その2.障がい者差別をめぐる話題(前編)

 

 以下、「障がい者」と個人的には表記していきますが、引用や番組のタイトルなどではそのまま「障害者」と表記している場合があることを予め、ご了承ください。

 

参考動画

障がい者は「我慢せえよ!」名古屋城復元をめぐり“差別的発言”が波紋 河村市長

 出席で陳謝も|TBS NEWS DIG  2023/06/06  3:18

 不適切な言動でしばしば注目される河村市長による不祥事がまた一つ加わった。今回は市長自身の暴言ではないが、市民による暴言を制止できなかった主催者、とりわけ市長の責任は極めて重い。

【落合陽一】小学校高学年の17%は幻聴を聞いている!なぜタチ悪いキャラの幻聴

 が?脳性まひ、当事者研究の熊谷晋一郎が語る『解釈的不正義』、学校教育で顕著

 な『排除型と同化型差別』、孤立と自立の違いとは?

 NewsPicks /ニューズピックス  2023/05/28  16:23

 排除型の差別だけではなく同化型の差別があるという視点は極めて重要。

【落合陽一】自立しなさい!って何?脳性まひの小児科医、熊谷晋一郎「自立は依

 存の反対語ではない、むしろ依存先が多いこと」当事者研究の専門家が語る、自立

 の必要条件「選択肢がたくさんある事、支配されない事」

 NewsPicks /ニューズピックス  2023/05/18  17:23

 依存先が多いほうが自立に有利、という指摘も極めて重要だろう。熊谷氏の出演する二つの動画を視聴しておくと障がい者差別の問題をより多角的で深い視点から眺めることができるようになると思う。やや長めの視聴時間になるが、ぜひ、視聴していただきたいイチオシの動画。

依存の価値を再考する | 晋一郎 熊谷 | TEDxHitotsubashiU

 TEDx Talks  2023/03/23 18:00

[ハートネットTV] 不発弾で両目と両手を失って教師になる | NHK

 2021/04/16 NHK 5:00

 両目と両腕を失ってしまった教師が教壇に立っていられる事の背景に何があるのだろう?彼の存在は生徒たちにどんな影響を及ぼすだろう。

   ※参考記事 

  ◎吃音でも教師になりたい 「当事者だからこそ」学生の模擬授業

   毎日新聞 によるストーリー  2024.1.25

  生徒の多様性、個性を尊重するだけではなく、教師の個性や多様性を尊重した教師養成教育、教員

   採用の在り方も大いに模索されるべきだろう。

[ハートネットTV] 介助を通してさまざまなものを学び取り 自分自身を見つめなお

 す若者たち | NHK 2022.11.2 9:58

 障がい者への介助から学べる事とは何だろう?未熟な自分から逃げずに対峙し続けるとはどういうことだろう?障がい者の人生にまで寄り添う仕事に介助者のプライベートな側面はどう捉えるべきだろう?「恋するヘルパー」とは介助のどういう側面を表しているのだろう?様々な問いが思い浮かぶ。

「24時間テレビ」は障害者の「感動ポルノ」 NHKの裏番組「バリバラ」が話題

  [モーニングCROSS] 2016/09/29 CUT CROSS 3:42

【乙武が解説】24時間テレビの問題点とは!?

 2020/08/22 乙武洋匡の情熱教室 - Limitless OTO 9:23

・感動ポルノの危険性について(ウィキペディアより引用)

 感動ポルノ(かんどうポルノ、英語: Inspiration porn) とは、2012年に障害者の人権アクティヴィストであるステラ・ヤングが、オーストラリア放送協会のウェブマガジン『Ramp Up』で初めて用いた言葉である。意図を持った感動場面で感情を煽ることを「ポルノ」(ポルノグラフィ)という形で表現しているが、ポルノ自体は性的な興奮を掻き立てるものに使われる。ステラによれば、この言葉は、障害者が障害を持っているというだけで、あるいは持っていることを含みにして、「感動をもらった、励まされた」と言われる場面を表している。そこでは、障害を負った経緯やその負担、障害者本人の思いではなく、積極的・前向きに努力する(=障害があってもそれに耐えて・負けずに頑張る)姿がクローズアップされがちである。「清く正しい障害者」が懸命に何かを達成しようとする場面をメディアで取り上げることがこの「感動ポルノ」とされる。また、紹介されるのは常に身体障害者であり、精神障害者・発達障害者が登場することはほとんどない。

