44.市内の江戸期の鳥居
金剛地熊野神社鳥居:享保12年(1727) ここは彼岸花で有名な神社
所在地・神社名 |
元号 |
西暦年号 |
特記事項 |
青柳若宮八幡 |
正徳5年 |
1715 |
柱のみ残存 |
金剛地熊野神社 |
享保12年 |
1727 |
|
大厩駒形神社 |
延享3年 |
1746 |
石工 八丁堀和泉屋久兵衛 |
高滝神社 |
宝暦9年 |
1759 |
石材は大坂から搬入、代金60両 |
五井若宮八幡 |
同上 |
同上 |
末社の水神社鳥居 |
青柳若宮八幡 |
安永10年 |
1781 |
柱のみ残存 |
原田諏訪神社 |
寛政元年 |
1789 |
|
村上諏訪神社 |
寛政6年 |
1794 |
石工 江戸本材木町上総屋治助 |
根田神社 |
寛政9年 |
1797 |
石工 八幡の権八 |
安須日枝神社 |
文化5年 |
1808 |
|
姉碕神社 |
文化8年 |
1811 |
石工 大嶋久兵衛・辰右衛門 |
椎津八坂神社 |
文化9年 |
1812 |
石工 大嶋久兵衛 |
高田日枝神社 |
同上 |
同上 |
石工 五井の丹波屋藤兵衛 |
平野大山祇神社 |
文化11年 |
1814 |
石工 五井(川岸)の関佐七 |
古市場天神社 |
文化12年 |
1815 |
|
岩崎稲荷(供養塚) |
文政元年 |
1818 |
石工 五井(川岸)の関佐七 |
宮原大国主神社 |
文政13年 |
1830 |
|
五井若宮八幡 |
天保3年 |
1832 |
伊勢講奉納 |
池和田大宮神社 |
同上 |
同上 |
|
今津朝山飯奈里神社 |
天保11年 |
1840 |
|
松ヶ島養老神社 |
嘉永元年 |
1848 |
石工 五井(川岸)の根本甚太郎 |
町田熊野神社 |
同上 |
1848 |
|
五井大宮神社 |
嘉永6年 |
1853 |
|
風戸熊野神社 |
嘉永7年 |
1854 |
|
五井川岸富貴稲荷 |
安政5年 |
1858 |
|
鳥居は石灯籠や狛犬以上に倒壊しやすい構造であり、古いものは残りずらい。
鳥居はまた神社の「顔」的存在であり、多くの場合、腕のある江戸の石工に依頼される。したがって表中に登場する地元の石工はかなりの名工と呼ばれた人物である。特に大嶋久兵衛と関佐七の二人は市原における双璧をなす石工。しかし他の石造物に比べると地元石工の登場回数は19世紀に入ってもさほど多くはない。
実際、神社の「顔」的存在なのでお金に糸目はつけられまい。大阪などから船で運ばれてくる房総ではかなり贅沢な御影石を石材として用いた鳥居も散見する。市原の石造物のほとんどは小松石、すなわち安山岩であるが、鳥居だけは例外的に花崗岩の可能があるのだ。きわめて固い花崗岩の扱いにあまり慣れていない地元の石工には厳しい仕事だったようで、カッパは花崗岩製の鳥居に地元石工の名を見たことがない。