その6. 心理学アラカルト(後編)

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

7.認知における錯誤

 知覚は刺激に対する直接的反応で知識等には余り左右されない「ボトムアップ」の現象です。認知は知識や予見等に大きく左右され、状況次第で結論が変わる=「トップダウン」の現象です。そしてともに不十分な情報に対して常に一種の推論を行っているという点が共通します。したがって認知面でも錯覚、錯誤は大いに発生する余地があるのです。

 認知的錯誤の例を一つあげてみましょう。「ほめたほうがよいのか、しかるほうがよいのか?」心理学的には「しかるよりほめたほうが効果は大きい」といいますが、スポーツの監督やコーチの経験では実感として逆の印象を持っていることが多いようです。つまりほめた後は成績が下がりやすく、しかった後は上がりやすいという印象です。どっちが正しいのでしょう?もちろん安易に結論は出せないでしょう。ただ監督やコーチらの経験に基く判断には錯誤が含まれている可能性が大きいのです。なぜならしかるときは選手が不調なときが多いからです。当然、不調から立ち直る局面が後日待っている時点でしかるのですからいずれ立ち直ります。つまり単純にしかる=立ち直るとはいかないのです。またほめるときは選手が好調のときが多いはずです。好調のあとには不調の波が訪れます。時系列的に見て因果関係があるように見えますが、ただ単に好調・不調の波が選手に訪れているだけかもしれないのです。

 どうやらヒトは本来無意味な事象にも因果関係を見出そうとする強い認知傾向があるようです。逆に言えばヒトは無秩序や意味の真空性を嫌うようです。そしてあたかも脳が盲点の空白を周囲の色で勝手に補填してしまうように、自分の言動の理由を手近なところから拝借していつの間にか適当に原因を創作してしまうのでしょう。

 池谷氏はこう指摘しています。脳は身体反応を介して一定の感情をアウトプットしているのですが、軽い身体運動をして心臓の拍動数を上げると感情が増幅されてしまうことが確認されています。様々な感情が身体面に表現される際のレパートリーは数少なく、心拍数が上がる、血圧が上がる、発汗する等。つまり「心拍数が多い」という事実だけでは怒っているのか悲しいのか、脳には区別できません。そこで心拍数が上がればとりあえず今の感情を増幅させてしまうことになるのです(例:吊り橋効果)。だから運動直後の感情は激しやすくなるといえましょう。怒りに燃えて何かをしでかしてしまったとき、その言い訳は大抵、作り話か誇張されたものに過ぎなかったりするのです。

 脳は自分の行動を観察し、身体状態を認知して心の内面を脚色してしまいます。脳にとってすべての情報は身体を通じて入ってきます。身体状態を脳が説明するための根拠は過去の記憶に求められます。記憶の曖昧さを考えれば脳の推論が正しいという保証はどこにも無く、「作話」が生ずる余地はあるのです。

※「夢を叶えるために脳はある」(池谷裕二 講談社 2024)より

 ダニング・クルーガー効果:できない人ほど自信過剰の傾向が見られる。これは一見すると「痛

  い」傾向だが、実は自信過剰気味の人ほど成長できる機会をつかみ易い、という考察もある。実

  際、心身共に健康な人ほど自分を過大評価するうぬぼれ屋であり、うつ病の人ほど自分を正しく等

  身大に見ているらしい。特に成長盛りの若者が多少、自信過剰気味であったとしても、それは健康

  的であることの証であり、大目に見るべきことなのかもしれない。

8.ベクション:自己運動知覚の錯覚

 錯視図形で体験したのはあくまで視覚における錯覚ですが、視覚以外の感覚でも様々な錯覚が生じます。たとえば日常的に体験するのがベクション。電車に乗っていてぼんやりと外を見ているうちに、まだ発車していないにも関わらず、突然動き出した…と感じて驚いたことはないでしょうか。実際に動いたのは反対側のホームの電車なのに、妙に生々しく自分が動いているように感じられます。つまり動いてもいないのに自己運動知覚が生じてしまっているのです。これは体感的錯覚と言えましょう。

特に揺れの少ない新幹線では頻繁にこのベクションにだまされます。列車が動き出したかどうかの情報がもっぱら視覚情報に限られたときにベクションが生じやすいそうです。特に視覚20度以上の広い視野に運動が提示されたときに自己運動知覚が生ずることが確認されています。したがって大画面のスクリーンに列車の運転席から前方を移した映像を流せば運転手並みの臨場感あふれる体験ができるはずです。これは自分が静止しているならば広い視野に見える光景は現実世界では背景として静止している確率が高いためにまず脳が勝手に静止していると判断。ところが静止しているべき光景が動いたときには自分が動いたからだと感ずることからもたらされる錯覚である、と考えられています。

