その7.学校問題アレコレ

千葉県の令和元年度学校基本調査結果より

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

教員の精神疾患による休職・病休は依然として多く、20代30代で増加:背景になに

 がある? 妹尾昌俊教育研究家、学校・行政向けアドバイザー

 YAHOO!ニュース JAPAN 2021/12/22(水) 15:00

 

 以下は千葉県の統計から読み取れることではあるが、日本全体の人口動態を踏まえれば他の多くの都道府県でも似たような問題を抱えていると思われる。

 これから指摘することは千葉県の学校現場におられる方ならば敢えて統計を示すまでもなく、周知されている事柄であろう。ただ現在の若手教員と学校現場が直面している困難をクッキリと浮かび上がらせるためにも、念のためデータを用いて概観してみよう。

 なお学校基本調査は3年おきに行われる全国調査なので直近のデータは令和元年度のものとなることを予めご理解いただきたい。

 

 

 2019年段階で千葉県の公立高等学校の教員は半数が50代以上という超高齢化に直面していることが分かる。また学校現場にとって最も深刻な問題点は学校運営の中核を担うべき40代の教員(緑色のゾーン)が急激に減少してしまっていること。平成19年度に比べると令和元年度は4分の1以下まで激減している。40代と言えば既にそれなりの経験を重ね、かつ体力、精神力もまだ十分に残っている、いわゆる「脂がのっている」世代に該当しよう。

 今、若手教員にとって頼りがいのあるリーダー的存在となるべき40代の急激な減少は千葉県の学校現場に様々な局面で深刻なダメージを与えつつあるのではないだろうか。本来は主に40代が務めるのが妥当な主任、指導主事を、まだ経験の浅い20代の若手教師に務めさせている学校は県内に数多く存在しているに違いない。

 高校ほど年齢間の極端なアンバランスは見られないものの、中学校でも40代の減少は現場の困難度を大きく高めてしまっているようである。

 

 

 このアンバランスさを性別の観点を加えて人口ピラミッド風に表したものが上のグラフである。左側が公立中学校、右側が公立高等学校の教員の性別(それぞれ左が男性、右が女性)及び年齢階層別教員数を示している。

 高校の場合には中学校以上に性別のアンバランス(女性教員の少なさ)が目立ち、それが比較的若い世代においても十分に解消されていない、という残念な現実が見てとれる。千葉県の高校教育界での大問題としてこの件も追加すべきだろう。

 男女共同参画社会の実現を目指してこれまで繰り返し上から目線で掛け声をかけてきた千葉県の、高校における無様な現状がこのグラフによって明らかとなっている。おそらく性別面での教員数のアンバランスは部活動指導の外部委託がさらなる前進を見ない限り、改善されることはないだろう。

 何はともあれ千葉県の場合、教員の年齢別、性別構成での大きな偏りによって生じている問題はとりわけ高校において顕著なのである。

 

 40代の教員が少ないという年齢構成の歪みは初任教員の指導にも甚大な影響を及ぼすだろう。面白くて分かりやすく、生徒達の印象に残る社会科の授業を創り出す事は極めて難しく、授業準備には相当の手間暇がかかる。当然、若手教師にとって先輩教師のアドバイスは大いに参考となるだろう。特に沢山の生徒達から絶大な支持を集めている熟練教師の授業内容や手法は見逃せまい。脂がのった40代教師の授業には参考とすべき要素が多いはずである。

 しかし40代が少ない千葉県の高校現場では授業見学に価する先輩教師が実数としてかつてより少なくなっていることは間違いない。自分の親世代同然の50代教員の老練(老獪?)な授業がどこまで若手教師のお手本となれるのか・・・もちろん人によりけりだが、やはりIT化の波に乗り遅れがちな50代教師に過度な期待は出来ないと考えるべきだろう。

 

 生徒数が多かった30年ほど前までは千葉県内都市部の多くの高校が一学年10クラス程度の学年規模であった。学校内の社会科の教員数は一学年のクラス数とほぼ同じだったので新米教師は10名近くの先輩教師から多方面にわたるアドバイスや教材、プリントなどをいただくことが出来た。

