⑬三部制の定時制の裏側

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

・三部制定時制高校増設が学校社会全体に及ぼす衝撃

 高校の場合、他校に赴任すると自分の意に反して突然、自分の専門外の科目を任されることは普通にある。そもそも転勤先が定時制や職業高校ならば専門外どころか複数の科目を任されること自体、当たり前である。特に定時制や小規模校(現在、増加中)の場合、少なくとも三科目までは覚悟する必要があるだろう。自分も大学時代に専攻した学問とは全く異なる科目を初任からずっと任されてきた。初めて受け持つ科目が一つならば何とか対処できるだろうが、それまでやったことのない科目を一度に二科目も任されてしまうとなればさすがに誰でも辛いはず。

 ところで今、ごくごく一部で話題の三部制の定時制高校では多くの場合、学年制ではなく、単位制を取っており、しかも秋入学秋卒業を認めている例が多い。このためほとんどの講座は2単位もので構成されている。と言うことは必然的に一人の教師の持ち科目数と持ち時間数が多くなりがちになる。

※4単位ものの場合、半期の講座では週8時間の授業となってしまうのでこれは教師、生徒共に辛すぎ

 る。どうしても4単位ものの講座は通年の講座しか設定できない。とは言え通年の4単位ものの講座を

 多くしてしまうと選択肢が狭まるため、今度は秋卒業が難しくなってしまう生徒が出てくる。これで

 は生徒の不利益につながるので勢い、講座は2単位ものばかりになってしまう。

 

 また各科目の講座は通年の講座と半期の講座(半年で2単位が修得できる)とに分かれている。私は日本史で採用試験を受け、表面的には日本史を専門としていたにもかかわらず、三部制の定時制では転勤してきた初年度、現代社会の通年講座と半期講座(前期)、倫理の通年講座と半期講座(前期)、政治経済の通年講座と半期講座(前期)をそれぞれ一講座ずつ年度の前半に持たされた経験がある。地理歴史科の教師なのに、この年は専門科目の一科目すら教えることが出来なかった。そのかわりにこれまで一度も受け持ったことのない倫理を2講座、担当することになった。

 

 半期講座の場合は半年で2単位取得できる。つまり2単位の講座にもかかわらず週に4回の授業を行うわけである。同じ倫理という科目でも通年の講座の方はごく普通に週に2回の授業で一年かけて行う。このため、単純に見ても半期の方が授業の進度は通年の講座の倍の速度になる。

 すなわち倫理を通年と半期の2講座を担当するといっても同じ内容の授業を繰り返せるのは最初の頃の授業だけ。ということは倫理一科目に限ってみても、授業準備にかける労力は通常の2単位ものとは比べものにならないほど重くなる。

 倫理の場合、「週6種類の授業準備」とまではいかないにしても、実質週3~4種類余りの授業準備をほぼ半年間行う・・・少なくとも倫理一科目だけでそれくらいの負担に相当すると言えるだろう。

 

 私のいた高校ではすべての講座が2時間連続(45分+45分=90分)の授業展開で、合間に僅か5分の休憩が入るだけ。もちろん連続の2時間が終われば今度は次の2時間まで15分もの休憩が入るから、休憩時間に関してトータルで不足しているわけではない。ただ授業の合間の5分という時間がそもそも休憩時間として適切なのか・・・と思う部分はあった。

 転勤してきた際に初めて受け持つ科目(倫理)が2単位ものと聞いた時、2単位ものなのだから授業準備にそれなりの時間が確保できそうだ・・・と実際に授業が始まるまでは安心していた。が、4月になって半期ものが週4時間、それも一度に2時限が連続(つまり90分の授業)するということを知った時、愕然としてしまった。これでは授業準備が間に合わなくなるかもしれない・・・加えてこれまで教えたことのある政治経済や現代社会までもが異様なほどの負担感となって私を襲ってきたのである。

 それはなぜか…

 

 三部制の場合、午前部、午後部、夜間部の時間割にそれぞれ2時間分オーバーラップする時間があるため、教師の時間割は一日6時限ではなく、一日8時限で組まれている。普通の学校は授業の分母が6時限なのに対してこちらは8時限であるため、当然、一日6時限分もの授業を割り当てられることは普通にある。最悪の場合は半期のみとは言え一日8時限の授業となる曜日も出てくるかもしれない。