 身体運動知覚は前庭器官(耳の奥にあるバランスなどを感じ取る器官)や各部位の筋肉からの情報も関与しているそうです。もし目隠しなどをして前庭器官だけの情報に限定した実験をしてみますと、加速度が検知されたときには自己運動知覚が生じますが、等速運動状態では感覚がなくなってしまうことが分かっております。

 たしかに飛行機に乗った際、安定して飛行しているときには運動知覚は生じません。視覚情報と前庭情報とを同時に提供して争わせる実験から、前庭器官はもっぱら運動の開始と終了(速度の変化)に関わり、視覚は等速運動中の自己運動知覚を担当していることも分かっています。ディズニーランドやユニバーサル・スタジオなどのテーマパークにある体感シミュレーターではこの前庭情報と視覚情報を巧みに組み合わせることでまるで宇宙船などに乗っているかのような体感を味わえるのです。前庭情報はイスの揺れや傾きなどでもたらされ、動き始めや停止、方向転換・落下・上昇の開始期に適度な強度と速度で与えられるといいます(次の加速度情報を与えるためにイスは意識できない程度にゆっくりと元の位置に逐一戻されているそうです)。

 これらの知識を応用すれば視覚情報を操作することで運動感覚を誤作動させ、身体の姿勢を本人の意思とは関わりなく、変えてしまうことができます。東京都科学技術館で体験できるもので「うずまきシリンダー」と呼ばれる装置があります。渦巻きが描かれた大きな円筒(シリンダー)がトンネルのように設置されてゆっくりと回転しており、円筒の中央に浮かんだ通路を歩いて中に入れるようになっていて手すりを伝いながら中に入ります。が、いつの間にか体が傾いてしまい、倒れそうになるという不思議体験。この現象は視野の回転運動が自己の身体運動で生じたと脳が解釈し、姿勢の安定化のために姿勢を傾けてしまう結果生じていると考えられています。一番奥まで来たらまっすぐに立ち正面を向くと今度は数秒で自分の体が回転して知覚されるベクションが生じます(もちろん目を閉じればこうした感覚は消失)。

 

9.催眠の科学

 かつては催眠といいますと手品かマジックのようないかがわしいものと思われ、「催眠術」という呼び方までありましたが、近年では催眠療法という治療法が確立してきてその効用が学会で認められつつあります。特に催眠にまとわりついている誤解、偏見としてよくあるのが催眠をかけられた人は相手の指示には何でも従ってしまうかのような、まさに魔術的イメージ。しかし実際には催眠をかけられる側の人が主体的に判断し積極的に相手の暗示に協力しないと催眠状態にすら至らないといいます。催眠にかけて相手の嫌うことを心ならずも行わせてしまうことはまず不可能といってよいでしょう。それにどんなに催眠をかけようとしてもまったくかからない人だっている(2割程度)ようです。

 催眠現象には二つの要素があります。一つは動作に関わるもので「からだの一部が勝手に動き出す」あるいは「動けなくなる」という現象。もう一つは目の前には無いものが「見えてくる」というイメージの操作。催眠によって、本来存在しない物の視覚的イメージだけでなく、触覚的イメージや嗅覚的イメージまで喚起できるといいます。そうした催眠現象を引き出すにはまず、催眠誘導がうまく行われなければなりません。実際、催眠をかけられる側からすれば、当初はどんなことをされるのか…等の不安で一杯であることが多いといいます。そうした不安を少しでも和らげ、暗示を素直に受け入れられるような精神状態に持っていくのが誘導の手始めとなります。そのためにも催眠現象への理解と興味関心がなければならないのだそうです。

 日本の催眠療法の権威である成瀬悟策氏は、人の日常生活における「努力」(=

意志の力)はそのすべてを明確に意識できてはいないのだといいます。むしろ意識していない、無意識の「努力」によって人の日常生活は多く、支えられており、意識できているのはまさに氷山の一角でしかありません。そこに気付けば多少奇妙な暗示に対しても心を開いて受け入れることができるようになるはずです。そして催眠を受けることによって人はさらに意識下の努力=パワーを活性化できるようになるのだというのです。

 被暗示性が高い時ほど人は催眠にかかりやすいといいます。被暗示性を高めるにはまずくつろいだ雰囲気や気が散らないような室内の条件を整えることから始めなければならないようです。さらに本人が心身ともにリラックスできるとともに自分の内面に集中できるよう、仕向ける必要があるそうです。本人の「やる気」と被暗示性が高まったところで催眠誘導暗示が行われます。一つのことに集中させて単純なことを繰り返させ、前頭葉の働きを鈍らせることが基本パターンです。