 日本においては、2016年8月28日にNHK Eテレが『バリバラ障害者情報バラエティー』「検証!『障害者×感動』の方程式」で感動ポルノを取り上げ、裏番組に当たる24時間テレビを批判した。

 英国BBCは1996年、障がい者の「困難に耐えて頑張る」姿ばかりが描写されがちなことに対する抗議運動を受けて「障害者を“勇敢なヒーロー”や“哀れむべき犠牲者”として描くことは侮辱につながる」というガイドラインを制定している。

 また、2020年の新型コロナウイルスにおける医療従事者への感謝として「コロナ(ウイルス)と戦う医療従事者の皆さまへお礼のメッセージ(拍手)を送りましょう」と自治体やタレントが音頭を取るケースもあり、「感動ポルノ」「全体主義的」だと批判されるケースもあるという。

 ただしコロナ禍における医療従事者へのお礼のメッセージに関しては強制で無いのなら、たとえ自治体やタレントが音頭をとったとしても「感動ポルノ」には該当しないし、まして「全体主義」と批判するのは的外れも甚だしいだろう。むしろ「感動ポルノ」という言葉が一人歩きしてしまうと、障がい者をありのままに評価する方向では使われず、偏見差別との戦いの先頭に立って活動している障がい者たちを攻撃し、傷つける言葉として安易に使われてしまう可能性の方が出てきてしまうのではあるまいか。

[バリバラ] 身長115cm 女性 マイホームで過ごすモーニングルーティーン |

  NHK 2021/12/09 3:25

[バリバラ] 1人暮らし車いす女子のモーニングルーティン | 

 NHK 2021/04/22 4:47

[バリバラ] 1人暮らし 全盲女性のモーニングルーティン | 

 NHK 2021/06/17 4:29

視覚障害者の暮らし--空間認識編【フリー・ザ・チルドレン・ジャパン】

 2017/05/02

 どのようにして視覚障がい者は外界を認識しているのか?白杖の役割と放置自転車の怖さが分かる。

 他にも「しょうこチャンネル」(頸椎損傷による車椅子生活からの精神的立ち直りと周囲の支え・・・)「寺田家TV.サイボーグパパ」(小児麻痺による車椅子生活から「ハル」を用いた機能回復への途、障がい者の結婚と子育て・・・)など、何人かの障がい者がユーチューブなどで発信しているので是非、ご覧下さい。

 

登美丘高校ダンス部×『グレイテスト・ショーマン』|This Is Me~これが私~

 Warnar Music Japan 2018/01/17 2:53

 歌詞の日本語訳が分かりやすい。これは「感動ポルノ」なのだろうか?できれば映画そのものを視聴させたいが…時間的には無理か。

 ※参考資料:カッパが授業用の資料として作成したものを以下に掲載 (ネタバレあり!

