その1.この世界はイリュージョン?

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

  

   今回の記事はこれまでに私が試みてきた中で最も反響が大きかった、それなりに実

績のあるネタになります。通常は「現代社会」や「倫理」の最初の授業で使ってきたとっておきのネタです。特に女生徒の受けは抜群。「こんな社会科の授業、受けたことがなかった!」「どんな展開になるのかワクワクした」などと授業後、興奮しながらワザワザ私の所まで感想を言いに来る生徒達もいました。導入の仕方にもよりますが、上手くいった時にはまるで手品でも見るかのように目を丸くして生徒達は錯視画像などに見入ることになります。難しい理屈は後に回し、まずはパワーポイントなどを使って錯覚体験させてください。ただし最初の口上は当然、重要です。どのような口上にするのかは置かれている状況によってかなり異なるでしょう。実は私も一度だけうっかり口上をサボってしまい、授業全体が惨めな空振りに終わってしまった経験が一、二度あります。注意すべきは「社会科」であるにも関わらず、「理科」的な教材を扱う点。社会科の授業で錯覚を生徒に体験してもらうには、それなりの理由を予め簡単に説明できなければなりません。どんな口上が良いのか、是非、皆さんも考えてみてください。

 錯覚体験の目的は大雑把に言って以下のように整理できると考えております。

 

錯覚体験の意義とは?

・視覚における不思議体験を通じて脳の巧妙な働きに気付いていく

・物事の認識の土台となる感覚、知覚、認知の仕組みのメカニズムを知る

・知覚、認知のバイアスを知り、自分の判断の誤り、偏りに気付く

・ヒトの心、意識の働きを知る=ヒトの行動や学習に関する基礎知識を得る特に無意識的に働く脳のメカニズムを知ることでヒトの心の身体性に注目させる

→認知行動療法やマインドフルネスの理解へ、さらにはVR技術やAIとロボットの問題などにつなげていくことも視野に入れる

 

 以上で記した錯覚体験の意義は、これ以降ご紹介していきますいくつかの心理ネタを通じて最終的に理解できるように展開を組立ててきました。したがってこのネタを最後まできちんと展開しようとするならば合わせて授業時数で10時間程度は必要となるはずです。ただしほとんどの場合、そこまでやる必要は無いでしょう。あくまで導入として4月当初の2~3時間ほど当てることができれば十分だと思います。その場合にはこの理系ネタを社会科の授業で扱う理由として以下の二点を生徒に説明できれば宜しいかと考えます。

 

・今や教科や学問の狭い枠を超えた技術や知識が広く要求される時代

 →コンバージェンス(融合)の時代:「2030年すべてが加速する世界に備え 

  よ」(P.ディアマンディス、S.コトラー 2020年 ニューズピッックス)より

・心理学は文系と理系をつなぐ領域をカバーする学際的学問の一つ

 →すべての人が学んでも損はしない・・・行動経済学の発展とノーベル賞

 

 授業の導入として最初に以下の3つの実験をやってみます。

1.ブラインドスポット(盲点)…この世界、実は穴が開いています

 ①視覚障がい者の有無を事前に確認(色覚障害も)

 ②右目で行う場合は右手の親指に円形の色付きシール(色は目立つ色が好ましい。

  直径5~8mm程度のものを事前に配布)を親指の爪の真ん中に貼らせる。丸い

  色付きシールは百均、文具店などで大量かつ安価に購入可能。

  以下、右目で行う手順で説明(左目で行う人は左右の指示を逆に)。

 ③左目を左手でふさぐ。

 ④親指を立てさせ(「Good!」のポーズ)、右手を水平の高さでまっすぐ前方

  に伸ばす。左目は実験の最後までふさいだまま

 ⑤右目をまっすぐ前方に向けたまま、右腕を右方向、水平にゆっくりと動かしてい

  く。手の動きを目が追わないよう、右手の高さが上下しないよう繰り返し注意

  る。右に10cmを越えたくらい…親指に貼ったシールが視野から消えたところで

  一旦、腕の動きを止まらせる。そこからまたゆっくりとシールが再確認できる位

  置まで右腕を右方向に動かしていく。

 ⑥右目をまっすぐ前方に向けたまま、右手を下におろし、シールが消えた視野の領

  域に果たして「穴」が開いて見えるのか、しっかり確認させる。

 ⑦腕を下した時、視野に欠損があることを私たちはなぜ視認できないのか、その理

  由について考えてみる。

 