 有名なものでは「凝視法」があるそうです。壁に向かって椅子に腰掛け、眼よりもやや高い位置に固定した小さな光る対象を上目づかいに凝視させ、「じっと見つめていると、だんだんまぶたが重くなって下がってくる。そのうちにまぶたが自然に閉じてしまう。」という趣旨の暗示を繰り返すものです。「目を開けようとしてごらん」と言い、目が開けられなくなっていればほぼ催眠状態=トランス状態に入ったと判断されます。うまく行けば次は認知催眠の段階に入ります。触覚や味覚のイメージが比較的早く暗示に反応しやすいようです。なおこの段階で食べ物の好き嫌いを直す暗示をかけることも可能であるといいます(ただし暗示の効果はフォローが無いと二週間ほどしか続かないといいます)。

 さらに進むと究極的段階である人格催眠となります。ここでは自分の人格を忘れさせ、さらには名前までも忘れさせてしまいます。次いでまったくの別人になるよう暗示されたり、年齢退行させたりします。これは心的外傷体験(トラウマ)の発見と解決をはかるために有効な催眠といわれます。ただし催眠によって本人の過去をありのままに再現できるわけではありません。あくまでも現在の本人が当時をどう感じているのかを知ることができるだけです。むしろそうであるからこそ、治療に有効なのだとも考えられています。

 催眠中の人の知覚や思考力などは覚醒中に比べて数段低くなることが確認されています。しかし能力が増大する旨の暗示をすると被暗示性の高い人の場合、記憶力などの能力が向上するといいます。このようなときには脳波も覚醒時と同じであるようです。当然、催眠などによって意識下のパワーが活性化されれば、スポーツなどでも大きな威力を発揮することになるでしょう。すでにリラクセーションの方法としての簡単な自己催眠法(自律訓練法etc)や集中力を高めて能力を最大限発揮するための自己暗示、呼吸法などはプロスポーツの世界に限らず、メンタルトレーニングとして頻繁に応用されています。

※明治大学の齋藤隆教授は短時間でリラックスできて集中力を高める丹田呼吸法を推奨しています。20

 秒ワンセットの腹式呼吸法です。まず3秒間で鼻から息を、腹が膨らむよう、吸い込みます。次に2秒

 間、息を止めます。その後、15秒間で息を口から吐き出します。コツは最初に息を吐き切ること。吐

 き切ることでわずか3秒でも十分な空気の量が肺に入ってくるはずです。15秒も息を吐き続けること

 は難しいように思えますが、しばらく練習してコツさえつかめばたちまちできるようになるでしょ

 う。20秒ワンセットを数回繰り返せれば十分な効果があるといいます。呼吸法なので場所を問わず、

 道具も不要。齋藤先生は大阪の高校で生徒にこの呼吸法を行わせ、クレペリン検査の成績を劇的に向

 上させることができたといいます。

 

10.その他の小ネタ

コントラフリーローディング効果

 入会儀礼は緩やかな方よりも厳しい方が入会後の会員の定着率が高くなる傾向。これも認知的不協和理論で説明可能。例:バンジージャンプ

 脳は労せずに手に入れた(フリーローディング)ものよりも、何らかの対価を払って苦労して手に入れた方を好む。これはネズミでも観察可能。

 例:2種類の方法を併用してネズミにエサをやる

  ・エサを皿に入れておいて好きなときに食べられる

  ・レバーを押すとエサが出てくる仕掛け

   レバーを押してエサを食べる方の頻度が皿の中のエサを食べるよりも大

   ただし例外なのはネコ

   ※定年症候群

「上流階級バイアス」:金持ちほどマナーが悪い!

 例1:高級車と大衆車まで車のランクを五つに分けて交通規則を守れているかどう

  か観察。

 →横断歩道で手を挙げている歩行者を待たずに通過してしまう率

  普通車・・・35%

  高級車・・・47%

 交差点で相手の車を待たずに割り込む率

  普通車・・・12%

  高級車・・・30%

 例2:ボランティアをして募った参加者に就職試験の面接官になってもらう。面接

  官は就職希望者と交渉しながら相手の給与を決定。就職希望者は長期的で安定し

  た職を求めているが、ここで募集しているポジションは近々廃止予定である。は

  たして面接官はそのことを正直に相手に伝えるか否か?

