⑲北欧の教育と日本
※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。
・「小学校 それは小さな社会」が持つ盲点
◎「集団行動が全て」給食・掃除当番が生み出す、規律重視の日本型教育。世界が
今、必要とするワケとは?【山崎エマ・蓑手章吾/加藤浩次】2Sides
NewsPicks /ニューズピックス 2025/03/11 16:10
◎「不登校になるのは学校のせい?」自主性を育むオルタナティブ教育とは?公立の
特別活動の意義について議論【山崎エマ・蓑手章吾/加藤浩次】2Sides
NewsPicks /ニューズピックス 2025/03/17 14:01
◎Instruments of a Beating Heart | An Oscar-Nominated Op-Doc
The New York Times 2024/11/24 23:23
〇【ノンストップ!サミット】アカデミー賞ノミネート監督生出演!日本の小学校教
育「ココがスゴイ」フジテレビドキュメンタリー 2025/03/14 34:38
〇【日本の小学校の映画が世界で大反響】ドキュメンタリー監督・山崎エマ/公立小
学校が「日本をつくる」/“個性重視”教育の北欧が日本の小学校を再評価したワケ
【CROSS DIG 1on1】
TBS CROSS DIG with Bloomberg 2025/02/04 28:05
〇【異例の快挙】小学校 それは小さな社会〈監督〉山崎エマ/日本人は小学校で作ら
れる?/フィンランドで大ヒット!日本でも口コミ拡大
IMAGINE イマジン大学 2025/02/04 34:30
山崎氏が様々な動画内で繰り返し指摘してきた小学校での学級会における合意形成の訓練は、本当に民主主義的な意義を持つ合意形成だったのか…それは蓑手氏が暗に示唆した通り、極めて疑問というほかあるまい。中学校や高校のホームルームでの実態を見れば明らかである。生徒たちの多くが今も何かを決める際、合意形成の作法を全くと言って良いほどに身についていないことを随所で露呈させているではないか。たとえば多くの高校でクラスの文化祭の出し物を決める際、生徒たちに任せておくと多数決という最悪の方法に頼るケースが圧倒的になってしまう。そうした現実が義務教育段階における児童生徒の合意形成の訓練の欠如をむしろ雄弁に物語っていると私は感じてきたのだが、いかがだろう。
※この辺りは工藤勇一氏の安易な多数決を否定した民主主義を巡る議論を参照していただきたい。こ
れは工藤氏が自主性(空気を読み、忖度して相手の期待に応えることも自主性に入る)と主体性
(自主性と異なり、自分で考え、判断することを最優先する)との根本的な違いを強調しているこ
とと深いつながりがあるだろう。
また山崎氏のドキュメンタリーには学校行事や給食、清掃に重点を置く一方で、授業風景が意図的に多くカットされている点にも疑問がある。日本の小学校における一斉講義形式中心の授業の問題点が個別最適化からは程遠く、無視できないほどに低劣なレベルであるとすれば、授業をカットした点は日本の学校教育のリアルな姿を伝えるドキュメンタリーとしてかなり片手落ちと言えるだろう。とりわけ蓑手氏の様に不登校に注目しているフリースクールの立場からは、日本の小学校教育の良さを再評価することに重点を置くような映像の切り取りに強い警戒心を抱くのは当然であろう。
他方で山崎氏が日本の教育の欠点ばかりを上げ連ねて欧米の教育を持ち上げる風潮に警鐘を鳴らしたい気持ちも分からなくはない。当たり前のことではあるが、日本の学校教育には清掃や給食当番など、大きな社会的意義があり、かつユニークな取り組みが数多くある。日本人の規律正しさ、きれい好きといった長所の多くは学校教育に由来する側面もかなり大きいに違いない。それらを犠牲にしてまで日本が欧米の教育を見習う必要はもちろん無い。
ただし蓑手氏が指摘したように、日本の児童生徒の幸福度、自己肯定感は国際調査の比較では極めて低く、山崎氏が指摘する小学校での行事などを通じて得られる達成感が、実は多くの児童には必ずしも共有されていない、厳しい現実がある。撮影する側に、日本の児童生徒の自己肯定感の欠如が一体、何に由来するのかといった批判的視点を当初からイマイチ欠いている点で、やはりこの作品はドキュメンタリーとして片手落ちの感は否めない。
一年間もの長期取材を行い、膨大な撮影量で出来上がった力作ではある。しかしこうした本格的な撮影を従来、許可しないはずの教育委員会や校長らが珍しく許可したのは、その学校の負の側面をできるだけ映像化しないという前提条件があったからではないのか…疑り深い私としてはそう勘繰ってしまう。だからこそ、結果的には「片手落ち」の作品となっているのではないのか。
参考記事
◎「世界一幸福な国」フィンランドに行って分かった「なぜ彼らは幸せなのか」 住み
