㉜ゆとりを奪ったゆとり教育

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

 私の手元にはこの30年近くの学校教育の行く末を暗示することになった本がある。「動き始めた教育改革」(主婦の友社1997)という題名でかの寺脇研氏(1952~)が書いた本である。寺脇氏は文部省の官僚時代(1990年代の後半から10年間ほど)にゆとり教育の広報を担った、生涯教育とゆとり教育推進者の一人であった。

 この本では実に広く浅く教育についての所見を誰にも分かりやすく述べていて、法学部出身であったにも関わらず、文部省入省後、瞬く間に学校教育について世間に向けて堂々と語れるほどの知識を彼はいつの間にか獲得していたようである。

 ただし少しでも欧米の教育事情に通じている人ならば彼の見識の底の浅さをたちまち見抜けるだろう。彼が推奨する生涯教育、リカレント教育などはとっくの昔から教育学の世界では言われてきたものであり、彼の提唱するものに目新しさなぞは一切、見られない。むしろ彼がいかに学校現場を知らないか、いかに学校教育に関して限られた経験しか持っていないか、いかに輸入物に過ぎない机上の空論を自慢げに吹聴しているのか、はバレバレである。

 この本の137ページには「小・中学校は義務教育の本筋に帰れ」と題して中学校や高校が上級学校進学に向けての塾のようになっていると上から目線で一方的に学校現場を批判している。しかし歴史的経緯からすれば教職員の反対を押し切って全国共通テストを強行し、学校間の学力競争、進学競争を煽ってきたのは一体どこのどなただったのだろう。どの口がそれを言うのか…

 教育行政に携わる者がまさか学校の果たしてきた「選別・配分・社会化」といった社会的機能を知らないわけではあるまい。学歴社会、学校歴社会が成立した責任は学校にのみあるのではなく、社会全体の問題であることは自明の理である。それにも関わらず、学校教師の取り組みばかりに原因をなすりつけ、保護者に擦り寄るようにして一方的に学校を批判し、返す刀で学校改革、教師改革を迫るこの言い草には呆れてものが言えなくなる。

 

 受験の過熱は企業の人材選抜のあり方に問題の根本があるのであり、学校だけが受験戦争を煽ったわけではない。ところが「教師は自分が大卒だから生徒達も大学に進学することがベストだと勘違いしている」などと当時の教師批判の風潮に便乗して過熱していた受験をあたかも全面的に学校や教師の責任であるかのような言い方で責任転嫁している。教育行政の上層部に位置する人物が学校教育や学歴社会成立の経緯を知ること無く、学校現場への共感的理解の欠片すら持ち合わせていないのだから、この本を読了した教師にはドンヨリとした徒労感と絶望しか残るまい。

参考記事

 ○人事を行う教育委員会に「上納金」の慣行 約80の教員団体 校長候補の「名簿」も添えて…名古屋

  市が調査へ 東京新聞 2024.2.11

  未だに性懲りもなく寺脇氏が学校現場への無知さを晒してしまっている。「名古屋市教育委員会事

  務局が市内全16区の校長会など80以上の教員の団体から毎年、1団体ごとに3万円前後の現金など

  を受け取っていたことが関係者への取材で分かった。各団体は次年度の市立小中学校の校長に推薦

  する教員の名簿とともに金品を納めていた。」というまことに「けしからん」案件に関してのコメ

  ントがふるっている。

   「…教育現場には戦前の師範学校の名残で、昭和の終わりくらいまで学閥が存在していたが、名

  古屋ではまだ残っているのか。名古屋市と市教委は早急にうみを出し切らなければならない。」と

  のご託宣。しかしこの程度の認識レベルで文科省の官僚が務まっていた不思議さ、怪しさを感じて

  しまうのだが、いかがだろう。そもそも寺脇氏自身、東京大学の学閥を通じて官僚としての地位を

  築いてきた可能性を自ら証拠を示して堂々と否定できるのだろうか。

   少なくとも私の記憶では40年ほど前、特定の学閥同士で校内や管理職のポストを巡って激しい勢

  力争いが生じているという情報は神奈川県や千葉県などで個人的には確認できている。その後、都

  道府県によっては多少、学閥の構成に変化はみられるものの(千葉県では高校でかつての最有力学

  閥であった旧東京教育大学、現筑波大学系の茗渓会が体育以外では急速に力を失う一方で、千葉大

  の学閥が人事面で突出した力を持ってきているということはもはや周知の事実)、学閥の力が現在

  も相変わらずそれなりの力を持っていることは疑いようもない。

   実際、北海道旭川市の女子中学生凍死事件などは旭川市において北海道教育大旭川分校の学閥が

  突出した力を持っていることと決して無関係ではあるまい。「…昭和の終わりくらいまで学閥が存

  在していた…」と過去形で語る寺脇氏の現状把握のずぼらさ、甘さには呆れかえるほかないのだ。

   もちろん人事に影響を与えるのは学閥だけではなく、個人的縁故に加えて高野連、高体連、高文

  連、教科研究会などの団体もある。教員人事の裏側はいまだに完全なブラックボックスであり、完

  全な情報公開など不可能な世界である。当然のことながら、それを良いことに裏側でどんな人事が

  横行しているのかは一部の当事者しか分からない仕組みとなっていて、実際、怪しい限りの人事が

  行われていることはほぼ確実なのだ。たとえばありえないほどにレベルの低い校長の実態を見れば

  明らかだろう。残念ながらこの場では支障があるので実例を公表することは控えるが…

   私が知っている件と比べれば名古屋市での出来事はきわめて「かわいい」レベルである。ことは

  名古屋市に限らず、しかも一層悪質な人事、隠ぺい工作などが今も全国各地で進行中なのだ。そん

  なことも知らない、知ろうとすらしない人間が文科省の上層部に長くいられたこと自体、本当は日

  本にとって大事件そのものではないのか?

