その5.自分とは何?~自意識と無意識(前編)~
※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。
・実際に授業で使用したプリント「自分とは何?」
今回のテーマは「自分とは何?」です。覚醒している時、人は自分を意識出来ていると思っています。また気を失った時には「自分」と言う意識=自意識が一時的に喪失してしまったという理解の仕方をしている人は多いでしょう。気絶=「意識を失う」という表現もあるくらいですから。
ならば睡眠中は自分という意識は完全になくなっているのでしょうか?いや、睡眠中でも時には意識がありそうです。たとえば夢を見ている時、「夢を見ている自分」と言う意識はあるように感じられます。
逆に覚醒している時でも必ずしも人は自分を十分意識出来ていない瞬間があるのではないでしょうか?ボケてしまった訳ではないのですが、たまにふと自分が何のために今椅子から立ち上がったのか、分からなくなる瞬間があります。しばらくしてから、ああ、そうだ、メガネを探そうと思っていたんだ・・・などと立ち上がった理由を急に思い出したりします。
そもそも意識という心の働きを支えている力として重要な要素は何なのでしょう。五感はもとより、自分を客観視する能力、自分に関わる記憶、自分の人格などが考えられます。従って今回は「夢と睡眠」、「記憶と学習」、「性格と人格」という三つの柱で自意識が成り立つ背景について少しだけ掘り下げて考えてみましょう。
(1)夢と睡眠
ヒトの睡眠は脳波などの研究からレム睡眠とノンレム睡眠の二つを繰り返しているといわれています。レムとは「Rapid Eye Movement」の各頭文字をとって名付けられたもので、睡眠中であるのに眼球がすばやく動いていたり、顔面や手足の筋肉もピクピクと動いたりする時間帯です。精神的な活動は活発で比較的浅い睡眠であり、睡眠らしくない睡眠ということで「逆説睡眠」という呼び名もあります。
金縛り(=睡眠麻痺:意識は醒めているのに骨格筋が脱力している状態で、極度の疲労、強いストレス、不規則な生活等が原因。入眠期にいきなりレム睡眠が始まるときに発生)はもっぱらこのレム睡眠中に起こる現象であると考えられています。睡眠時間のおよそ四分の一をレム睡眠が占めます。
これに対して深い睡眠に相当するのがノンレム睡眠です。睡眠時間の四分の三を占め、記憶の固定や整理に大きく関わっていることが近年、明らかになってきています。まず入眠時、次第にノンレム睡眠に入り、やがてレム睡眠に移行します。これを普通、約90分間隔で一晩に4,5回繰り返します。明け方に近づくほど眠りは浅くなり、レム睡眠の時間帯が長くなる傾向があるといいます。
精神的ストレスが強いときには寝言が多くなるといいます。レム睡眠のときには夢と関わる寝言が発せられるようですが、筋肉が弛緩しているために口ごもったような聞き取りにくい寝言となるのが特徴です。一方、ノンレム睡眠時は骨格筋の緊張が保たれており、比較的聞き取りやすい寝言となるようです。
なおレム睡眠時の夢は物語性と情動性に富み、非現実的で奇想天外なものが多いのに対してノンレム睡眠時の夢は現実的でシンプルなものが多いようです。
レム睡眠では海馬の活動が活発になります。夢を見ているときに視覚野と記憶および情動を司る部位(海馬と扁桃体)が活性化している点から次のような仮説が呈示されています。
生き残り戦略上、恐怖や不安といった情動的な記憶は重要であり、強く記憶に刻まれます。同じ状況になったときには即座に対応できるようにしておく必要があるからでしょう。そこで夢とは睡眠中に「危機回避のシミュレーション」を繰り返すために脳が作り出した仮想現実なのだ、という仮説です。
特集:黒澤明監督の「夢」
