その4.欧米の学校と日本

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考動画

江戸の子育て事情~イクメンが当たり前!「子供の楽園」と外国人が讃えた育児の

 実態~ ほーりーとお江戸、いいね!  2023/02/24  12:41

江戸の教育〜現代人も学びたい教育方針〜

 ほーりーとお江戸、いいね!  2021/04/09  9:01

 江戸時代の子育て、しつけ、教育が明治以降とはかなり異なっていたことは予めぜひ、理解しておきたい。日本の伝統とは多少ズレた方向で近代以降の日本の学校教育が発展してきた側面もあった点を踏まえて現今の教育問題を捉えるべきであろう。幕末から維新期にかけては欧米からは「子供の天国」「子供の楽園」と絶賛され、子供への教育の普及に関しても世界で先頭を走っていた日本…このあたりの歴史を振り返ると、かえって日本の現状の悲惨さが浮き彫りになると思うがいかがだろう。

 ちなみに「ほーりーとお江戸、いいね」は話題がほぼ江戸時代の民衆史、風俗史の部門に限定されるが、わかりやすくて興味深い内容であり、短時間でまとめられていて日本史、特に郷土史のお勉強には大いに役立つ、カッパイチ押しの番組。

 ※参考記事

  「学年なし」「時間割なし」だった江戸時代の教育 識字率世界一は「多様性」が支えていた

    AERA dot. 2023.6.12

    寺子屋で使用された江戸時代の教科書は往来物と総称されていた。往来物は現在、7000近くの

    種類が確認されているらしい。仮名文字の崩し字、旧国名、人名、方角、暦、各種銭貨の単位

    と換算、重さ・長さ・面積・容積などの単位、手紙の模範文例集、といった万人向けの内容か

    ら農民向け、職人向け、商人向け、漁村向け、山村向けなど職業、職種に応じたものなど、多

    種多様な教科書が存在し、それらは子供たちの状況に応じて臨機応変に使われていたらしい。

     もちろん学年は無く、様々な年齢層で出自も異なる雑多な子供たちが集まってくる。すなわ

    ち子供一人一人の需要と適性・能力に合わせて寺子屋の師匠は個別指導していたということに

    なろう。当然、授業形態も一斉講義形式ではなく、原則、自学自習を基本として学習のペース

    も子供の適性・能力に応じたマイペースなものだった。

     こうした柔軟性に富み、かつ安価な寺子屋教育は江戸時代の行政が文書主義をとったことも

    あり、急速に普及した。初等教育が画一的で息苦しい義務教育ではなかった、近代以前の時代

    のことである。幕末には全国に15000を超える数の寺子屋が存在していたと推測されている。

    19世紀中ごろの識字率は日本が世界一と言われるほど初等教育は一気に普及し、寺子屋での個

    別指導はそれなりの成果を収めてきた。明治期、日本の急速な近代化が成し遂げられた背景に

    は江戸時代の寺子屋教育の存在が大きい。

     他方で昨今の日本における教育事情の行き詰まり感、閉塞感の強さを思う時、柔軟性、多様

    性を欠いた学校教育の見直しが急がれるのはいうまでもないことだろう。特に「公平、公正」

    という美名に隠れた「国民国家」形成のための、半強制的・画一的洗脳教育はすでに時代的な

    役割を一定程度終えており、最早、弊害ばかりが目立ってきていると考えられないか。

[驚愕] 日本人の子供が他国とは全く違う理由

 2022.10.14 BrooklynTokyo 9:09

 もちろん日本の学校教育の良さも把握しておく必要がある。児童生徒自ら教室などを掃除する日本の学校風土を欧米はどう見ているのか、けっこう興味深い。

子どもの権利を考える| 🇸🇪🇯🇵の現場の違いや具体例 | 専門家へのインタビューも |

  北欧在住ゆるトーク Nord-Labo 北欧研究室  2022/11/19 19:27

 この動画と下の動画は「その1」で既に紹介している。北欧と日本との比較をする上で教育問題以外の話題においても大変役立つ番組。二人の歯切れ良い会話が聞き取りやすく、内容も分かりやすく整理されていてカッパ一押しの番組。

体罰95%から2%になったスウェーデン、体罰のないしつけに大事な3つ!| 北欧

 在住ゆるトーク Nord-Labo 北欧研究室 2022/09/17 21:11

 子供との粘り強い対話を重視するスウェーデンの子育てと学校教育の在り方が1970年代まではびこってきた体罰の根絶に大きな役割を果たしていたようだ。子供達の意見にしっかりと耳を傾ける大人達の姿勢が子供達の自己肯定感を支え、積極的な社会参加を促してきた側面にも注目したい。こうした大人社会の忍耐強い努力の積み重ねが他者と多様性を重んじる北欧の福祉社会存続の軸とされてきた事に畏敬の念を覚える。さて、日本はいかが…

結婚しないスウェーデン人、どうして?恋バナ#1【Eng subs】Why do Swedes

   not get married? 2021/12/11 Nord Labo -北欧研究室- 17:18

 「世帯」を前提にする日本と「個人」を前提にする北欧の差異が興味深い.

同調圧力を考えるinスウェーデン | Peer pressure in Japan, what is it? | Eng

   subs 2021/11/27 Nord Labo -北欧研究室- 17:04

北欧子育て7つの鉄則!自己肯定感を高める育児とは?| 北欧在住ゆるトーク

   2022/04/02 Nord Labo -北欧研究室- 19:00

・・・ほめない、比較しない、見た目について評価しない。「走るのが速いね」ではなく「走るのが好きなんだね」と話しかける・・・非常に参考となる話。ぜひ、生徒に視聴させたい。

 1970年代までフィンランドの教育はアメリカと同程度の低いレベルにあったという。しかし1980年代、フィンランドは独自の視点から学校教育の大胆な見直しを進めていく。教科書検定制度の廃止や教員資格制度の改正(教師養成教育の充実化、教員の大学院卒義務づけ等)、宿題の廃止、テストの削減、授業時数の削減。これらは保護者の労働環境の改善を伴い、子供達が家で両親と過ごす時間を劇的に増やした。しかも授業時数を減らす一方で体育や芸術関係は減らさず、知育に偏る事を避けたバランスの良いカリキュラムを作り上げている。にもかかわらずPISAの得点は世界トップクラスとなった。

 一方、アメリカは人種、民族、信仰の異なる雑多な移民から形成された国家の土台を基に、多様性を前提とした多彩なカリキュラムを用意して個性を尊重する学校教育を作り上げていた。しかし1970年代から中等教育を中心に非行少年の荒れが目立ち始め、生徒の学力低下が話題となったことを契機に学校教育の見直しが進む。その際、低予算でありながら国際比較で常に学力がトップレベルであり、治安も良かった日本の学校教育を参考にした改革が進んだ。このため学力向上、知育中心に偏った教育がアメリカに浸透していった。

 ここ50年近くの間にアメリカ、フィンランド両国の学校教育がその方向性において完全に乖離してきたのである。これは常にアメリカの後を追いかけてきた日本の学校教育に対しても深い反省を迫る点であろう。今や、学校教育に関しては日本とアメリカとの違いは微々たるものであるが、フィンランドとの違いは驚くばかり。それでも社会の同質性に守られて日本の児童生徒の学力は国際的には高い方であるが、児童生徒の幸福感、自己肯定感は先進国で最低の部類に属する。北欧の動きを踏まえて、日本の抜本的な見直しが待たれるところである。

【驚愕】外国人に『自分に自信ありますか?』と聞いた結果...