   日本の教育行政の圧倒的に的外れでトンチンカンな現状把握こそが日本の学校教育の大混乱を引

  き起こす主因となってきたことを現在の文科省の官僚たちは深く反省すべきだろう。

 

 「ゆとり教育」が孕んでいた本質的問題はどこにあったのだろうか。かつてよく言われていたような、「ゆとり教育が日本の児童生徒の学力低下を招いてしまった」などということでは決してない、と私は考えている。確かにそうした側面もあるにはあったのだろうが、もっと遥かに重大な問題があると私は考える。

 それはゆとり教育導入のために実施された様々な新しい試み(総合的学習の時間、職場体験、生活科などの導入・・・)が学校現場の混乱と疲弊を招き、改革の美名の下、教師達から最も大切な時間的、体力的、精神的ゆとりを奪い取ってしまったということ。結果的に学校が辛うじて保ってきたはずの現実対応力を劇的に低下させてしまったことの方がはるかに責任重大であったと感じている。

 もちろんその責任の過半は本来、「学校の特色化」路線が背負うべきだろうが、ゆとり教育の問題点は「学校の特色化」路線がもたらす悪影響についてまったく予想できていなかったことにある。

 つまり「学校の特色化」路線と「ゆとり教育」路線とが最悪のタイミンングを得てタッグを組み、公教育の破壊、学校のブラック化を推し進めてしまった…とカッパは捉えているのだ。したがって私から見ると「ゆとり教育」の責任は決して軽くはないのだ。

 

 確かに学習内容の削減は多少、児童生徒の負担軽減に繋がったかもしれないが、教師の負担は決して減じていない。むしろ土曜日が休日になった(2002年から完全実施)ことでやがて「定額働かせ放題」と揶揄されることとなった教師の部活指導は一層、過熱し過酷な負担となっていった。授業時数が減った分、部活指導の時間が増えただけ・・・「教師のゆとりを奪うゆとり教育」では完全に本末転倒であろう。

 部活動の過熱化は次第に授業よりも部活動を優先する傾向を一部の教師や生徒、さらには保護者の間にまで生み出してしまったのではないのか。高校入試の部活推薦枠に見られる不公正さが一層、学校教育の矛盾を拡大していったのもこの頃ではなかったか。むしろ土曜日の半日を授業で費やすかつての日程の方がまだ有意義であり、教師の負担も小さかったのではないのか。

 加えて総合的学習の時間(→総合的探究の時間)を週に一回行うことで多くの教師は1単位分の新科目を背負うことになってしまった。特にインターンシップ(職場体験)は児童生徒を預かる事業所への迷惑をかけることにも繋がり、担当教師の精神的な疲弊を強めてしまった。彼が自画自賛する生活科の導入もいたずらに小学校の混乱を招いたに過ぎないのでは・・・

 この頃から私の読書する時間が劇的に削られていったのは間違いない。複数の科目負担が当たり前になり、進路指導や生徒指導、部活指導、授業準備に追われることが常態化してしまったのである。従って授業準備に直接繋がらない学習に時間を割くことがほぼ出来なくなった。

 先にも触れたが大学卒業後も必死に取り組んできた学校教育に関する読書を私はこの20年近く、ほとんどしていない。教師であるにもかかわらず学校教育について学習する機会を根こそぎ奪われていくという、教師としては悲しいまでに致命的な現象が学校現場では皮肉にも「ゆとり教育」という「教育改革」の掛け声の下、一気に進んでいたのだ。

 この現象はおそらく私だけではあるまい。たとえば直近の10年間で学校教育に関する言説によって学校現場に大きな影響を及ぼすことの出来た現役教師がもしもいるのならばその名前を是非挙げてほしい。せいぜい「百ます計算」の山メソッドで知られる隂山英男(1958~:岡山県の小学校教師を経て立命館小学校副校長、立命館大学教育開発推進機構教授。安倍内閣の諮問機関「教育再生会議」委員を歴任。元大阪府教育委員会委員長)氏くらいのものではなかったか。しかし隂山氏はたちまち管理職へご栄転し、大学へと活動の舞台を変えてしまった。

 しかも隂山メソッドに関しては教育技術法則化運動と同様に基本的には技術論であり、内容論は等閑視されてしまっていて高校社会科教師の関心を惹くものではなかった。教育内容が厳しめに限定されている義務教育では役立つだろうが、高校、それも教師の判断による授業内容の選定が鍵を握る社会科ではほとんど参考にできるものはないと私は考えている。

 従ってブログでの発信を除いてしまうと、不勉強ながら私はフルタイムで働く現職教師の有力な発信者を一人も思い浮かべることができないのだ。

 

 現役教師からの発信がほぼ途絶えてしまったことで「学校のブラックボックス化」が進み、世間からの理解や共感、支援を受けにくい状況が生み出されていく。そして人知れず「学校のブラック化」までもが容赦なく進み、ついにはSNSで「先生、死ぬかも」と静かにつぶやくほどに教師たちは追い詰められていった。

 ただ、一人の教師が声を上げた時には既に事態の悪化は深刻なレベルに達してしまっていた…もはや手遅れであることは明らかだと私は確信している。