⑱校庭に潜むクギと学校事故
※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。
・辺野古転覆事故
参考動画
〇教員は乗船せず…状況明らかに 生徒死亡の高校会見 沖縄・辺野古 船2隻転覆2人死
亡【スーパーJチャンネル】(2026年3月17日) ANNnewsCH 3:24
教員が一人も乗船していなかったという驚くべき事実が明らかとなった。そもそも女生徒の存在から見ても、また2艘で20人近くの人数から見ても各船に一人ずつ、せめて二人くらいは教師として乗船すべきであろう。ところが教師は一人も乗船せず、であった。呆れるほかあるまい。最悪の事態を前提にして生徒の安全確保を図るべき通常の教師の思考からすれば、まったくあり得ないレベルの大失態であり、最優先すべき安全面の配慮を疎かにした学校及び引率教員たちの責任は極めて重大である。
沖縄への修学旅行ではかなり昔のことだが、高校生が潮に流されて死亡するという痛ましい事故があった。以後、マリン体験のほとんどを禁止する高校が出てきたのも個人的には頷ける現象であった。実際、私の経験ではホテルのプライベートビーチですら、生徒だけで散策することを禁じていた高校も20年近く前にはあった。
当然、沖縄修学旅行の事前学習として海の怖さや海の危険生物、ハブへの注意などに関してもかなり詳細に触れてきた過去がある。生徒の安全を第一に考えるのが普通の教師のはず…ただ、進学校ばかり経験してきた教師の中には、ややもすれば「大勢の命を預かっている」という認識から来るはずの緊張感を欠き、教師自身がお気楽な行楽気分で引率している方が散見されたことは残念ながら事実である。
もしかすると当該高校、私学でそれなりの進学校であるとすれば、聞き分けの良い生徒たちの存在によって教師たちがすっかり油断してしまい、生徒の安全確保に関してやや注意散漫になっていたのではあるまいか。
◎【小型船2隻が転覆】 現場海域では波浪注意報も「急な突風と横波」か 女子高校生1人
と70代船長が死亡 沖縄・辺野古沖 日テレNEWS 2026/03/16 3:45
あってはならない死亡事故であろう。当然、船を乗せた側の過失責任は重いが、学校側の責任も決して軽くはない。この動画では女生徒たちがスカートで船に乗り込んでいた可能性をうかがわせる場面が出てくる。仮にそうだとすれば指導にあたった教師たちの責任もまた厳しく問われることになるだろう。
加えて修学旅行に際しては大抵の場合、事前に教師たちが下見をすることになっている。少しでも危険が予想される場合には特に念入りな報告が校長らにも届けられているはず。一体、どのような報告があったのか、まず確認すべきだろう。
個人的には20年余り前、沖縄修学旅行の引率でグラスボートに10名余りの生徒たちと乗り込んだ記憶がある。確か12月頃だった。風が強くて波もかなり高く、船が大きく揺れて少し怖かったのを覚えている。ただし馬力のある観光用の少し大きめのボートなので、転覆する危険性はさほど高くなかったように当時は感じた。
今回、転覆した船はそれよりも小型船であり、揺れは相当激しかったに違いない。船体の左右のバランスを保つべく、乗員を左右均等に配置していたとしても、大波で急激に船体が大きく傾いてしまえば、船べりを掴んでいた手が離れ、乗員は左右どちらかに偏って移動してしまう危険性がある。実はグラスボートの場合、中央に海底を覗くためのスペースがあるため、結果的に人が突然片側に移動できないよう中央部で仕切られており、船体がバランスを崩す危険性も少ない。しかし、今回の船はそうした仕切りの無い、普通の小型船に過ぎなかったようだ。
つまり今回の船は波の状態によっては転覆する危険性が決して小さくはなかったと素人でも簡単に推測できるものであった。ならば、教師たちはせめて事前に生徒たちへ、イザという時に備えて最低でも上下ジャージ姿で乗り込ませる指導をとっておくべきだった。学校長の会見では海や船の事はよく分からないのですべて専門家=船長に判断を委ねていた、との発言があったが、教師としてあり得ない発言である。航空機の飛行に関してならば教師が責任を持てないのは分かるが、船の航行に関して教師がまったく分からない、では大人としての道理が通るまい。責任逃れも甚だしいのだ。
もちろん、当日の天候を踏まえれば、船長は万が一を考え、出航を諦めるか、より安全な航路に変更すべきだったに違いない。とはいえ、引率教師たちもまた転覆の危険性を予知し、少なくとも事前に生徒たちへ何らかの注意を促す程度の指導はできたはず。たとえば上下とも全員ジャージに着替えさせる、という厳し目に見える指導であっても、それが結果的には生徒たちに転覆の危険性を予め察知させ、お行儀の悪い一部の生徒たちによる船内での危険行為を予防することにも多少は役立つはずである(もちろん事故に遭った生徒たちはおそらく全員お行儀が良いのだろうが…)。
この事故、知床遊覧船のケースとは違って、船長や船を所有する団体などへ全責任を丸投げできる案件では決してない、と思うが、いかがか。
参考記事
〇辺野古転覆、生徒ら防波堤から乗船 現場視察の沖縄県議「誰が見ても危ない」
産経新聞 2026.5.1
しつこいようだが、修学旅行団側には生徒たちへの安全配慮の欠片も無かったことが続々と判明してきている。この学校がまともな校外学習をできるようになるには、そもそも組織の大幅な刷新を必要としていると思うのだが、いかがか。もはやこの組織に自己改革する力も、改革主体となる権利自体もほとんど存在していないのではあるまいか。
校外学習を早期に復活出来るように学校側が願う前に、教師たちが解決しておくべき課題は余りにも多い。こんな杜撰で無様な「引率」のあり方を見ると、校外学習の早期復活を願う裏側に、自分たちの責任回避といった自己保身が潜んでいるとすら疑われても仕方あるまい。
〇同志社国際高校が校外活動の自粛を決定 辺野古転覆事故巡り 危機管理マニュアルに
多くの不備、京都府が要請 ABCTV NEWS 2026.4.28
京都府として当然の判断であるが、学校側のコメントには相変わらず事態の深刻さを理解できていない、酷く危機感の欠けたピンボケぶりが窺える。
…高校は27日、「全行事の点検及び再発防止策の策定が終わるまで校外活動を自粛する」と、保護者に連絡していたことがわかりました。高校は、校外活動をできる限り早く再開できるよう、努めたいとしています…