 ・ミュージカル映画「The Greatest Showman」の概要

  本作はアメリカで2017年の暮れに公開され、日本では翌春に公開されたミュージカル映画である。

 音楽スタッフは「ラ・ラ・ランド」と同じであり、作詞、楽曲面でも優れた作品となっている。ユー

 チューブ上ではあの大阪府立登美丘高校ダンス部がハリウッドと提携して「This is me」

 を踊っているシーンが話題を集めた。日本人の場合、ミュージカルが苦手でセリフのわざとらしさや

 大げさな動作にややひいてしまう人も多いに違いない。しかし本作は若干そうしたミュージカルにあ

 りがちな要素を残しつつも、その物語性、メッセージ性には注目すべきものがあると感じた。

  本作のあらすじを紹介しよう。時代は19世紀半ばのアメリカで主人公はP.T.バーナムという実

 在の人物。不幸な生い立ちの彼は才能豊かな野心家であり、金持ちの令嬢と結婚したまでは順調だっ

 たが、勤務先の会社がたちまち倒産してしまう。やがてかれは興行の世界に飛び込み、挑戦と失敗を

 繰り返していく。彼は隠れるように生きてきた個性的な人々をいわゆる「見世物」としてサーカスの

 一員に迎え入れ、スポットライトをあてていく。「奇形」であることをショービジネスとして人々の

 「好奇の目」に敢えてさらけ出していく事によって彼らを孤独と闇の世界からスポットライトのあた

 るステージに導く。そして一人前の稼ぎ手としてのプライドも回復させていく。19世紀、まだまだ差

 別や偏見が露骨にはびこっている時代のことである。「見世物」として彼らを好奇の目にさらすこと

 に異議をとなえる立場もあろうが、それは人権意識の高まった21世紀の感覚であることに留意すべき

 だろう。

  「This is me」の日本語訳「ありのままの私で良い、人と違うから良い、誰に見られて

 も怖くない、私には愛される価値がある…」。基本的には「勇気を持って新しい世界にチャレンジし

 よう」という冒険精神と「どんな人にも輝かしい舞台、居場所がある」という積極果敢なメッセージ

 がこれらの曲に込められているようだ。冷たい視線を避けるようにしてずっとひきこもってきた、身

 体的に個性の強い人々がステージの上で堂々とその存在を誇示し、輝きだす。確かに「This i

 s the greatest show」なのである。

  アグレッシブで個性と自己主張を重んじる欧米らしい価値観がよく反映された歌詞とストーリーで

 あろう。ただこの映画の内容からは、引きこもりがちな人に限って心の底では皆に注目されたいとい

 う秘かな願望を抱いていることが察せられて心が痛む。長い抑うつ状態とひきこもりの中で繰り返し

 夢想してきた、人々の前で燦然と輝いている自分…深く傷ついてしまった自分のプライドを一気に取

 り戻したいという一種の「焦り」をその願望の裏側に嗅ぎ取ってしまうからに違いない。

  マインドフルネスの立場ではおそらくこの映画のアグレッシブな側面を警戒することになろう。勇

 気ある闘う姿勢は一つ間違えば「問題を濁らせてしまい、かえって問題をこじらせてしまいかねな

 い」と捉えるのではなかろうか。劣等感の裏返しが優越感であるとしたら、競争に勝つ事で優越感に

 浸る…といった危険な方向性を内在させてしまう恐れもあろう。

  肝心な点は劣等感を取り除く事ではあるまい。劣等感にも存在価値がある。適度な劣等感は努力や

 成長をもたらす原動力となろう。ただ余りにも強過ぎる劣等感が引きこもりや抑うつ状態といった

 様々な問題をひきおこしている。彼らに共通する強過ぎる自己卑下、自己嫌悪が抑うつ状態の一因で

 あることは間違いない。そしてその反動として一気に名誉挽回をはかろうとする「野望」もまた大き

 な危険をはらむのである。

  一気にプライドを取り戻そうとして勝ち目の無い勝負に出てしまい、かえってプライドを傷つけて

 しまうことこそ、最悪の展開。確かに成功すればドラマチックではあるがどうみても、危険な賭けを

 打てる状況ではあるまい。ドラマチックな逆転劇を夢想してしまうほどに引きこもりがちな人のプラ

 イドはズタズタに傷ついている…だからこそなおさら一歩一歩、着実に前進できる手立てをうつこと

 が抑うつ状態に陥っている人にとっては必要なものとなる。

  劣等感を招く一方で周囲を見下す…卑屈と傲慢さを同居させる事で人間関係をギクシャクさせてし

 まう厄介なプライドを刺激してしまう。そうした点でこの映画には一抹の不安を感じてしまうのであ

 るが、いかがであろう?

  実際、「This is me」はプライドに軸足を置いた歌。だから戦闘的な要素も秘めた、自

 己主張の強さを感じる。踊りも挑みかかるような逞しさを覚える振付。しかしプライドに軸足を置い

 た生き方は一歩間違えるとストレスフルな状況を招き寄せるかもしれない。プライドにこだわる生き

 方は人を勝ち負けに執着させ、勝ち続けることで名声におぼれてしまう、そんな生き方につながりか

 ねないのでは?

