⑮指導死の裏側

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考動画

[サイエンスZERO] 体罰や暴言で傷つく子どもの脳 回復させる方法とは? | 子ど

 もの脳を守れ 脳科学が子育てを変える | 2021/08/11 NHK 4:47

 虐待やネグレクトが脳に大きなダメージを与えてしまう事は誰もが知っておかなければなるまい。

体罰95%から2%になったスウェーデン、体罰のないしつけに大事な3つ!| 北欧

 在住ゆるトーク Nord-Labo 北欧研究室 2022/09/17 21:11

 子供との粘り強い対話を重視するスウェーデンの子育てと学校教育の在り方が1970年代まではびこってきた体罰の根絶に大きな役割を果たしていたようだ。子供達の意見にしっかりと耳を傾ける大人達の姿勢が子供達の自己肯定感を支え、積極的な社会参加を促してきた側面にも注目したい。こうした大人社会の忍耐強い努力の積み重ねが他者と多様性を重んじる北欧の福祉社会存続の軸とされてきた事に畏敬の念を覚える。さて、日本はいかが…

【距離感】「本気の他人事が大切」教師と生徒、親と子の関わり方は?マルトリー

 トメントを考える 

 2022/07/29 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】19:33

 暴言や暴力が教育現場で繰り返される背景を探りたい。

戸塚ヨットスクール校長VS乙武洋匡 体罰と暴力の違いは?|AbemaPrime  12/13放送  2019/12/14 11:57

 言葉が分からない幼児には体罰という抑制が必要、とする塾講師の意見に対してどう思うか?体罰と暴力はどこが違うのか?戸塚スクールの校長の意見は「老害」に過ぎないのか?討論のたたき台にはなるだろう。

【体罰教員】生徒の背骨を折った柔道部顧問が逮捕 過去に3度処分もなぜ現場に?

 体罰・指導ではなく暴行事件とすべきの指摘も【教育】|#アベプラ《アベマで放

 送中》 2020/10/15 ABEMAニュース【公式】 19:04

 内田氏が指摘する体罰を容認する学校の体質とは何だろう。実際、どの学校でも生徒指導部主任に体罰容認派の教師がつくことが多いのは事実である。また生徒指導部の多くは運動部顧問であり、体育教師が多い傾向があるのも否めないだろう。特に剣道や柔道の顧問が生徒指導の中心となる率は極めて高い。敗戦後、GHQによって禁じられた武道が近年、中学校で必修化された歴史的経緯も探る必要がある。確かに夏野氏の体育教師に対する不信感と体育不要論は極論に聞こえるが、果たして公平に見て実際、どうなのだろう。討論の俎上に載せてみたいテーマである。

【指導】「チームを強化するために」パワハラ解任の横浜高校元監督の失敗とは? 

 安藤美姫が明かすコーチとの信頼関係と罵声?スポーツと体罰|2021/11/12 

 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】 29:36

 安藤氏や夏野氏の意見に注目したい。頂点を目指すトップアスリートの世界では厳しい指導と暴言や体罰は紙一重であり、その場の状況や指導者と選手との信頼関係が問われてくる。必ずしも一律に外部から体罰や暴言が適用されるとなれば指導者側だけでなく選手側まで困惑しかねないだろう。しかし学校の部活動においては生徒達に退部の自由があるとは限らず、もはや指導者による暴言や体罰が許される余地は現在、ほぼなくなってきていると見て良いだろう。

【勝利至上主義】歪んだ思想を植え付ける?勝ち負けより大切な学びも?全国大会

 は必要なのか 

 2022/05/21 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】 16:04

 スポーツや運動部、学校体育、運動会のあり方全体が問われている。勝負至上主義、根性主義、体罰体質、集団主義、同調圧力、管理主義、イジメの温床としての、これまでの日本におけるスポーツの負のあり方には反省が必要。ひろゆきの「甲子園大会は不要」という提案は議論のテーマとしてかなり刺激的ではあるが、問題提起としては非常に面白い。

ニコ生×BLOGOS 体罰・指導死・教師の鬱...どうする日本の教育現場!