 2021/10/27 タロサックの海外生活ダイアリーTAROSAC 20:06

 日本と外国との違いを扱うyoutube動画は非常に数が多く、どれを教材にするか迷うほどである。この番組もカッパが良く利用するオススメ動画。タロサック氏のスピード感あふれる英会話力に引き込まれる。英会話力向上にも役立つだろう。

 よく言われる日本人の自己肯定感の低さと外国人の自己肯定感の高さ、この違いがどこから生まれてくるのか、生徒たちには考えさせたい。伝統的な日本人の謙虚さに加えて、他に何が考えられるだろう。

 テストの得点などで序列化され、将来の収入まで左右されかねない学歴社会、学校歴社会、競争社会の日本は学校教育を通じて圧倒的な数の負け組を量産してきた…そんな側面が見えてこないだろうか。

ケン・ロビンソンのスピーチTED

 ユーモアを交えた講演はたいへん分かりやすく、興味深い。イギリス出身のロビンソン氏は以下のTEDでの演説で面白おかしくアメリカの学校教育を批判している。しかしその批判の多くは日本の学校教育への批判と通じていて参考になるだろう。なかなかの名演説であり、古い動画ではあるが今の生徒に視聴させても十分、魅力的。

「学校教育は創造性を殺してしまっている」 2007/01/07 20:03

 画一性・公正・公平・同質性vs.個性・多様性の尊重

「教育の死の谷を脱するには」 2013/05/11 19:11

 教師や学校の裁量権を拡大

 教師の社会的地位の向上

 教育の個性化と多様性の尊重:「伝達」から個の好奇心に応じた個別対応へ

 画一性と同調を強要する一斉講義形式を中心とした管理統制式の、作業としての教育から多様で各自の「学び」を通じた個別到達度を重視した教育への転換。理数系や語学の習得を中心としテストの点数を重視した授業から、テストで計ることの難しい教科をも重視した、多様な生徒の好奇心を軸とする、学習意欲の向上を目的とする授業へ。

※STEM(科学・技術・工学・数学)偏重の弊害

 教育は効率性を重視した工業モデルで発想するのではなく、農業モデルで発想せよ。生徒が持つ学習意欲の喚起こそが教師の目指すべき最大の目標。デスバレー(死の谷)と化しているアメリカの学校をフィンランドなどの取組を参考にして生き生きとした学びの場として甦らせよう。

 

・デンマークと日本:10年以上前にカッパが作成した授業のプリント資料より

 ただし幸福度ランキングの部分は2021年のものに変えている

 どういう国が住み心地良いのか…いろいろな観点から考察できるだろうが、やはり単刀直入にそれぞれの国民に対して「幸福度」「満足度」を尋ねたアンケート結果を最初に検討してみよう。いずれも北欧諸国が上位を独占、日本は経済大国の割にはあまり芳しくない順位に甘んじている。とりわけ先進国の子供対象の幸福度調査(ユニセフ:2007年)ではオランダが一位で日本はデータ不足のため総合評価のランク対象外となってはいるが「孤独を感じる」という15歳の比率が約30%で他の平均6~7%を大きく引き離している(オランダは2.9%)。

 また別の調査(QOL調査:自尊感情の高さを測る質問紙調査)では日本の場合、学校段階が上がれば上がるほど自尊感情が低下する傾向も指摘されている(高校生を対象とした他の調査では教育困難校の場合、60%の生徒が「親に期待されていない」と回答しており、70%が期待されていると答えた進学校との格差も問題視できる)。ドイツやオランダとの比較でも日本の児童生徒の自尊感情はすべての項目(身体的健康、気分、自尊心、家族、友人、学校)に関して低くなっている。たしかに多くの日本人は謙虚で控え目…だとすれば主観的な内容のアンケートにも控え目の結果が出るのは仕方ない。ただ自殺率が世界で上位にある日本の現状も考慮すれば「自分が自分を大切に思えない」傾向はきわめて憂慮すべきことであろう。

 世界銀行が行った国家統治に対する調査ではフィンランドなどいわゆる北欧の福祉国家が上位を占め、日本は治安等の項目で高得点を稼いでいるものの、残念ながら「民主主義」の観点ではイタリアよりも下位にある。社会保障や教育への財政支出が先進国に於いて最低レベルにある日本の行く末が心配される昨今、日本の若者中心に将来に対する不安が暗雲のように垂れこめてきている。ここはひとまず国民の幸福度の最も高いデンマークに注目(この順位は10年以上前のデータによる)して社会保障や教育システム、政治の在り方などにおける日本との違いを浮かび上がらせ、日本の今後を考える材料としてみたい。

※なおこのプリントは20年近く前に作ったものを土台にしているので幸福度1位の国をデンマーク

 とし、日本との違いを論じている。近年、一位を続けているフィンランドに関しては後で紹介するプ

 リント資料で触れているので悪しからず。

1.デンマークの概要

 歴史は中世のバイキング時代にさかのぼる。強国に囲まれ、長く国土の保全に苦しんできた歴史から現在、18~32歳の男に兵役の義務(4ヶ月間)が課されている。

 ユトランド半島と約400の島からなる、海に囲まれた海洋国家。面積はグリーンランドなどを除くと九州とほぼ同じで、200mを超える山が無く、平地ばかり(海抜173mが最高地点)。牧畜業が盛んで食料自給率は100%を超える。特に食肉と酪農が盛ん。風力発電の先進的な取り組みと北海油田の開発によりエネルギー自給率も120%を超えている。

 人口は553万人ほどで兵庫県とほぼ同じ。首都はコペンハーゲン。デンマーク語を話し、国教は福音ルーテル派(教会は公営で牧師は公務員と同じ扱い。葬式代無料。但し墓石代等は有料)。小さな国なので経済発展のために海外での活躍を期し、英語(小学校3年から)、ドイツ語、フランス語(中学校から)、スペイン語、ロシア語(高校から)など会話中心に外国語の学習が課されている。少なくとも英語に関しては国民の成人のほとんどが日常会話程度なら困らない。語学力の国際比較調査では世界一位(58か国中日本は55位)。