  主人公バーナムが歌手と浮気するなかではまりかけた上流階級へ上りつめようとする野心的チャレ

 ンジはおおいにプライドをくすぐる生き方に違いない。しかしそれはやがて勝者としての優越感に浸

 り、敗者を見下ろす傲慢さをも生みださないか?ひきこもってきた人々に活躍の場とあたたかい居場

 所を与えていたサーカスを下品な「見世物」としてさげすんでしまう事にならないか?逆にプライド

 を高めるための競争に負ければ人は卑屈な思いに屈してしまわないのか。とすれば確かにこの映画の

 終わりは「From now on」でなければならなかった。主人公はもう一度家族の元へ、サー

 カス団の元へ帰っていくことになる。断固として今すぐ…

 

「注文に時間がかかるカフェ」スタッフ全員が話し言葉が滑らかに出ない"吃音症"

  神戸のカフェで人生の大きな一歩を踏み出した大学生に密着【報道ランナー「特

 集」】 関西テレビNEWS  2022/10/24 14:02

“悪魔の病気”トゥレット症と闘う若者…食事は?就職活動は?「普通に生きるのに

 困ります」 CBCドキュメンタリー  2022/11/09 14:00

参考記事

目の見えない研究者と耳の聞こえない研究者が、多様な人たちが理解し合うための

   コミュニケーションを語る。書籍『「よく見る人」と「よく聴く人」』。 

   こここ編集部 によるストーリー  2023.12.15

900万人が驚いたたいせつな疑似体験 日本の子が「視覚障害者・聴覚障害者・高

 齢者」を知る意味とは コクリコ編集部 の意見 2023.8.5

日本でも24万人超が体験! 子どもと親の真っ暗闇体験で起きた想定外の「5つ

 の変化」コクリコ編集部 の意見 2023.8.6

 …何一つ見えない暗闇の中では、普段よりも匂いに敏感になり、人の声に集中できました。見えないことによって他の感覚が開いていく気がしました。…

 …彼ら視覚障害者は、暗闇の中で迷っている人と、冒険している人を区別できるそうです。迷い人と冒険者は、足の運び、白杖の付き方、衣擦れの音、呼吸が違う。不安な人と楽しんでいる人は呼吸の仕方まで違うことを彼らは知っているんです。だからこそ、見えない中でも遠くで迷っている人を容易に見つけることができた。「なんという能力だろう!」と心底、驚きました。この驚きや感動は、文字で読んだり伝聞だけではわかりません。実体験して初めて得られます。

…見えない、聞こえない、歳をとる。一見、いずれもとてもネガティブな体験だと思われがちですが、当事者が出てきて、案内し、アンコンシャスバイアス(無意識でのものの見方やとらえ方のゆがみや偏り)を、出会いと対話で溶かしていきます。

 こうした体験を通じて子供たちは以下のように変化していくという。

1.街で障害者が視界に入るようになった

2.シルバーシートに座っていた子どもが席を譲るようになった

3.子どもの知らない一面を見ることができた

4.自分は必要とされていると実感できるようになった

5.(以上の変化を子供に感じた親は)子どもへの向き合い方が変わった

 「見えない」「聞こえない」ことの体験こそが障がい者への理解を深めていく第一歩なのかもしれない。授業では導入としてアイマスクを用いた簡単な体験をさせてみると良いだろう。

耳が聞こえない人々の戦争体験 「今ではあり得ないことが当然に」

 毎日新聞 によるストーリー 2023.8.2

 戦時中におけるろうあ者への差別とろうあ者ならではの恐怖体験はぜひ知っておくべきだろう。

「人間扱いしていない」植松死刑囚と同じ体質だった、もう一つのやまゆり園<47

 リポーターズ> 東京新聞 2022年9月20日

知的障害者施設「中井やまゆり園」で“虐待行為” 園長を懲戒処分、職員7人と幹部

 職員ら15人も注意 日テレNEWS によるストーリー 2023.5.25

 保育所、障がい者施設、精神病院などでの不適切な対応、虐待が頻発している背景に何があるのか、また職員への注意という処分が妥当なのか、これは刑事事件ではないのか等々、ぜひ授業で考えさせたい。

“障害”ってそもそも何だろう? 困難の原因を「社会モデル」から考える——バリア

 フリー研究者・星加良司さん こここ編集部 2022.12.14

 「傷害」を「個人モデル」から「社会モデル」に転換する試みは極めて重要な視点を提供してくれるだろう。「障害者の村」という寓話は視点を「社会モデル」に転換させる上でかなり役立つに違いない。