 しかも年齢構成のバランスが比較的とれていたので、多くの高校では新米教師が孤立してしまうことなど起こり得なかったのである。

 ところが現在は少子化の進展によって多くの高校が一学年4~5クラス程度の規模に縮小している。つまり校内での同じ教科の教員数がほぼ半減している。加えて40代教師の激減である。千葉県内の高校では若手教師が授業以外でも孤立しがちとなり、様々な場面で孤軍奮闘を迫られているに違いない。

 

 近年、初任教師には初任研の指導員として校内でベテラン教師が一人割りあてられている。私も一度、その任に就いたことがあるが、経験上、これで十分とは言いがたい。もちろんそうしたマンツーマンの指導場面もあって良いのだが、かつてのように多様な先輩教師に囲まれて多様な刺激を受ける方がはるかに現場の実態に密着でき、豊かな経験を積めるのではあるまいか。

 指導が難しい高校では生徒指導上、教科準備室よりも学年室や大職員室に常駐する時間が長い。千葉県内の高校の少なくとも三分の一程度は教科準備室よりも学年室や大職員室が教師の居場所として重視されるだろう。学校によっては教科準備室がただの物置になっているような高校さえある。

 そのような高校に採用されてしまった初任教師は先輩教師から授業に関する温かい助言を受ける機会がどうしても少なくなり、授業の成立に一層大きな困難を覚えるに違いない。

 

 教員の精神疾患による休職・病休は依然として多く、20代30代で増加している背景に何があるのか…おそらく千葉県の場合には上記のような問題が背景にあることが予想されよう。

 

 年齢階層別教員数の「フタコブラクダ」状態はどうみてもすぐには解消できない。したがってこのまま「学校のブラック化」が放置されれば、千葉県の公立高校は遅かれ早かれ、地滑り的崩壊の危機を迎えてしまうのかもしれない。

 千件近くに達した2022年度高校入試の採点ミス問題を考えた時、千葉県の場合、事態は相当、切迫してきていると私は考えるが、いかがか?

 

 「学校のブラック化」の一刻も早い解決を!

 

参考記事

「忙しいはありがたい」? 新採用教員にブラック職場「肯定」冊子 千葉県総合

 教育センター 東京新聞 2023年3月20日

 千葉県の学校教育と教育行政がいかにダメなものかをこれだけ堂々と発信してしまって良いのだろうか?通常はタダで済まされないような暴言に等しい内容であろう。これからの千葉県の学校の大躍進を願うばかりである。

教員未配置が深刻、過去最多の449人 過重勤務・自習授業増

   朝日新聞社 によるストーリー 2024.3.30

 千葉県の公教育の土台が予想通りに崩れつつあるようだ。

独自に高校無償化の大阪府、私立志向強まり公立半数が定員割れ…「このままでは

 統廃合の可能性」 読売新聞 によるストーリー 2024.7.2

 大阪府では今後も高校教育の民営化が進み、府立高校の多くは統廃合の対象とされていくであろう。公立高校の自主的な取り組みを通じて教育改革を期待するのはもはや辞めにし、以前から競争にもまれてそれぞれが経営努力を強いられてきた私立高校の側に改革を期待する方が確かに現実的であり、得策である。私立高校の方がより多様化、個性化の要望に応えられる柔軟性を持っているのに対して、文科省の画一的な強いくびきに縛られている公立高校の側はそれぞれ独自の改革を求められても、期待に沿える学校はごく一部にとどまる。公教育民営化の舞台がまずは高校を中心に回っていく…この流れは今後、東京都と大阪府を先頭にしてさらに先鋭化していく可能性が高くなってきたと考えるが、いかがか。

埼玉県立高校共学化問題大詰め 別学は差別的か、意見聴取ではほぼ「反対」

 産経新聞 2024.3.21

 この問題は授業で討論させると面白いだろう。生徒たちから沢山の意見が出てくるに違いない。アンケートもとってみたい。おそらく浦和高校などと違った意見が大勢を占めるかもしれない。

 男女別学は「アパルトヘイト」と同種の効果をもって性差別を助長しかねない危険性を持つと私は考えるが、いかがだろう。特にこれを公立学校で認めていることは好ましくないように感じている。