 王国なので立憲君主制をとる点は日本に類似。しかし市会議員は給与無しのボランティアで国会議員の給与も750万円程度。首相でも年収2300万円ほどに過ぎない。

 一人当たりのGDPは日本の約1.4倍。国民負担率は70%ほどで世界一位(日本は40%ほどで先進国ではアメリカ、韓国に次いで低い)。国家予算の40%を社会福祉につぎ込む福祉国家お金の使い道の自由度が低い分、格差を生みだしにくい。公正な負担を実現するため(脱税等を防ぐため)、いわゆる国民総背番号制(個人登録番号制度)を取っている(スウェーデン、フィンランドも同様)。銀行は年末にはすべての口座所有者の預金残高や株などの債券所有額を税務署に報告しなければならず、お金の流れは極めて透明

 消費税は25%で自動車などは日本の3倍近くの値段となる。従ってデンマークでの自家用車の平均使用年数は14年とも言われている。ただし食品価格は安く、贅沢をしなければ「エコ」で快適な生活ができる。

 問題点としては北欧諸国に共通の離婚率の高さ(45%:日本は35%)で、働く既婚女性が多いため、家事育児の分担を巡って夫婦仲が悪くなるケースが目立つという。また離婚後、子供の親権は母親が握ることが多いので夫の世話をしなくて済む分、楽になるとの判断から女性から離婚話が進められることが多いようだ。

2.福祉・育児

 医療面ではまず「家庭医制度」があり、国民一人一人に必ず主治医として家庭医が存在するため、長期的な健康管理が可能となっている。診療費は歯医者を除くと無料で、薬代だけ有料。家庭医の場合、診療費がタダなので気楽に健康チェックができ、病気予防にも一役買っているという。また多くの場合、最初の診察は家庭医が行い、軽症患者は家庭医で治療を受ける。このため大病院(ほとんどが国立か公営)の混雑を防ぎ、医療の無駄も省けるという。

 家庭医段階では風邪程度ならば薬は処方されずに追い返されることも多いらしい(患者が薬を要求しても医者の判断が優先される)。ちなみに歯科治療は家庭医が担当せず、治療費も極めて高額なため、海外で治療する場合もあるらしい。つまり命にかかわらないケースでは医療費の支出抑制の為、意外なほどに厳しい面があるという。逆に重症の場合、格安の費用で最大限の治療を受けることが可能。本人の入院治療費(海外での治療も含む)だけでなく、付き添う両親の渡航費、滞在費すべて無料、さらに休業補償も手厚くなされる。また海外(但し欧州に限る)で病気や怪我をした場合も国が治療費を支払ってくれるという。

 妊婦の検診や病院での出産は無料で出産後の女性の職場復帰を容易にするための保育サービスも極めて充実している。人口の少ない国としては女性の就労を進めてそこからの税収にも頼らなければ充実した福祉政策は実現不可能と考えており、育児支援は経済支援と保育サービスの二本立てで行われている。

 日本で始まった「子ども手当」は育児支援を伴わない、人気取りの「バラマキ」政策に過ぎないとの批判がある一方で、デンマークでは育児支援も手厚い。そもそも日本の場合には産休や育児休暇は有給休暇扱いとはならずに給与は減額されるが、デンマークでは有給休暇扱い(ちなみに日本の有給休暇は年間三週間程度だがデンマークでは倍の六週間)。

 育児サービスは有料だが年収300万円以下は無料となるなど保護者の年収によって負担額に差がある。保育園以外に保育ママやベビーシッターの利用率も高く、ほぼ半々の割合。後者の方が預ける時間帯に融通がきき、料金の75%が助成されるため、働く母親に好評らしい。3~5歳児の親の97%がこれら育児サービスを利用しており、それが女性の就業率76%という高さ(日本は67%)につながっているとのこと。

 日本と同様「子ども手当」も支給され、0歳から17歳までが対象となっている。金額としては育児サービスの自己負担25%分にほぼ相当する(月額13000~21000円ほど)。なお保育ママの年収は5人預かったとして522万円ほどになり、十分生活できる職種となっている。育児サービスの充実は女性の職域拡大にもつながっているのだ。

 少子高齢化のため、デンマークでも1983年に出生率が1.38まで低下したがこうした支援策によって2009年には1.9まで回復(日本は1.26→1.37)している。

3.学校教育と就職システム

 幼稚園から大学まですべて無料。高校や大学に進学する時には入試が無く、学校間格差もほとんど無い

 学校で取得される資格が就職に必要不可欠で事務職にも資格がある。義務教育は10年(日本は9年)で、1年間の幼稚園も義務教育に入っている。

 日本と比較すると主な教育方針の違いは3点ある。一つは外国語教育の充実(既述)。二点目は政治に対する意識を高める努力。特に選挙に関しては小学校のうちから模擬選挙や討論を通じて理解を深め、自分なりの意見を持てるよう指導されているらしい。デンマークの成人年齢は18歳であり、参政権も早く与えられるため、早期に政治への関心を高める指導が行われているようだ。実際、国政選挙における投票率はこれまで85%を切ったことが無いという。

 ※参考動画

  【フランス大統領選】選挙になぜいく?誰にいれる?これがフランスの民主主義の実態だ!  

   2022/07/19 たかまつななチャンネル 6:25

 三点目は職業教育の充実。小学校一年生の段階で職業教育が始まり、高校の選択時点(15歳)で将来の希望職種に応じて普通高校、工業高校、商業高校、職業教育高校のいずれかを選ぶ。

 ただし義務教育8年生の段階で国家試験として1教科当たり3~4時間の論文式の筆記試験があり、何枚ものレポートを提出しなければならない。他に20分程度の口頭試問形式の暗記試験(500ページほどの教科書の内容を説明させるなどかなりの難問)もあり、深い理解と自分なりの意見が無いと高得点は望めないという。この国家試験の成績に応じて理系、文系の選択なども行われる。さらに高校入学後の進路変更も可能で、入学試験、入学金、授業料一切無しなので転学はいつでも自由にできる。大学でも学部変更や転校は自由(ただし医学部は例外)。

 職業高校系では実習訓練が重視され、実習では見習いとしての給料まで支払われる。授業は無料であり、かつ教わる身でありながら給料をもらえて資格まで取得できる。至れり尽くせりの職業教育への偏見は日本とは違ってまったく無い。

 普通高校では大学進学を目指す。大学入試は存在しないが、高等学校卒業資格をとるために3年間で最低10科目の筆記及び口頭試験に合格し、卒業論文を提出しなければならない。得点が低ければ留年となるが高得点者は大学で選べる学部の数が多くなる。試験は不正を防ぐために他校の試験官があたる。

 一定の点数をクリアできればその点数に応じて進学先の大学(短期・中期・長期に分かれる)・学部が決まるが、高校卒業後、すぐに進学する生徒は少ないらしい。伝統的慣行(「サバドー」という)として卒業後の半年から一年間は学校から離れて国内外でアルバイトし、そのお金で旅行するなどして社会見聞を重ねるのが通例となっている。

 大学進学後は生活費まで国から支給される(年間92万円相当)。不足分は国から低金利で借りることができる(上限は月4万円程度)。返済は大学卒業後でよく、親は仕送りを一切しない(日本では仕送り額月平均10万円弱)。

