67.松方財政と農村

松ヶ島永井家の資料より

松ヶ島地区の資料を所蔵する永井家(1960年代末)

 

 今回は市原市松ヶ島地区の旧家に残されている資料から松方財政期を中心とした農村の動きを、地主制の進展と徴兵制の実際の二つの観点に絞って概観していきます。

 

・地主制の進展

 まずは地主への田畑の集積具合を当時の地券(裏側)の記録から探ってみます。永井家は江戸時代から名主を歴任したこともある旧家で、幕末には質屋も営んでおり、土地や金銭の貸借関係の文書がわずかながら残されています。

 松方財政期の地券を見ることで土地所有の変化が分かり、1880年代、地主制の進展が見られたことが確認できます。ただし永井家は合計しても数㌶程度の田畑しか集積しておらず、他の地方と比べると地主としては零細と言えるでしょう。

 一方で漁業や水運で栄えてきた北青柳の小農は松方デフレの影響とイワシ漁の不振が加わり、小作農に転落するケースが目立ってきます。松ヶ島を含めて中には家屋敷まで手放すケースも散見されます。

 

  ※表はカッパが永井家所有の地券の記録から作成したもの。

 

 

・徴兵制の実際

 

 

・徴兵関係文書

 

 

松ヶ島から徴兵検査の行われる鶴舞までの「里程表」を提出させる念の入れよう。

 

 

 

・徴兵逃れの試み

 

 まず、高齢者の戸主宅に養子入り

 

 さらに上級学校への進学を試みる

 

 しかし東京外国語学校をやめてしまった荘三郎に官憲の追及の手が…言い訳に苦しむ兄の謙太郎、ついに神頼み、運頼み…

 

 

 

・息子信太郎の徴兵忌避の試み

 

それでも最後まで信太郎の徴兵忌避に全力を尽くす

 

兄として、父として徴兵に反発する謙太郎の動き

 

なぜか、この一枚だけ、新聞が残されている。残したのは謙太郎の意志が強く働いているはず。謙太郎の、永井家の資料を保管し、子孫へ伝えようとの思いは強かった。

 

 徴兵を巡って高まっていた謙太郎の厭戦気分が一気に変化したのは、当時の多くの日本人と同様、日清戦争、日露戦争の連勝による大国気分の高揚だったようだ。それを物語るのが以前にも紹介した日露戦争直に撮影されたと思われる一枚の写真。