とのことだが、この学校が今、目指すべきことは断じて校外活動の再開などではあるまい。その言葉を口に出す前に取り組んでおくべきことは数多くあるはずだ。学校や教師たちの安全意識の緩みが一体、どんな理由で生じていたのか、原因の追究は厳格に行われるべきである。さらに校長や教師たちの責任を一体、どこまでどう問うていくのか、こちらも決しておざなりにできる課題ではあるまい。また二度とこのような事故を起こさない体制をこれからどう作っていくのか等々、学校が検討し、解決すべき課題は山積している。
最優先すべき生徒たちの安全確保を、第三者からすれば呆れるほどのレベルで蔑ろにした学校…この際、組織の膿を徹底的に絞り出す覚悟が学校法人側には求められている。ろくに生徒の命を守ろうともしなかった学校が校外学習再開、などという極めて不謹慎で余りにも暢気すぎる発言をして良い立場にあるわけがない。
・同志社を現地調査へ、安全管理や平和学習の内容確認…辺野古沖の転覆死傷事故受
け文科省 読売新聞 2026.4.12
遅きに失した感は否めないが、ようやくにして文科省も重い腰をあげたようだ。しかし文科省の事である。この調査に大した成果は期待できないだろうが、安全対策への配慮を少しばかり喚起する一助くらいにはなるだろう。
◎辺野古転覆事故「リスク<教育目標」学校の重い罪
東洋経済オンライン 東洋経済education × ICT 2026.4.8
総論としては内田先生の指摘された通りである。論点が良く整理されていて大いに参考となる。ただしこの学校の体質には内田先生が指摘する以上のレベルで見過ごしできない、組織的問題があるように思えるのだが、いかがか。
修学旅行の引率、という職務に伴う責任の大きさに対する教師たちの考え、思いが余りにも浅過ぎるようで元教師としては唖然とするほかない。安全に対する学校側の事前指導にも大きな欠陥があったことはこれまでの報道内容から見てほぼ間違いないだろう。
生徒たちへの安全配慮に思いがほとんど至らない…生徒たちの命を預かっていることから生じるべき緊張感の欠片も感じられない…この教師集団が抱える組織としての病状は相当、深刻であると感じる。ただの油断、平和ボケ、という言い訳は決して通用しないはずだ。もしかすると学校全体が、既に解体的出直しを必要とする段階となっているのかもしれない。
〇<独自>私立高の修学旅行先、東日本18都道県で8都県が把握せず 平和学習に監督
が及ばず 産経新聞 2026.4.2
これはビックリする記事である。高校の修学旅行先の変遷は時代の流れ、流行も反映していて興味深いデータであろう。そのデータが公立高校に偏っている都道府県があるのは残念である。
かつて修学旅行先と言えば関東ではもっぱら京都、奈良であった。もちろん歴史学習を主眼とし、寺社の見学がメインであった。やがて教育困難校では歴史学習をメインにすることの難しさから次第に東北、長野などへのスキー体験を加えたものへと旅行先を変えていく学校が目立ち始めた。また困難校ではない高校も、京都・奈良方面に加えて大阪・神戸、特にUSJをコースに加える高校が増えていった。同時に奈良での宿泊を辞めてしまった学校も多くなった。
さらに修学旅行における飛行機の搭乗への制限が緩和されると、関東では2000年代から沖縄や九州への旅行が急速に増えていく。特に沖縄は困難校を含めて多くの高校が旅行先に選ぶようになった。
今後は私学の無償化が進み、多くの公立高校が淘汰されて私学が大幅に伸長する時代になると見られる。旅行の安全確保のためにも、修学旅行に関して都道府県はすべからく私学にもきちんとした報告(事前、事後とも)を求めていくべきだろう。
◎辺野古転覆事故】女子生徒死亡の同志社国際の保護者が怒りの告白 学校側の船長を
信頼の釈明に不信感 「学校と信頼関係が結べるのか心配です」
NEWSポストセブン 2026.3.31
…「去年の夏に学年主任と担任2人が沖縄に視察に行ったそうです。それなのに3人とも今回の船には乗らず、見てもいなかった。海上からの見学は2023年に始まり今回で4回目ですが、教員が(1日)2回の航行に同乗したのは2024年だけだったそうです。今回、引率した教員2人は波浪注意報が出ていたことも知らず、それで出航した。
先発した船に乗るはずの教員は24日の報道では『体調不良』とのことでしたが、25日の説明では『乗り物酔いするから乗らなかった』。後発の船に乗るはずの教員は乗らなくても大丈夫だと思ったから乗らなかった、と。仕事をする気がなかったとしか思えない」…
この学校の教員たちにはどうやら責任感の欠片も無さそうだ。次々と判明してくる教員の振る舞いには驚きを禁じ得ない。ただただあきれ果てるのみ。同じ教員とは思えないほどの無責任さであろう。おそらく修学旅行の下見に行った3人はタダで行けるラッキーな観光旅行としてひたすら旅行業者の接待を楽しんだだけではあるまいか。
徹底的にこの学校の教師集団における安全に対する取り組みの問題点を洗い出し、修学旅行や学校運営のみならず、教師採用のあり方(もしかすると同志社の卒業生に偏っているのでは…)まで根本から見直すべきであろう。低レベルの「馴れ合い」ほど組織を腐敗させるものは無いはずだ。
〇辺野古沖の転覆死亡事故、学校側が「第三者委」設置…研修旅行の実施経緯や対応
の問題点調査へ 読売新聞 2026.3.30
学校法人として当然の対応である。とはいえ、はてさてどのような調査結果が出てくるのやら…何はともあれ、他校においても同じ轍を踏まぬよう、教訓として随所で役立てられるような、しっかりとした調査が行われることを期待したい。
〇沖縄・名護湾で高校生「ボートが沖に流され戻れない」、1人は自力で戻り3人を救
助…教員は陸上で監視 読売新聞 2026.3.27
まだ詳細は不明だが、辺野古沖での転覆事故があったばかりであり、しかも同じ名護市内である。辺野古の教訓を生かせないこの学校と教員の鈍感さ、安全意識の低さには唖然とさせられる。仮に生徒がボートに乗る場合は、教員が一緒に乗船するか、背が立つレベルの浅瀬で、かつ教員が泳いでたどり着ける程度の距離の枠内にとどめておくか、どちらかの安全措置をとるべきだろう。
生徒が泳ぐ場合もボートと同様に離岸流によって沖合に流される危険性があり、通常は教師がボートに乗ってすぐにそばで救助できる状態を保つべきだろう。そもそも陸にいて安全確保できるのか、はなはだ疑問である。
幸いに犠牲者がでなかったとしても、この学校名はすぐにでも公表すべきであり、同志社国際高校と同様に厳しく糾弾されるべき事案ではないか。長期休業中の外泊を伴う部活の合宿の場合には学校として事前に詳細な活動計画を記した報告書の提出を顧問には義務付けていたはず。特に東京から沖縄への長距離移動であり、海洋生物などの調査を行う等の内容が記載されていたはずである。当然、報告書の記載内容を管理職はどこまで把握していたのかも、気になる点だ。