2011年の福島原発の事故をきっかけに黒澤明監督のオムニバス映画「夢」(1990年公開)が再び注目された時がありました。果たして日本はこれまでの間、「夢は天才だ」と言った黒澤さんの言葉を活かしてきたのでしょうか?この映画の意義は世界の「危機回避のためのシミュレーション」として30年の歳月を経て現在、一層の重みを増してきているように感じられます。
8篇のうち、3篇のあらすじをご紹介いたしましょう。
こんな夢を見た 「赤冨士」
大音響と真っ赤に染まった空の下、大勢の人々が逃げ惑っている。「私」は何があったのかわからない。足下では、疲れ切った母と子が座り込んで泣いている。 見上げると富士山が炎に包まれ、噴煙を上げている。山の向こうの原子力発電所が6基とも爆発したという。居合わせたスーツの男は、悔恨の言葉を残すと近くの海に身を投げてしまった。 やがて着色された放射性物質が西風に乗って吹き付けてきた。
「私」は母子を守るべく上着を脱いで必死に振り払い続ける…
こんな夢を見た 「鬼哭」
霧が立ち込める溶岩だらけの荒地を歩いている「私」を、後ろから誰かがついてくる。振り返って見ると、一本角の鬼である。 世界は放射能汚染ですっかり荒地と化し、かつての動植物や人間はおどろおどろしい姿に変わり果てていた。鬼もかつては人間であったときに農業を営んでいたが、価格調整のため農作物を捨てた事をしきりに悔やむ。
この変わり果てた世界で何処へ行けばいいのか戸惑う「私」は、苦しみばかりで死ぬこともできない鬼に『オニニ、ナリタイノカ?』と問われ、ただそこから逃げ出すことしか考えない。
こんな夢を見た 「トンネル」
敗戦後、捕虜となってひとり生き残り復員した元陸軍将校が部下達の遺族を訪ねるべく、人気のない山道を歩いてトンネルに差し掛かると、中から奇妙な犬(伝令犬)が走り出てきて威嚇してきた。何かに追われるようにしてトンネルを抜け、出口近くに差し掛かった「私」は戦死させてしまった小隊の亡霊達と向き合うことになる。自らの死を受け止められずに彷徨うことの空しさを説いて部下達を見送った「私」は地面に崩れ落ちて嗚咽する。が、たちまちあの犬が現れ、恐ろしいうなり声とともに吠えかかってくる。 「私」はただ、ただ戸惑うしか無い。
悪夢と明晰夢
夢の中ではたいてい私達の思うようには事が運びません。思い通りにならなくて冷や汗、あぶら汗をかいたりすることもあります。しかしごく稀ではありますが、夢を自分の思い通りに操ることができる場合もあるといいます。これが明晰夢です。マレーシアの山奥に住むセノイという部族は夢を大変、重んじていることで有名になりました。毎朝、セノイの家族は夜見た夢を報告して話し合いをするといいます。そして彼らの幼児期に繰り返し見てしまいがちな猛獣に追いかけられるといった悪夢も朝の大人達の助言(また同じような夢を見たら今度は逃げずに振り返って猛獣をじっと見つめてみよ・・・)によって夢の中の猛獣はいつの間にか可愛い子犬になってじゃれついてくるのだとか。
東日本大震災時のPTSD(心的外傷後ストレス障害)によって毎日のように悪夢にうなされ、不眠状態で困っている(=悪夢障害)人を救う目的もあって明晰夢を意図的に見ようという研究があります。それによるとセノイのように毎朝目覚めたら昨夜見た夢を良く思い出し、特徴的な場面や場所、時刻、登場人物や動物、情景などを「夢日記」に記録して覚えておくと良いと言います。
明晰夢を見るための最大のポイントは夢の中で夢を見ていることに気付くことができるかどうか…だそうです。根気よく夢の記録をつけておけば夢の中で見覚えのある情景に気付きだし、やがて夢を見ていること自体に気付けるようになるはずというのです。夢と気付いたら今度は自分の手や足を動かそうとしてみると良いようです。夢のなかでは自分の手足は思うようには動かないはず。動かなければこれは夢だと確信できます。そこでさらに体を軽くひねってみるのがコツ(理由はいまのところ不明ですが、回転イメージは夢から醒めてしまうことを防いでくれるようです)で、その時軽く回転できるようになれれば後は思うがままに夢を操れるとのことです。
