13.観音菩薩と霊場
観音菩薩は地蔵菩薩と並んで最も身近で作例の多い仏像である。両者とも慈悲深く、無知無明の底で苦悩する衆生を救済するために自在に姿を変えて六道(天道、人道、畜生道、餓鬼道、修羅道、地獄道)の随所に顕現すると言われた。従って地蔵には六地蔵があるように観音にも六観音が存在する。そもそも密教では仏は救済相手の状況に応じて自在に姿形を変化させるという考えがあり、観音の場合にはお経に三十三の姿に変化(へんげ)すると説かれていた(妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五「観音経」)。それ故、各地に設けられた観音霊場、札所(霊場を「札所」とも称するのはかつて巡礼者が観音との結縁を願ってお堂に自分の名と生国を記した木札、銅板を打ち付けたことに由来するという)も三十三箇所を基本とした。
江戸時代に入ると参勤交代制がしかれ、商工業が発達したことによって街道や宿泊施設が急速に整備され、旅行の安全性、利便性が中世に比べて格段に高まっていった。民衆の側も元和偃武と生産性の向上によって徐々に巡礼の旅に出られるだけの生活上のゆとりが生じてきた。こうして庶民の巡礼をも視野に入れた観音霊場が江戸時代、続々と地方に設置されていったのである。
観音が変化する前の基本形を示しているのが聖観音(正観音)である。聖観音以外は変化観音と一括りにされる一群の観音がある。代表的な変化観音が千手観音と十一面観音、それに馬頭観音や如意輪観音である。馬頭観音は本尊とされることが少なく、奈良時代まで遡れる古い作例がない。しかし江戸時代には爆発的に造像例が増えた。民衆の間でも盛んとなってきた旅の安全を祈願する仏として、また馬を飼う農家の急増に伴い、馬の健康を祈願し、亡き馬の供養のために江戸時代、篤く信仰されるようになり、盛んに造像されてきたのである。
六観音の一つ如意輪観音は古くから祀られてきたが、江戸時代になると女性の守護神的な仏として馬頭観音と並び広範に信仰された。主に女性の墓石や十九夜講の主尊として市内でも数多くの作例を残している。
なお地蔵が僧形を基本とする姿をとるために性別としては男性と見なされる傾向があるのに対して観音はどちらかと言えば女性的な要素が強い。本来は観音も男性的な仏であったが中国で女性的な性格を付与され、造形的にも女性らしい優美さを備えるようになったらしい。このため観音は特に女性を救済する仏として日本でも女性を中心に篤く信仰されるようになる。
観音の功徳が説かれる法華経観世音菩薩普門品(ふもんぼん)第二十五「観音経」の一節、いわゆる「世尊偈(せそんげ)」はとりわけ安産と順調な子育てを願う女性達によって繰り返し読誦されてきた。実際、市内でも「具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼」と世尊偈の刻まれた江戸時代の石造物は子安講、月待ち講関係のものにかなり多く見られる。宝篋印塔に刻まれることの多い回向文(えこうもん)の「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」と並んで世尊偈は江戸時代の石造物に頻出する文言なのである。
坂東三十三ヵ所、西国三十三ヵ所、秩父三十四ヵ所は既に中世には確立していた代表的な観音霊場であった。それらの霊場をすべて合計すると百になる。江戸時代、この百箇所の巡礼を達成すると村の寄り合いでは上座に座れるほど巡礼者は尊敬されたという。四国お遍路八十八箇所や日本全国六十六カ国の廻国巡礼と並び、観音霊場百箇所の巡礼は多くの人々の憧れとなっていた。熱狂的な巡礼者の中にはお遍路八十八箇所と観音霊場百箇所とを合わせて百八十八箇所を巡礼する過酷なチャレンジを達成する人々もいたことがいくつかの巡拝塔で確認できる。
長らく出家した僧侶のみに独占されてきた、自らの努力で功徳を積み重ね、その功徳を周囲に及ぼす(=回向)という信仰上の尊い営みはついに民衆レベルにまで解放されてきた。とはいえ巡礼の旅はただの気楽な物見遊山とは異なる過酷な側面を相変わらず持っていた。どれほどに街道が整備され、宿泊施設が整ってきたといえども、徒歩による移動はそれなりの労苦と危険を伴う苦行でもあった。しかも百八十八箇所ともなれば10年近くを要する長丁場の旅。誰もがたやすくチャレンジできる性質のものではない。従って百箇所等を達成した巡礼者の多くは生活に相当ゆとりのある村の富裕層、及びその家族であったと思われる。
そもそも観音はよく山の頂に姿を現すとされたため、観音霊場もまた険峻な崖の上や山頂に設けられる傾向があった(※坂東三十三ヵ所一覧参照)。天台宗や真言宗などの密教では神聖な山岳に寺院を設けることが多いことも手伝って観音霊場巡りはもっぱら起伏の激しい、体力的にかなり辛いコースを縫うように辿る。巡礼は本来、中世までは仏道に専念する一部の僧侶が命がけで取り組んできた難行苦行の一つなのである。したがって体力気力が衰える高齢者になってからでは巡礼の旅は厳しかっただろう。おそらく村の富裕層の多くがまだ体力の有るうちに跡取りを定め、早めに隠居して巡礼の旅に出る事を夢見ていたのである。
