⑱校庭に潜むクギと学校事故

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

高校サッカー試合中落雷事故「予兆なく発生」も指導教諭らは注意義務違反? 悲劇

 防ぐ 「ためらわない」判断力 弁護士JPニュース によるストーリー 2024.4.10

 この悲劇的な事故を不運な出来事と捉えているうちは落雷による悲劇を防ぐことはできないだろう。屋外で行われるスポーツはすべて同じ危険性をはらんでおり、児童生徒自身の判断での回避が難しい条件下では顧問の判断が生死を分ける。したがって顧問の責任は極めて重大であると考えざるを得ない。

 実際、落雷の予兆を察知するのは非常に難しく、特に相手方のある試合等の中断を判断するのに悩まされるケースは多かった。とりわけせっかく苦労して日程を組み、時間をかけて会場を整備した公式試合ともなれば会場責任者の決断は苦渋に満ちたものになるかもしれない。しかしその苦渋は児童生徒たちの命と比べればまったく価値のないものに過ぎないはず。判断を渋って避難の時間を遅らせることが絶対にあってはならないのだ。

 とはいえ学校におけるこうした事故が後を絶たない背景に教師たちの過重な負担があることは間違いあるまい。顧問たちの家族を犠牲にして休日に行われる公式の大会は雨天順延が原則。つまり順延となればその後の個人的な予定はキャンセルされ、家族の不満は募る一方となる。家族の行事が基本的に順延できない性質のものだとしたら猶更である。

 また平日に順延されれば顧問は急いで自習課題を用意し、学校に連絡して自習監督を依頼することになる。つまり試合は期限内に必ず実施されなければならないため、雨天等の順延は間違いなく顧問たちの負担を増やすことにつながるのだ。こうしたことが予想されるため、大会責任者が時に土砂降りとなっても試合を続行することすらかつては少なくなかった。そうした危険をはらむ判断に対して責任者以外の顧問たちが意見することは、責任者の気持ちを忖度するときわめて難しくなるのは心情的に理解できる点がある。

 しかし結論から言えば落雷の危険性が少しでもある場合は中断や延期の判断を遅らせてはならない、ということになるだろう。そうした決断に強い抵抗感や無理を感じる人ならば運動部の顧問を辞めるべきなのである。最悪の事態は試合の延期などではなく、事故による児童生徒への被害の発生なのだ。

 ただし以上の結論は正直に言えば教師の心情からみてあまり現実的ではないようにも思える。つまり多少の危険を承知の上で無理をしてでも日程を消化してしまいたい、という強い欲望に逆らえる教師はそう多くないのではあるまいか。実際、自分の経験でも落雷の危険を感じて練習や練習試合を中断したことは何度かあった。生徒を校舎内に避難させた途端に落雷と土砂降りが始まり、かろうじて間に合ったことにホッとした時もあった。しかしよくよく考えてみればその時、既に手遅れになっていた可能性は決して低くなかったはず。

 ほとんどの顧問は実際のところ結果的に運が良かったために事故に遭わずに済んでいただけなのではないのか。ただ単に落雷の被害に遭う確率の低さゆえに事故に遭わずに済んできたのだとすれば熊本での事故の責任をかの顧問に問う資格など私にはあるまい。私が事故に遭わずに済んだのはやはりただの偶然に過ぎないのだ。決して雲行き、天候の急変を見抜く力があったわけではない。

 根本的に考えれば今の教師のブラックな働き方においてはこのような事故を完全に防ぐことなど不可能に近いだろう。仮に個々の顧問の責任が問われないようにするとしたならば、雷注意報が出された時点で屋外におけるすべての学校スポーツの中断を求める絶対的指令を情け容赦なく機械的に出すほかあるまい。個々の顧問の判断に任せているから事故が生じてしまうのだ。ただし誰がその指令を出すのか…どの地域を限定して出すのか…指令はいつ解除されるのか…等々、実施上の難点は少なくない。

 ならばいっそのこと、高校を含め、すべての部活動を地域社会に完全移譲するのはどうだろう。今はそれしか児童生徒と教師たちを守る手段は無いのではあるまいか。地域社会に移譲できれば指令の主体は自治体であり、責任は市町村が負えばよい。いかがだろう。