 →下層階級の面接官は正直に伝える傾向があるが、上流階層の面接官はその事実を

  隠す傾向。

 例3:自分を「社会的地位が高い」と思ってもらい、さらに「金欲があることは悪

  いことではない」と思わせると・・・

  下層階級の人ですら貪欲で非道徳的となり、かつ尊大な態度を示すように

  その程度は上流階層の人よりも酷いものに。 

③「熟慮の悪魔(The Devil in the Deliberation)」

 寄付をする前にじっくりと考える人は寄付金の金額が低く、素早く寄付した人は多額の寄付をする傾向がある。

 またじっくりと考える人に「速く判断してください」というと寄付率が高まり、逆に判断の速い人に「じっくり考えてから判断してください」と促すと寄付率が下がってしまう傾向が見られた。

他の例:試験で選択に迷ってじっくりと考えると間違った解答をしてしまう。

    スポーツで自分のフォームを意識しすぎると失敗してしまう。

 人は直感的に動くときは全体に利する行動をとる傾向があり、逆にじっくりと考えるほどに利己的な行動をとりがちになる。

④「内発的動機付け(Intrinsic Motivation)」

 アメリカの陸軍士官学校の生徒に志望動機をきいたところ、10年後に出世していたのはどちらの理由を挙げた人?

 A:技能や素養を身に付け、将来は将校となって貢献したい

 B:軍隊での生活が楽しそうだから

一見すると将来に明確なビジョンがあった方がモチベーションは高まるように思え、また目標は数多くあった方が良いように思えるが、単純にBと答えた方が将校に出世する率は15%ほど高かった。自分の行動に理念や目的などを添えて理論武装する人ほどあまり成功しない。「好きだから頑張れる」で十分。

⑤「リアクタンス(Reactance)」

 禁煙エリアでタバコを吸っている人がいる。どのように注意したら効果的か?

 A.周りの人への迷惑になりますからお控えください。

 B.こちらは禁煙エリアになっております。

 脳は自己主体性があると思い込んでいるので他人から指示されることが嫌い。 「・・・をしてください」「・・・をやめてください」と言われると「何の権利があって私に指図しているのか」と反発したくなる。この心理的傾向をリアクタンスと呼ぶ。しかし「規則で決まっています」という表現は命令する主体が人ではなく、社会的合意となるのでリアクタンスは弱まる。「禁煙席」「禁煙ルーム」などの掲示はリアクタンスを弱める効果がある。しかしルール任せにすると弊害も生ずる。「ルールに違反しなければ何をしてもよい」という態度を生み出し、かえってモラルが低下することも。これを「合法バイアス」という。職場や家族、友人、恋人同士などでは、何となくうまくいっているときにはルールを作らない方が良好な関係を保てる

⑥「自我消耗

  実験:二つのグループにお笑い番組を見せる

   Aグループ:普通に笑わせておく

   Bグループ:笑うことを禁じる

  番組終了後、ハンドグリップを力いっぱい握らせる。どちらのグループが

  長く握り続けられるか?   答え:Aグループ

 忍耐力は筋力と同様、有限な資源なので何かを我慢した後は持久力が減り、やる気や道徳心まで薄れてしまう。午後は午前よりも20%もウソをついてしまう。ただしブドウ糖を摂ると脳は回復する。

⑦「自己知覚

 人の感情は顔の表情で左右される。落ち込んでいても無理やり笑顔を作ると少しだけ明るくなれる。また顔の表情よりも体の姿勢の方が感情を左右できるので落ち込んだ表情のままでもガッツポーズをとると元気になれる。

⑧「認知的不協和

 自分が好きになった相手に好意を持ってもらうには相手の仕事を手伝うよりもどちらかというと自分の仕事をその相手に手伝ってもらうと良い。自分が手伝ってやっているということはおそらく自分は相手に好意を持っているに違いない・・・

 →手伝った相手が好きになる

⑨「モラル正当化効果

 人は自分がモラルの守れる人間だと自認してしまうとその後、反モラル的な行動をとりがち。「善行後の悪行」「ダイエット後のリバウンド」

 →自分が素晴らしい、立派な人間だとは思わない方が良い。

 

11. 学習心理学入門(古)

はじめに

 昨今の急速な大脳生理学の進歩によって、かつては哲学や文学などでひたすら観念的に探求されるだけであった心の働きも、今や物質的な根拠を得て科学的、医学的な観点から大幅に解明されつつあります。かつて話題になった「イノセント」などを見ても、やがてロボットにも人間の心が宿るほどに心のメカニズムの解明は進んでしまうのかもしれません。100年ほど前、心の闇に科学的探究を試み、当時は画期的ともてはやされたフロイトの「無意識」に関わる仮説もその一部が現在では非科学的として否定されるようにもなりました。

