育」の問題点がやたらに喧伝されたことがあった。そして凋落していく日本のかわりにフィンランドなど北欧や香港、シンガポールなどの高得点が注目されるようになった。そして「ゆとり教育」の見直しが進んだ成果なのか、今、日本はPISAの順位が再び世界トップレベルとなってきている。

 ならばここ30年ほどの動きに関してPISAの結果は日本の場合、国家的規模の経済活動の動きと連関しているのだろうか。もしも正しく比例しているのであれば国家としても現在の結果は万々歳であるが、日本経済の状況は言うまでもなく、むしろ児童生徒の「学力」に反比例しているといった方が良い位の惨状であろう。

 ことは長期に及ぶ日本経済の低迷にとどまるまい。不登校やイジメの増加などを見ても、日本の児童生徒の「学力」向上は決して子供たちの自己評価を高めていないどころか、幸福感などは低くなる一方ではないか。児童生徒の学校離れと若者の教職離れが進むなかで日本の公教育はむしろ危険水域に陥りつつあるのが実情である。

 そもそもがPISAという一つの尺度に一喜一憂する方が間違っているのであり、多次元的な尺度から日本の公教育の現状を見直す必要があるのだ。この当たり前のことを踏まえることの出来ないマスコミなど、あまりにも軽薄過ぎてまったく存在するに値しない…戦時中、ウソだらの大本営発表をオウム返しに繰り返すだけだった当時の新聞やラジオ報道の域にまで後退しつつある日本のジャーナリズムの現状を皆さんはどうお考えだろう。

 もちろん大本営発表に等しい、怪しげな現状分析を性懲りもなく繰り返す政府や文科省の愚かさと危険性を国民が徹底的に糾弾すべきなのは言うまでもないのだが…

こども大綱案が判明 校則は「生徒の意見を」 自己肯定感数値目標も 

 毎日新聞   2023.12.12

 一体、どこのどなたが子どもや青年たちの自己肯定感をひたすら下げ続けてきたのか…またぞろ、末端にいる教師の責任を問うつもりなのだろうが、恥知らずにもほどがある。今や校則に生徒の意見を反映させるのは当然として、今後は教育行政にも生徒と教職員の意見をもっと反映させていくべきだろう。いや、それ以前に、教育行政の隠蔽体質を徹底的に見直し、生徒や教職員が自分たちの意見形成に必要な情報を必要な時に手に入れられ、私たちがまっとうな意見を持てるような、開かれた教育行政の環境をまず整備していただきたい。

 …子ども・若者の意識面の数値目標は今後5年間での達成を目指す。「こどもまんなか社会に向かっている」と思う人の割合70%(2023年15・7%)▽自己肯定感が高い子ども・若者の割合70%(22年60・0%)▽「子ども政策に関して自分の意見が聞いてもらえている」と思う子ども・若者の割合70%(23年20・3%)――など12項目を盛り込んだ…などと記事にある。

 まさに非現実的で圧倒的に「異次元」の数値目標であり、よく、お役所としてこれだけのホラが吹けるものだと呆れるほかない。「こどもまんなか社会」とか世間的に聞こえの良い言葉だけが空中を飛び交うウソ臭さ…それにしても行政に携わる者としての責任感の欠片すら感じることの出来ないほど、見事に現実離れした数値目標の設定である。日本の学校教育が直面している絶望的なまでの悲惨な現状において、一体、何の根拠とどんな勝算があってこれだけ壮大な妄想花火をかくも堂々と打ち上げられるのか、現場にいる人間としてはいよいよ頭を抱えるしかないだろう。

 この数値目標達成に向けていずれ各教育委員会ではデータの捏造に励み、おそらく5年後、子ども家庭庁はその結果を鵜呑みにして各数値が多少は改善したことを誇らしげに報告することになるのだろう。

 そもそもこんなことで自己肯定感が爆上がりするのは一握りの政治家と官僚だけである。そしてその裏側で生徒や教師たちの絶望感だけが募っていくのは火を見るよりも明らかである。

 この政府が日本の子供や青年たちの自己肯定感の低さが何によって生じているのか根本的に理解できていないのは今や明白である。まったく理解できていないからこその、一時の目くらましに過ぎない打ち上げ花火としての、あまりに浮世離れした数値目標の公表なのだ。この誇大な数値目標がまともに達成できると思う学校関係者はおそらく一人もいないだろう。

 この政権の繰り出す誇大広告に振り回されるのはもうコリゴリである。