 大学の授業はハード(数百冊の教材を読破。しかも半分は英文。大学生の自宅学習時間は週平均40時間以上)でアルバイトする暇は無い。卒業すること自体難しく、正規の年数で卒業できるのは3割程度、ほとんどの学生は留年を余儀なくされる。

 卒業の際、資格別に結成された労働組合(法学・経済学士組合etc。加入率は68%)に加入することができ、すぐに就職できなくとも失業保険を受けることができる(日本の場合は企業別の組合となっていることが多いため、基本的には就職先が決まらなければ労働組合に入れない)。給料はどの企業に勤めても資格=職種が同じならば同額(労使交渉は職種単位で行われる)。どの大学を卒業しようが、どの企業に就職しようが、取得した資格こそがすべてとなる。

 どんな職種、資格を目指すのか…が問われるのであって出身の大学名や所属する企業名はほとんど無関係。より高い給与を求めるならば大学等に進学してより高い資格を取る必要がある。そこで多くの人は一つの職場に拘らず、次々と転職する。同じ職場での勤続年数は平均8年程度に過ぎない。大臣には塗装工だった人もおり、多くの人が多彩な経歴を持っている。

4.独特の国民性

ジャンテ・ロウ:1933年、作家のアクセル・サンダモセ氏が提唱したコンセプトで広く国民の間に浸透した。

 1.自らを特別であると思うな

 2.私たちと同等の地位であると思うな

 3.私たちよりも賢いと思うな

 4.私たちよりも優れていると思い上がるな

 5.私たちよりも多くを知っていると思うな

 6.私たちよりも自らを重要であると思うな

 7.何かが得意であると思うな

 8.私たちを笑うな

 9.私たちの誰かがお前を気に掛けていると思うな

 10.私たちに何かを教えることが出来ると思うな

 11.私たちがお前について知らないことがあると思うな

 ⇒徹底的に「思い上がり」「優越感」「傲慢さ」「甘え」を否定。福祉政策の根底に横たわる価値観の一つ。

ヒュッゲ:「居心地の良い時間や空間」のこと

 「成功」とは「幸せでいられること」である。「必死さ」は不要であり、むしろストレスのもと。だから「ベスト」は尽くさない、ストレスフリーな生き方を求める。自分の好きな仕事につくことが大きな目標となっていて、自分の好きな仕事に就いていられれば「100万ドルの宝くじが当たったとしても仕事は続ける」と国民の8割がこたえる。また家族や友人といかにして楽しい時間を過ごせるかが、最大の関心事。暗く長い冬を「ホッコリ」と過ごす工夫(暖炉やローソク、手作りの料理、癒やし系の家具、さわり心地の良いソファーや毛布、映画・音楽鑑賞、絵本の読み聞かせ・・・)が発達。

   ※参考動画

  ヒュッゲとは?デンマーク人に学ぶ北欧幸せなヒケツ  2021/08/28北欧研究室

・オランダの教育

オランダのイエナプラン教育 :2015/01/26 リヒテルズ直子

※イエナプラン教育(イエナプランきょういく、ドイツ語 Jena-Plan)とは、ドイツのイエナ大学の教

 育学教授だったペーター・ペーターゼン(Peter Petersen, 1884 - 1952年)が 1924年に同大学の実験

 校で創始した学校教育。 子どもたちを『根幹グループ(英語ではファミリー・グループを訳されるこ

 とが多い)』と呼ばれる異年齢のグループにしてクラスを編制したことに大きな特徴がある。現在はド

 イツよりもオランダで広く普及している。

 オランダでは小学生でも本人の要望があれば留年できる。日本のような「形式卒業」(日本では最低限の学力等の保障もなく、一定の年齢に達すると無条件で卒業させてしまうため、大学生でも四則演算ができない、といった学生が存在。就職時になってから大きな困難に直面してしまうことも多い)の悲劇は起きない。

 なおオランダは2020年の最新調査(ユニセフ)でも子供の幸福度世界一である。ユニセフが9月3日に公表した最新報告書では、「精神的幸福」、「身体的健康」、学問や社会的な「スキル」の3つの分類で幸福度を算出。結果、日本の子どもの幸福度は38カ国中、20位だった。

 日本の順位で特徴的なのは、子どもの肥満や過体重の割合、死亡率から算出する「身体的健康」では1位だったにも関わらず、15歳〜19歳の自殺率や生活の満足度からランク付けした「精神的幸福度」は最低レベルの37位だった、という点だ。「スキル」では、日本のランクは27位。読解力と数学の基礎的学力では上位に入ったが、「新しい友達を作る」などの社会的なスキルの調査ではワースト2位だった。

 

日米比較とフィンランド、そしてフィジー

 ~20年以上前にカッパが作成した授業のプリント資料より~

データが古いのでそのままでは利用できませんので、悪しからず。また後半部分は

 しばらく経ってから付け足したものなので前半とはデータの古さが違います。

はじめに

 1872年の学制に始まる欧米の学校制度の導入以降、戦後のアメリカ流自由主義と平和主義を理念とする新教育にいたるまで日本の近代学校教育は欧米からの決定的ともいえる影響を受けて成り立ってきた。しかしながら欧米の学校と比べると画一主義的、管理主義的な教育体制といった点で日本の学校には際立った個性があるといわれて久しい。他のジャンルと同様、学校教育という分野においても欧米からの受容過程で、学校は様々な日本的変容を経ているのである。

 そこで今回はまず文化人類学の立場からアメリカの高校と日本の高校を比較した「日本の高校―成功と代償―」(トーマス・ローレン著、1988年サイマル出版)をもとに日本の学校、特に高校の特色を浮かび上がらせてみたい。なおローレンは1974年から翌年の1975年まで、神戸市内5校の高校(この5校は学校間格差を考慮して選ばれている)を対象に調査して日本の高校の特色を捉え、内外に大きな反響を呼んだ。かなり古い著作であるが日米の高校の差異を知る上でいまだにこの著作を超える研究は無いであろう。

1.本書の歴史的背景とねらい

 1970年代から1980年代にかけてアメリカでは高校の荒廃が叫ばれ、高校生の学力低下が問題視されていた。そして世界的にみても学力の高かった当時の日本の高校生との比較から「日本に学べ」という気運がアメリカに強まってきた頃でもあった。一方、日本では受験戦争の過熱によるとされた教育の歪みが声高に叫ばれ、学歴社会への批判が高まっていた。そして自由とゆとりの感じられるアメリカの高校教育への憧憬から「アメリカに学べ」という気運が高まっていた。つまりこの頃両国において高校改革のベクトルは奇妙にも真っ向からスレ違っていたのである。

 そもそも日本の戦後における新制高校はアメリカの高校をモデルにして発足したはずであった。新制高校の三大理念とはアメリカの高校でほぼ実現されていた「総合制」、「小学区制」、「男女共学」の三つであった。このうち現在までに日本で何とか実現できたのは「男女共学」だけである。このことを考えると、日本の高校はアメリカの高校を志向しながらも現実が追いつかず、結局は日本独自の歴史的文脈のなかで妥協と変容を繰り返してきたことがうかがえよう。そしておよそ30年後、両国の高校はまったく逆の方向を向いて動いてきたかのような錯覚を覚えるほどにその問題意識は食い違ってしまったのである。その原因は一体どこにあるのか、歴史的経緯だけでなく両国の高校の現状を踏まえて検討しようとしたのが著者ローレンのねらいである。

