⑤清掃における献身性のヌマ

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

   組合活動だけではない。教師をしていれば否が応でも相当の自己犠牲を強いられるような雑多な仕事の数々を学校のそこかしこに見出すことになる。たとえば困難校では学校内の清掃が行き届くことは極めて稀である。そもそも通常の清掃をしていてもたちまちゴミが散乱してしまう。場合によってはその清掃すら監督者が諦めてしまい、まともに掃除されない状況が時折見られるようになる。

 教室によっては黒板がジュースの染みだらけで字がどこにも書けないようなことがよく生じてしまう。つまり黒板消しではなく、濡れ雑巾を使わないと授業にはならない最悪レベルの黒板となっている。

 足下、教壇の上には黒板に向かって投げつけられたジュースの紙パックや缶、丸められた配布物の切れ端が幾つも落ちている。第一、黒板消しもチョークの粉だらけ、黒板クリーナーはかえって粉を吹き出すだけでまったく使用不能。チョークが置かれるべき黒板の溝にも粉やゴミが山のように積もっている。この様では授業を始めるために一体どこから手を付けたら良いのか・・・誰であってもしばらくは途方に暮れてしまうだろう。

 まずは黒板のクリーナーを清掃し、濡れ雑巾で黒板をキレイにして教壇のゴミを捨てる・・・といった段取りが頭に思い浮かぶかもしれない。ところが大抵の場合、そうした教室では雑巾がどこにも見当たらず(多くの場合、教卓のソデに掛けられている)、ゴミ箱もチョークの粉すら捨てる余裕が無いほど沢山のゴミで溢れかえっている。

 結果的に教室内に何匹かのハエがしょっちゅう飛び交っている事だってクラスによっては稀ではない。ゴミ箱近くに座る生徒の悲しげな目を見てしまうと、授業中だが教師が遠くまでゴミ捨てに行かないわけにもいくまい・・・もちろん、日直は全く機能していない。

 

 そんな学校では授業を始めるために20分以上を要する場合だってザラにある。ところが面白いことに教師がそうした、生徒たちの嫌がりそうな仕事に取りかかっている間、掃除をさぼってきた当の生徒達の一部が決まり悪そうにしてくれる事がある。場合によっては清掃後、通常の授業中ほど騒がしくはならないで済むクラスがあったりする。そうした事に教師は少し気を良くしてか、授業中や自習監督中であってもせっせと清掃に専念してしまう事すらあるのだ。第一、たちまち騒がしくなるに違いない授業を始めるよりも、よほどこの方が生産的で心の健康にもつながりそうだ。

 それどころか、教室、とりわけ黒板が新品のようにキレイになると(それなりの時間は要するが)ほぼそれだけで不思議なほどにクラスが静かになってくる場合がある。それまで荒れていたり、無気力だったりした生徒達が何だか観念したかのように俯いて大人しくなってくる事もある。

 こうした経験を重ねていくとせめて自分が担任するクラスの教室だけは黒板を中心に徹底的にキレイにしたいと思うようになるのが学級担任としてのごく自然な心情の流れである。生徒の状況によっては最早、教室の清掃を生徒任せには出来なくなる。少なくとも黒板と教壇付近は教師の独壇場で、教師自ら徹底的にキレイにするように努めてしまうのは困難校のクラス運営上、ありがちな成り行きとも言えるだろう。

 ところが折角キレイにした教室が翌朝、悔しくなるほど汚され、乱雑にされてしまう事もよくある。運動部の生徒達が部活終了後、あるいは夜間部の生徒達が清掃後、教室で飲食し、ゴミをまき散らした挙げ句、黒板にいたずら書きをしたりするのだ。そこで教師は仕方なく生徒が誰もおらず、しかもせめて午前中だけでも教室のキレイさを保てることを可能とする、自分だけの清掃時間帯を探すことになる。すなわち毎朝7時頃から教室の掃除に取りかかるのだ。キレイな教室で毎朝、一日のスタートが切れる・・・確かになんという清々しさだろう。

 

 本来、黒板は濡れ雑巾を使うとチョークの付きが悪くなるため、黒板消しで何度も繰り返して汚れを拭き取る必要がある。だから黒板の清掃だけで少なくとも20分は要するだろう。実はある時期、教室の清掃に私は毎朝40分前後を費やしてきた・・・ただしこれは明らかにやり過ぎである。どう見ても自分の首を絞めているに違いない。ところが朝早く来るような真面目で大人しい生徒が偶然、そんな教師を目撃して感謝の思いを述べ、手伝ってくれたりすると彼は嬉しさのあまりつい有頂天となってしまい、この愚行をやめられなくなる。しかも実際、これでクラスの荒れが沈静化していったと思えるケースは自分の経験上、決して少なくなかった。だからこそ、一度この悪循環の沼にはまってしまうと私だけではなく、普通の教師ならばその多くが自ら沈み込んでいく過重労働のブラック沼から容易には抜け出せなくなるのだ。

 

 以上の例は私が実際に経験してきた「献身性のワナ=沼」の一例に過ぎず、同じようなワナの話は経験豊富な教師であれば枚挙に暇が無いはずである。そしてこんな些細な作業一つだけでも、毎朝繰り返すルーティーンにしてしまうと山積する他の仕事が疎かになるのはもちろん、遂には自分自身の心身を極限まで疲弊させてしまう原因の一つにもなりかねない。

 しかしこうした事は多分、自分だけに限るものではないはず。困難校に勤務する多くの教師が似たり寄ったりの献身性のワナ、沼に繰り返し、性懲りも無くずっぽりとはまってきたのではあるまいか。生徒指導の激務が繰り返される中で…

参考動画

海外の人が驚く日本の学校が特別だと思う理由が衝撃的だったwww

   MrFuji from Japan《目指せトリリンガル》 2023/06/24  30:05

   特に部活動における違いは非常に参考となる。生徒による掃除など、日本の学校の良さにも注目できる。ただし日本の場合、掃除にそれなりの教育的意義があるとはいえ、行き過ぎてしまうと戦時中の「黙働」のように精神主義的な「滅私奉公」の全体主義に染まってしまう危険性は十分あるだろう。「みんなのために」が個人の犠牲を当たり前にするような集団主義は個人の人権や個性を否定するだけではなく、イジメの温床となりかねないと思うが、いかがだろう。