特集:夢と現実のはざまに~パラソムニア(睡眠時随伴症)という病から~
一般には「夢遊病」という名で知られるパラソムニアに陥っている人は、睡眠中であるにもかかわらず、あたかも覚醒中であるかのような行動をとることがあるそうです。
昔、カナダである男性が睡眠中、自分の妻の父親を殺してしまったという不幸な事件がありました。彼は何と夜中に起きだして車を運転し、数キロも離れた妻の実家にやってきて義理の親を殺害し、その後再び、車を運転して自宅に戻り、自分のベッドにもぐりこんだらしいのです。しかも彼にはその間の記憶が一切ありませんでした(ノンレム睡眠中の夢は覚醒後、思い出せないことが多いらしい。この患者はノンレム睡眠中に動き出してしまうノンレムパラソムニアにあたるようです)。ちなみに裁判では殺意の認定ができなかったということで、結局、彼は無罪となったそうです。
あるダイエット中の女性患者はきびしいダイエットにも関わらず、体重が増え続けていました。真夜中、彼女に何が起きていたか…
主治医が監視カメラを寝室とキッチンに設置したところ、夜中にベッドから起きだして冷蔵庫に直行、高カロリーの食材を駆使していろいろな料理を盛り沢山、作っては毎晩のように「ガッツリ」食べていた…そんな姿が映っていたそうです。ただ焼き肉をした晩はかなり危険だったようです。肉は生焼け、ガス消し忘れ…でも本人はまったく思い出せないのです。こうしたケースからはいわゆる多重人格障害や記憶喪失の症例も思い浮かびます。
もちろんレムパラソムニアの患者も殺人事件を起こしたケースがあるといいます。こちらはもっと凄惨なのです。そもそもレム睡眠中の夢は感情的な展開になりやすいという傾向があるのだそうで…
イギリスでの出来事。キャンプ中、駐車場で若者達とトラブルを起こし、さんざん暴力をふるわれてむしゃくしゃした状態で眠りに就いた中年男性がこんな夢を見てしまいました。夢では逆に無法者の若者を一方的にこらしめ、殴りまくり、その挙句にヘッドロックまでかけてしまったという、本人にとっては爽快感に満ち満ちた内容だったそうです。ところがです…
いやな予感がするでしょう?
そうなのです。翌朝、隣で寝ていた奥さんの見るも無残な…アアッ!が発見された…というのです。
さて、これらの現象には一つ、重要なメッセージが含まれているようです。人間にとっては、ほとんど意識が無くとも大概の行動は可能だということ。つまり人は睡眠中であっても料理や自動車の運転など、かなり高度で複雑な仕事までできてしまうことを意味します。睡眠とは脳のすべての活動の休止を意味してはいません。脳全体の活動は低下しておらず、あくまでも「ローカルスリープ(局所的な睡眠)」なのであって、たとえ睡眠中であっても脳の一部は強く覚醒しているのです。
逆に覚醒中であってもそれはあくまで「ローカルコンシャスネス(局所的な意識・覚醒)」に過ぎないという見方ができる、ということにもなります。これは「自意識」という現象を見直す上で極めて重要な知見といえるでしょう。
ところで人にとって意識の役割とは何でしょう?意識が無くともそれなりに行動できるならば、そもそも意識なぞ生物にとって不要なのかもしれません。実際、多くの生物の行動は無意識の自動制御に依存しているといいます。意識なしでも生きていけるならば、意識は何のためにあるのでしょう?さあ、あなたはこのことをどう思いますか?
辛いことが重なったりしますと実際、「意識」や「心」の存在がお荷物に感じて投げ捨てたくなったりしますよね。皆さん、いかがでしょう?心・・・意識・・・こんなもの要らない…?