2.ローレンの捉えた日米の高校と教育(抜粋)

 

日 本 

ア メ リ カ 

受験体制

受験過熱気味(有名進学校の存在、発達した受験産業等)

大学間格差明確 「受験地獄」

一部のみ競争(無名進学校、高卒者は全員、短大か大学に進学可能) 大学間格差不明確

大学教育と就職

企業は学歴、学校歴(入試歴)重視(大学での成績軽視)→成績評価甘い→レジャーランド化

終身雇用→18,9歳の一発勝負(→受験戦争過熱)

企業内教育の充実

企業は大学での成績重視→成績評価厳しい→留年、中退多い

 

転職多い→敗者復活のチャンス多い

即戦力重視(ヘッドハンティング横行)

生徒、学生の特色

規律正しく基礎学力高いが社会性に欠ける傾向あり

「学びて思わざれば即ち(くら)し」

自己主張できるが放恣に流れ基礎学力低い→中退率25%

「思いて学ばざれば即ち(あやう)し」

入試

学力重視でペーパーテストの比重大、公平で客観的

(→受験戦争)

高校の成績、課外活動、性格、特別な技能、面接、進学適性検査等

多様な尺度で選抜

教育内容

と学習スタイル

画一的(学習指導要領で規定)

→教育の平等実現

知識詰め込み型、暗記中心

背景に国民の社会的同質性の高さ;単一民族的、集団主義的等

→高い効率性(低コスト)

個性重視で多様(教師個人にも教科書選択権)→教育の自由実現

思考、表現、体験重視

背景に国民の社会的同質性の低さ;多人種多民族国家、所得格差大、個人主義的等

→非効率的(高コスト)

授業形態

多人数で一斉講義形式中心

生徒受け身

少人数で討論中心

生徒参加型

時間割

5教科週25時間前後で必修科目ばかり

通学日数もアメリカと比べ年2か月分多い

必修は半分以下で年間約200科目もの選択科目

アメリカの大卒者は通算で日本の高卒者と同じ授業数

※参考動画

 ◎アメリカの小学校は5年生までしかないの!?日本とアメリカでは学校の仕組みが全然違う 

  2022/02/13 Kevin's English Room / 掛山ケビ志郎 20:28

 [衝撃] アメリカの子供は時計が読めなくなった!?

  2022.10.1 BrooklynTokyo 5:09

 

3.フィンランドの教育

 同じような枠組みで作られた学校でも国が異なればやがて似ても似つかぬものに変質してしまう。特に国民の同質性の高低、企業社会の成り立ちの違いは学校のあり方に大きな影響を与えていることがわかろう。ただし近年は日米の歩み寄りが続いたため、現在、これほどの格差はなくなってきている。今の問題は日本が導入した自由主義的アメリカスタイルが学校の混乱を拡大し、学力の低下を招いていると指摘される状況にある。

 そこで次はOECD(経済協力開発機構)の国際的な学力調査(PISA)で3回連続世界一に輝き、一躍注目を浴びるようになった北欧の教育先進国フィンランドの教育事情を紹介し、比較検討するなかで日本の学校が抱える問題点を考えてみよう。なお日本は2003年度の調査で41カ国中、読解力の順位が14位(2000年は8位)、数学6位(同1位)と急落し、学力低下への危機感が高まったため、2010年代に入り、急速に「ゆとり教育」の見直しが進められていった経緯がある。

※2015年度のデータによると70の国・地域の中で日本は読解力8位、数学5位、科学2位となっており、

 話題となった2003年度と比べると学力の点ではかなり順位を挽回してきている。

 人口わずか500万人超のフィンランドでは7歳から9年間、無償の義務教育が課され、公立学校がほとんどである点までは日本と同じだが、決定的に異なる点も数多く見られる。以下、その長所を中心に列挙してみよう。

・福祉国家だけあって大学まで無償で、教科書、通学、文房具もすべて無償。

・学校間格差がほとんどない。習熟度別指導やランキングは否定され、非選別的発想

 が中心。学校の自由裁量の幅が広く、学校の個性は多様である。

・学校や教師の自由裁量の幅が広い。1992年に検定教科書制度が廃止され、授業時数

 の配分も弾力化。年間総授業時数はOECD諸国では最低レベル。

・1クラスの人数は30人程度で語学やパソコン、算数などの授業はさらにその半分の

 少人数編成。

・教師教育の充実。1978年以降、教師になるには修士号の取得が義務付けられ、最低

 5~6年をかけて理論を学び、実務を経験する必要がある。教師はフィンランドの

 高校生にとって最もあこがれる職業であり、社会的地位も高い。教師本人の希望が

 なければ異動はない。

・高校段階では大学進学を前提とする単位制の普通高校と職業学校とに分かれる。普

 通高校は大学並みのアカデミックでハードな勉強が課されるが、職業学校では企業

 と連携しながら実務的訓練を積む。

 ただし問題も抱えている。フィンランドの失業率は8%に上り、離婚率は何と50%を超える(もっともこれは一人暮らしや母子家庭でも一切、生活に困ることのないフィンランドならではの現象。母子家庭の貧困率が50%を超える日本の貧弱な福祉政策のもとでは考えられない現象なのである)。家庭の問題を抱え、悩む生徒も多い。しかしそうした生徒をフォローするチームワークがきわめて充実している。「生徒サービスチーム」と呼ばれるチームにはスクールサイコロジスト、スクールカウンセラー、スクールナース、ガイダンスカウンセラー(進路指導の専門家)といった専門家に加え、校長や担任が参加して手厚い対応を実践している。

 世界経済フォーラムが発表する国際経済競争力調査でも2001年から2006年までフィンランドは首位または二位の座を維持していた。厳しい自然と少ない人口を考慮すればたしかにフィンランドの健闘ぶりには目を見張るものがある。

 一方、日本の学校事情は先進国としてはお寒いばかりである。1970年代半ば以降、日本政府は残念ながら国家予算の伸び率に比例するようには教育費を伸ばしてこなかった。その結果、国家予算やGDPを基準に見た教育費は先進国中最低の部類に属している。2014年の対GDP費ではOECD34か国中24位。しかも国家財政中に占める教育予算の割合は31か国中30位。学校教育費に占める公的負担の比率も28か国中26位である。