たいまち、を調べてわかったこと
現代ビジネス FRaU編集部 によるストーリー 2024.1.10
なぜ北欧は政策として教育を重視し、日本は重視しないのか、この記事を通じて生徒に考えさせたい。
参考動画
〇【財務省】授業で四則演算やbe動詞…義務教育の内容?大学側は?“教育の質”は検
証可能?中室牧子氏「人に投資・リターンの確認を」|アベヒル
ABEMAニュース【公式】 2025/04/23 26:58
財務省の学校に対する古臭い認識、無知さ加減には呆れるばかりだ。義務教育における「落ちこぼれ」の大量発生が有効な救済措置もとられないまま高校教育に引き継がれ、高校でもほとんどが救済されないまま大学にまで引き継がれている。大学進学率が50%に達した現在、大学生でアルファベットや割合、分数が理解できない者は決して少なくあるまい。
学力どころか出席をも軽視する形式進級、形式卒業を当たり前とする義務教育の在り方が変わらない限り、日本の高校教育や大学教育を変えることはできないだろう。にもかかわらず、トップダウン的発想から高等教育、大学教育を変えるだけで教育の質の向上を図ろうとするのはまったくのナンセンスであり、教育全体を見渡すことの出来ない偏頗な発想に過ぎない。
いわゆるFラン大学の存在は、大卒という学歴を偏重する日本企業の、あからさまな手抜き採用人事のあり方にも起因するのであり、「営利追及に走っている」とばかりに難癖をつけて一方的に大学側の責任を問うのは的外れであり、余りにも片手落ちだろう。たんに需要があるから供給が生じているだけではないのか。
財務官僚のようなエリート進学校の卒業生たちに、日本におけるFラン大学の社会的な存在意義への理解がイマイチ足りないのは当然と言えば当然ではある。しかし自分たちのエリート主義的認識に大きな偏りがある事への自覚が不十分であることは認めるべきであろう。そして98%の進学率に達した日本の高校に存在する数多くの教育困難校もまた、それなりの存在意義はあるのだ。
仮にFラン大学が日本から消えてしまうと、一体どんな不都合な事態が発生してしまうのか、少しでも想像してみればよい。若者の失業率と犯罪発生率、貧困率は急激に高まり、いわゆる「無敵の人」が急増してしまうに違いない。
40年近く前に高校における教育困難校を「未成年失業者収容所」と表現した方(「当節定時制高校事情」佐々木賢 有斐閣新書 1987)がいたが、Fラン大学の存在意義もまたしかり、である。下手をすれば犯罪予備軍たりうる社会的弱者の若者たちを収容する「予防拘禁施設」という社会的機能の側面から見れば、Fラン大学の存在価値を現状のままでプラスに評価することも可能なはずなのだ。
確かに日本の場合、「高校」とか「大学」とはあくまでも名ばかりで、実態としては一部、義務教育のやり直し施設、果ては一部、少年院、鑑別所兼職業訓練施設と化している学校も無いわけではあるまい。
西欧や北欧のように高校レベルでの職業教育が発達していて、職人、技術者の社会的地位がさほど低くない社会では、大学に進学しない若者が路頭に迷い、犯罪に走る危険性は日本ほど高くはあるまい。リカレント教育が一般化した西欧や北欧ではいったん就職した後で大学進学する者が決して珍しくはない。
しかし日本では職業高校が低迷しがちであり、職人の社会的地位も決して高くはない。中卒や高校中退の学歴で就職した若者が社会的地位を高めていく方途は、プロスポーツや芸能界などを除くと日本では極めて限られている。この問題を放置しておいて、特定の学校教育ばかりに責任を転嫁するのはいかがか。
◎北欧子育て7つの鉄則!自己肯定感を高める育児とは?| 北欧在住ゆるトーク
2022/04/02 Nord Labo -北欧研究室- 19:00
ほめない、比較しない、見た目について評価しない。「走るのが速いね」ではなく「走るのが好きなんだね」と話しかける・・・非常に参考となる話。やや視聴時間が長いが、ぜひ、生徒に視聴させたい。
1970年代までフィンランドの教育はアメリカと同程度のかなり低いレベルにあったという。しかし1980年代、フィンランドは独自の視点から学校教育の大胆な見直しを進めていく。教科書検定制度の廃止や教員資格制度の改正(教師養成教育の充実化、教員の大学院卒義務づけ等)、宿題の廃止、テストの削減、授業時数の削減。これらは保護者の労働環境の改善を伴い、子供達が家で両親と過ごす時間を劇的に増やした。しかも授業時数を減らす一方で体育や芸術関係は減らさず、知育に偏る事を避けたバランスの良いカリキュラムを作り上げている。にもかかわらずPISAの得点は世界トップクラスとなった。