池谷氏は人の意識=心の役割は行動を起こすためというよりも、むしろ「行動を取りやめる」こと、アクセルではなくブレーキの役割に求めております。前頭前野には自分の欲望を我慢し、行動を取りやめる中枢があります。とすれば自意識、意志、自我もまた前頭前野に深く関わっているのかもしれません。さらに右脳の角回(頭頂葉と後頭葉との境界)を電気刺激すると「幽体離脱」したような感覚(池谷氏によるとベッドに横たわる自分を2メートル程上方から眺める…まるで臨死体験にでてきそうな幻覚が生ずるらしい)が生まれるといいます。ここも客観的に自分を眺める中枢の一つなのかもしれません。
確かに自分を客観視できる時には行動にブレーキをかけられることが多い気はします。とすれば人の意識、心はこうした脳の幾つかの部位のネットワーク、共同作業によって成立し、保持されているのでしょう。
人間が自己を客観視できる能力=自意識を持つのであれば、自己嫌悪、自己否定の挙句に自殺してしまう人が跡を絶たない事も一方でうなづけます。確かに犬や猫が自己嫌悪に陥り、その挙句に道路に飛び出して死んでしまう…とは思えません。彼らの死因のほとんどは事故死か病死だと思われますから。
人が自己嫌悪に陥って最悪の場合、自殺に走ること、これもまたある意味、脳の進化が人類にもたらした悲劇、意識の誕生がもたらした副産物なのでしょう。
さてパラソムニアなどの話を聞きますと睡眠中、自分に何が起きているのか?本当は自分が何をしているのか、少しばかり気になってきますね?というか、そもそも今の自分は寝ているのか、起きているのか、その境界線自体があいまいになってきませんか?いや、むしろその境界線は私達が思っている以上にあいまいと言った方が良いのでは?だって私達が覚醒中に行っている行為の多くは実は無意識的に行っている、という指摘もあるくらいですから。
今私は立っています。が、立つことに必要な筋肉すべてに対して私がイチイチ意識的に命令を下しているわけではありません。ほとんどの筋肉が無意識的に作動しているから、今、ここにこうして立っていられるのです。ある研究者によれば「話す」という、きわめて意識的、知的に見える活動ですら、その多くが無意識的でオートマティックなプロセスに依存しているといいます。
私達は覚醒中であっても、ほぼ自動操縦されている。そしてごくまれに、危険や恐怖を感じて何かを思いとどまるため、突然意識的になって一部を手動システムに切り替える…生きているって実はそういうことの繰り返しなのかもしれません。あたかもジェット旅客機が離発着時を除けばほとんどの時間を自動操縦で飛び続けているように…
さて繰り返します。私達が今現実だと思っているこの世界は厳密にいえば私達の脳が造り出している仮想現実=バーチャルリアリティ(VR)に過ぎません。そういう点では睡眠中に夢=仮想現実を見ている状態と、覚醒していて「現実」=仮想現実を見ている状態、この二つの間には私達が普段感じているほどの大きな差は無いと考えられるのです。
補足解説
「体温と睡眠の関係」:体温と睡眠には深いつながりがあるようです。体温は一日のうち午後6時から8時にかけて最も高くなり、睡眠禁止帯と呼ばれるくらいに眠りにくい状態になっているようです。十代では午後9時過ぎに体温が低下し始め、睡眠に適した時間帯に入るといいます。睡眠中は大量の発汗作用(コップ一杯分)でさらに体温が低下し、熟睡できるようになっていますが、この体温低下のスピードが速いほうが寝つきはよいといいます。乳幼児は眠いと手足が暖かくなりますが、これも体温を低下させるために体表面の血流をよくして放熱しているからだそうです。
深い眠りは免疫機能を高め、身体と脳の成長を促し、記憶力を高めることが分かってきています。寝不足は禁物!でしょう。うつ病患者が不眠に悩まされる原因の一つは深部体温の高さにあるとの指摘も(女性のうつ症状として冷えが挙げられる)あます。入浴後の深部体温の低下に合わせて寝ると寝付きが良くなるようです。早寝早起きを励行しましょう。
※睡眠のリズムが狂っているひとは朝日を浴びることで体のリズムをリセットできるといいます。逆に
就寝時刻に強い光を浴びると生体リズムは2~3時間遅れるそうです。
参考動画
◎次期ノーベル賞候補×成田悠輔 「失われた30年の原因は国民総寝不足?」「日本は自覚できていな
い睡眠障害者であふれている」世界的権威柳沢正史教授と成田 研究者同士のガチ対談!