 BLOGOSチャンネル  2013/02/01 1:21:16

 古い動画だが、体罰が教育的指導の一つとして成立し難くなってきた経緯を含め、現在の学校が直面している種々の問題をこれほど包括的に分かりやすく説明してくれる動画は意外に少なく思える。特に若い教師にとってこの動画は極めて貴重であろう。宮台氏と藤井氏の解説は10年近く経った現在もまったく色褪せない的確さに満ちているように思うが、いかがか。

 イジメの対応に関しても首長の積極的介入などが問われざるを得ないほどに学校教育村の自浄能力がほとんど失われている、という指摘は間違いなく現在にも当てはまる。これまで学校が自らの努力でほとんど何一つと言って良いほど変われて来なかった点に元教師として情けなさを強く感じないわけにはいかない。

 

 当然の事ではあるが、そんな学校に政治的介入を拒む資格も無ければ、「教育の中立性」を云々する資格も無い…と言われてしまったとしても致し方あるまい。学校の聖域化が進み、市民社会からかけ離れてすっかり自閉してしまった、まさに村社会としての教員社会における常識は、もはや完全な時代遅れの硬直化した因習の一つに過ぎないのだ。

 しかしそうした異常な事態に教師自身が一刻も早く気付けるだけの、大学でのまともで充実した実践的な教員養成教育を予め受けることもほとんどない。さらには教師となってからの時間的、精神的、身体的ゆとり自体がそもそも切実に欠損している。今の教師たちが置かれているそうした絶望的なまでの暗闇の世界・・・いつまでたっても光が見えてこない、今の教師たちの視界の昏さこそ、現代日本における最大の教育問題なのかもしれない。

 

参考記事

なぜ体育会系の人間は「体罰」や「根性論」がやめられないのか…「体育」と「スポーツ」

   の決定的な違い プレジデントオンライン 大野 哲也 の意見  2024.4.25

   イギリスとアメリカとの違いは興味深い。日本の体育は武道、格技の影響も考える必要があると思うが、いかがだろう。

威圧的指導「自分たちで終わらせないと」 大人が学ぶべき、怒声なき子の教え合

 い Full-Count によるストーリー 2024.2.11

 体罰や暴言、シゴキの悪い点は既に周知されている。口先のきれいごとだけではこの問題の解決はおぼつかないだろう。一番の問題点はこれまでにさんざん批判されてきたにもかかわらず、なぜ今もなお指導者による体罰や暴言、シゴキがなくならないのか、について深く考えていく事だろう。その理由をできるだけ数多く、挙げていくことで問題の深層に迫れるかもしれない。子どもの養育、しつけのあり方から学校教育のあり方、スポーツ界のあり方、企業における人材育成のあり方、性差別や年齢差別の様相、人権意識の様相、政界のあり方…問題の根は予想以上に日本社会に深く、かつ広範囲に及んでしぶとく残存しているはずである。

「叱りづらい」風潮に苦悩する教育現場 真剣に思いを伝えたいのにハラスメント扱

   いも AERA dot. 大楽眞衣子,宮本さおり の意見 2024.2.12

 前の「威圧的指導…」の記事とあわせて利用すると議論が深まるだろう。

〈宮城・教師パワハラ自死問題〉「他人事ではない」と全国の教師たちが悲鳴「年

   上教師に『お前とは一生働きたくない』と言われた」「生徒の前で“無能”と罵倒さ

   れた」「注意をすれば自分が標的になる」 集英社オンライン 2024.2.6

 50代後半の教師たちの中にはいまだに昭和の価値観、教育観を抱えたままの人がかなりいるだろう。しかし30代以下ともなれば50代とはかなり考え方の違う世代になる。その差異,ギャップを埋める役割を中間層の40代が果たせているのかが、この手の

問題を考える上で問われてくる。

 しかし千葉県の場合、年齢別教員数からは重要な調整役を果たすべき40代の教員の少なさが際立っており、ベテランと若手の世代間のギャップを埋める人材の少なさが千葉県での学校問題の背景に横たわっていると考えられる。

 もちろん50代後半の教師が行ったパワハラは許せることではなく、今後、重い道義的責任と法的責任が問われなければなるまい。とはいえ、世代別教員数のアンバランスの問題が宮城県にもあるとすれば、県教委や市教委の人事にもそれなりの課題はあるだろうし、反省すべき点が多々あるはずだ。トカゲの尻尾切りのように末端の責任ばかり問うのは片手落ちだと思うが、いかがか。

不適切にもほどがある…校長と担任ら3人、修学旅行で生徒の前で缶ビール8本 

   読売新聞 によるストーリー 2024.1.30

 あくまで自分の記憶ではあるが、修学旅行中におけるこの手の行為がヤバイ、との認識は少なくとも20年前には当時の学校批判の風潮の下で教師間で共有されていたと思うが、いかがだろう。修学旅行中の飲酒は教育委員会からの指導が無くとも、そして生徒の面前ではなくとも今後は控えるべき…との感覚を抱いていた教師は少なからずいたように記憶している。