一方、アメリカは人種、民族、信仰の異なる雑多な移民から形成された国家の土台を基に、多様性を前提とした多彩なカリキュラムを用意して個性を尊重する学校教育を作り上げていた。しかし1970年代から中等教育を中心に非行少年の荒れが目立ち始め、生徒の学力低下が話題となったことを契機に学校教育の見直しが進む。その際、低予算でありながら国際比較で常に学力がトップレベルであり、治安も良かった日本の学校教育を参考にした改革が進んだ。このため学力向上、知育中心に偏った教育がアメリカに浸透していった。
ここ50年近くの間にアメリカ、フィンランド両国の学校教育が目指すその方向は完全に乖離してきたのである。このことは常にアメリカの後を追いかけてきた日本の学校教育に対しても深い反省を迫る点であろう。
今や、学校教育に関しては自由や個性・多様性の尊重という観点を除けば、日本とアメリカとの違いは意外にもその差が縮まってきているという。しかしフィンランドと日本との違いは驚くばかり。それでも社会の同質性の高さに守られて日本の児童生徒の学力は国際的には高い方であるが、児童生徒の幸福感、自己肯定感は先進国で最低の部類に属する。
北欧の動きを踏まえた、日本の教育への抜本的な見直しが待たれるところである。
◎【日本の中学教育は世界的に超優秀】日本の高校までの学力は世界トップクラス/
「掃除」「給食」「部活」に日本教育の特徴がある/大学は海外に行った方が良い
理由 PIVOT 公式チャンネル 2024/03/09 37:31
松田氏が上意下達式の教育行政の効率性や日本の初等中等教育の優秀さを持ちあげすぎている側面はやや気になるが、日本の学校教育を世界の中でバランス良く位置づけるためには有効な動画だろう。フィンランド、アメリカ、韓国の学校教育と比較できる点でも貴重な動画。
○オランダのイエナプラン教育 :2015/01/26 リヒテルズ直子
イエナプラン教育(イエナプランきょういく、ドイツ語 Jena-Plan)とは、ドイツのイエナ大学の教育学教授だったペーター・ペーターゼン(1884 - 1952年)が 1924年に同大学の実験校で創始した学校教育。 子どもたちを『根幹グループ(英語ではファミリー・グループを訳されることが多い)』と呼ばれる異年齢のグループにしてクラスを編制したことに大きな特徴がある。現在はドイツよりもオランダで広く普及している。
※ちなみにオランダでは小学生でも本人の要望があれば留年できる。日本のような「形式卒業」の悲劇
は起きない。
なおオランダは2020年の最新調査(ユニセフ)でも子供の幸福度世界一である。ユニセフが9月3日に公表した最新報告書では、「精神的幸福」、「身体的健康」、学問や社会的な「スキル」の3つの分類で幸福度を算出。結果、日本の子どもの幸福度は38カ国中、20位だった。
日本の順位で特徴的なのは、子どもの肥満や過体重の割合、死亡率から算出する「身体的健康」では1位だったにも関わらず、15歳〜19歳の自殺率や生活の満足度からランク付けした「精神的幸福度」は最低レベルの37位だった、という点だ。「スキル」では、日本のランクは27位。読解力と数学の基礎的学力では上位に入ったが、「新しい友達を作る」などの社会的なスキルの調査ではワースト2位だった。
参考動画
◎個人情報丸見え社会のスウェーデン|どこまでマイナンバー管理?犯罪は?| 北欧
在住ゆるトーク Nord-Labo 北欧研究室 2023/09/23 16:52
やや視聴時間は長いが、考えさせられる場面が多く、討論にもっていくにはうって
つけの動画。情報公開の原則、知る権利の保障と個人情報保護、プライバシーの保護との調整は難しい問題だが、スウェーデンでは200年以上も昔から取り組んできた大きなテーマの一つだったことに驚かされる。政府や政治家、学校などでの各種隠蔽、改ざん、金銭面での不透明さ…が目立ってきた、閉塞的な日本社会を変えるには参考とすべき部分が多いと感じた。
〇なぜアフリカの子供は「自殺」しないのか?【日本と比較して考える】
原貫太・フリーランス国際協力師 2024/01/12 22:30
同学年でも異年齢が同じ学年、クラスに数多くいるアフリカではたとえイジメが生じても逃げ場が多く、歯止めも効きやすい。児童生徒が所属している集団は学校でのクラスだけではなく、親類や地域の集団もある。学校が嫌ならば行かなければよいだけで、実際、学校に来なくなる児童生徒は少なくない。したがってアフリカでは学校でのイジメが児童生徒の自殺を引き起こすことはほとんどない。
子どもたちの居場所を学校や家庭、塾以外にも設けていく工夫が日本には必要なのだろう。そのためには子どもたちが学校にいる時間を少し減らすことも考えてよいだろう。フィンランドの授業時数は日本よりもずっと少ないという。長時間、子どもたちを退屈で窮屈な学校に閉じ込めておきながらイジメや不適応、学習障害を野放しにするしかできない日本の学校の無力ぶりを真っ当に評価すれば、学校以外の居場所確保こそ、学校改革そのものなのではあるまいか。不当な長時間労働から教師たちを解放するためにも大胆な時間割の見直しは必要不可欠の改革であろう。