 しかしまだまだ心の世界は奥深く、現在の科学をもってしても精神の働きは複雑怪奇で謎に満ちています。そこで心理学者のなかには科学的探究を試みるにはあまりにも複雑微妙な心の世界をあえて直接には研究対象とはしない、禁欲的(?)一派が出てきました。彼らは心そのものを探求する精神分析学とは異なり、あくまで科学的実証にこだわりました。生物学や医学等の知見を利用して科学的探究が可能な領域からまるで遠巻きにするように「心」の世界へとアプローチしようとしたのです。モヤモヤとしてとらえどころのない「心」よりも、客観的に観察でき、計測も可能なヒトや他の動物の行動をもっぱら研究の対象とする、いわゆる比較行動学という立場がそれです。今回は行動主義の立場から得られた知見を基に、学習がどのように成り立つのかを探ってみましょう。授業の核心的テーマである「自分」というものの成り立ちは過去の学習活動の集積そのものとも考えることができるからです。

①   ヒトとサルの違い…比較行動学(比較心理学)より

 ヒトとサルとの決定的な違いとは何だろう?それはヒトが直立の姿勢で二足歩行できるという点にあるといわれている。数百万年前、地上に降り立ったサルとも言われる我々の祖先は長い樹上生活のなかで直立を可能とする骨格をすでに獲得していたという。その結果、背骨が受け皿となって大脳の発達が可能となった(樹上生活を中途半端に終わらせて人類より早く地上に降り立ったヒヒの類は頭蓋骨と背骨との角度から大脳の発達が制約されたため、イヌと同様の四足歩行を余儀なくされた)。

 また二足歩行によって移動の労役から解放された二本の手は道具の製作と利用に向けられるようになり、知性と文明の発達に大いに貢献したと考えられている。

 しかしその宿命として人類は腰痛と難産に悩まされることにもなった(大脳の発達によって大きくなっていく赤ちゃんの頭蓋に対し、二足歩行によって産道はどうしても大きな制約をこうむる)。

 A.ポルトマンという学者は人類が生理的早産のかたちで生まれてくると考えた。彼はまず動物を離巣性(りそうせい:多くの地上で生活する哺乳類があてはまり、生まれてすぐに立ち上がり、歩けるようにならないと巣が無いので捕食されてしまうため、成獣のミニチュアとして生まれてくる)と就巣性(しゅうそうせい:多くの鳥類にあてはまり、巣があって親にも守られ、捕食者の餌食になる可能性が低いため、未成熟なまま生まれてくる。また未成熟なだけに可塑性を残し、(※)インプリンティングのような初期経験がその後の成長にとって決定的な影響を及ぼす)の二つに大別した。

 人類は地上で生活する哺乳類でありながら、就巣性の特色を持ち、生まれた当初は親無しでは生きていけない、未熟な仔として生まれる。しかし大脳を含めて未完成なまま生まれてきたおかげでヒトは生後に多くのことを学習して身に付ける余地をたくさん残しているのである。またヒトの仔の無力さによって母親は育児にかかりきりとなり、反対に父親は狩猟採集に赴いて家族を養うという役割分担も生まれてきた。多くの動物の「父親」が実はただの種付けオスに過ぎないことも考え合わせると、父親らしい父親の出現もまた人類からということになろう。

インプリンティング(刻印付け):ノーベル賞を受賞したK.ローレンツが「ハイイロガン」などの大

 型の鳥類で発見した、生得的な行動のメカニズムの一つ。「ガン」などの大型鳥類は卵から孵化した

 ときに最初に見た動くものを自分の親と認識してしまうという有名な研究がある。

 

 なおヒトもサルから進化してきたからにはサルとしての特性も残されており、特に生まれたばかりの赤ちゃんに見られる生得的反射行動にはサル時代の名残が見られる(たとえば生まれたての赤ちゃんは非常に握力が強いというモロー反射)。とはいえ大脳の発達によってヒトの行動の自由度は増大しており、他の動物に多く見られる生得的で機械的な反射行動は人類ではむしろ退化・縮小して影を潜めつつあるという。

 K.ローレンツは大脳を中心とする人類の進化を手放しで賛美していない。二度の世界大戦を生きた彼はヒトがサルから進化を遂げてきた過程で大切なものを失ったのではないか、と疑念を投げかけているのである。久しくヨーロッパで凶暴な野獣のシンボルとして嫌われてきたオオカミのような肉食獣は仲間内でのケンカによる殺し合いを避けるため、攻撃行動を抑止する生得的な行動パターンを発達させてきたという。このため同類での殺し合いはめったに起こらないらしい。