障害者がつくるVRアート「仮想空間では自由になれる」と神足裕司さんも夢中

  日刊SPA! 2022/08/06 08:52

知的障害者が7割の企業 健常者の27歳社員が得た気づき「スタートの位置が人によ

 って違うだけ」 AERAdot.2022/10/30 09:00

「障がい者を笑うな」の一声で衰退した”こびとプロレス”。現役レスラーが問う、 

 なんとなくの善意 集英社オンライン 2022/10/30 18:01

 これも「感動ポルノ」と同様、健常者が障がい者に抱きやすい気持ちの落とし穴にハッとさせられる記事。障がい者問題を深く考えさせていくには役立つ内容。

追悼 さらば「障碍者芸人」ホーキング青山の破天荒一代

   アサ芸プラス によるストーリー 2024.2.25

「顔の変形」に悩む人々が〝脱マスク社会〟に抱く不安 「見られない気楽さを手放

 したくない」安心感が一転 withnews の意見 2023.5.1

 この問題、実は自己肯定感が低くなってしまった不登校やうつ傾向の生徒たちにも

共通する。私の勤務していた三部制の定時制高校午後部では特に不登校の生徒が多かったが、コロナ禍が始まる数年前からすでに三分の一近くの生徒がマスクを常用していたのを思い出す。

アベマブログ「見世物小屋と中村久子」

   小川里菜のあの事件を追いかけて 2024.1.25

 内容が素晴らしく、読み応えのあるブログでイチオシ。障害を売りにする行為とそれを好奇の目で見る観客とは確かに偏見を煽るような点である種の共犯関係にあるが、かつての「見世物小屋」にあった世界の存在意義自体を丸ごと単純には否定できない。障害を人々の前で敢えて晒す行為が「好奇の眼差し」を「感嘆の眼差し」に変えることもありうるのだ。その意義と可能性を踏まえた上で現代において障碍者の自己主張、自己表現欲求をどう引き出していくのか、様々なアプローチを模索する上でも大いに参考となる記事だろう。

 

・科学技術の進歩と障がい者

ヒュー・ハー: 走り、登り、踊ることを可能にする新たなバイオニクス義肢

 TED 2014・・・「障がいを無くしていくサイボーグの時代へ」

ヒュー・ハー:21世紀末、人は羽を持ち、空を飛翔する

 TED 2018・・・「いよいよサイボーグの時代へ」

 ・・・義肢が自分の体と一体化し始めた! 感覚を伝える義肢の登場

【転換期】「義足選手が健常選手に陸上100mで勝つ」パラリンピックをどう楽し

 む?道具の進化で好記録も?オリパラ合体論も?為末大と考える|#アベプラ《ア

 ベマで放送中》 2022/03/08 ABEMAニュース【公式】 13:18

【暴論?】パラリンピックをなくしたい【炎上覚悟】

 2021/08/22 乙武洋匡の情熱教室 - Limitless OTO 7:11

 ぜひ討論のテーマとして扱いたい。パラリンピックの意義は何?上の「義足選手

が…」と併せて視聴させると議論が深まるかもしれない。

 ヘレン・ケラーは「人にとって最も大切なことは目に見えず、耳には聞こえない。それは心で感じるしかない」と言っている。つまり健常者の中には目が見えるために肝心なことが見えなくなってしまう人がいる。耳が聞こえるために肝心なことを聞き逃してしまう人がいる。なまじ、見聞きできるためにかえって人は大切な事を見失い、大切なメッセージを聞き逃してしまうこともあるのだ。だからこそ健常者は目の見えない人が「見ている世界」を見ようとしてみるべきであり、耳の聞こえない人が聞いているメッセージに耳を傾けてみるべきである。

 確かに障がい者問題を考えるときにはこうした視点を忘れてはなるまい。しかしその一方で特定の障がいが人々に大きなハンディ、不便をもたらしていることも紛れもない事実である。MITのヒュー・ハーは自らの障がいを乗り越えるべく、「障がい」の除去と身体能力の回復、欠損した両脚の感覚を取り戻す技術の開発に取り組んできた。そしてついにサイボーグ化への一歩を踏み出している。感覚を持つ義肢の登場である。

 これらの技術は「人にとって最も大切なこと」=「愛」に基づいて開発されてきたとしても戦争などに悪用されかねない危険性を秘めている。たとえ善意に基づいて開発された技術でもたちまち悪用される危険性がある事は過去を振り返れば納得できよう。もちろん、その逆もある。悪意に満ちた技術が善意のために利用される側面はあるに違いない(原子爆弾の開発⇒原子力の平和利用)。

