66.上総国分寺(後編)
阿形像」(右)は13世紀末から14世紀前半
薬師堂(厨子とともに享保元年=1716完成。市指定文化財):寺伝によると僧快応が元禄年間、寺の荒廃ぶりに一念発起して薬師堂の建立を思い立ち、浄財を集めて完成させたという。平成の修理の際に「快応」の墨書発見。五井村の半三郎、総社の小三郎、有吉の伝三郎など大工の名も確認。
かつては塔の礎石周辺にこのような布目瓦の破片が沢山、落ちていた。
「将門塔」宝篋印塔(応安5年=1372)
もとは菊間の新皇塚古墳の墳丘上にあり言い伝えでは将門の墓とされていた。北朝の年号が使われている貴重なもの。市の指定文化財。
札所塔:天明3年(1783)「八十番」 馬頭観音道標:天明2年(1782)
現在は真言宗豊山派の寺院で新四国八十八か所の 「右国分寺道、左八幡の道」
「八十番」札所
角柱宝塔型宝篋印塔:明和5年(1768)
石工 八幡町瓜本権八