また、なぜ読売新聞は校名を発表しなかったのか、その理由についてきっちりと説明すべきである。と同時に学校側は顧問も含めてボートや遊泳の危険性について、事前にどれほどの指導をしていたのか、ただちに包み隠さず公表すべきだろう。仮にこの調査が以前から行われており、恒例となっていたとするならば、顧問への指導不足と見なされ、管理職の責任まで問われるはずである。
またもや過去の教訓を生かせず、学校側の安全意識の低さが露呈してしまった事件である。なぜこれほどの意識の低さが当該高校で生じてしまったのか、今後の詳細な報道がまたれる。もちろん生物部の顧問と部員たちとの馴れ合いの中でついつい安全意識が欠如してしまった…との言い訳はもう世間的に通用するタイミングではない。
〇沖縄・辺野古沖 船転覆事故 過去にも教師乗船せず出航 テレ朝NEWS 2026.3.25
案の定、この学校は過去にも同じ過失を犯していた。おそらく生徒と乗船しないことが教師の職務放棄とほぼ変わらぬ極めて無責任な行いである、という共通認識すらここの教師集団内には存在していなかったということだ。大人としての良識の有無が疑われる、というほかあるまい。この学校の危険性に対する鈍感さ、無責任体質を育んできた教師文化には空恐ろしささえ、感じてしまうのだが、いかがか。
敢えて厳しい言い方をすれば、生徒たちの命を預かっている、という真摯な職務に対する恐ろしいほどの無知、慢心、怠惰がこの学校には浸透してしまっている…
今後はなぜこのような無責任体制がこの学校で存続しえたのか、しっかりと究明する必要があるだろう。そしてこの学校が自らの無責任体質を完全に改められる間、この学校の遠足、修学旅行は全面的に中断されるべきである。
とはいえ以下に列挙されている通り、日本の学校事故を省みる時、児童生徒の安全確保に対する配慮の欠落が日本の多くの学校で生じているような印象を受けるのは私だけではあるまい。だからこそ人権意識や防災意識、設備すら欠損だらけにもかかわらず、どの学校も平気で避難所を引き受け、結果的に避難民を苦しめてきた、受け入れ能力を度外視して多様性尊重のもと障がい者や外国人を普通の学校で無制限に受け入れてきた、津波に際しては大川小学校などの悲劇を生み出した、校庭に数えきれないほどのクギを放置してきた、批判をよそに人間ピラミッドによる死傷事故を平気で繰り返してきた…違うだろうか。
この事故が物語るのは日本の学校教育の綺麗ごとの裏に隠されてきた本質的なうさん臭さ、欺瞞そのものではあるまいか。そしてひたすら教育予算をケチってきた日本政治の本質的な貧困が学校教育の欺瞞、偽善性を生み出してきたのではあるまいか。
〇「辺野古沖の抗議船転覆に思う 市民団体と学校の安全意識」 東浩紀
Yahooニュース 2026.3/24(火) 17:30配信
確かに私もこの事故をきっかけにして沖縄における米軍基地への反発や平和学習自体を貶める発信が急増しているように感じている。そしてこの事故の本質は安全への配慮義務に欠けた団体と学校の問題にあり、東氏の指摘するように、反米基地闘争や平和学習全体を否定する材料に利用することは許されまい。それは事故から得られる教訓を捻じ曲げ、ひたすら政治利用せんとする扇動家のやり方である。
私としてはあくまでも元教師としての観点に立ち、このような学校事故が二度と起きないよう、重要な教訓をここから得たいと切に願っている。そのためにも学校側の安全意識の様相を深掘りしたい、という考えのもと、発信している。改めて言うまでもないことだが、沖縄の米軍基地問題は現在においても極めて深刻であり、未解決の部分もまだまだ大きい。また沖縄戦の悲惨さから私たちが学ぶべきことは多く、沖縄修学旅行に平和学習を取り入れるのは高校教育の一環としてごく当然の内容ともいえる。以上の点はこの件をめぐる議論の前提として決して見誤ってはなるまい。
◎引率教員の不在は体調不良のため 他の教員も代理で乗船せず 同志社国際高が釈
明 産経新聞 2026/3/24
代理だから乗船せず、というのは何一つ釈明にはなるまい。代理だろうが何だろうが、引率教員が生徒たちと乗船することはマストである。自分たちだけ安全な場所にいて、生徒たちばかりを危険な目に遭わせてしまった責任は余りにも重大。
あらかじめ決められていた教員がなぜ二人も同時に体調不良になってしまったのか、代理の教師たちはなぜ乗船しなかったのか…元教師からすればかえって強い疑念と不信感が次々と湧いてくる。
仮にやむを得ない理由があって教師たちが乗船できないのであるならば、波浪注意報が出ていた状況を踏まえて生徒たちだけの乗船を中止する、といった大人としての判断も十分有りえたはずである。生徒の命に係わる重大な判断を安易に船長らに丸投げする…といういい加減なレベルで教員らが判断をしたとするならば、彼らも校長と同様、教師として、大人としてまともな責任感があるとは思えない。
やはりこの学校、教員集団、どこかが狂っているに違いない。もしかするとこのコースを始めた時から現在に至るまでの間に、教師が乗船しなかったケースが複数存在していたかもしれない。また旅行前、このコースの下見を繰り返し、教師たちはしてきたはず。下見の際、教師たちは乗船したのか、乗船したとすればどのような報告が引率教師らに提供されてきたのか…早急にその実態を過去にまで遡って調べ、保護者たちに納得できるような、具体的かつ詳細な説明を学校側は行うべきだろう。
学校側は事故現場で誰がどのような判断をしたのか、判断の根拠も含めて詳細に説明する必要がある。とすれば保護者への説明会ではもはや校長だけではなく、引率教師たちによる釈明も求められるべきだと私は思う。
◎修学旅行に絡む児童生徒死亡、20年間で全国で計22件 同志社国際高マニュアルの不
備は 産経新聞 2026.3.24
高校側のマニュアルがどのようなものであり、なぜ、教員が生徒たちと一緒に乗船しなかったのか、等が報道を通じて詳細に明らかとされない限り、この事故は今後の教訓とされることなく、瞬く間に忘れ去られてしまうだろう。そして残念ながら高校側の修学旅行における安全確保に関わるマニュアルは私の知る限りいまだに報道されていない。なぜ、学校事故の教訓がこれまで生かされてこなかったのか、その理由がこうした表層的報道のあり方や学校側の自己弁護的、自閉的姿勢にも見え隠れしているのだろう。