 たとえば以上のことをぜひ授業を通じて生徒たちに考えさせたい。これは多くの生徒にとって他人事ではない悲痛な事故であり、かなり真剣に考えてくれるはずだ。

小中高校の死亡事故456件、7割が国に未報告…文科省が指針改定で学校の調査

   対象や方法を明示 読売新聞 によるストーリー 2024.2.27

小中高校での死亡事故報告が不徹底、盛山文科相「改善が望まれる」…今年度内に 

   指針改定へ 読売新聞 によるストーリー 2024.2.27

 悲惨な学校事故がなぜこうも繰り返されるのか、これまで幾度も疑問が呈されてきたが、その都度、教育委員会や校長から事故発生の原因究明と再発防止に努める、との聞き飽きた形式的な声明が打ち出されていただけ。

 今回、その背景はいまだボンヤリとしているが、しかし学校教育の闇の奥がわずかながら透けて見えてくるような衝撃の事実が判明したのだ。

 死亡事故ですらそのほとんどが国に報告されておらず、事故防止の教訓が学校現場で広く共有されることすらなかった…尊い命の犠牲が長きにわたってほとんど学校現場に生かされることなく徒に埋もれてきた…この事実が何を意味するのか、誰しもが考えれば考えるほど学校、教育行政側の対応に見られるあまりの無責任さ、杜撰さに怒りは収まらなくなるに違いない。

 記事では学校の忙しさが未報告の理由に挙げられているが、この件に限ってはその手は通じないだろう。間違いなく学校業務の優先順位の第一位は児童生徒の安全確保であり、その命を守ることである。まして死亡事故ならば文科省への報告が必須となるのはもはや疑問の余地無し。また当然のことながら学校教育には死亡事故がつきもの、といった時代遅れで無責任極まる野蛮な認識は今時、世間の共感を得られるものではない。

 通常、学校での事故による児童生徒のケガが発生した場合、クラス担任や顧問などの教師は学校保健の手続きのために、事故の発生場所、期日と時間、状況、経緯、考えられる原因…などを所定の用紙に記入して保健室へ提出するように義務付けられている。私としてはその後、用紙は学校保健の手続きだけにとどまらず、コピーされて関係部署に送られ、学校事故の統計などの資料に活用されているものと考えていた。

 もちろん学校保健上での全国的統計はこれまでもなされているだろうが、同時に事故の多い体育の授業や運動部の指導、体育祭などにそのデータは事故再発防止のためにしっかりと活用されているものとこれまで思い込んできたのだ。

 一体何のための書類作成だったのか…完全に裏切られた気分である。

 体育祭などでの人間ピラミッド、騎馬戦、特定の部活や体育の種目でなぜこうも執拗に重大なケガや死亡事故が繰り返されてきたのか、その反省が十分に生かされてこなかった理由の一端はこれでハッキリと示されただろう。冷静に振り返れば確かにこれまでの学校現場では事故発生の状況や原因についてのまともなデータが完全に不足しており、教師間でのデータの共有はほとんど無かったといって良い。もちろん当事者であった自分の認識の甘さ、迂闊さは遅ればせながら深く反省すべきである。

 一般教職員、さらには教育委員会や学校管理職にある者たちの児童生徒の命、安全に対する認識と関心の欠如がまずは指摘されよう。さらには学校側の落ち度を探られないよう、事故発生の本質的要因を探られないようにするための姑息な隠蔽体質が学校教育村の隅々まで蔓延している…ということに改めて気付かされる。

 こうした教育行政の古くて閉鎖的な体質が他方で学校でのイジメをもはびこらせ、教師による暴言、体罰、シゴキを温存させ、終いには組織ぐるみでの事件の隠蔽をはびこらせてしまった大きな要因なのはもはや疑いようもあるまい。