夜明け前のPLAYERS公式 2023/12/01 36:30
健康になるための質の良い睡眠を十分な量、とるにはどんなことを心がけたらよいのか、最新の成
果を踏まえて睡眠研究の世界的権威である柳沢先生が分かりやすく説明してくれている。非常に役
立つ内容なのでぜひ視聴していただきたい。
◎【最強の睡眠術】睡眠学の権威に53の質問/「黄金の90分」で質が決まる/記憶力アップ/体温
の調節がカギ/睡眠不足の病気リスク/就寝90分前に入浴/靴下を履いて寝るな【スタンフォード
大学教授 西野精治】 PIVOT 公式チャンネル 2023/11/10 32:24
◎落合陽一】国民病の「不眠」 良かれと思ってしがちなNG行為は?ブレークスルー賞・柳沢正史が
「睡眠」を徹底解説!“努力でショートスリーパーになれる”は『全部ウソ』
NewsPicks /ニューズピックス 2022/11/10 15:53
◎【落合陽一】睡眠不足でどんどん太る、認知症リスクが4倍に!睡眠の世界的権威、柳沢正史が解説
「朝までエアコンが体に悪いは、都市伝説」不眠に悩む人が「長くベッドで過ごしてはいけない」訳
とは?[再編ver] NewsPicks /ニューズピックス 2023/03/27 14:51
最新の睡眠研究の概要は柳沢先生が登場する二つの動画で知ることができる
◎【漫画】眠れなくなるほど面白い 自律神経の話【要約/小林弘幸】
フェルミ漫画大学 2021/01/22 10:58
人が無意識のメカニズムに基づいて活動している側面に注目出来る。顕在意識だけでなく、身体や
潜在意識の重要性に気付くことで体から心へのアプローチが可能となる。心理療法、運動療法、食
事療法の理解に役立つ。
○[英語ニュース] 睡眠が記憶に与える影響|マシュー・ウォーカー| Matthew Walker |日本語字幕
| 英語字幕 | Gariben TV 2021/10/01 5:23
睡眠の大切さを短時間で興味深く説明
◎[サイエンスZERO] 夢に意味はあるのか?なぜ忘れてしまうの?夢研究の歴史と新発見 | NHK
2022/04/09 4:54
◎悪夢をなぜ見るか、解説します #不眠症#睡眠薬 #眠りが浅くなる原因
2021/07/02 精神科医がこころの病気を解説するCh 9:30
◎【快眠のために】「寝だめ」をするときの注意点!ベストな睡眠時間の確認方法とは?睡眠のウ
ソ・ホントを世界的権威・柳沢正史氏の見解(2024年10月18日)
MBS NEWS 2024/10/20 11:15
(2).記憶と人格
記憶はその保存期間から大きく3種類に分けられています。まず感覚記憶と呼ばれるもので、私達は大量の様々な感覚情報をとりあえず大脳皮質で受け取り、視覚情報の場合は0.1~0.5秒、聴覚情報で3~4秒の間だけとりあえず保存しているといいます。そのうちの複雑な情報は単純化されたり、多すぎるものは省略されたりする傾向があるようです(←錯視)。
また印象の強いものや本人が関心のあるものは強調されたりして側頭葉、そして海馬に回され、次の短期記憶や長期記憶として保存されることになります。短期記憶は30秒~数分間ほど保存されますが、多くは長期に記憶する必要の無い情報としてたちまち消去されてしまうものです。短期記憶の特色は一度に記憶できる容量が限られている点。個数で言うとその数はおよそ「七つ」程度で「マジカルナンバー7」として知られています(曜日、音階等)。
この分類表は記憶の階層にも則ったもので、顕在記憶は意識と関わる高度な記憶機能と位置づけられる一方、潜在記憶は生存に不可欠な要素が強く、下等動物に顕著な原始的記憶機能とされます。これは人間の成長過程にも適用でき、下の階層(手続き記憶~)から順に発達していくと考えられます。
一番遅れて発達するのがエピソード記憶なので私達は生まれてから3~4歳頃までの記憶は無い(これを「幼児期健忘」といい、海馬は新生児では未発達で2~3歳にならなければ完全に機能できない)といいます。
10歳頃までは意味記憶がよく発達し、単純な知識を大量に覚えこむことができます。その後はエピソード記憶が優勢になるようです。中学生の頃までは一夜漬けの丸暗記がある程度は効果的でしたが、高校生以降は理解して理屈を覚える努力や我が事のように感情移入し、エピソード化するといった工夫が必要ということになります。