…医療費や見舞金が給付される「災害共済給付制度」。この制度を運営するJSCのデータベースによると、平成17年~令和6年度に学校行事中の事故で死亡見舞金を支払った事例は計87件あり、このうち修学旅行は計22件…と記事にある。JSCという組織のデータ(日本スポーツ振興センター「学校等の管理下における死亡見舞金の状況」)を参照しなければ、学校教育下での死亡事故の統計はほぼほぼ確認できない点にまず大きな問題があるだろう。つまり、報道側や学校側が自らの手でよほど積極的に学校事故の事例や統計を探さない限り、事故の教訓を学ぶことは出来ないのである。ここには厚生労働省と文科省と縦割り行政の弊害もあるのかもしれない。
「校庭に放置されるクギ」問題や「人間ピラミッド」問題などがこれまで長らく放置されてきた背景にも、学校事故の統計や事例集が多くの教師たちにしっかりと共有されてこなかった、同じような構造があると私は感じている。
このような状況下では、修学旅行などの学校行事における安全マニュアルが漠然としたものになりがちなのは当然である。具体的な事故の事例と統計が示されないままでの抽象的な注意点の羅列が説得力をもつはずはない。
沖縄ではカヤックなどでマングローブの湿地帯を見て回る体験学習が人気となっている。波のほぼ無い浅瀬が多く、命の危険まではあまり無いだろうが、それでもカヤックの漕ぎ方や転覆した際の対応などは業者から事前にそれなりの時間をかけて指導されている。当然、救命胴衣は必須である。修学旅行におけるカヤックの死亡事故はこれまで報告されたことはあるのだろうか。おそらく無いはずだ。
マリン体験は沖縄修学旅行においてこれまでも生徒たちにとって大人気コースとなっており、それだけに学校側は安全確保に対して細心の注意を払ってきたはずである。業者側もそれなりの事故事例と教訓を共有してきたに違いない。
今回はそうした観光業者ではない団体が、安全性に大きな問題のある小舟で、しかも波浪注意報の出ている外洋に出てしまっている。加えて元教師としては驚き呆れることだが、教員が一人も乗船していない。
これほど杜撰なコースを学校側は何ら疑問を持たずに設定し、何年もの間見直すことも無く漫然と繰り返してきた…そのこと自体がそもそも常識的な安全マニュアルから完全に外れている、余りにも非常識で無責任な行為であることはもはや疑いようが無い。これは生徒の安全確保を最優先すべき学校としてあるまじき大失態である。
ならばなおさら学校側の安全への配慮を欠いたコース設定は、その意思決定の経緯の詳細を含めて公開されるべきである。そして多くの学校の教訓となるよう、その情報はしっかりと共有され、末永く記憶されていくべきではないのか。
◎「平和丸」船長の男性、記者の呼びかけに応じず 辺野古沖転覆で11管が実況見分
産経新聞 2026.3.22
この件に関する報道のあり方にやや違和感を覚える。もちろん船の運航に関わった団体の責任は極めて重大であり、報道各社が責任追及を続けること自体はマスコミとして当然のことではある。しかし、高校側の安全に対する認識の甘さにも、もっと鋭い追及が行われてしかるべきではないのか。
加えて学校が沖縄での平和学習を重視していることに疑問を持ち、批判する文脈での発信も目立っている。特に辺野古への基地移転を反対する勢力への攻撃材料としてこの件が利用されている傾向には危うさを感じる。
この件で学校関係者が重点を置くべきなのは、この件の教訓を生かして同じような事故の発生を未然に防ぐことだろう。今後の修学旅行のあり方を考える上でも、元教師の私としてはそこに徹底的にこだわりたい。
なぜ、教員は生徒と一緒に船に乗らなかったのか、7つのコースにどのような教員を引率者として配置したのか、事前の引率計画はどのようなものだったのか、旅行団のトップは計画に対してどのような点検を事前におこなっていたのか…学校関係者として知りたいことは山ほどあるのだが…私の疑問に答えてくれるような報道がいまだになされていないように見えるのは極めて残念である。
〇辺野古の船転覆 海の危険甘く見た学校の責任 読売新聞 2026.3.19
◎辺野古転覆 学校側の甘い安全対策浮き彫り 船長任せ、教員乗船せず、「抗議船」説
明なく 産経新聞 2026.3.20
平和学習の内容に関する疑義は確かにあるが、ここでは詳細な内容や意図、事前学習からの流れが不明なので言及しない。ただし抗議船に乗ることと平和学習とは必ずしも直結しないし、平和学習という高尚な目的の陰で慎重に慎重を重ねるべき安全への配慮が教師側に欠けていたことはもはや疑いようがあるまい。
平和学習の具体的内容をしっかりと把握できていない校長の釈明会見は、どこか漠然とした言い訳ばかりで、他人事のようにしか聞こえてこなかった。結局は管理職として安全への配慮が大きく欠落していた、という印象だけしか伝わらなかった。これでは事故の原因究明と再発防止に役立つ具体的な情報が余りにも少ない。
今後は引率教員の責任者が事前にどのような安全確認をしていたのか、詳しい報告が必要とされてくるに違いない。なぜ小舟への乗船という安全への配慮を要するコースに37人もの生徒を割り当ててしまったのか、なぜ、たった2人の教員しか引率させなかったのか、なぜ、教員は乗船しなかったのか、教員の配置の決定、役割分担はどのような考えのもとに決定されたのか、旅行団の団長(副校長?)及び学年主任はどこまでこのコースの内容を把握していたのか、安全への配慮を教師たちへどこまで求めていたのか、特に乗船組の引率を任された2人の教員のおよその年齢と性別、水泳能力の有無についても学校側はしっかりと隠すことなく公表すべきだろう。
参考記事
〇横浜市中学校給食、「いま」を見ず減らなかった異物混入 産経新聞 2026.3.26
…横浜市ではデリバリー方式による中学校給食での異物混入などの報告が昨年度1年間で342件あった。今年度も2学期までに275件と減る気配はなく、そのうち「重大な健康被害に至る可能性がある混入」が6件。いつ深刻な被害が現実のものになっても不思議ではない状況が続く…
なぜ横浜市教委が即座に動かないのか、理解に苦しむ事例である。給食への異物混入は児童生徒の健康と安全に直接的にかかわる重大事件であるはずなのに、事態の改善が一向に見られないのはなぜなのか、なぜ、市民は声を上げないのか…疑問は尽きない。
「髪の毛が混じったご飯」「カメムシが入ったすまし汁」…被害者の中学生たちが給食の時間をどのような気持ちで今も過ごしているのか、市教委は本腰を入れて一度でも調査したことがあるのだろうか。このような状況のままで皆さんは自分の子を横浜市の中学校に進学させたいと思うのだろうか。