 つまり教育における私費負担の割合が非常に高い。しかも学校教育費には個人的な通信教材費や塾代、家庭教師代、予備校代は含まれていない。日本の場合、こうした学校教育費以外の教育費の支出が異常に高いと言われている。つまり総じて日本は国や自治体が教育予算を大胆なまでにケチっており、家計に大きく依存した教育が行われているといえる。この結果、日本では家庭の経済力の格差がそのまま学歴、学校歴格差につながりやすい社会となっているともいえよう。日本が格差社会であるといわれて既に久しい。かつて「国家100年の大計」といわれ、最重要視されてきた教育政策の現状が今、いかにお寒いものとなっているのか、私たちはきっちりと確認すべきだろう。

 一学級あたりの児童生徒数は2013年、小学校で27.9人(OECDの平均値は21.2人)、中学校で32.7人(同23.3人)であり、日本より悪条件なのはOECD加盟国では韓国だけという有様である。教員一人当たりの児童生徒数もまったく同じ傾向がみられ、韓国とともに日本ではOECDの中で最も劣悪な環境のもとに初等・中等教育が行われていることになる。

 世界では少人数のクラス、小規模の学校ほど教育効果が高いというのはもはや常識となっており、WHO(世界保健機関)も生徒総数100人を上回らない学校規模を勧告している。確かに日本はかつて国民の同質性が高く、集団主義が広く社会全体に行きわたっていたため、クラスや学校規模が大きくとも児童生徒は極めて学力が高く、規律正しいといわれてきた。

 しかし地域社会の崩壊(隣近所の助け合い減少)、家庭教育力の低下(核家族化、共働き…)、格差の拡大、個人主義の蔓延と外国人の増加(=同質性の低下)などが進んできた現在、かつてのような高い教育の効率性が維持できるとは思えない。本来、10年以上前に騒がれたPISAの順位の低下が示していたのは日本社会のこうした激変とそれに対応できなくなった日本の学校教育の遅れた姿であったはずである。

 しかし今の日本は1000兆円を超える国家全体の負債を教育予算や福祉予算を削ることで賄おうとしている。現在、日本の各地で小中学校だけでなく、高校もまたすさまじい統廃合の危機にさらされていることを知っているだろうか。日本では世界の趨勢である小規模の学校が望ましいとする流れに完全に逆行する動きが今、加速しているのである。急速に進んだ小中学校の統廃合によって170億円の「効率化」が進められたと財務省はむしろ学校の統廃合を手放しで絶賛している。しかしその陰で自宅から遠く不便な大規模校に通学することを余儀なくされた児童生徒が大勢いることを忘れてはならないのである。

 以下、学校基本調査をもとに学校数の変化を表示してみる。

 

平成20年

平成29年

増減

小学校

22476

20095

―2381

中学校

10915

10325

―590

高等学校

5242

4907

―335

※参考記事

 年500校が消える 求められる廃校活用の知恵 2022/08/06 07:00 産経新聞

  少人数ではだめなのか 県立高校再編を考えるシンポジウム

   朝日新聞社 2022/08/05 10:15

 ◎フィンランドが「学力世界一」から陥落しても詰め込み教育をしない理由

  集英社オンライン 2022.9.20

 ◎国立大学と私立大学の「授業料」はどう推移している?昔は今じゃ考えられないくらい安すぎるっ

  て本当? ファイナンシャルフィールド 2023.5.16

 少子化によっていずれは小規模学校や少人数学級の実現が苦も無く実現できるという楽観論も統廃合の強行によって完全に消え去った。ただでさえ教育予算をケチってきた日本がさらに教育予算をケチり、正教諭の数を急速に減らして非正規雇用の講師を急増させ、教育条件をいっそう悪化させている。公立小中学校の教員に占める講師の割合をみると1980年には全体の2.6%に過ぎなかった講師率が2007年には8.9%に達している。3倍に増えたわけである。不安定な雇用の下で低賃金、過重労働を強いることのできる講師を増やすことは教師全体の労働環境を悪化させることでもある。

 2013年、OECDは34の国、地域の中学校に当たる学校の教員に勤務実態調査を行っている。その結果は日本の学校教育が衝撃的に劣化している深刻な状況をあからさまに示した。まず日本の教員の仕事時間は週に約54時間でOECD平均の約38時間を大幅に上回った。部活動や事務活動などに費やされる時間が飛びぬけて多いからである。週当たりの部活動に費やされる時間はOECD平均が2.1時間に対して日本は7.7時間、事務作業はOECD平均が2.9時間なのに対して日本は5.5時間。ところが肝心の授業に費やす時間はOECD平均が19.3時間に対して日本は17.7時間でやや平均を下回っている。

 また校外で行われる研修への日本の参加率は極めて低く、参加しない理由の8割が仕事のスケジュールを理由にしている。多忙感で教師として必要とされる知識や技能の習得がおろそかになっているという事態は日本の場合、将来にわたって致命的な結果を招くはずである。

 日本はかつての師範学校による専門的な教師養成教育が戦時中の全体主義的教育を支えてしまったとの反省から専門的な教師養成教育自体を否定的にとらえられる傾向を戦後強めてしまい、師範学校が廃止されるとともに教員免許は極めて容易に取得できる(この事態は教員免許の「開放性」と呼ばれるが、その実態は教員免許が専門的な教育を受けずとも取得できる安易な資格に堕してしまったことを意味するに過ぎない)ようになってしまった。

 したがって教員になりたての若者は学校教育が一体どんなものなのかをほとんど学習せずに現場で教えることになる。当然、教員になってからの研修で教師としての知識・技量不足を補っていかなければならないはず。実際、かつて日本の教師の自発的な研修は極めて盛んで、参加率も高かったはずである。ところが現在、その肝心の研修が不足してきているということは日本の教師が多忙の中でどんどん劣化してきていることを意味する。教師の不祥事が相次いで報道される背景にこうした事態が急速に進行していたのである。

 当然のことながら日本の教師の自己評価は世界の中でダントツに低い。「学級内の秩序を乱す行動を抑えられるか」という質問に対し、日本はおおむね「できている」と答えたのが52.7%でOECDの平均87.0%を大幅に下回る。「生徒に勉強ができる、と自信が持たせられる」に対し、おおむね「できている」と答えたのが日本はわずか17.6%、OECDの平均は85.8%。「勉強にあまり関心を示さない生徒に動機づけできている」に対し、おおむね「できている」は日本が21.9%でOECDの平均よりもやはり50%あまり低い。

 かつて日本の教室は世界のどこよりも秩序が保たれていると絶賛されてきた。しかしそれは遠い昔のことになりつつある。特に教師にとって最も大切なはずの授業に対する自信の欠如は、授業や学級経営といった本務をないがしろにしてはびこる部活指導や事務仕事に大きな原因が求められる。研修不足の教師は自信を欠いたまま保護者からのクレーム対応にも追われる。教師の間にうつが蔓延するのも当然である。

 2002年、精神疾患で休職した公立小中学校の教師は2700人近くだったが2009年には瞬く間に倍増しており、現在は年間5000人前後で高止まりしている。その数は当然、部活指導に追われる中学校が一番多い。2013年のOECD調査で「もう一度仕事を選べるとしたら教員になりたい」と回答した日本の教師の割合は下から二番目という実に痛ましい状況も、日本の教師が直面しているこれらの問題点を知れば十分納得できる結果なのである。