 となればその日に必要な授業準備は確実に前日までに終わらせておく必要が出てくる。否応なしに授業準備や提出プリントのチェックなどは前後の空き時間が少ないため、そのほとんどを自宅へ持ち帰ることになるのだが、時間不足と翌日の授業に間に合わなくなるかも、という不安とで、曜日によっては夜もまともに寝付けなくなる。

 もちろん自習監督の割り当ては一日8時限という分母を基準にしているので一日4時限程度の授業負担ならば当然の如く自習監督を入れられてしまう。

 しかも8時限の時間割のため教師及び生徒には放課後としての時間がほとんど確保されていない。どうしても生徒との面談や文化祭の準備、部活の指導、学年会議や分掌の会議などはその時間設定と教室の確保に常時、非常な困難をきたてしまう。HRや教室掃除の時間も実質20分程度しか用意されておらず、休憩時間を削らないとどちらも成り立たないのだから、最早稀に見る、驚きのブラック・システムであった。

 半期の講座は通年の講座よりも早く終了してしまうため、定期考査の問題漏洩を避け、両講座の成績面での公平を期するには、厳密に考えれば(通常とは逆に思えるだろうが・・・)テスト問題をまったく同じ内容にするわけにはいかないはずである。したがって同じ倫理という科目で同じ担当者でありながら、実は通年と半期とでは問題どころか授業内容自体をも一定程度、変えていく必要が生じてしまうはずなのだ。

 

 しかしこんなことは一体どこまで可能だろうか・・・そもそも一体どこのどなたがこんな無茶苦茶なシステムを考え出したのだろう・・・というわけでこの年は前期の場合、実質的には週に合計18種類の異なった授業をしなければならず、定期考査の問題はその都度6種類、前期だけで合計12種類もの試験問題を限られた空き時間の中、たった一人でひねり出す必要があった。

 

 三部制の定時制の生徒達の中には日本に来たばかりで日本語すら十分に理解できない子(日本語を母語としない生徒は定時制の全学年で合計50人以上か。平仮名すら分からないまま高校3年生になっている生徒もいた)や中学校3年間で200日以上欠席している子(かつて不登校だった子は午後部ではクラスの3割近くを占める)、非行に走り、腕力にものを言わせて周囲を威圧するいじめっ子、家ではDVを受けて心に深い傷を負っている子(児童養護施設から通う子もいる)、貧困にあえぐ子(生徒の8割近くはアルバイト、年間100万円も稼ぐ生徒がいた)、何らかの発達障害や学習障害を持つ子(ディスレクシアや重い知的障害を抱えた自閉症の子もいる)・・・それぞれが少なからぬ割合で一つの講座に混在している。

 多様性に満ちた定時制の生徒達を授業中誰一人取りこぼすことなくしかも合計90分という、どうみても無理筋の長丁場を生徒たちに飽きさせることなく最後まで乗り切っていける社会科教師など果たしてこの世に存在しうるのだろうか。

 そもそもどんな生徒が相手であってもこの条件下で3科目すべての科目、合わせて6講座を一人の教師が無事に半期終了まで勤め上げること自体ほとんど神業に等しいに違いない。だが誰が何と言おうと、割り当てられた週18時間分の授業準備を前期の半年間は続けなければならない・・・

 もちろん三部制の定時制だからといって、すべての高校がこんな過酷さを持つわけではなく、また担当教科や午前部、午後部、夜間部によっても負担感の差はかなりある。夜間部の場合は普通の定時制に比べて若干、授業の負担は重いものの、生徒指導や進路指導のあり方には他の定時制とほとんど差が無い部分も少なくはない。しかし午前部や午後部は教師の誰一人として経験が無い分、何かと面食らうことが多い。

 とりわけ教科の違いによる負担感の差は三部制の場合、明らかに極大化してしまうだろう。多様な生徒の実情に合わせようとして授業を工夫しようとする教師ほど悪戦苦闘は不可避であり、なおのこと負担が重くなる。

 毎時間、提出用の自作プリントを用意し、回収するだけでも過酷な作業量である。プリントは授業中に終えることが出来なくとも授業の終わりに必ず回収する必要がある。次の授業の時(多くは1週間後)までにかなりの生徒が紛失してしまうか、教室に持参してこないからである。実はこの学校、本当の意味でのホームルームや自分の机が存在していないので、教科書や配布プリントなどは持ち歩くか、昇降口のロッカーにしまうしかない。一週間も経つうちにプリントなどは紛失してしまっても不思議ではないのだ。