子ども不在、生徒全員を見事に置き去りにする教育行政…横浜市教委、どうみても凄すぎる杜撰さ、無責任さである。
◎【速報】小4男児死亡プール事故、当時教諭だった女性(27)に禁錮1年4か月・執行猶
予3年有罪判決(高知地方裁判所)当時は体育主任として現場に、業務上過失致死の
罪に問われていた KUTVテレビ高知 2026.3.25
まだ校長らの判決が出ていないので、判決に対する全体的な判断は控えるべきなのだが…「禁錮1年4か月・執行猶予3年」の高知地裁の有罪判決…余りにも残酷な判決に対し、元教師としてはひたすら慄くしかない。
音楽部担当の若い女性教師(現在27歳)が突然、学級担任とともに体育科主任とされてしまった事自体、専門性と経験や年齢を無視した極めて異常で惨酷すぎる人事である。そもそもこの非道な人事を承認してしまった管理職の責任は極めて重大であろう。判決には若い女性教師の弱い立場が基本的に考慮されておらず、残念な判決というほかあるまい。このような判決がまかり通るようであるならば、今後、高知県の教員不足はさらに悪化するに違いない。
小学校のプールの故障が事故のきっかけを作っている(前任者の管理責任があるはず)、女性教師が中学校のプールでの水泳授業に不安があることを校長に訴えていた(教育委員会と相談するという動き以外にも校長にはできることが沢山あったはず)、残業時間が月に50~100時間であった(学級担任が自分の所属以外の学年の授業を受け持ち、しかも専門外で初めての教科を主任として担当するというハードルの異様な高さ)…こんな過酷さの中で一体、誰が働きたいと思うだろう。
この人事ではむしろ起きるべくして起きた事故ではないのか。未経験な若い女性の責任を情け容赦なく問う地裁の冷酷極まる判決には絶望しか感じない。
〇卒業式の最中に3年生全クラスで現金窃盗、実は昨年末にも数万円盗まれる被害…
やはり教室以外で授業中 読売新聞 2026.3.18
卒業式等の学校行事中に現金などの窃盗事件が発生する学校は決して少なくない。個人的には毎日のように窃盗が発生していた学校に長くいたので、基本的な対応の在り方は困難校の場合、ほぼ共通していた。卒業式の間、全教室を施錠しておく、というやり方である。教師たちが各教室を巡回できるほど、教師の人数は余っていないので、ほぼこのやり方しか思いつかないはず。
過去の経緯からして当然、件の学校でも同じやり方で式に臨むべきだっただろう。なぜ、各教室を施錠しておかなかったのか、学校側の対応の不備が厳しく問われるに違いない。
なお、とある高校でかつて授業中での火災報知機のイタズラが30分くらいの間隔で発生していた時期があった。そこでやむを得ず(消防法等、法的には多少の問題があるだろうが)、その高校では消防署に通知して一定時間、火災報知器の電源を切っておく、という対応をしばらく続けていたことがあった。また同じ高校だが、生徒たちが徒党を組んでいくつもの消火器を噴霧させ、4階の窓から階下に投げ捨てる事件があった。このため、しばらくの間、消火器をすべて学年室に集めていたこともある。さらにはトイレでの恐喝やナイフによる傷害事件があったため、最終的には男子トイレのドアを外しておく、同時にトイレの鏡や電灯のスイッチが再三、壊されてしまうので、トイレの鏡やスイッチを撤去したこともある。
学校に警察を頻繁に入れることをためらう管理職や教員は少なからず存在するが、教師の力だけではいかんともしがたい場面、タイミングは学校によっては少なからず訪れる。とりわけ危険なタイミングは、高校入試、入学式、卒業式、体育祭、文化祭、遠足、修学旅行であろう。遠足や修学旅行では警察の導入が難しいが、それら以外は地元の警察署の協力で年によっては校門付近や校内を巡回していただいた。
とりわけ厳しい状況の高校では校外の高校生と同世代のヤンキーが侵入してくるだけではない。大人の犯罪者が来校してくる場合(組関係に限らない。後に殺人事件を起こした人物が乱入してきた事もあった)もある。時には警察の力に頼らなければ生徒だけでなく、教師の安全も守れない…そんな学校も実際にはあるのだ。
◎ひろゆき氏「代わりに払います」 小学生に22万円の賠償命令で保護者に呼びかけ
「マジでかっこいい」の声 sirabee 2025.1.17
ルールを守ろうとしない老害そのものの高齢者が我が物顔で校庭に侵入して児童とぶつかり、ほとんど自己責任でケガをしたのに学校や保護者を相手取って訴訟を起こす、という珍事であるように見えるのだが、いかがか。高裁の真っ当な判決理由とわずかな額とは言え高齢者の要求に屈して保護者の賠償を認めた判決との間に横たわる矛盾は極めて大きいだろう。ひろゆき氏が判決に憤慨するのも頷ける。
この判決についてどう思うか、まずアンケートを通じて生徒たちにたずねてみたい。アンケートの結果が出次第、議論に持っていくと面白いだろう。
論点は判決の是非以外にもある。ひろゆき氏の提案である。22万円をひろゆき氏が肩代わりするのはいかにも筋違いと考えるが、いかがか。さかのぼればルールを守れない高齢者に放課後の使用を許可してしまった校長の判断ミスと、使用時間を守らなかった高齢者への使用許可取り消しを即座に実行しなかった校長の怠慢、という二点において学校側の責任は決して軽くはあるまい。22万円を高齢者に払うとすれば、それは保護者でもひろゆき氏でもなく、そもそもの原因を作った校長が払うべき金額であろう。もちろん保護者も児童も基本的に賠償責任は無いと私は考える。ただし児童が故意に高齢者とぶつかってしまったならば話は完全に振り出しに戻るが・・・
そもそも、教師たちの勤務時間内である限り、放課後の校庭はもっぱら児童たちのものであるべきではないのか。各地の公園などで遊び方への様々な厳しい規制が設けられてきた現在、放課後の校庭くらいは学校側の責任においてできるかぎり危険を排除した上で、子どもたちの自由に任せてやりたい。少なくともルールを守れないような高齢者に校庭を明け渡す理由など一つもあるまい。あくまでも校庭は児童生徒のために設計され、運営されてきたものなのだ。放課後の校庭の意義がよく理解できていない校長の方にこそ、大きな問題が潜んではいまいか。
◎高校サッカー試合中落雷事故「予兆なく発生」も指導教諭らは注意義務違反? 悲劇
防ぐ 「ためらわない」判断力 弁護士JPニュース によるストーリー 2024.4.10