 自信に欠けたまま学校教育への理解も進まず、技能を向上させるチャンスを奪われ、ひたすら雑務に追われる日々。若い教師はただ自分の所属する学校現場しか知らず、酷い視野狭窄に陥っている。海外まで視野を広げれば日本の学校の異常さや自分の多忙さの背景を知ることができるのに、そうした自己研修の機会も奪われている。

 若者が理想に燃えて保守的なベテラン教師を批判するという風景は完全に過去のものとなってしまった。今や若手はストレスをためこんだまま、眼前の職務を果たすことで精いっぱいになっている。現状を批判し、変えようとする意欲を持つ若手は極めて希少。むしろベテランよりも保守的であるのが今の若手教員の実態といえよう。これでは現場からの変革は絶望的である。

 自殺する教員、精神を病んで休職に追い込まれる教員の数は2000年に入って急速に増えた。サービス残業を強いる部活動の盛んな中学校や高校の顧問は過労死の危機にさらされ、ストレスをため込んで暴発し、体罰事件などを引き起こしたり、離婚や過労死、家庭崩壊の危険にまでさらされている。そして批判の矛先は常に教師個人の資質に向けられる。ひたすら予算を減らし、教育現場を荒廃させ多忙に追い込んでいる張本人に責任を求める声は小さい。日本の学校はもはや世界でも最悪レベルのブラック企業に近づいているのである。

 こうして日本では予算の後ろ盾もない中で多人数の学級という悪条件が放置されたまま、無謀にも「自ら学び、考える力」を養成するための手厚い教育が学校・教師に求められてきた。ごく一部の恵まれた家庭の子供たちは「お受験」を経て私学での充実した教育を受けられ、優良企業への就職まで可能となってくる反面、過半数の他の児童生徒は「安かろう 悪かろう」の公教育を受け続けることになる。そして進路の結果がたとえ無残なものになったとしても、責任を負うのは生徒や家族であり、国ではないとするのがまさに「自己責任」の国、日本の学校事情なのだと思われる。

 技術の高度化が進み、技術革新の担い手は一握りのエリートで十分な時代となってきており、企業の多くが正社員を大幅に減らして使い勝手のよい安価な非正規採用でコスト削減と人手不足の解消を図っている。多数の国民が今後、十分な教育を受けられずに学力を低下させたとしても、国家としては一定数のエリート層が健在ならばさほどの国家的損失は生じないと高をくくっているのだろうか。もしもそうだとしたら…諸君の将来も、この国の将来も相当危ういだろう。

 確かに日本の自殺者数は統計上(警察と厚生労働省がそれぞれ統計を出している)はかつての年間3万人台からここ数年で2万人台にまで減少してきている。これは景気回復に伴い、特に中高年の自殺者数が減少してきたからである。しかし実は15~24歳の若者の自殺者数はこの間も増え続け、ついに世界一位になっていることはあまり知られていない。今や日本の若者の死因の一位は自殺なのである。

 若者の自殺は将来を悲観してのものが多いと考えられる。つまり若者にとって今の日本は「出口無き絶望社会」となっているようである。若者に将来への夢や希望を持たすことに失敗した社会になっている日本という国と、若者を相手とする日本の学校の疲弊ぶりとはまったく無関係とは言えまい。もういい加減、なんとかしなければいけないのである。

 ではどうしたらよいのか?日本の若者の危機を救う手立てはあるのか?他の国を参考にして考えてみよう。ここ数年、国連が3月に世界幸福度ランキングを発表している。2017年3月20日に発表された最新のランキングトップ10を見てみよう。1位ノルウェー、2位デンマーク、3位アイスランド、4位スイス、5位フィンランド、6位オランダ、7位カナダ、8位ニュージーランド、9位オーストラリア、10位スウェーデンの順である。北欧を中心に白人系の常連国が並んでいる。日本はというと51位。やはり教育と福祉が充実している国々が上位にきている。日本が目指すべき方向は教育・福祉の充実であることは明白である。

 しかしどうみてもこの目標達成には時間がかかる。今、現在を苦しむ日本の若者を救出するには別の観点も必要である。教育と福祉の充実は中長期的目標として取り組むにしても、短期的目標は別途に掲げておく必要があるだろう。そもそも国連の幸福度調査の観点は一人当たりのGDP、社会的支援、健康な平均寿命、人生の選択をする自由、性の平等性、社会の腐敗度などであり、どうみても先進国に有利な観点に偏っている。私たちは別の観点から幸福を捉えなおす必要もあるのだ。

 先進国からは貧しくて自由度も低く、客観的には幸福に見えなくとも、主観的に国民が幸福感を強く感じている国々がある。フィジーやコロンビアである。幸福はやはり主観的な要素が大きい。どんなに豊かで健康であっても本人が幸福を感じられていないならば意味がない。そこで最後にフィジーの人々の幸福感を支えている考え方を紹介しよう。

 フィジーは330ほどの島々からなる南国の楽園。四国ほどの総面積に85万人が住む。平均寿命は世界119位、一人当たりのGDPは102位、民主主義指数は119位、報道の自由度は107位となっており、先進国の価値観からすれば幸福度は中の下。しかしフィジーの人々の満足度、幸福感はダントツの世界1位。物質的には恵まれなくともハッピーになれる秘訣はフィジーの人々の独特の価値観に潜んでいる。絶望的な日本の若者でもフィジーの価値観の中になら光を見いだせるかもしれない。

 フィジーの人々の独特の価値観はまず物事を共有し、シェアする精神が豊かである点。彼らには私有の概念が極めて薄く、お金も土地も家族までも共有する。豊かな人が困っている人に金品を贈るのは常識である。

 また過去を振り返らず、未来を案じない。くよくよしないのだ。そのかわり今、この瞬間への注力度が極めて高い。悪く言えば刹那的、享楽的。必然的に貯金はしないし、肥満も気にしない。細かいことは気にせず、実におおざっぱ。レストランや役場でも間違いだらけ。仕事はスローで効率は悪いがその分ストレスフリー。しかし人間関係をつくるスピードは光速で、瞬く間に友人となれるフレンドリーな国民性…

 日本人の生真面目さ、律義さが悪いのではない。ただ少しだけ肩の力を抜いてみるべきなのかもしれない。般若心経が説くように物事は容易には変わらなくとも、それを受け止める私たちの主観が変わることで案外、楽になれるのかもしれない。まずは自分の心をリラックスさせることから始めよう。

 

参考記事

日本とフィンランド、実は「体育の授業」に決定的な違いがあった…! 「運動」の

 位置付けがまるで異なる 現代ビジネス 岩竹 美加子 の意見 2022.11.23

 これも既に紹介した記事だが、あらためて日本の教育の特異性に注目したい。運動部や体育、運動会(体育祭)の在り方を根本から見直す上で非常に参考となる資料。フィンランドと日本の学校教育の決定的な違いに注目したい。