 ところが平和のシンボル鳩などの非力な動物では通常の条件ではケンカしても片方が逃げ去れば殺し合いには発展しない。彼らは逃げ去るだけの俊敏性は身に付けているため、結果的に攻撃行動を抑止するメカニズムを発達させてこなかったという。だからオリやカゴの中で彼らのケンカを放置してしまうと相手が死ぬまで攻撃をやめようとしないのだそうだ。「同類同士を殺し合ってきた」人類の残忍な歴史をひもとけば人類も後者の動物に属するのではないかというローレンツの危惧は今も十分に傾聴に値しよう。

 

①   学習のメカニズム…学習心理学より

 ペットの躾をどうするかで困っている人達も多い。サーカスの動物達のように見事に調教され、洗練された演技をみると、一体どうやって調教しているのか覗いてみたくなる。行動主義ではヒトの学習も動物達の調教と同じような原理で成り立っていると考えた。したがってまずは「調教」と「学習」とを区別しないで調教(学習)の成り立ちを見てみる。

 行動主義はI.P.パブロフが唱えた条件反射説などに基づいて発展してきた学習理論を柱としている。パブロフはイヌがヨダレをたらすという生得的反射も学習によって操作できる側面があることを実験で確認した。イヌはエサを見るとヨダレをたらすが、彼はエサを見せると同時にベルを鳴らしてみた。しばらくしてベルだけを鳴らしてみたら、イヌはエサが無いのにヨダレをたらした。この発見を基にある行動(=学習内容)と報酬(イヌのエサに相当するもの)を繰り返し対呈示(ある行動と同時ないしは直後に報酬を与える)することである行動の出現頻度を増加させることができるとし、逆に罰を与えればある行動を減少させられるという説。いわゆる「アメとムチ」の調教と同じ理論である。動物に複雑な芸を調教するには初歩的な動作から段階的に複雑な芸へとこの条件付け学習を積み上げていけばよいことになる(シェイピング)。なお、報酬はある行動に必ず与えられるよりも、不連続で与えられる方(間歇的強化)が行動の出現頻度をより高めることを確かめた実験もある。「バクチ」が古来、人類最大の娯楽であることの理由もこれで説明できよう。

※逆にランダムで犬に電気ショックを与え続けると何事にも「無気力」なイヌになってしまうという実

 験もある。ヒトもまた失敗が続いたりして無気力になったりするが、行動主義の立場ではこの「無気

 力」も学習されたものとみなし「学習性無力感」と名付けたりする。

 

 もちろんヒトの場合には他の動物と違ってエサよりも言語的報酬(ほめる…)のほうが行動の強化につながることも多い。「しかるより、ほめろ」とか「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」などと昔から云われて来たようにヒトは特にほめられることでより学習の効率を高める…これはもはや常識であろう。

 しかしある学者が大学生にパズルの課題をやらせて、半数の学生には成績によってお金を与え、残りの半数には何も報酬を与えないという実験をしてみたところ、報酬をもらった学生の方がパズルへの興味を失ってしまったという。おそらくお金をもらったことでかえって他から「やらされている」と感じるようになったのが、興味を失った大きな原因であろう。やはりヒトは他の動物とは違って単純には「調教」できないのである。ヒトの「学習」は確かに「アメとムチ」の条件付けに基礎を置いてはいるが、それよりもはるかに高度で複雑なシステム=心との密接な関係性を持ってしまったがために、ヒトの学習自体も複雑な原理で成り立つように進化してしまったと考えられる。要するにヒトにとって何が「アメ」で何が「ムチ」なのかは、他の動物の基準とは多少異なってきたばかりでなく、個体によってもその基準は異なるようになってしまったのであろう。

※人間が社会的動物であることに注目して、第三者からの直接的な報酬が確認できなくとも学習が成り

 立つ可能性を指摘する学者(A.バンデューラ)もいる。身近な大人等の言動をまねて子供が様々なこ

 とを身に付けていくことは我々も経験上、よく知っていることである。バンデューラはテレビの暴力

 シーンが子供の粗暴な行為を招いていると警告を発したが、その真偽はともかくとして、彼のいう

 倣による学習も学習成立の原理の一つではあろう。

参考動画

【スタンフォード式子育て】最新の脳科学・心理学200以上の研究論文に裏打ちさ

   れた子育てメソッド/最新研究から分かった 音・映像教材の効果/「しつけvsのび

   のび」子育ての科学的答え   PIVOT 公式チャンネル 2023/10/24  37:26

「記憶の苦しみをなくす」日本発の“記憶”アプリは学習を変えるか?