   もちろん地域差や高校と中学校との違いはあるだろうが、世間的に見て通用するはずのない行為を随所でコンプライアンスが叫ばれる現代、生徒たちの前で堂々と開陳してしまった責任はきわめて重大であり、一体教師たちが何を考えていたのか…校長を含めて教師としての適性が強く疑われる案件であろう。

『不適切にもほどがある』の視聴を脱落する若者がいる理由は「昭和ネタがわから

 ない」からではない 現代ビジネス 田幸 和歌子 によるストーリー 2024.2.23

昭和オヤジの発言は「時代錯誤でハラスメント」なのか?…笑いの『不適切』と感

   動の『おっパン』が令和のいま「支持を集める理由」

   現代ビジネス 木村 隆志 によるストーリー 2024.2.10

 令和という時代の息苦しさ、閉塞感はひたすら社会集団への同調を強いて集団内にイジメを蔓延らせ、弱者に集団への一方的な忖度を求めてくる日本社会のあり方に多くは由来するだろう。また過度のコンプラ重視の窮屈さにもよるところが大きいように思う。

 さらに少なからぬ若者の間に蔓延している、どう見ても根拠の薄い保守主義的政治姿勢は若者たちの自己肯定感、自己効力感の低さが背景に隠れていそうである。もちろんこの点では若者の自己肯定感、自己効力感を上手に育てることに失敗してきた学校教育や企業文化の責任が強く問われよう。

 バブル崩壊後の「失われた30年」余り、景気の低迷が続いて少子高齢化が進み、若者の発言力が一層低下する中で将来への不安と焦り、さらには諦めのような意識が今の若者たちの気分を覆いつつある…とすれば事は深刻。そうした閉塞感を暴力的に吹き飛ばすかのような昭和のおじさんの威勢の良さにある種の爽快感や懐かしさを抱く人々は老若を問わず多いに違いない。

 昭和のおじさんが持っていた、どちらかと言うと肉食系の、コンプラ軽視の過激な精神や将来への成長、発展していく日本社会への確信と自信に裏付けられた努力主義、根性主義はいまだ経済成長の途次にあった昭和時代後期の「24時間、働けますか」と平気で問えるような日本社会の勢いが背景にはあっただろう。

 しかし時代は令和となり、かつての勢いを日本は確実に失いつつある。盛んに「老害」が叫ばれる中で中高年の想像以上に若者は鬱屈しているのかもしれない。したがって昭和の行き過ぎた根性主義や努力主義はもはや過去のものであり、それを賛美してよみがえらせ、令和の若者に強要することは今や時代錯誤のパワハラ以外の何物でもあるまい。

 「おっパン」が描くように昭和のおじさんが自分の信念、価値観を時代の変化に合わせて多少アップデートする必要があるのは当然のことである。しかし他方で今の若者の多くはコンプラやコスパ、タイパといった言葉たちにあまりにも縛られ過ぎていはしまいか。

 令和の政治家たちを見てみよう。裏金作りに奔走するあまり、コンプラなどは蚊帳の外…品性が疑われるレベルの差別発言を何度繰り返しても議員の地位は安泰…実際、議会には国政、地方政治を問わず昭和の相当ヤバイおじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさんが何ら反省することも一切委縮することもなく堂々と胸を張って跋扈し、恐ろしく精力的に日本社会の変革・成長の足を引っ張り続けているではないか。

 しかも日本社会の改革・成長に欠かせない若者たちはなぜかヤバイおじいちゃんたちが大昔に作ったかもしれないような種々のコンプラに縛られてすっかり委縮し、残念なことに改革の意欲を失いつつある…他方で賢い若者は早くも日本脱出を試み、海外への雄飛を夢見る…日本社会の本当のヤバサはむしろそうした若者の中に胚胎し、根付きつつある意識のあり方なのでは…