その「しつけ」グローバルとは真逆かも! 世界から見て「日本の子育て」ココが 

 変!コクリコ編集部 の意見 2023.4.20

 日本の学校教育の異質性は家庭における子供のしつけの在り方とも深く関わっているだろう。子供のしつけという観点からも学校を考えておきたい。

日本はなぜ幸福度が低いのか? キーワードは「寛容さ」

  世界経済フォーラム  ForbesJAPAN 2022/10/20 09:30

 人生における選択の自由度の低さ他者への寛容性の低さが日本人の主観的幸福度を先進国最低のレベルとしている原因・・・だとすればその原因に大きく関わってしてしまっているのが多様な価値観を認めようとしない日本の画一的学校教育であろう。

日本の教育、「"真の改善点"は3つある」世界に学べ 世界一革新的な「ミネルバ大学」と

 比べると 東洋経済オンライン ムーギー・キム 2022/10/16 08:01

「ハーバード大学」での体験に基づいた教育論が日本では参考にならない「納得の

 理由」現代ビジネス 畠山 勝太 の意見 2023.6.12

 この考え方は欧米との比較から日本の学校改革を唱える立場への反論としてよく登場するものと考えるが、いかがか。もちろん安易な外国の物真似が失敗に終わりがちなのは文明開化時の日本が経験してきたことで、今更、言うまでもない。しかし「…日本の教育の平等さを支える大きな柱の一つが義務教育費国庫負担金制度である。教員給与の3分の1は中央から、残りの3分の2は都道府県から支出されるだけでなく、教科書も国が支出し、施設費も国が半額負担をしている。また、広域教育行政が敷かれているために、遠隔地で極端な教員不足が発生することもない。日本の教育システムには、このような、豊かな地域や富裕層からの税収を貧しい地域や貧困層の教育に充てるシステムが存在する。」という指摘には素直に頷けぬものを感じてしまう。

 むしろ教育の平等を重視するあまり、国家予算の配分を通じて行政の中央集権的な学校支配が強く及んでしまったデメリットにも着目する必要があるだろう。国家の統制力は教育内容への過剰な介入となって行き過ぎたレベルの画一的、管理的指導を蔓延させてしまっているのではあるまいか。平等を重んじるあまり、学校は生徒の多様性や個性を蔑ろにしてはいないか。そしてITの発展によって実現可能性がせっかく高まってきた個別学習の進展を、旧来の平等、公平の理念の強調によって台無しにしてしまう虞はないのか。

 確かに義務教育レベルでは平等と公正は相変わらず重視すべき概念であることに異論は無い。問題は個性・多様性の尊重がより一層求められている現在、これまでのような片方ばかりの偏重を改め、平等・公正と自由・多様性尊重との間で両者のバランスをどう考えていくか、であろう。この問題は決して二者択一の単純な選択ではなく、複雑な対立、競合をはらむはず。

 しかし実態は義務教育ではない高校教育ですら、教科書の検定制度が適用されてしまっていることに表れているように、今も「平等・公正」への偏重が顕著である。しかも平等・公正の確保を盾にして予算や人事での国家統制が強まったことにより、表向きの「平等・公正」の陰でかなり前から社会科の検定教科書では「政治的中立性」すら危うくなっている。つまり、実際にはある意味において「平等・公平」ですらない。また上っ面の「平等・公平」による入試がかえって人々の格差拡大という不平等を正当化していないだろうか。

 他方で受験競争や共通テストの導入を通じて教育内容は「入試に出る」内容に収斂されていき、教科書も多様性を徐々に失ってきた。しかも政府の意向を「忖度」できないと大手の教科書会社であっても瞬く間に倒産しかねないのが日本の現状である。

もう一つ、この論考には重大な欠陥があると考える。「…もう一つ重要なのは、教育の成果物は多様であるという点である。教育経済学の文脈で分析されるものだけでも、知識やスキル・社会性など主に個人に帰するものもあるが、国民統合・市民性・平等性など主に社会に帰するものもある。」という指摘である。確かに太字にした箇所などはいち早く封建制を脱して近代的、中央集権的国民国家創出を急ぐ明治政府にとっては学校教育の目的の大きな要素であった。しかし他方で近代日本の重要な設計者であった伊藤博文らは殖産興業をも強力に推進すべく、「立身出世の学」として「個人に帰する」モチベーションを煽ることで学校への就学率を高めようとしたのは周知のことである。

 しかし「国民統合」に関しては学制頒布から150年以上経った今も同じように強調されるべき理念なのか、がまず問われよう。今や外国人観光客の来日急増は観光業の発展を招いており、日本経済の停滞を乗り越える上で重要な産業の一つとしてさらなる発展が期待されている。また労働力不足の解消のため、多くの外国人が国内で働くようになってきた。日本語を母語としない人々がすさまじい勢いで国内に殺到してきており、学校の児童生徒として数多く教室に迎え入れている現状がある。当然、外国籍のままの児童生徒も多くなってきている。もはや「国民」ではない児童生徒を目の前にして「国民統合」を理念とする画一的学校教育がふさわしいのかどうか、これまで通りの指導体制で良いのか、真剣に問い直す必要はあるだろう。

 そもそも日本の学校は戦後、家庭や地域社会の教育力低下に伴い、国民としての人材の「選別・配分・社会化」機能をほぼ一身に背負わされてきた。そのため教師たちは授業だけではなく各種学校行事、部活動等にも全力を注ぐようになった。他方でそれは学校の職場としてのブラック化をも招き、直近では深刻な教員不足と教育の質の低下を全国規模でもたらしてもいる。「選抜・配分」機能はともかくとして、せめて「社会化」機能の役割は一部、地域社会に返還すべきだろう。それは実際、部活動の地域移行によって徐々に進展しているが、いまだ不十分というほかあるまい。

 またこれまで学校が担ってきた「社会化」機能は既存の社会にひたすら適応を迫る保守的側面があったのも否めない。「ブラック校則」と揶揄された管理主義的生徒指導が生じてきた背景には大勢の生徒たちを少ない教師で管理し、一斉指導する体制があった。工場における規格化された単純労働が主体であった高度成長期にはその教育体制がむしろ時代に適合的だったかもしれない。

 しかし少子化社会の進展はようやくにしてクラスの定員を減らす方向に働いている。児童生徒の個性、多様性に向き合える条件も少しは整ってきた面がないわけではない。さらに社会の進展、変化のスピードが増している現在、特定の鋳型にはめるような、既存の社会に適応させることを主な眼目とする指導体制はあまりにも保守的過ぎて技術的革新が相次ぐ現代社会には適合的とは言えまい。今の児童生徒たちに求められる力は時代の激動に対応できる柔軟性と人々の多様性を受け入れられるマインドセットの方ではあるまいか。

 従って今、日本の学校教育に切実に求められているのは個性や多様性に十分配慮した限りにおける平等や公正さであろう。そうした点では一歩も二歩も前を行く欧米の学校教育制度に日本が素直に学ぶべき点は決して少なくないと思うが、いかがか。