校・園庭から くぎ3917本除去 金属探知機で足立区が点検

   東京新聞 2023.10.21

  この数字をどう評価するのか、アンケートをとって生徒の印象をまとめてみるのも良いだろう。さらに、なぜこのような杜撰な安全管理が教育の世界でまかりとおっていたのか、原因をできるだけ多く挙げさせたい。また主たる原因はどれなのか、意見を集約してみよう。以後、どれが主因なのか、のアンケート結果をもとにグループ分けし、検討をしていくための材料探し等を通じて、各グループで主因の深堀りをさせていくと面白いかも。

小学校校庭の大量くぎ問題 実効性ある安全点検は「学校任せ」でよいのか

 東京新聞 2023.6.19

 案の定、校庭の釘放置は都内各所で確認されている。都や区の教育委員会の指導がこれまでどうだったのかが、厳しく問われよう。小学校では近年、相次いで英語や情報といった新しい授業が導入され、教師はその対応に追われている。確かに多くの教師たちには時間的、体力的余裕がない。しかし本来、児童生徒の安全確保ほど教師が優先すべき作業・点検項目はないはず。教師のゆとりが無いからといってこれを業者任せにする発想はどう考えても芳しくないだろう。むしろ教師たちが校庭の安全点検をきっちりと行えるだけの時間的、体力的ゆとりを確保していくことこそが最も優先される課題と思うが、いかがか。

 安全性の確保・点検は校庭だけではなく、当然、各種教室や階段、駐車場、体育館、遊具、U字溝のフタなど、学校の隅々まで実施できなければなるまい。児童生徒と日常的に向き合っている教師でなければ、目が行き届くことの難しい箇所だって少なくない。様々な施設・用具があり、死角の多い学校空間である。

 ごく短時間しか学校に来られない業者が児童生徒の予想しがたい動きをも想定した点検ができるのか、疑わしくはないだろうか。たとえ予算がついて特定の業者に任せられたとしても、本当に実効性のある安全確保など外部の業者には極めて難しいと思うが、いかがか。

 もちろん、児童生徒の健康や安全確保を最優先する心構え自体が従来の日本の学校には圧倒的に欠けていた側面があることも否めないだろう。深刻な組体操の事故が相次いでいても決して止めようとしない学校はいまだに少なくない。また暑い日であるにも拘わらず敢えて運動会や長距離走を強行したり、蒸し暑い体育館で長時間にわたり全校集会、学年集会を強行して大勢の児童生徒を体調不良に陥れることを繰り返す学校も少なくない。

 今や傷害罪に問われるかもしれないような、我慢大会と化した学校行事の数々…そうした戦前からの集団主義的、鍛錬主義的な教育の在り方は時間をかけて徹底的に見直すべきであろう。そしてそのためにこそ、教師たちには児童生徒の健康と安全を確保する地道な点検作業だけはむしろ万難を排してでもすべからく、怠りなくやり続けていくべきである…今後、様々な学校事故を少しでも着実に減らしていくにはそれしかあるまい…と思うのだが、いかがだろう。

 実は学校でのケガ、体調不良の発生を安易に児童生徒の自己責任・自己管理能力の欠如と決めつけるような、学校事故・事件の当事者意識に欠ける教師は現在も決して少なくない…というのが私の正直な実感である。

校庭のくぎ問題、続々見つかる 江東、北、江戸川区の小中学校、幼稚園などから

 計1236本 東京ニュース 江東区 2023年6月1日

 何と校庭への釘放置問題は杉並区にとどまらず、北区、江東区、江戸川区でも広範に確認されたという。私としてはビックリ仰天の出来事なのだが、おそらく他の区でも、いや全国の学校でもこれは少なからず露見してしまうようなありふれた事象なのであろう。

 だとすればこの問題は日本の教師たちが普遍的に抱える、子供たちに対する人権感覚の低さが学校風土全体にはびこっていることを示しているのかもしれない。でなければ20年近くもの間、クギは放置されてこなかったはずである。

校庭から約5000本の釘やペグ状の金属見つかる 東京・品川区内の23の小

 中学校 テレ朝news によるストーリー 2024.430

 