「不適切にもほどがある!」世代で生じる"温度差" 昭和世代からは共感も、Z世代には

   ファンタジー 東洋経済オンライン 武井 保之 の意見 2024.2.6

阿部サダヲ『不適切にもほどがある!』昭和を笑うコメディかと思いきや…令和を

   くさすキレキレぶりが新鮮 SmartFLASH によるストーリー 2024.2.2

 「表向きは昭和の異常性をコメディにして笑う物語だと見せかけて、実は令和の異常性も浮き彫りにしていく。昭和のヤバい要素が改善された令和がハッピーというわけではなく、令和は令和で別種のヤバさが蔓延している時代だと気づかされるわけだ。」という指摘に納得。特に学校論は大人の場合、郷愁や懐かしさに流されてしまいがちで客観的に評価することが難しい。主観的な印象論、感情論に流されることなく、それぞれの時代や学校教育を相対化し、分析する上で視聴しておいて損はあるまい。しかも大いに笑える展開なので授業での利用もありうる。

「おい起きろ、ブス!」阿部サダヲが「昭和の常識」を連発する「不適切にもほど

   がある」の秀逸感 アサ芸プラス によるストーリー 2024.1.29

大反響「不適切にも」最初5分で怒涛【ヤバい昭和一覧】職員室&バス喫煙、野球

   体罰、女性教師イジり、本没収→お断り2回に爆笑

   デイリースポーツ によるストーリー  2024.1.27

 視点、設定の面白さは群を抜いていて、学校問題を考える大きなきっかけとなりうる番組であり、まずはドラマの視聴をオススメしたい。この記事だけでも内容はほぼつかめるので、教師はドラマを視聴したうえでこの記事を授業の資料に使っても良いだろう。これならば討論のネタに事欠くなどありえないはず。

 年配の体育教師、運動部顧問の中には今も心の中でヤバイ昭和を引きずっている人が実際、少なくないはずだ。少なくとも自分はそうしたヤバイ年配者の一人である。もちろん心の内に秘めているだけで、表には出せないヤバイ思いはその内容の差異を問わなければ年配者に限らず、誰にでもあるはず。そうした各種のヤバイ思いを人前では心の中にそっとしまっておけるならば問題は表面化しない。だが、残念ながら現在の学校は酷くブラック化し、加えて年配者の自制心は加齢とともに少しずつもろくなっているはず。

 ブラック化した職場でひたすらストレスや疲労が蓄積していけば高齢者でなくとも次第に自制心が弱まってしまうのは自然の理であろう。そんな状態のときに何かがきっかけでつい感情の高ぶりが一定レベルを超えてしまえば、それまで何とか抑圧してきたヤバイ思いがヤバイ言動となって一気に表面化してしまうことは現実問題として誰の身にも起こりうることではないのか。そんな危険性を秘めた年配教師群が教師不足の中で大量に再任用され、今も学校現場に少なからず居て、その内の幾人かはひっそりとかなりヤバイレベルまでストレスをため込んでいるのかもしれない。そうした年配者の暴発、暴走を抑える上でもこの番組を視聴するのは実に理にかなったことであるだろう。

 あるいは別の視点から授業でドラマの一部を視聴させて昭和の一時代の風俗、文化を学ばせても良い。1986年から現代へタイムスリップした熱すぎる、敢えて「空気を読まない」昭和のおじさんが、持ち前のヤバイ言動で次々と騒動を引き起こす。しかし一見ただのポンコツと化したような昭和の熱血おじさんが執拗に妙な暴論、正論を吐き続けることで、令和と言う時代を相対化してとらえる新たな視点をも与えてくれる。同調圧力に屈し、各種コンプラに縛られた窮屈で草食化した現代人に、昭和のポンコツおじさんは令和を相対化してとらえる貴重なチャンスをも与えてくれるのだ。

 大切なのは学校がいつの時代においても善なる完璧な存在ではなく、時代の制約を大きく受けている、政治的、経済的、社会的存在に過ぎないという認識を持つことと考えるが、いかがだろう。このような番組や資料を通じて学校と社会を相対化し、根底から批判する心構えは生徒たち以上に教師たちにまず必要とされるはずだと私は考えている。

私立高校の野球部で監督らが暴言や暴行か…保護者会で謝罪 バドミントン部でも

 長崎市 日テレNEWS 2022.12.16

 スポーツ強豪校ではありがちな事件。1970年代に全盛期を迎えたスポ根アニメ、青春ドラマ、ホームドラマなどにつきものの体罰やしごきは今の60歳代の教師、さらにはその教え子の世代である50歳代、40歳代にも連綿として受け継がれている。結果を出さなければならないスポーツ強豪校にとっては極めて克服が難しい問題であろう。中学だけではなく高校でも運動部指導の民間委託を徹底させる方がこの問題をスピード解決するには最適なような気がするが、いかがだろう。