 このような極めて特殊な学校で、しかも理解不能なほどに多様な背景を持つ生徒達に通用する社会科の授業を創り出すには想像を絶する忍耐力と努力を要する。しかしそこはあまりに特殊なケースであるため、どんなに言葉を尽くして説明しても第三者の理解や共感はほとんど得られないに違いない。

 

 こうした学校ではよくありがちなことだが学級担任の希望者が極めて少なく、新任者には有無を言わせずに学級担任、場合によっては学年主任などを委ねてくる。特に再任用の常勤講師ならばベテランということでクラス担任どころか主任にされることも珍しくない。だから多くの場合、転勤早々の4月から分掌の責任者あるいは新入生の学級担任としての激務なども加えられた上で授業を含め、疾風怒濤の勢いで新学期が始まったりするわけである。

 当然の事ながら教育困難校にはこれまたありがちなことだが、新一年生の学年団が新任者ばかりという笑えない事態が繰り返されてしまう。そのため、極めて常識外れで複雑怪奇な三部制のシステムのことを校内の誰に聞いても苦笑いされるだけでほとんどの教師は明確には答えてくれない・・・人事面での異動が激しいため、経験の蓄積と共有が決定的に不足してしまっているのだ。

 私の属していた不登校の多い午後部の担任の多くは3年で転勤するか、たちまち午前部へと鞍替えしていった。私の隣のクラスなどは4年間、何とすべて違う教師が入れ替わり立ち替わり学級を受け持っている。事情に通じている他の三部制高校の経験者がこの高校に転勤してくることは在任6年間で一度も無かった。いつまでたってもまったくの手探り状態のまま、時間だけが慌ただしく過ぎていく。特に社会科教師の在任期間は短く、3~4年程度である。

 

 こうして長々と三部制の定時制における無茶ぶりの実態を愚痴ったのには深い訳がある。実は何と悲惨なことに現在、多くの県の教育委員会はこの過酷な実態を持つ三部制の定時制高校をその欠陥を取り立てて是正することもなく、増加する一方の不登校者への対策としてさらに増設する計画を持っているというのだ。

 このとんでもないダイナマイトのような破壊力のある「教師のバトン」を一体、誰が手にしてしまうのだろう。このバトン渡しはまさに命懸けの罰ゲームのような悪夢ではないのか。運の悪い(?)少なからぬ数の教師にとってあまりにも過酷すぎる将来がすぐ近くまで迫ってきていることを皆さんは実際、覚悟出来ているのだろうか。特に社会科教師が直面する悲惨さには全員が絶句する他ないだろう。

 

 もちろん中学時代、不登校だった生徒達や発達障害などでいじめられてきた子共達の貴重な受け入れ先として各地の三部制の定時制高校が不十分ながらも一定の社会的役割を果たしている側面は見逃せまい。しかし教師の授業負担一つとっても異常なレベルであるこのシステムの欠陥だらけの現状は余り世間には知られていない。しかもこうした学校がこの状況のままで増やされていくことが意味することは学校社会全体にとってとてつもなく破壊的であろうと予想する。これまでも批判されてきたはずの学校のブラック化が性懲りも無く一気に加速していき、心身を病む教師がいよいよ増えていくに違いないのである。

 

 おそらく中学校でも多くの教師達が三部制の定時制と大差のない苦しさの中で高校を遙かに上回る週20~24時間程度の授業数を精神的に不安定な思春期の子供達相手に必死でこなしているはずである。そして当然のように中高の多くの教師は放課後や土日のほとんどを会議や保護者への対応、事務処理、とりわけ部活動に捧げている。

 であるにも関わらず、十二分にブラック化していた学校現場に(今度こそ教師達のとどめを刺そうとするかのように)何とコロナ禍への対応、そして高校の場合はいよいよ2022年度から新科目「公共」、「歴史総合」などを含む新学習指導要領の導入が始まってしまった。にもかかわらず文科省はこれまで教員の負担軽減にずっと力を入れてきたと平気でうそぶいているのだから何とも始末に負えない。

 

 現場の教師たちにどれだけの無力感とやるせなさが蔓延しているのか、政府は分かっているのだろうか。いや、おそらく分かろうとさえしていないに違いない。