 確かに高校の校庭でも小さからぬ数の石が埋もれていたことは幾度か体験している。部活動で生徒たちが転倒やスライディングなどした際に危険なので見つけ次第掘り起こして校庭の端に捨てていたが、この場合は誰かが故意に石を埋めていたわけではあるまい。精々、事務長か誰かがグランドの土を入れ替える際に費用を節約するため、砂礫の混じる安い土を業者から購入してしまったのが最大の原因なのだろう。釘を故意に放置していた東京都の案件と比べればそれほどの「悪意」は覚えない。むしろただでさえ少ない学校の予算の中での、苦しいやり繰りから生じてしまった、ある程度はやむを得ない出来事だったとさえ思われる。

 それにしても校庭の釘問題、なかなか奥は深そうだ。二言目には子供たちの健康と安全を口にしながら、性懲りもなく体育祭や運動会での事故、熱中症の集団発生を繰り返してしまう日本の学校教育の持つ人権意識の低さは本来、最優先されるべき子供たちの安全への配慮に綻びをうみ、肝心な場面での気の緩みを招く。積年、校庭に放置された釘の数々はそうした教師たちの心理を雄弁に物語っているに違いない。

 

・学校事故と体育の授業

参考動画

【衝撃動画】大阪府八尾市の中学校組体操10段ピラミッド崩壊事故

   2015/10/05 3:49

 古い動画だが、このテーマの導入として利用できるだろう。なぜ、学校は危険を承知でこのような種目を温存してきたのか、生徒たちに理由を挙げさせてみたい。

参考記事

10段の人間ピラミッドが崩壊、6人重軽傷 尾木ママ「大人の安全意識が低すぎ

   る」運動の秋、気になる事故が起きています。

   2015年10月05日 21時35分 JST 安藤健二The Huffington Post

なぜ生徒の死亡事故も起きた組体操を強行…“他校への対抗心”で暴走する一部教師

   たち business journal  2019.11.07  文=粟野仁雄

中学生、部活で頭部負傷し緊急手術 顧問は119番せず 名古屋

 毎日新聞 によるストーリー 2024.6.14

大豪雨なのに集団登校なんて、まるで軍隊…豪雨で見えた「学校現場の命に関わる

   ナンセンスルール」FORZA STYLEオピニオン 2023.6.5

参考動画

【体育】前へ習えや整列は必要?水泳授業で溺死が減った?義務教育における体育

 授業の役割とは ABEMA Prime #アベプラ【公式】  2022/05/26  14:20

 夏野氏の体育不要論はかなり重要なポイントをついていて実に面白い。討論の議題にすれば議論百出し、かなり盛り上がるだろう。

【水着】ひろゆき「水泳の授業やめたら?」男女一緒にやる意味は?スク水とトラ

 ンス生徒の配慮 2022/06/18 ABEMA  アベプラ【公式】21:25

 水泳の授業自体の必要性が問われてくるだろう。プールの水代の高さや事故の危険性も考慮すれば、そろそろ小中での水泳授業は止めるべきでは・・・

嫌いな教科第3位の“体育” イマドキ授業は「自分で選ぶ」 名古屋市

 中京テレビNEWS  2022/08/04  4:41

 興味深かったのが小学校では国語の授業への嫌悪感が伝統的に強いこと、近年、算数や体育の授業を苦手に感じる子が増えてきているということ。なぜそういった結果になっているのか、その理由をもう少し深堀りしてほしい。

[NHKスペシャル] 重い後遺症も。運動会の「むかで競走」で繰り返される事故 |

  いのちを守る学校に 調査報告学校事故 | NHK  2023/07/19  5:34

[NHKスペシャル] 窓からの転落死、給食での窒息死8729件の記録 | いのちを守

 る学校に 調査報告“学校事故 | NHK  2023/05/12  4:39

 学校事故の調査結果の共有、原因の究明、再発防止策の提言…当然、行われるべき対応がなぜ行われてこなかったのか?児童生徒の健康、生命を守るべき学校で一体何が起きているのか、何が行われているのか、外部からはうかがい知れない闇がある。