体罰処分の教員、大阪市が全国最多 市立学校で8年間798人

 毎日新聞 2022.12.22

 イジメ事件隠蔽で度々注目を集める大阪だが、教員の体罰処分全国最多を誇るのも同じ大阪市であるという。大阪市教育委員会の闇は深い。

遠足で小1女児の「お茶買いたい」認めず、熱中症で救急搬送 学校側を提訴

 産経新聞 2024.2.27

 校長の判断だったことに驚く。指導死に至らなかったにせよ、事件の経緯から見れば学校側の責任はかなり重大であり、通常ならば校長の管理職としての適格性が疑われ、降格処分は避けられないだろう。そもそも体調がすぐれなかった児童を担任が半強制的に遠足に参加させたこと自体、大きな問題をはらんでいる。しかも児童の訴えを校長が無視した結果、救急搬送される事態を招いた点は絶対に許容できるものではあるまい。同時に請求の棄却を求めた八尾市側の判断も明らかに常識に反したもの。

 やはり大阪府と兵庫県の教育風土は突出して異常であり、その背景に一体何が潜んでいるのかをマスコミはしっかりと追求し、報道すべきだろう。

中1自死 関連指摘の教諭を懲戒免職に 朝日新聞社 2022.12.3

 これも酷いケース。教育委員会や校長の責任は重い。2020年、市教委は40件もの体罰等の不適切な指導を認めておきながら2022年まで当該教諭を教壇に立たせてきた。2019年に被害生徒の一人が中学入学後に自殺しているにも関わらず、3年以上も放置してきたのだから当該教諭を懲戒免職にするだけでは済むまい。当時の校長や教育長への厳しい処罰も行うべきであろう。

学校単位の部活どころか高校そのものがなくなる? 先が見えない日本の少子化問題

 を考える Sportiva 鈴木雅光 2022.12.26

 一般的に「スポ根」の発祥となった作品や元祖と呼ばれる作品は『週刊少年マガジン』で1965年から1971年にかけて連載された『巨人の星』(原作:梶原一騎、作画:川崎のぼる)。スポ根とは、1960年代から1970年代の日本の高度経済成長期に一般大衆の人気を獲得したジャンルであり、メキシコ五輪が開催された1968年前後に人気のピークを迎えたと言われる。

 日本国内のスポーツ競技の集団主義や精神主義といった事情とスポ根を結びつける指摘があり、スポ根作品がそうした価値観を美化して描いた影響により学生スポーツにおいて過度の練習や体罰を後押しする結果となったという見方が生まれた。例えば1960年代から1970年代当時、部活動などの現場ではウサギ跳びやアヒル歩きのような半月板や膝関節に負担が掛かるばかりで実質的な効果の少ない運動法が全国的に推奨されていたが、これらは運動生理学を知らない指導者達が漫画やドラマの影響を受けて部員に対して課したものだとする指摘がある。

 スポ根ブームの渦中には学校の部活動において練習中の事故や、退部を申し出た生徒が部員から暴行を受けるなどの事件が多発したらしい。組織内の上下関係を背景とした指導や、ひたすら鍛錬を積み勝利のみを追求する価値観は第二次世界大戦後の民主化の流れの中でも温存され、とりわけスポ根作品が支持を得た1960年から1970年代当時の日本のスポーツ界では体罰も辞さない厳しい指導が常態化していたと思われる。

 1980年代以降、科学的な分析に基づく効率的なトレーニング方法の導入によりスポーツ界の内情もかなり変化してきたようだが、一部の学校現場では相変わらず「しごき」の強要といった古典的な指導法が残されているようだ。

なぜ部活動の暴力はなくならないのか? 背景に指導者個人の資質と過度な勝利至上

   主義 2022/08/01 07:00 AERAdot. 