この悲劇的な事故を不運な出来事と捉えているうちは落雷による悲劇を防ぐことはできないだろう。屋外で行われるスポーツはすべて同じ危険性をはらんでおり、児童生徒自身の判断での回避が難しい条件下では顧問の判断が生死を分ける。したがって顧問の責任は極めて重大であると考えざるを得ない。
実際、落雷の予兆を察知するのは非常に難しく、特に相手方のある試合等の中断を判断するのに悩まされるケースは多かった。とりわけせっかく苦労して日程を組み、時間をかけて会場を整備した公式試合ともなれば会場責任者の決断は苦渋に満ちたものになるかもしれない。しかしその苦渋は児童生徒たちの命と比べればまったく価値のないものに過ぎないはず。判断を渋って避難の時間を遅らせることが絶対にあってはならないのだ。
とはいえ学校におけるこうした事故が後を絶たない背景に教師たちの過重な負担があることは間違いあるまい。顧問たちの家族を犠牲にして休日に行われる公式の大会は雨天順延が原則。つまり順延となればその後の個人的な予定はキャンセルされ、家族の不満は募る一方となる。家族の行事が基本的に順延できない性質のものだとしたら猶更である。
また平日に順延されれば顧問は急いで自習課題を用意し、学校に連絡して自習監督を依頼することになる。つまり試合は期限内に必ず実施されなければならないため、雨天等の順延は間違いなく顧問たちの負担を増やすことにつながるのだ。こうしたことが予想されるため、大会責任者が時に土砂降りとなっても試合を続行することすらかつては少なくなかった。そうした危険をはらむ判断に対して責任者以外の顧問たちが意見することは、責任者の気持ちを忖度するときわめて難しくなるのは心情的に理解できる点がある。
しかし結論から言えば落雷の危険性が少しでもある場合は中断や延期の判断を遅らせてはならない、ということになるだろう。そうした決断に強い抵抗感や無理を感じる人ならば運動部の顧問を辞めるべきなのである。最悪の事態は試合の延期などではなく、事故による児童生徒への被害の発生なのだ。
ただし以上の結論は正直に言えば教師の心情からみてあまり現実的ではないようにも思える。つまり多少の危険を承知の上で無理をしてでも日程を消化してしまいたい、という強い欲望に逆らえる教師はそう多くないのではあるまいか。実際、自分の経験でも落雷の危険を感じて練習や練習試合を中断したことは何度かあった。生徒を校舎内に避難させた途端に落雷と土砂降りが始まり、かろうじて間に合ったことにホッとした時もあった。しかしよくよく考えてみればその時、既に手遅れになっていた可能性は決して低くなかったはず。
ほとんどの顧問は実際のところ結果的に運が良かったために事故に遭わずに済んでいただけなのではないのか。ただ単に落雷の被害に遭う確率の低さゆえに事故に遭わずに済んできたのだとすれば熊本での事故の責任をかの顧問に問う資格など私にはあるまい。私が事故に遭わずに済んだのはやはりただの偶然に過ぎないのだ。決して雲行き、天候の急変を見抜く力があったわけではない。
根本的に考えれば今の教師のブラックな働き方においてはこのような事故を完全に防ぐことなど不可能に近いだろう。仮に個々の顧問の責任が問われないようにするとしたならば、雷注意報が出された時点で屋外におけるすべての学校スポーツの中断を求める絶対的指令を情け容赦なく機械的に出すほかあるまい。個々の顧問の判断に任せているから事故が生じてしまうのだ。ただし誰がその指令を出すのか…どの地域を限定して出すのか…指令はいつ解除されるのか…等々、実施上の難点は少なくない。
ならばいっそのこと、高校を含め、すべての部活動を地域社会に完全移譲するのはどうだろう。今はそれしか児童生徒と教師たちを守る手段は無いのではあるまいか。地域社会に移譲できれば指令の主体は自治体であり、責任は市町村が負えばよい。いかがだろう。
たとえば以上のことをぜひ授業を通じて生徒たちに考えさせたい。これは多くの生徒にとって他人事ではない悲痛な事故であり、かなり真剣に考えてくれるはずだ。
◎小中高校の死亡事故456件、7割が国に未報告…文科省が指針改定で学校の調査
対象や方法を明示 読売新聞 によるストーリー 2024.2.27
○小中高校での死亡事故報告が不徹底、盛山文科相「改善が望まれる」…今年度内に
指針改定へ 読売新聞 によるストーリー 2024.2.27
悲惨な学校事故がなぜこうも繰り返されるのか、これまで幾度も疑問が呈されてきたが、その都度、教育委員会や校長から事故発生の原因究明と再発防止に努める、との聞き飽きた形式的な声明が打ち出されてきただけ。
今回、その背景はいまだボンヤリとしているが、しかし学校教育の闇の奥がわずかながら透けて見えてくるような衝撃の事実が判明したようだ。
死亡事故ですらそのほとんどが国に報告されておらず、事故防止の教訓が学校現場で広く共有されることすらなかった…尊い命の犠牲が長きにわたってほとんど学校現場に生かされることなく徒に埋もれてきた…この事実が何を意味するのか、誰しもが考えれば考えるほど学校、教育行政側の対応に見られるあまりの無責任さ、杜撰さに怒りは収まらなくなるに違いない。
記事では学校の忙しさが未報告の理由に挙げられているが、この件に限ってはその手は通じないだろう。間違いなく学校業務の優先順位の第一位は児童生徒の安全確保であり、その命を守ることである。まして死亡事故ならば文科省への報告が必須となるのはもはや疑問の余地無し。また当然のことながら学校教育には死亡事故がつきもの、といった時代遅れで無責任極まる野蛮な認識は今時、世間の共感を得られるものではない。
通常、学校での事故による児童生徒のケガが発生した場合、関係するクラス担任や顧問などの教師は学校保健の手続きのために、事故の発生場所、日時、状況、経緯、考えられる主な原因…などを所定の用紙に記入して保健室へ提出するように義務付けられている。私としてはその後、用紙は学校保健の手続きだけにとどまらず、コピーされて関係部署に送られ、学校事故の統計などの資料に有効活用されているものと考えていた。
もちろん学校保健上での全国的統計はこれまでもなされていただろうが、同時に事故の多い体育の授業や運動部の指導、体育祭などにそのデータは事故再発防止のためにしっかりと活用されているものとこれまで思い込んできたのだ。
一体何のための書類作成だったのか…完全に裏切られた気分である。
体育祭などでの人間ピラミッド、騎馬戦、特定の部活や体育の種目でなぜこうも執拗に重大なケガや死亡事故が繰り返されてきたのか、その反省が十分に生かされてこなかった理由の一端はこれでハッキリと示されただろう。冷静に振り返れば確かにこれまでの学校現場では事故発生の状況や原因についてのまともなデータが完全に不足しており、教師間でのデータの共有はほとんど無かったといって良い。もちろん当事者であった自分の認識の甘さ、迂闊さは遅ればせながら深く反省すべきである。