選択の幅を拡げる努力、工夫が日本の学校には不足しているだろう。

遠足で小1女児の「お茶買いたい」認めず、熱中症で救急搬送 学校側を提訴

   産経新聞 2024.2.27

 校長の判断だったことに驚く。事件の経緯から見れば学校側の責任はかなり重大であり、通常ならば校長の適格性が疑われ、降格処分は避けられないだろう。そもそも体調がすぐれなかった児童を担任が半強制的に遠足に参加させたこと自体、大きな問題をはらんでいる。しかも児童の訴えを校長が無視した結果、救急搬送される事態を招いた点は絶対に許容できるものではあるまい。同時に請求の棄却を求めた八尾市側の判断も明らかに常識に反したもの。

 やはり大阪府と兵庫県の教育風土は突出して異常であり、その背景に何があるのかをマスコミはしっかりと追求し、報道すべきだろう。

遠足で「お茶買いたい」認めず、小1女児熱中症 「過失なし」と全面対決する学校

 の言い分 産経新聞 2024.4.9

 本来、学校の遠足や修学旅行は軍隊の行軍から派生したもので歴史的には鍛錬的な要素が強かった。しかし皇国民錬成のための遠足や体育の発想は遠い過去のものであるはず。

遠足だけでない…部活動での熱中症巡り相次ぐ訴訟、2億円超の賠償判決も 学校の

   過失焦点 産経新聞 2024.2.27

参考記事

「運動会や体育祭が嫌い」小中学生の4人に1人が回答「クラスで一致団結する空

 気が苦手」「"絶対に勝てよ"的な雰囲気が重い」

 まいどなニュース の意見 2024.5.25

 議論の題材として利用できるだろう。運動会、体育会は確かに盛り上がる学校行事の一番手ではあるが、それを苦手とする児童生徒が実際には少なからずいることに目を向けたい。重要なのは体育やスポーツが苦手だから運動会、体育祭が嫌い…とは限らない点であろう。

 勝利を目指して強調されるクラスなどの「一致団結」を不気味に、あるいは不快に感ずる児童生徒の感性を教師たちはどちらかと言えば嫌う傾向にあるように思うが、いかがだろう。いたずらに競争を煽る競技の数々が熱狂的な集団主義を生み出し、暴走気味の集団主義が最終的に醜悪なファシズム、悪質な集団イジメの土壌となりかねない点はぜひここでも認識しておきたい。

 勝利至上主義はともすれば行き過ぎた根性論をはびこらせ、スポーツ弱者への非難を強めがちである。下の記事と併せて児童生徒に読ませ、将来的な運動会、体育祭の望ましいあり方を提案させたい。

日本とフィンランド、実は「体育の授業」に決定的な違いがあった…! 「運動」の

 位置付けがまるで異なる 現代ビジネス 岩竹 美加子 の意見 2022.11.23

 運動部や体育、運動会(体育祭)の在り方を根本から見直す上で非常に参考となる資料。フィンランドと日本の学校教育の決定的な違いに注目したい。

なぜ「体育の授業で運動が嫌いになった」「大人になってスポーツが楽しい」という人

 がこれほど多いのか?   プレジデントオンライン 平尾 剛 の意見 2023.7.6

大阪の小学生17人が熱中症か 体育のリレーで体調不良、12人搬送

 朝日新聞社 によるストーリー 2023.7.7

 天気予報では熱中症の警告が出されているこの日の真昼、なぜ教師たちはリレーをさせたのか、その判断力が疑われよう。児童たちからすれば競争心を煽られるリレーともなると手を抜くことはあまり考えられない。チームのために多くの児童が必死に走ってしまうことは当然、予想できたはず。気温33度に達する猛暑の中、結果的に体調が悪くなる児童が出ても不思議ではあるまい。したがってたとえ児童全員からリレーをやりたいと懇願されていても教師は大人の判断としてリレーの中止を選択すべきであった。12人も搬送することになった責任は一体、誰がとるのだろう。児童の自己責任を問うことは出来ない。むしろ下手をすれば教師側が過失傷害罪を問われかねないほどの不祥事である。大阪、兵庫地区はけが人続出の組体操を長年行い続け、イジメ事件の隠蔽や体罰など、各種不祥事を連発させてきた。どうやら学校における行き過ぎた鍛錬主義と集団主義の見直しが急がれるのだろう。