 【橋本幸治の 理系通信】 2022/09/30 テレ東BIZ 8:29

[NHKスペシャル] 脳内物質オキシトシン・人間の本能に潜む二面性 | 

 ヒューマンエイジ 人間の時代 第2集 戦争 なぜ殺し合うのか |

 NHK 2023/06/23 4:39

 愛情ホルモンの異名を持つオキシトシンが持つ二面性に注目。この内容は愛国心、愛郷心、同胞愛の持つ危うさを科学的に立証できる可能性を示唆しており、社会科の知識としても大いに注目される話題。

 

12.個人と社会:社会心理学より(古)

はじめに

 人の性格や行動は一人でいる時と、集団でいる時とでは違ってしまうことが度々ある。このことは今や、周知の事実である。たとえば普段はどんなにおとなしく紳士的な人であっても、いったん群衆の中に入ってしまうと場合によっては自己を見失い、暴徒の一員にもなりかねない。サッカーにおけるフーリガン騒ぎはまさにこうした群集心理のなせるわざであろう。しかしこのような集団特有の心理状態に関する研究が本格的に発展したのは第二次世界大戦後のことに過ぎない。研究の大きなきっかけとなったのは世界中の耳目を集めたナチスによるユダヤ人らへの大量虐殺であった。ポーランドのアウシュビッツ収容所は世界遺産に認定されている。「勤勉で生真面目」といわれたドイツ人が一体なぜ?そもそもなぜ彼らはヒトラーの命令に逆らえなかったのか?残虐行為に対して罪の意識はなかったのか?彼らはどのようにして洗脳されてしまったのか?これらの疑問を解決するため、戦後、多くの学者が研究に乗り出したのである。

 インプリンティングの発見などを通じて動物行動学を確立したK.ローレンツは同類に対する攻撃行動を「ハト」と「オオカミ」とで比較してこんなことを指摘している。牙や鋭い爪を持つオオカミはお互いに深手を負わせないために、同類に対する攻撃行動を自動的に制御するシステムを発達させていった。従って仲間同士のケンカで殺し合いに発展してしまうことはまず無いという。ところが身体に強力な武器を持たず、素早く逃げ去ることのできるハトのような動物は、もともと仲間同士のケンカが殺し合いに発展する可能性は無いため、オオカミのように攻撃行動を制御するシステムを発達させることもなかった。従って、ハトの場合、仮に鳥かごに入れられた状態でケンカが始まってしまうと、どちらかが死ぬまでケンカを続けてしまうことになる。「平和」のシンボルであるはずのハトが同じ仲間に対して見せる、冷酷さ。その一方で凶暴なイメージのつきまとうオオカミが同類に示す、平和的解決のシステム。さて人間はどちらのタイプに近いのか?どうやら人間は「ハト」型の動物ではないか・・・というのである。

 動物学以外でこの問題に真正面から取り組んだ学問の一つが社会心理学であった。ドイツ人に限らず、どんな人間であれ、特定の組織や集団の中に組み込まれると「冷酷な殺人鬼」にもなりうることを、実験によって証明してきた功績は大きい。 

 以下、歴史的にも有名となった実験をテーマ別に紹介してみよう。

(1)服従と同調の心理

アイヒマン実験:S.ミルグラム(ユダヤ系アメリカ人)

  テーマ「人はどこまで残酷な命令に従い続けるのか?」

 実験の概要;実験の対象者は20~50歳の男性で「暗記学習に与える罰の効果」の実験だとだまされ、生徒役(実はサクラ)が単語を覚えられないと罰として電気ショックを与えるよう、命じられている。生徒役は気付かれないようにわざと間違えて、電気ショックをくらうが、実は電気は流れていない。実験者は生徒役が間違えるたびに教師役の実験対象者に電気ショックの電圧を上げるように命令する。生徒役は電気ショックを受けた振りをして悲鳴を上げる。300Vでは壁を激しくたたくなど苦悶、以後は気絶したふりまでするが、40人の教師役とされた実験対象者の内、なんと26人=65%もの人が最後まで命令に従って電圧を上げ続けた(450Vは命にもかかわるほどの高電圧なのに・・・)これは精神医学者達40人の予想(せいぜい0.1%)を大きく上回る、衝撃的な数字であった。