一般教職員、さらには教育委員会や学校管理職にある者たちの児童生徒の命、安全に対する認識と関心の欠如がまずは指摘されよう。さらには学校側の落ち度を探られないよう、事故発生の本質的要因を探られないようにするための姑息な隠蔽体質が学校教育村の隅々まで蔓延している…ということに改めて気付かされる。
こうした教育行政の古くて閉鎖的な体質が他方で学校でのイジメをもはびこらせ、教師による暴言、体罰、シゴキを温存させ、終いには組織ぐるみでの事件の隠蔽をはびこらせてしまった大きな要因なのはもはや疑いようもあるまい。
〇校・園庭から くぎ3917本除去 金属探知機で足立区が点検
東京新聞 2023.10.21
この数字をどう評価するのか、アンケートをとって生徒の印象をまとめてみるのも良いだろう。さらに、なぜこのような杜撰な安全管理が教育の世界でまかりとおっていたのか、原因をできるだけ多く挙げさせたい。また主たる原因はどれなのか、意見を集約してみよう。以後、どれが主因なのか、のアンケート結果をもとにグループ分けし、検討をしていくための材料探し等を通じて、各グループで主因の深堀りをさせていくと面白いかも。
〇小学校校庭の大量くぎ問題 実効性ある安全点検は「学校任せ」でよいのか…
東京新聞 2023.6.19
案の定、校庭の釘放置は都内各所で確認されている。都や区の教育委員会の指導がこれまでどうだったのかが、厳しく問われよう。小学校では近年、相次いで英語や情報といった新しい授業が導入され、教師はその対応に追われている。確かに多くの教師たちには時間的、体力的余裕がない。しかし本来、児童生徒の安全確保ほど教師が優先すべき作業・点検項目はないはず。教師のゆとりが無いからといってこれを業者任せにする発想はどう考えても芳しくないだろう。むしろ教師たちが校庭の安全点検をきっちりと行えるだけの時間的、体力的ゆとりを確保していくことこそが最も優先される課題と思うが、いかがか。
安全性の確保・点検は校庭だけではなく、当然、各種教室や階段、駐車場、体育館、遊具、U字溝のフタなど、学校の隅々まで実施できなければなるまい。児童生徒と日常的に向き合っている教師でなければ、目が行き届くことの難しい箇所だって少なくない。様々な施設・用具があり、死角の多い学校空間である。
ごく短時間しか学校に来られない業者が児童生徒の予想しがたい動きをも想定した点検ができるのか、疑わしくはないだろうか。たとえ予算がついて特定の業者に任せられたとしても、本当に実効性のある安全確保など外部の業者には極めて難しいと思うが、いかがか。
もちろん、児童生徒の健康や安全確保を最優先する心構え自体が従来の日本の学校には圧倒的に欠けていた側面があることも否めないだろう。深刻な組体操の事故が相次いでいても決して止めようとしない学校はいまだに少なくない。また暑い日であるにも拘わらず敢えて運動会や長距離走を強行したり、蒸し暑い体育館で長時間にわたり全校集会、学年集会を強行して大勢の児童生徒を体調不良に陥れることを繰り返す学校も少なくない。
今や傷害罪に問われるかもしれないような、我慢大会と化した学校行事の数々…そうした戦前からの集団主義的、鍛錬主義的な教育の在り方は時間をかけて徹底的に見直すべきであろう。そしてそのためにこそ、教師たちには児童生徒の健康と安全を確保する地道な点検作業だけはむしろ万難を排してでもすべからく、怠りなくやり続けていくべきである…今後、様々な学校事故を少しでも着実に減らしていくにはそれしかあるまい…と思うのだが、いかがだろう。
実は学校でのケガ、体調不良の発生を安易に児童生徒の自己責任・自己管理能力の欠如と決めつけるような、学校事故・事件の当事者意識に欠ける教師は現在も決して少なくない…というのが私の正直な実感である。
◎校庭のくぎ問題、続々見つかる 江東、北、江戸川区の小中学校、幼稚園などから
計1236本 東京ニュース 江東区 2023年6月1日
何と校庭への釘放置問題は杉並区にとどまらず、北区、江東区、江戸川区でも広範に確認されたという。私としてはビックリ仰天の出来事なのだが、おそらく他の区でも、いや全国の学校でもこれは少なからず露見してしまうようなありふれた事象なのであろう。
だとすればこの問題は日本の教師たちが普遍的に抱える、子供たちに対する人権感覚の低さが学校風土全体にはびこっていることを示しているのかもしれない。でなければ20年近くもの間、クギは放置されてこなかったはずである。
○校庭から約5000本の釘やペグ状の金属見つかる 東京・品川区内の23の小
中学校 テレ朝news によるストーリー 2024.4.30
確かに高校の校庭でも小さからぬ数の石が埋もれていたことは幾度か体験している。部活動で生徒たちが転倒やスライディングなどした際に危険なので見つけ次第掘り起こして校庭の端に捨てていたが、この場合は誰かが故意に石を埋めていたわけではあるまい。精々、事務長か誰かがグランドの土を入れ替える際に費用を節約するため、砂礫の混じる安い土を業者から購入してしまったのが最大の原因なのだろう。釘を故意に放置していた東京都の案件と比べればそれほどの「悪意」は覚えない。むしろただでさえ少ない学校の予算の中での、苦しいやり繰りから生じてしまった、ある程度はやむを得ない出来事だったとさえ思われる。
それにしても校庭の釘問題、なかなか奥は深そうだ。二言目には子供たちの健康と安全を口にしながら、性懲りもなく体育祭や運動会での事故、熱中症の集団発生を繰り返してしまう日本の学校教育の持つ人権意識の低さは本来、最優先されるべき子供たちの安全への配慮に綻びをうみ、肝心な場面での気の緩みを招く。積年、校庭に放置された釘の数々はそうした教師たちの心理を雄弁に物語っているに違いない。
・学校事故と体育の授業
参考動画
◎【衝撃動画】大阪府八尾市の中学校組体操10段ピラミッド崩壊事故
2015/10/05 3:49
古い動画だが、このテーマの導入として利用できるだろう。なぜ、学校は危険を承知でこのような種目を温存してきたのか、生徒たちに理由を挙げさせてみたい。
参考記事
〇10段の人間ピラミッドが崩壊、6人重軽傷 尾木ママ「大人の安全意識が低すぎ
る」運動の秋、気になる事故が起きています。
2015年10月05日 21時35分 JST 安藤健二The Huffington Post