こうして近世になると僧侶だけでなく多くの民衆が様々な祈願を掲げて仏道修行の世界に参入してきた。この現象は巡礼以外にも寒念仏などの念仏行や修験道絡みの霊山登拝などにも及んだ。とりわけ富士山や出羽三山への登拝は東国では明治以降になっても頻繁に繰り返されてきた。
これらに加えてお伊勢参りや金比羅詣でなども流行してきたため、各種のバラエティに富んだ信仰の旅は一方で人々の流動性と交流の度合いをおおいに高め、やがて村境や国境を越えた広範な経済的、政治的なつながりを民衆にもたらす一因にもなったと思われる。すなわち幕末の「世直し一揆」や明治期の自由民権運動につながる各種の反政府運動は江戸時代における民衆の巡礼熱の高まりが後の政治的運動の全国的な展開を用意していた側面があったと考えられるのである
参考:坂東三十三箇所の一覧(太字は千葉県内の札所)
一番:大蔵山(だいぞうざん)杉本寺(すぎもとでら)
十一面観世音菩薩 天台宗 神奈川県鎌倉市
二番:海雲山(かいうんざん)岩殿寺(がんでんじ)
十一面観世音菩薩 曹洞宗 神奈川県逗子市
三番:祇園山(ぎおんさん)安養院(あんよういん)
千手観世音菩薩 浄土宗 神奈川県鎌倉市
四番:海光山(かいこうざん)長谷寺(はせでら)
十一面観世音菩薩 浄土宗系単立 神奈川県鎌倉市
五番:飯泉山(いいずみさん)勝福寺(しょうふくじ)
十一面観世音菩薩 真言宗東寺派 神奈川県小田原市
六番:飯上山(いいかみさん)長谷寺(はせでら)
十一面観世音菩薩 高野山真言宗 神奈川県厚木市
七番:金目山(かなめさん)光明寺(こうみょうじ)
聖観世音菩薩 天台宗 神奈川県平塚市
八番:妙法山(みょうほうさん)星谷寺(しょうこくじ)
聖観世音菩薩 真言宗大覚寺派 神奈川県座間市
九番:都幾山(ときさん)慈光寺(じこうじ)
十一面千手千眼観世音菩薩 天台宗 埼玉県比企郡ときがわ町
十番:巌殿山(いわどのさん)正法寺(しょうほうじ)
千手観世音菩薩 真言宗智山派 埼玉県東松山市
十一番:岩殿山(いわどのさん)安楽寺(あんらくじ)
聖観世音菩薩 真言宗智山派 埼玉県比企郡吉見町
十二番:華林山(かりんさん)慈恩寺(じおんじ)
千手観世音菩薩 天台宗 埼玉県さいたま市岩槻区
十三番:金龍山(きんりゅうざん)浅草寺(せんそうじ)
聖観世音菩薩 聖観音宗 東京都台東区
十四番:瑞応山(ずいおうさん)弘明寺(ぐみょうじ)
十一面観世音菩薩 高野山真言宗 神奈川県横浜市南区
十五番:白岩山(しろいわさん)長谷寺(ちょうこくじ)
十一面観世音菩薩 金峯山修験本宗 群馬県高崎市
十六番:五徳山(ごとくさん)水澤寺(みずさわでら)
千手観世音菩薩 天台宗 群馬県渋川市
十七番:出流山(いずるさん)満願寺(まんがんじ)
千手観世音菩薩 真言宗智山派 栃木県栃木市
十八番:日光山(にっこうさん)中禅寺(ちゅうぜんじ)
千手観世音菩薩 天台宗 栃木県日光市
十九番:天開山(てんかいざん)大谷寺(おおやじ)
千手観世音菩薩 天台宗 栃木県宇都宮市
二十番:獨鈷山(とっこさん)西明寺(さいみょうじ)
十一面観世音菩薩 真言宗豊山派 栃木県芳賀郡益子町
二十一番:八溝山(やみぞさん)日輪寺(にちりんじ)
十一面観世音菩薩 天台宗 茨城県久慈郡大子町
二十二番:妙福山(みょうふくさん)佐竹寺(さたけじ)
十一面観世音菩薩 真言宗豊山派 茨城県常陸太田市
二十三番:佐白山(さしろさん)正福寺(しょうふくじ)
十一面千手観世音菩薩 真言宗系単立 茨城県笠間市
二十四番:雨引山(あまびきさん)楽法寺(らくほうじ)
延命観世音菩薩 真言宗豊山派 茨城県桜川市
二十五番:筑波山(つくばさん)大御堂(おおみどう)
千手観世音菩薩 真言宗豊山派 茨城県つくば市
二十六番:南明山(なんめいさん)清瀧寺(きよたきじ)
聖観世音菩薩 真言宗豊山派 茨城県土浦市
二十七番:飯沼山(いいぬまさん)圓福寺(えんぷくじ)
銚子観音 十一面観世音菩薩 真言宗 千葉県銚子市
二十八番:滑河山(なめがわさん)龍正院(りゅうしょういん)
十一面観世音菩薩 天台宗 千葉県成田市
二十九番:海上山(かいじょうさん)千葉寺(せんようじ)
十一面観世音菩薩 真言宗豊山派 千葉県千葉市中央区
三十番:平野山(へいやさん)高蔵寺(こうぞうじ)
聖観世音菩薩 真言宗豊山派 千葉県木更津市
三十一番:大悲山(だいひさん)笠森寺(かさもりじ)
十一面観世音菩薩 天台宗 千葉県長生郡長南町
三十二番:音羽山(おとわさん)清水寺(きよみずでら)
千手観世音菩薩 天台宗 千葉県いすみ市
三十三番:補陀洛山(ふだらくさん)那古寺(なごじ)
千手観世音菩薩 真言宗智山派 千葉県館山市
※三十三ヵ所の内、十一ヵ所が天台宗寺院、十七ヵ所が真言宗寺院、密教全体で合わせて二十八ヵ所と
なり、山岳信仰とのつながりを強めた密教寺院が観音霊場の多くを占めていたことが分かる。