学習の成果である知識の多くが「潜在記憶」に分類される事は要注意!手掛かりなしでは想起できない記憶なので、肝心の場面(入試etc)で度忘れしやすい性質を持っています。
参考記事
〇「記憶ちがい」は必然だったーー思い出すたびに「記憶は変容してしまう」理由
現代ビジネス 澤田 誠 の意見 2023.5.20
参考動画
○最高の記憶術!海馬を制する者は暗記を制す|しあわせ心理学
心理カウンセラー・ラッキー 2019/02/13 11:55
◎【脳科学で解明】脳は見えないものまで記憶する!? 海馬の錯覚『境界拡張』
を記憶術に応用する裏ワザ 解決の書棚 2025/05/13 24:11
学習の効率を高める上で記憶のメカニズムを理解することは必須であろう。視聴時間はやや長いが、途中で止めて質問できる授業展開を考えておきたい。特に動画の前段で二つの設問があるので、アンケート用紙を用意してそれぞれ回答させ、結果を集計して動画内の結果と比べてみると面白いだろう。
・エビングハウスの忘却曲線と暗記法
有名なエビングハウスの忘却曲線によると意味記憶を単純に暗記しようとしても人はたった一日で記憶した全体の四分の三も忘れてしまうようです。そこで長期的に記憶するためには「繰り返し学習」(復習)が必要となります。一説によりますと復習のタイミングは1日後、1週間後、1ヶ月後と三回行うのがベストだと言います。さらに恐怖や不安と言った情動と知識をリンクできれば意味記憶からエピソード記憶に変換しやすくなり、度忘れを防げるようになるかもしれません。
海馬の記憶容量を左右する細胞(歯状回の顆粒細胞)は脳の神経細胞としては例外的に増殖することが最近、明らかになってきました。ただしこの細胞は死滅するスピードも速く、3~4ヶ月ですべての細胞が入れ替わってしまうようです。おそらくこの細胞には過酷な負担がかかり、次々と細胞がリストラされるか、過労死していくようなのです(ただし脳の細胞は神経回路=シナプスを増やすことで記憶容量を増大させているらしいのですが)。
この細胞の死滅するスピードと増殖するスピードのどちらが上回るかによって記憶力の高低がかなりの部分決定することは確かなようです(なお海馬の記憶期間は長くても一ヶ月程度であり、それ以上の期間は側頭葉に保管)。
※ネズミの実験では親に毛づくろいをしてもらうなどの愛情を十分に受けた子ネズミは海馬の発達が良
く、記憶力も高いようです。「皮膚は露出した脳」といわれるように発生的には皮膚と脳は兄弟関係
にあるといいます。皮膚感覚は自己と外界との境界上に生じ、自己と環境との関係を直感的に捉えま
す。鳥肌が立つ、身の毛がよだつ、トゲトゲした…対人関係のアンテナとしても皮膚感覚は前適応を
とげていったのでしょう。人においても乳幼児における親子の肌と肌とのふれあいは脳の発達と心の
成長に大きく関わるようです。実験では妊娠中のネズミに対してストレスを与えると生まれてくる子
ネズミの顆粒細胞の増殖率が悪くなってしまうといいます。さらにやわらかいものばかり食べている
と顆粒細胞の増殖能力が減ってしまう、大勢と交わって過ごす方がよく増殖する、適度な運動や軽い
ダイエットも良いが、飲みすぎや心身へのストレスは悪い…といった気になる実験結果が近年、続々
と発表されています。
補足資料:学習のコツ
池谷氏は「脳のトリセツ」の中で以下のような学習の法則を挙げています。
①テスティング効果
英単語のテストに備えて・・・
Aグループ:単語をひたすら繰り返して覚えこむ
Bグループ:いきなり単語テストを繰り返す
成績が良いのは・・・Bグループ
出力の頻度が記憶力を決定する。物知りの人は「おしゃべり」。どんどんアウトプットせよ。
②ツァイガルニク効果
切りの良いところで勉強を終わりにするよりも中途半端な所で切り上げる方が良く覚えられる。予定の時間が来たら、悪あがきはせずにすぐに切り上げて何もしないで寝てしまおう。寝る直前にスマホなどを見てしまうと折角の学習が無駄になるだけでなく、寝付きを悪くしてしまう。
③言語隠ぺい効果
実験:六人分の顔写真を見せる。
Aグループ:一人一人の顔の特徴を挙げてもらう
Bグループ:ただ見せるだけ
一週間後どちらのグループが顔を覚えているか?・・・Bグループ
言語化することで言葉にできそうな部分に焦点が絞られてしまうため、顔の情報が歪曲され、正確な記憶にならなくなる。事件の目撃者が犯人の容貌を詳しく警察に報告するとかえって後で真犯人を見てもその容貌を思い出しにくくなる。言語化の落し穴に注意!
