㉕平仮名が分からない高校生
※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。
参考動画
〇【読解力?】ごんぎつねが読めないこどもたち
謎解き統計学 | サトマイ 2023/10/27 20:33
参考記事
◎一部私大「義務教育のような授業」 財務省が指摘 文科省幹部は異論
朝日新聞社 2025.4.15
受験倍率が低くていわゆるFランと位置付けられる大学の授業が「義務教育のような授業」を行っていることは既に高校では常識となっている。つまり高校でも平仮名が書けない、足し算が出来ない生徒に対して小学校低学年相当の指導をすることがあること自体、決して驚きはないのだ。そして足し算が出来なくとも卒業できる高校は少なくない。
教科書を読むことすらできない生徒がなぜ卒業できるのか、疑問をおぼえる方がいるかもしれない。しかし公立高校では入学を許可された生徒ならば原則として卒業させるのが通例である。仮に卒業できないとすれば、それは出席時数が足りず、卒業に要する単位数に達しなかったケースにほぼ限定される。
かつてはどの高校でも成績面での評価がかなり厳格に行われていたが、現在、テスト点だけで欠点を出すわけにはいかなくなっており、平常点を加味することでほとんどの生徒は単位の修得ができるシステムとなっている。つまり、入学を許可された段階で生徒たちは皆、既に卒業できるだけの潜在的能力があるものと校長から認められた…と見なしても良いのだ。したがって欠席の問題が無く、補講すらしていない段階では成績が欠点であっても留年自体はまた決定したわけではない。そしていずれ補講は必ず行われ、ほとんどが最後は「お情け」で30点以上の成績がつく。たとえ、足し算ができないままでも…
義務教育段階ではそもそも落第、留年が制度として存在していない。全欠だろうが、平仮名が書けなかろうが、所定の期間が過ぎれば必ず卒業できる。義務教育ではないはずの高校もまた98%近くの中学生が入学してきており、実際には準義務教育化している。そして平仮名すら書けなくとも定員割れの高校には入学できる。さらに多くの場合、3年間で出席数を満たすことさえできれば高校でも卒業ができる。今はそうした高校を卒業した生徒が何と特定の大学にいともたやすく入学できる世の中になっているのだ。大学生なのに足し算すらできなくとも別に驚くには値しない。
仮にこれが良くないことだ、とお考えならば、オランダのように特定の学力レベルに達しなかった児童生徒に対しては小学校や中学校での落第、留年を制度的に認めるべきだろう。足し算ができない生徒、学生が高校や大学に在学してしまっている原因は、本をただせば義務教育段階における大量の「落ちこぼれ」を黙認するシステムに求められる。にもかかわらず低学力生徒、学生の問題をもっぱら高校や大学の責任であるかのように考えるのはお門違いも甚だしい。
◎なぜ「無気力な生徒」が増えたのか…“低偏差値高校”から見える日本の教育の「大
きな問題点」現代ビジネス A4studio によるストーリー 2023.11.17
まさに「急がば回れ」であり、目先の現象への対応に追われている内はただの「モグラたたき」に終始するだけであろう。個々の現象の背後にある本質的問題、真の病巣を見抜くことが出来なければすべては対症療法に過ぎないのだ。学区制廃止の弊害があるからといって学区制を復活したところで別の問題が浮上するだけであろう。
日本の公教育の何が本質的問題なのか、意見は分かれるところだが、そろそろ病巣の深部に手を付けていかないと、今後、取り返しのつかない事態を招くに違いない。
〇“Fラン大学”と揶揄されるけれど…掛け算割り算ができぬまま高校を卒業する学生が
少なからず存在している怖い事実 集英社オンライン オピニオン 2023.7.29
個人的にはこの記事にビックリ。高校では一桁の足し算すら出来ない、南極が熱帯だと勘違いしている、東と西の方角を指さすことが出来ない、日本地図を一つの円としてしか描けない、ひらがなが読めない…といった生徒が入学し、ほとんど特別な指導を受けずに教科書の内容はほぼ何も分からないまま、出来ないままの状態で高校を卒業しているケースが決して少なくない。
困難校の教師であればこれは周知の事実であり、「怖い事実」などではない。「悲しい現実」なのだ。そして本来ならばマンツーマンでの手厚い指導を必要とする生徒たちに一人一人対応するだけの時間的、精神的ゆとり、それに小学校教師のような忍耐力を今の高校教師に期待するのは、残念ながらお門違いである。
同様のことはもっと頻繁に小学校、中学校でも起きていて、実際にはどの学校段階でも「形式進級」、「形式卒業」が繰り返されている。大学だけが例外なわけがない、という当たり前の事実に過ぎない。「やり直し」のきかない教育こそが日本の学校教育の特色であり、だからこそ、大学一年生はそのほとんどが18~20歳の青年たちばかりなのだ。
もちろん私がいた定時制高校ではかつて70歳代の「女子」高校生が一人だけいらした。しかし、そうした生徒は今や例外中の例外であり、定時制ですら在校生の年齢層は薄く、ほぼ普通科と同じで、特定の年齢層に集中するようになっている。
定時制では中学校にほとんど通ったことの無い高校生がいくらでもいるし、そうした生徒の多くは外国籍でない限り、特に英語が苦手となりがちである。だからアルファベットすらおぼつかない。
一方で平仮名も分からない高校三年生もいて、彼は外国籍の生徒であった。
定時制ならクラスの生徒数は圧倒的に少ないからどんな生徒であっても何とかなるだろう、と思う人がいるかもしれない。しかしこれが三部制の恐ろしさ、難しさなのだ。実は不登校の多い午後部では進学が難しい生徒たちが殺到し、何と入試倍率が一時期、連続で2倍を超えていた。最高で2.4倍程度はあったと記憶している。
したがって1クラス35人で一年次をスタートするという、通常の定時制ではあり得ない厳しさ。もちろん入学式以来、一度も登校せずに学校をやめてしまう、質の悪い非行に走り、学校にいられなくなる、よく分からないがとにかく学校に来ない(2~3人は完全に音信不通になる)…等の理由で確かに9月頃までに数人程度は姿を見なくなる。しかし秋入学の制度があるので再び、クラスの欠員が埋まっていく。秋入学の生徒は少なからず、重度の心理的屈折を抱えているケースが多い。
一年を通じて負担が軽くなることなど、望むべくもないのだ。
実は3年次、4年次になると場合によっては卒業式が年に3回ある。特に4年次は必ず5年次や6年次の生徒が一つのクラスに混在する。そして一人一人の卒業するタイミングが異なったりする。秋入学の生徒がいても秋卒業とは限らないから複雑だ。そうした生徒にいつ進学指導をするのか、いつ就職指導をすべきなのか、いちいち確認する必要がある。
こうした高校では試験の結果だけで成績はつけられない。3割前後の平常点(=努力点)を用意しなければならない。私は授業プリント1枚提出につき2~3点の平常点を与えてきた。平常点が30点満点の場合なら、テスト点が0点でも単位は認定されるということだ。平仮名が読めない、足し算が出来ない程度のことでは問題視されるわけがない。
そして定時制からも大学進学者は午後部だけでも毎年、数名いるのだから、大学生で掛け算、割り算が出来ない者がいたとしても驚くわけがない。