 実は千葉県の場合、高校の校長に男性が極めて多く、教科は体育科でしかも柔道や剣道の専門家が妙に目立つ、という印象、「偏見」が私にはある。もちろんこれは個人的な印象論に過ぎず、どう見てもエビデンスに欠ける認識である。

 そこで実際にはどうなのか、ここ10年間の校長や教頭の性別割合、出身教科等を調べたくなる。しかし、ネットで教育委員会のホームページからこのデータを簡単に調べられるのだろうか…仮にすぐにでも調べられるのであるならば、私たちの知る権利はかなり保障されていると言えるだろう。しかし県教委に対して面倒な手続きを要する資料の公開請求をしなければデータが得られない…などとなると、やはり、県教委にはサービス精神が足りていない、いや、何がしかの隠蔽体質が疑われるような閉鎖性があるとみて間違いないだろう。今時、市民がこの程度の資料すら簡単に手に入れられないという事は千葉県の教育行政が時代の進展に後れをとり、情報公開をサボっていると市民から批判されても仕方ないと思うのだが、いかがだろう。

 高校の管理職、教育委員会に大きな性差があるとすれば、これは大きな差別問題として糾弾されるべきであるのは論を待たない。また管理職に教科や専門において大きな偏りがあるとすれば、これもまた人事面で大きな差別的待遇が見られる、として厳しく糾弾されなければなるまい。以上のようなことをそれなりの根拠をもって主張するのがマスコミと市民の義務ではないのか。

 千葉県にも県立の女子高校がいくつか存在している。その多くは古い歴史を持っている。戦前の差別的で国家主義的な体質が男女別学のシステムの中にこっそりと温存されているとしたら、いかがだろう。こうした疑いを持たれぬよう、埼玉県や千葉県の県教委はしっかりと情報公開していただきたいものである。

 生徒たちのアンケート結果をもって男女別学を維持する、という結論は時期尚早に過ぎる。そもそもが生徒たちに対してアンケートの前に判断材料を十分に提示できていないのに、いきなり男女別学の是非を問うこと自体、乱暴な話なのだ。この件を粗雑な印象論で片づけてしまうようでは先が思いやられる。

内申書から「出欠記録」削除の動き 背景にヤングケアラーの存在も

 毎日新聞 によるストーリー 2024.7.2

 非常に興味深いニュースであり、生徒たちの関心も強い内容だろう。ただし…名古屋大大学院の石井拓児教授(教育行政)は「そもそもこれまで、学校を休まず頑張ったということが入試の評価対象になっていたのでしょうか」と疑問を投げかける…という箇所には驚きを禁じ得ない。千葉県の教育困難校では内申点の中で部活動以外では最も重視されていた項目であり、特に皆勤賞、それも三か年の皆勤賞をとった場合はほぼボーナス点のような加点がなされていた。

 不登校だった生徒を数多く入学させていた定時制午後部ではどんなに欠席数が多くともほとんどの場合、減点の対象とはしてこなかったが、普通科の全日制では欠席数の多さは当然、合否に大きく関わってくる評価ポイントの一つであった。千葉県と肩を並べてきた横綱級の管理主義教育で知られた愛知県が、児童生徒の日常を管理するための重要な武器となる出席数の記録を一度たりとも軽視してきたはずがないと信じ込んできたのだが…大学の先生とあろうお人が、まさか地元愛知県の教育事情をご存じないとは思えない。私の勘違いであれば良いのだが…

 「出欠記録」削除の動きは岐阜県のことなので隣接してはいてもそれが愛知県の管理主義的教育を変えうるほどのインパクトがあるかどうかは分からない。

 東京都でどれほど学校教育におけるうらやましいほどの試みが過去なされてきていても、隣接する千葉県ではこれといった斬新な試みは全くと言って良いほど見られないままである。学校を巡る不祥事が千葉県と同様に数多く見られる愛知県でも、岐阜県のユニークな試みがプラスの影響を及ぼすとは考えにくい。

 今後とも不登校対策に熱心な岐阜県での取り組みを注視していきたい。