大阪の小学生17人が熱中症か 体育のリレーで体調不良、12人搬送

 朝日新聞社 によるストーリー 2023.7.7

 天気予報では熱中症の警告が出されているこの日の真昼、なぜリレーをさせたのか、教師の判断力が疑われよう。児童たちからすれば競争心を煽られるリレーともなると手を抜くことはあまり考えられない。チームのために多くの児童が必死に走ってしまうことは当然、予想できたはず。

 気温33度に達する猛暑の中、結果的に体調が悪くなる児童が多少出ても不思議ではあるまい。したがってたとえ児童全員からリレーをやりたいと懇願されていても教師は大人の判断としてリレーの中止を選択すべきであった。

 12人も搬送することになった責任は一体、誰がとるのだろう。児童の自己責任を問うことは出来ない。むしろ下手をすれば教師側が傷害罪を問われかねないほどの不祥事である。

 大阪、兵庫地区はけが人続出の組体操を長年行い続け、イジメ事件の隠蔽や体罰など、各種不祥事を連発させてきた。どうやら学校における行き過ぎた鍛錬主義と集団主義の見直しが殊の外、急がれる地域なのだろう。

「午前中で終わり」「騎馬戦廃止」運動会の変化は学校に何をもたらしたか

   CHANTO web 2023.10.14

 コロナ禍が見直しのきっかけ、というのは少し情けない話でもあるが、とりあえず見直しが進むのは悪いことではない。元校長が指摘した地域住民や保護者への説明責任を学校側が果たすことが極めて重要であろう。

「止めたっけ…」 今年も止まらぬプールの水出しっ放し、防ぐには?

 毎日新聞 によるストーリー 2024.7.6

中学校でプールの水31時間流し続け、600トン流出…使用量増加に気づいた市

 職員が訪問し判明 読売新聞 によるストーリー 2024.7.6

 教師のうっかりミスによるこの手の水漏れ案件がこのところ続発している。税金の無駄遣いとならないよう、管理職が音頭を取って水道料のダブルチェック体制を整えるなど、個人に丸投げのプール管理のあり方を改める工夫が必要なのは当然だ。

 こうした案件が続発する背景には学校のブラック化だけではなく、管理職を含む教師たちの資質の深刻な低下が見え隠れしているように思えてならない。なぜ校長らはこうした事態を横目で見ていながら、実効性のある対策を何一つ打ち出せないのか、不思議でさえある。運動場などに放置されていた大量の釘の件と同じく、管理職を含む多くの教師たちが出来る限りにおいて「面倒なことは避けて楽をしたい、個人的な責任は取りたくない…」との思いを強く共有してしまっているのではあるまいか。

 教師たち全員が例外なく過労死レベルの勤務状態なのか、というと決してそうではあるまい。負担の重さには教師によってかなりデコボコがあることはどの学校でもよく観察される現象である。このデコボコをいかにして小さくしていくのか、は管理職の重要な任務であり、その成否は管理職の人事能力にかかっている。

 ところが事件が起きるような学校では普段から特定の顧問や担任に指導や解決を丸投げしていて、学年や生徒指導部といった教員集団をイマイチ有効に機能させていない傾向があるように思える。結果的に事件が表面化してしまうと管理職は管理責任を問われないよう、突如、率先して事件、事故の隠蔽や責任逃れに走る。そして隠蔽の時だけ、妙に学校は校長を軸に組織的に動いている…そんな印象が強くないか。

 時折、イジメ事件でも観察されるのだが、特定のクラス担任、担当教師に問題解決を丸投げする悪しき傾向が今、全国の学校に強まっていないだろうか。本来、深刻なイジメ事件は法律によって教師たちの組織的な取り組みが必須とされている。しかしこれまでの各種イジメ事件を眺めていると、いじめ防止対策推進法を守っている学校の方がむしろ少ない印象すら受けてしまう。

 教師のうっかりミスが連発する先に待ち受けているのは「うっかりミス」という言い訳が一切通用しないレベルの深刻な事故、事件に違いあるまい。