   ※AERA 2022年8月1日号より抜粋

部活の体罰、なぜ絶えない? 専門家「悩ましいのは指導者の評価が競技成績という

   事実」 神戸新聞NEXT/神戸新聞社 2022/11/05 18:04

   学校教育をもっとオープンにすべきなのは当然であるが、牢固な隠蔽体質を持つ学校が多い中で掛け声だけではオープンにはなるまい。ではどうすべきなのか、生徒にも問いたい。おそらく本質的な問題は部活動に限定されず、伝統的な日本社会の体質、学校教育の深層領域にも潜んでいるのではあるまいか。

文春オンライン女子生徒を竹刀で強打、体当たりで押し倒す…福岡の高1女子を自殺

   まで追い詰めた“暴力顧問”の異様な指導「貴様、やる気あんのか?」

   文春オンライン 渋井 哲也 によるストーリー 2024.1.13

SNSに「部活が死にたい原因」高1女子自殺、遺族と剣道部元顧問の和解成立…

   不適切指導が原因と認める   読売新聞によるストーリー 2023.10.12

   竹刀で倒すどころか、突き飛ばしたり体を抱えて倒し、部員の上に乗っかって竹刀の柄部分で小突き回す、いわゆる「ぶつかり稽古」はかつて普通の練習メニューとして定着していたといって良かった。

   今、体罰とか暴言と批判されている「不適切指導」は50年ほど前にはむしろ真面目で熱心な練習の在り方の一つですらあった。そうした厳しい「指導」は通常の稽古の風景の中にきっちりと溶け込んでいるのが当たり前のものとして当時の剣道という武道、格技の世界は成り立っていたと言っても過言ではあるまい。西洋から入り込んだ「スポーツ」という概念とは明らかに異質の、伝統的な世界観が武道には存在してきたのである。

 道場には神棚があるのも普通で、公教育における宗教への中立性はそこだけ存在していなかったも同然。もちろん、部活以外でも教師による体罰や暴言は日常茶飯事だったので事は武道の世界にとどまるものではなかった。

 さらには運動会や卒業式などに地元選出の政治家が来賓に招かれるのも、なんら不思議なことではなかった。当時は公教育における政治的中立性すら平気で踏みにじられていたのである。

 戦後まもなく、GHQの指導もあって職員会議に生徒代表が出席するケースや教育委員会のメンバーの公選制が導入されるなど、教育の世界にも民主主義的風潮が見られた時期があるにはあったが、東西対立のあおりを受けたせいなのか、わずか数年で瞬く間に教育の新風は後退していく。

 漫画やアニメの世界で禁じられていたはずの武道や戦争がテーマとして続々と復活してきて、剣道もまたやや柔道に後れを取ったが、学校体育の世界に復活を遂げてい

く。そして50年ほど前には前述したとおりの光景がほぼ普遍的なものとして学校世界に浸透していったのである。

 この事件は今、ようやくにして武道の在り方が問われ始めてきた中での、残念な出来事の一つと言えよう。しかしこの50年ほどの日本の学校教育における復古的ともいえるほどの停滞ぶりが生み出した悲劇はいわゆる「指導死」事件だけにとどまるはずはない。不登校、イジメ、暴力…今、学校で急増しつつある問題の根源に断固たる決意をもって迫るべきであるとカッパは考える。

出勤停止級の顧問の体罰、高体連に報告せず 東海大福岡高2死亡

   毎日新聞 によるストーリー 2024.4.12

   これも剣道部での事件である。学校側としては厳しい指導をためらうほどに実績のある顧問なのだろう。部活動の実績が学校の評判と密接にかかわっている私立では顧問の勝利至上主義による暴言や体罰に歯止めをかけることはかなり難しいのではあるまいか。

 しかし高校はあくまで授業を通じて学習する場として位置づけるべきであろう。本来、放課後の活動に過ぎない部活動をも重視したいなら、高校の場合、放課時間を少し早め、部活指導は教師ではなく全面的に社会教育機関に委ねるべきだと思うがいかがだろう。教師の負担軽減とスポーツの競技力向上にもつながるはずである。

国が進める「部活動改革」を専門家は危惧 生徒にも影響「学校から活気なくなる」

  Full-Count  2022/10/18

 これでは本末転倒の議論になりかねまい。部活ではなく学校の授業にこそ活気を取り戻すべきではないのか。討論のたたき台としては利用価値がある。

体育で公開処刑…なぜ授業で、辱めを受けなくてはいけないのか。トラウマになり

   かねない現代の「体育事情」 集英社オンライン オピニオン 2023.12.22

 スクールカーストとイジメ発生のきっかけ作りに貢献しかねない体育の授業の在り方は大いに見直す必要があるだろう。討論の題材として活用できる記事。上の記事と併用すると対立点が見えてきて議論が弾むかもしれない。

「息子は教員の“指導”で死んだ」16年間訴え続ける父親 子どもの自殺「詳細調

   査」わずか4.6%しか行われず

   TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー  2023.12.29