24.大杉神社と利根川水運

 

 

・平成19年度企画展「天狗への祈り~大杉神社と利根川水運~」千葉県立関宿城博物館パンフレットより

 以下、抜粋してその内容をご紹介いたします。 

 

 中心は茨城県稲敷市阿波本宮大杉神社。通称「アンバ様」天狗を祀り、船の航行安全、疫病退散を祈る信仰で、元禄年間を境に江戸で注目され、享保期には爆発的な流行を見せた。特に利根川水系を中心に関東や東北の太平洋岸に300社余りの末社が存在。船頭を中心とした水運関係者を媒介に流布し、江戸町奉行大岡忠相が禁令を出すほどであった。明治まで20~30年周期で流行を繰り返し、「大杉丸」の船号を許可するなど、水運に深く関わった。

 かつては「香取の海」を見下ろす、大きな杉がそびえる高台に鎮座。近くの安穏寺と合同で大杉信仰を担ってきたが、安穏寺の方は明治2年の神仏分離で廃寺にされてしまった。

 江戸での出開帳は享和3年(1803)と文化2年(1805)に深川で行われている。江戸の出開帳は延宝4年(1676)に、近江石山寺の観音から始まり、明治まで1500件以上、実施されている。屋台も出て賑わうため、江戸庶民の娯楽となってもいた。

 宝暦3年(1753)の麻疹流行の際には疫病退散の神としても信仰を集め、「辻切り」「道切り」に大杉神社のお札を篠竹の先端に挟んで辻等の村境に立てる風習も広まった

 夏を中心とするアンバ様の祭りは代参講として大杉神社から神面(天狗面)を借りるかお札をもらい、お迎えすることから始まる。「大杉講」「あんば講」が組織され、普通、二人の若者が選ばれて春か夏に村人代表として大杉神社に代参した。ついでに鹿島・香取・成田などに立ち寄ることも多かった。当時の若者にとって代参は見聞を広め、経験を積む、良いチャンスであった。

 千葉県で最も古い大杉神社関係の石造物は白井市の鳥見神社にある宝永6年(1709)の祠で、大杉大明神が疱瘡に霊験ありとされて房総の村々を「あんば大杉大明神 悪魔払ってヨーイヤサ」のお囃子と共に杉の葉で作られた祠が巡行し始めたのが享保10年(1725)頃という。特に関東一円にアンバ様ブームが盛り上がったのは享保12年(1727)あたりかららしい。

 

 以下はカッパの補足資料

五井大宮神社にある大杉神社

 

   薮八幡大杉大明神祠:宝暦7年(1757)    山田橋稲荷大杉大明神祠:寛政6年(1794)

 

 市内の石祠としては上の二つが挙げられる。何れもやや内陸部に位置し、養老川からそれほど近いとはいえない。船の航行安全というよりも、もっぱら疱瘡や麻疹などの疫病退散を願って祀られたのだろう。