④シロクマ抑制目録
実験:5分間でシロクマに関する何かをできるだけ数多く想起させる。
Aグループ:何の準備もなく、いきなり想起させる。
Bグループ:あらかじめシロクマについて一切考えないよう5分間、努力させる。
どちらのグループがシロクマに関することを数多く想起できたか?
BがAの3倍も数多く想起できる。
←人は忘れようとすればするほど忘れられなくなる傾向。
「考えるな!」→「考えてしまう」
「忘れろ!」→「忘れられない」
忘れるためには無関係な趣味、スポーツに没頭させた方が良い。
学習のコツは学習内容の「繰り返し」だけではなく、情報の「インパクト」と「面白さ」「イメージ化」そして「整理・分類」にもあると考えられています。また情動を生み出す扁桃体が興奮すると海馬の記憶能力が高まるといいます。実際、エピソード記憶のほとんどは喜怒哀楽の感情が絡んで想起されるはずです。感情移入、共感能力の高さが問われるでしょうか?
さらに初めての場所に行ったり、初対面の人に会うと記憶力が活性化されるといいます。確かに何事でも初体験の事はよく覚えているように思えます。ということはチャレンジ精神旺盛な人は記憶力も良いはずです。
加えて興味を持つと記憶力が活性化するようです。面白い、楽しいという感情も記憶力を向上させるようなので、脳のメカニズムの観点から見ても学習には知的好奇心が最も大切となるでしょう。
視覚、聴覚、味覚、触角はすべて視床を通って大脳皮質に伝えられます。睡眠中は覚醒を防ぐために視床のゲートが閉じており、感覚情報は大脳皮質に届かないようにできています。しかし嗅覚は例外で、視床を経由せずに大脳皮質に届きます。このため睡眠中でも臭いは脳に感知されているのです。
ちなみに睡眠中に香を嗅がせて記憶力を高める試みは成功しつつあるといいます。学習中に特定の香りを嗅いでもらい、ノンレム睡眠中に同じ香りを嗅がせると海馬の活動が高まり、学習効率が上昇するという実験結果があるようです。
※「夢を叶えるために脳はある」(池谷裕二 講談社 2024)より
・無実の罪を自白させる実験:「万引きで警察に連行されたことがある」という偽の記憶を巧みな誘導尋問(一日40分間、三日続けて行う)によって7割ほどの学生に植え付け、虚偽の自白を引き出すことに成功。ただし尋問する人は学生との親密な関係を築き上げる一方で、具体的で詳細な内容を例に出しつつ、犯行の細部まで思い出すよう働きかける。また適宜、程よい沈黙の時間を設けて自白のタイミングを創り出す。つまりかなり熟達した専門家でないと3割以下の成功率となってしまうらしいが、人の脳の記憶は脆いがゆえに、人の記憶を書き換えること自体はさほど難しくはない。
効果的な学習とは…
・困難学習:楽に効率的に学習してしまったことはすぐに忘れてしまう。また容易に「わかった!」と感じてしまうと、人はもうそのことへの興味を失い、深く追及しなくなってしまいがち。むしろスッキリとは分からないモヤモヤをいつまでも抱えていた方が知識欲を維持し、思考停止、短絡的理解を防止できる。
・交互学習:内容的にまとまりのある分野を集中的に学習する方が効率的で理解しやすいが、実はそれでは好成績をあげられない。テーマを絞って単元ごとに学習する、文科省では推薦される「ブロック学習」よりも、単元横断的に勉強する「交互学習」(国語教育の世界では古典となっている大村はま先生が取り組んだ単元学習の授業は「交互学習」に近いと思われるが、いかがだろう)の方が好成績をあげられるようだ。「交互学習」では「ブロック学習」に比べて達成感や「わかった!」という快感が乏しく、生徒たちに不安が残る学習である。にもかかわらず、成績が良いのは「困難学習」と同じ理屈であろう。脳は分かってしまったことへの興味を失う傾向を持つようである(学習内容へのモヤモヤ感を残す授業の工夫がむしろ必要なのだ。したがって討議形式の授業では明確な、誰もが納得できる、スッキリとした結論にたどり着く必要などない!むしろモヤモヤを引きずることの積極的な意味を教師は生徒たちに説明すべきなのだ)。
後編に続く