〇なぜ生徒の死亡事故も起きた組体操を強行…“他校への対抗心”で暴走する一部教師
たち business journal 2019.11.07 文=粟野仁雄
〇中学生、部活で頭部負傷し緊急手術 顧問は119番せず 名古屋
毎日新聞 によるストーリー 2024.6.14
〇大豪雨なのに集団登校なんて、まるで軍隊…豪雨で見えた「学校現場の命に関わる
ナンセンスルール」FORZA STYLEオピニオン 2023.6.5
参考動画
◎【体育】前へ習えや整列は必要?水泳授業で溺死が減った?義務教育における体育
授業の役割とは ABEMA Prime #アベプラ【公式】 2022/05/26 14:20
夏野氏の体育不要論はかなり重要なポイントをついていて実に面白い。討論の議題にすれば議論百出し、かなり盛り上がるだろう。
※参考記事
◎世界的に珍しい学校のプール、熱心な水泳授業は武芸が由来?…見直される学ぶ目的
読売新聞 によるストーリー 2024.8.11
東京オリンピック(1964)を機に学校の水泳授業が急速に拡大した背景には武道の水練の伝統
と島国にありがちな水難事故の多発があったようだ。しかしそれから60年余り経ち、高度経済成
長時代時代はとっくの昔に終わってしまった。教育予算の削減が進み、学校ではプールの維持費
用が大きな重荷となっている。この際、学習指導要領を見直し、水泳授業の必修を止めて費用と
労力の軽減を図るべきだろう。
〇嫌いな教科第3位の“体育” イマドキ授業は「自分で選ぶ」 名古屋市
中京テレビNEWS 2022/08/04 4:41
興味深かったのが小学校では国語の授業への嫌悪感が伝統的に強いこと、近年、算数や体育の授業を苦手に感じる子が増えてきているということ。なぜそういった結果になっているのか、その理由をもう少し深堀りしてほしい。
〇[NHKスペシャル] 重い後遺症も…。運動会の「むかで競走」で繰り返される事故 |
いのちを守る学校に 調査報告“学校事故” | NHK 2023/07/19 5:34
◎[NHKスペシャル] 窓からの転落死、給食での窒息死…8729件の記録 | いのちを守
る学校に 調査報告“学校事故” | NHK 2023/05/12 4:39
学校事故の調査結果の共有、原因の究明、再発防止策の提言…当然、行われるべき対応がなぜ行われてこなかったのか?児童生徒の健康、生命を守るべき学校で一体何が起きているのか、何が行われているのか、外部からはうかがい知れない闇がある。
選択の幅を拡げる努力、工夫が日本の学校には不足しているだろう。
◎遠足で小1女児の「お茶買いたい」認めず、熱中症で救急搬送 学校側を提訴
産経新聞 2024.2.27
校長の判断だったことに驚く。事件の経緯から見れば学校側の責任はかなり重大であり、通常ならば校長の適格性が疑われ、降格処分は避けられないだろう。そもそも体調がすぐれなかった児童を担任が半強制的に遠足に参加させたこと自体、大きな問題をはらんでいる。しかも児童の訴えを校長が無視した結果、救急搬送される事態を招いた点は絶対に許容できるものではあるまい。同時に請求の棄却を求めた八尾市側の判断も明らかに常識に反したもの。
やはり大阪府と兵庫県の教育風土は突出して異常であり、その背景に何があるのかをマスコミはしっかりと追求し、報道すべきだろう。
○遠足で「お茶買いたい」認めず、小1女児熱中症 「過失なし」と全面対決する学校
の言い分 産経新聞 2024.4.9
本来、学校の遠足や修学旅行は軍隊の行軍から派生したもので歴史的には鍛錬的な要素が強かった。しかし皇国民錬成のための遠足や体育の発想は遠い過去のものであるはず。
○遠足だけでない…部活動での熱中症巡り相次ぐ訴訟、2億円超の賠償判決も 学校の
過失焦点 産経新聞 2024.2.27
参考記事
◎「運動会や体育祭が嫌い」小中学生の4人に1人が回答…「クラスで一致団結する空
気が苦手」「"絶対に勝てよ"的な雰囲気が重い」
まいどなニュース の意見 2024.5.25
議論の題材として利用できるだろう。運動会、体育会は確かに盛り上がる学校行事の一番手ではあるが、それを苦手とする児童生徒が実際には少なからずいることに目を向けたい。重要なのは体育やスポーツが苦手だから運動会、体育祭が嫌い…とは限らない点であろう。
勝利を目指して強調されるクラスなどの「一致団結」を不気味に、あるいは不快に感ずる児童生徒の感性を教師たちはどちらかと言えば嫌う傾向にあるように思うが、いかがだろう。いたずらに競争を煽る競技の数々が熱狂的な集団主義を生み出し、暴走気味の集団主義が最終的に醜悪なファシズム、悪質な集団イジメの土壌となりかねない点はぜひここでも認識しておきたい。
勝利至上主義はともすれば行き過ぎた根性論をはびこらせ、スポーツ弱者への非難を強めがちである。下の記事と併せて児童生徒に読ませ、将来的な運動会、体育祭の望ましいあり方を提案させたい。
◎日本とフィンランド、実は「体育の授業」に決定的な違いがあった…! 「運動」の
位置付けがまるで異なる 現代ビジネス 岩竹 美加子 の意見 2022.11.23
運動部や体育、運動会(体育祭)の在り方を根本から見直す上で非常に参考となる資料。フィンランドと日本の学校教育の決定的な違いに注目したい。
〇なぜ「体育の授業で運動が嫌いになった」「大人になってスポーツが楽しい」という人
がこれほど多いのか? プレジデントオンライン 平尾 剛 の意見 2023.7.6
○大阪の小学生17人が熱中症か 体育のリレーで体調不良、12人搬送
朝日新聞社 によるストーリー 2023.7.7
天気予報では熱中症の警告が出されているこの日の真昼、なぜリレーをさせたのか、教師の判断力が疑われよう。児童たちからすれば競争心を煽られるリレーともなると手を抜くことはあまり考えられない。チームのために多くの児童が必死に走ってしまうことは当然、予想できたはず。
気温33度に達する猛暑の中、結果的に体調が悪くなる児童が多少出ても不思議ではあるまい。したがってたとえ児童全員からリレーをやりたいと懇願されていても教師は大人の判断としてリレーの中止を選択すべきであった。
12人も搬送することになった責任は一体、誰がとるのだろう。児童の自己責任を問うことは出来ない。むしろ下手をすれば教師側が傷害罪を問われかねないほどの不祥事である。
大阪、兵庫地区はけが人続出の組体操を長年行い続け、イジメ事件の隠蔽や体罰など、各種不祥事を連発させてきた。どうやら学校における行き過ぎた鍛錬主義と集団主義の見直しが殊の外、急がれる地域なのだろう。