 一連の実験で命令への服従を高める条件として、命令者の権威の高さや命令者の近接などが確認されている。

 ※アイヒマンはナチスにおけるユダヤ人絶滅計画の実務上の責任者

アッシュのパラダイム

  テーマ「個人はどこまで集団に流されるか?」

  実験の概要;実験の対象者は各グループに一人だけ。そこにそれぞれサクラ6~8人を加えてグループを作り(全員男子大学生)、「錯視の実験」と偽って線分の長さを比較させる課題(12回)を出す。簡単な課題なので最初は100%近い正答率となるが、途中からサクラが全員間違い始める。誰もが間違いそうにないほどの簡単な課題なのに、サクラにつられて正答率が63.2%まで落ち込んでしまった。孤立することへの恐怖感が自己の信念までも曲げさせてしまう力を持つことが確認。

 

(2)「罪」と「責任」の心理

「因果応報」実験:M.J.ラーナー

   テーマ「人はなぜ残虐行為を見過ごすのか?」

 実験の概要;実験対象は29人の大学生。「ストレス下での人の行動」と題したビデオを視聴。ある人物が暗記学習の課題をこなせずに電気ショックを受けている場面が続く。視聴後、三つのグループに分けられて、ビデオの登場人物についてそれぞれ異なる説明を受ける。一番目のグループはビデオで電気ショックを受けている人が後で謝礼をもらっていると言われ、二番目のグループは電気ショックがただの演技であると言われ、三番目のグループは謝礼無しで不当にも電気ショックを受けていると説明される。その後、各グループともビデオの登場人物に対する人格評価を行ってもらうと、不思議なことに三番目のグループだけが電気ショックを受けた人物の人格を魅力の無い、劣ったものと評価した。

 この結果からラーナーは、いわれなき不幸に見舞われた人を見ると「公正な世界」についての信念(悪いことをすれば罰せられ、良いことをすれば賞賛されるはずである・・・といった思い込み)がぐらつくので、電気ショックを浴びせる実験者ではなく、不幸に見舞われた人の方に何か善からぬ原因があると考えることで、公正さの信念を守ろうとするのだと論じた。  

 →ユダヤ人への根強い偏見、残虐行為に対する傍観

社会的手抜き理論の実証実験:B.ラタネ

   テーマ「人はなぜ冷淡な傍観者となってしまうのか?」

契機;1964年の「キティ・ジェノヴィーズ事件」。38人もの目撃者がいたにもかかわらず、30分間、助けを求めていた若い女性がアパートの駐車場でめった刺しにされて殺害。その間誰も助けに行かぬどころか警察に通報すらしなかった。

 →世界中に衝撃

実験の概要;幾つかに分けられた小部屋のうち、ひとつの部屋にはサクラ、他の部屋には実験対象者がいて「非対面の匿名の相手とのコミュニケーション」に関する実験だと言われる。彼らはヘッドホンを付け、マイクを使って別の部屋にいる相手と会話するよう指示される。その際、二人だけで会話するグループと三人で順番に会話するグループ、六人で順番に会話するグループに分けられる。会話がしばらく進んだ頃に、一人=サクラが「ああ・・・発作だ・・・誰か助けて・・・」とうめきながら助けを求める。実験対象者は全員、ヘッドホンを通じて助けを求める声を聞いている。

 サクラが発作中、小部屋から出てきた(援助行動をとろうとした)実験対象者は二人グループでは85%、三人グループで62%、六人グループではたったの31%であった。つまりその場に居合わせた人数が多いほど「誰か他の人が助けてくれるだろう」と考える人も増え、実際に援助行動をとる人が減ってしまう傾向がうかがえた。これを責任の分散=社会的手抜きと言う。特に個人の評価が困難な場合(個人の責任が問われにくい場合)に生じやすい現象。 

※綱引き実験:集団で競わせると個人が発揮する力は集団の数が多くなるにつれて減少する傾向にある

 ことを確かめた実験。これは傍観者の心理を説明するだけでなく、集団による犯罪行為に加担する者

 の心理をも説明している。かつてビートたけしが「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という言葉を

 はやらせたが、それはまさに「責任の分散」で説明できよう。   

参考記事 

豊かな社会をもたらす健全な「社会的アイデンティティ」とは

 Forbes JAPAN | magazine の意見 2023.7.15

看守と囚人に分けると性格が変わる「スタンフォード監獄実験」は、実は嘘? 科学

 の根深い腐敗を探る一冊 ダ・ヴィンチWeb によるストーリー 2024.4.29

参考動画

疑似科学!~これからの科学との付き合い方とは?~ | ガリレオX第52回

 ガリレオ Ch  2022/11/14  25:47  2013年5月放送作品

 相関関係と因果関係の取り違えによる疑似科学、未成熟科学と疑似科学との差異に注目したい。