 問題はその技術を国や社会がどのように活用するのか、活用主体の目的と活用方法(善意に基づいた活用でも大事故による悲劇は生じうる=福島原発)にある。特に私たちが注意すべきはそれらの高度な技術に関わる情報が常に分かりやすく国民に提供されているのかどうか、という点。

 政府はこうした大きな社会的影響が生じかねない技術に関わる点を出来る限り情報公開し、国民の知る権利の保障に努めるべきである。つまり国家は国民に分かりやすく知らせる義務があるのである。

 もちろん軍事的には「国家機密保護法」の制定も必要だが、「事故隠し」を続けて原発の事故報告を怠ってきた歴代政府の責任は重い。まずは情報公開と情報の保管(国立公文書館)の充実が「国家機密保護法」に先行すべき取組であったはずである。桜を見る会、モリかけ問題等、政府にとって都合の悪い事は情報公開を拒否し、証拠隠滅を図ってきた日本政治の過去は問題の多いアメリカと比べても極めて不透明で罪深いものがある。

 科学技術はめまぐるしいスピードで進化を遂げている。しかし日本の政治の在り方は古くから東アジアの為政者における伝統的統治姿勢である「知らしめず、依らしむべし」という古色蒼然たる、非民主主義的な観念のままである。このままでは今後もずっと民主主義は日本にきちんとした形で根付くわけがない。科学技術の発達に遅れをとりつつある日本政治の民主主義的な方向へのアップデートこそ、日本政治の喫緊のテーマと言えるのではあるまいか。

 

・劇団態変とは:障がい者問題を深掘りしてみよう

劇団態変 第69回公演「箱庭弁当」向井望

 2019/06/16 劇団態変 1:31

 態変は主宰者の金滿里(1953~)により1983年に大阪を拠点に創設され、身体障がい者にしか演じられない身体表現を追究するパフォーマンスグループである。

 以下、態変の活動を説明したウィキペディア掲載の文章を一部、紹介する。

 「身体障害者の障害じたいを表現力に転じ未踏の美を創り出すことができる」という金の着想に基づき、一貫して作・演出・芸術監督を金が担い、自身もパフォーマーとして出演する。金自身ポリオの重度身体障害者である。

 海外での招聘公演も数多く、特に欧州では「これまでのダンスの枠組みを大きく捉え返す必要のある表現に出会った」などの評価を受け、その斬新で先鋭的な芸術性へ触れる機会を求められている。


 その方法は、身体障害者がその姿態と障害の動きとをありのままに晒すレオタードを基本ユニホームに、障害それじたいを表現力に転化して人の心を撃つ舞台表現を創り出す、それが劇団態変の表現である。


 身体こそが身近にある小宇宙、として捉えるとき、不安定にも見える態変のパフォーマーの身体こそが、一瞬たりとも同じではない宇宙への感応の表現としてある。態変が表現する、ことは、生命丸ごとを投げ出すということに近く、生きる本能に目覚める身体性である。それは命の形、であり魂の表現なのだ。

 それは、従来ダンスに求められてきた再現性とは異なる、再現不可能な一期一会として用意される表現でなければならない。その舞台を通して観客も、自身の日常を越えいつしか非日常のパフォーマー態変の身体を共に生き、自身の身体を開放させ命に触れるのである。

 創立時よりの習わしで「劇団」と名乗ってはいるが、敢えて言えば physical theatre に該当するスタイルで、これまで30年かけて表現として見つめてきた動きは『ダンス』でもなく、『舞踏』でもない、どこにもなかった『態変』の身体表現である・・・

 

 最初に視聴したときに引いてしまう生徒が出てしまうかもしれないが、「グレイテスト・ショーマン」と同様に、障がい者の活躍の場としてこういう舞台が存在すること自体には間違いなく、大きな意義があるだろう。

 ※参考記事

  〇「障害とは何かを掘り下げると芸術につながる」 金満里さん

   身体障害者の劇団「態変」を主宰  2014/11/23 朝・夕刊の「W」

 ※参考動画

  ○【あそどっく】障害も”笑い”に! 寝たきり芸人の生きる道 『Nドキュポケット』

   NNNセレクション 2022/04/29 日テレNEWS 4:40