 目は外界から入ってくる様々な光刺激を網膜内の沢山の視細胞が各々分担(明暗、色、形状など)しつつ受け取り、それを電気刺激に変換して脳の視覚中枢などへ送り届けている。網膜は眼球の奥にあたかも曲面上のスクリーンとして張り巡らされ、外界を写し取っているが、実はスクリーンの一か所、光刺激を感受できない小さな「穴」(視神経乳頭)が網膜の中央近くに開いている。そのスポットでは光刺激を受け取った視細胞たちが情報を脳に送るため、一本一本は極細の、いわば「電線」のような組織が網膜の表面に集結し、大きな束を形成して網膜内の「穴」を通じて脳に向かう形で「配線」「送電」されているのだ。このため「穴」自体には配線の束しか存在しておらず、光刺激を感受できないので当然ながら視野にも相応の「穴」が開いていることになる。しかし不思議なことに私たちは片目で見ていても視野に「穴」が開いていることを認識できない。本来あるはずの視界の「穴」は視野の欠損を嫌う脳がいつの間にかブラインドスポットの周囲の色素材を使って瞬時に「穴埋め」「補填」をしてしまっているようなのだ。この実験の最大のポイントは脳が瞬時に、かつ自動的に視野の穴を補填してしまうこと、しかも私たちはそれすらまったく自覚することができない…という事実に気付かせる点にある。もしかしたら私たちが見ている世界はその多くが私たちの創り出した世界、仮想現実そのものなのかもしれない

 意識できないほどの爆速で働き続ける、深遠なる脳の機能を知るための巧妙な工夫の一つがこのブラインドスポット実験。

 

2.「薬指のクーデター」実験…身体感覚の錯覚

 実験を体験したい人を男女別で各2人ないしは4人募り、男女別にそれぞれ二人一組のグループに分ける。体験したい人が多い場合でもとりあえず男女各2組までに制限する。体験できなかった人は授業中でなくとも休憩時間など、後で短時間かつ簡単にできるので授業中はしっかりと実験を観察して手順を覚えてもらい、自分たちだけで休み時間にやってみるように指示する。

①   体験しない生徒たちは自席から立ってなるべく観察できる場所に移動し、立った

 まま、特に実験手順に注目しながら観察を続ける。

②   体験生徒が決まれば教室の前に集合させ、各グループ、ジャンケンで実験者と体

 験者(被験者)の二手にわかれる。

③   分けたらグループごとに机の角、黒板に向かって左側前方の角を挟んでイスを置

 き、実験者と体験者とが直角に隣り合うようにして座らせる。なお、実験者は黒板

 に向かって机の左手側、体験者は机の黒板側に座る(体験者は教室の後方を向いて

 座ることになる)。

④   二人とも左手を机上にてのひらを伏せた形で置き、お互いの薬指の先端が触れる

 直前まで左手どうしを接近させる。

⑤   実験者は右手を膝の上に置く。体験者は右手を机上にあげ、人差し指の先、指の

 腹部分を自分の左手薬指の第一関節付近、そして中指、薬指、小指の先の腹部分を

 実験者の左手薬指の第一関節~第二関節付近に押し付ける。

⑥   体験者は目を閉じて、指を押し付けた相手の指と自分の指の第一関節付近を同時

 にグリグリと回転させるよう、繰り返し、繰り返し動かしてみる(あたかも鉛筆や

 ペンでも転がすようなイメージで指の腹をしっかりと押し付けながら右手全体を前

 後に細かく一定のリズムで動かす要領)。

⑦   体験者は目を閉じたまま、右手の人差し指と中指、薬指、小指を引き続きグリグ

 リさせつつ、机に置き、グリグリされている自分の左手の内、一番長い指はどれな

 のか、自問自答してみる(目を閉じたままの状態で、特に左手の中指と薬指の長さ

 のズレに関する感じ具合を頭の中で想像)。

⑧   この実験の結果(薬指が一番長く感じたか否か)と感想を体験者に確認後、実験

 者と体験者を交替させて同じ手順でもう一度、実験を繰り返す。

⑨   最後にこの実験を経験したくなった見学者数を挙手させて確認。

 

 本来は中指が一番長いはずなのだが、グリグリしている内にやがて自分の薬指と実験者の薬指が一体化し、一本につながったように感じてきたら錯覚体験は成功。ただし3割前後の人はこの錯覚を体験できない可能性があることを授業の終わりで必ず指摘しておきたい。

 この実験は「からだの錯覚~脳と感覚が作り出す不思議な世界~」(小鷹研理

講談社ブルーバックス 2023)に紹介されているもの。本書では他にも驚愕の体験が味わえる実験がたくさん紹介されています。ぜひ、ご一読下さい。

 

3.直観的判断と数学的真実との乖離

 本来、数学としてはそれほど難しくないはずの問題が、ある条件下では難解な印象を覚えてしまい、途端に正答率が下がってしまうケースを二つ、紹介する。二つの課題チャレンジを通じて時折、私たちの直観的認識、判断がいかに危うい推論、間違った思い込みで成り立っているのか、体験してみたい。

①   ギャンブラーの誤謬

 カジノでルーレットをしているギャンブラーの立場になってみよう。次のケースでは当たる確率をどう判断し、どの色に賭けるべきなのか?

 ※ルーレットとは回転する円形の盤の端に玉を落として数字の記された枠の内、半分は赤枠、残り半

  分は黒枠。どちらの枠内に玉が入るかを予想させる比較的単純な遊び。

1ゲーム目は黒枠、2ゲーム目も黒枠、3ゲーム目も黒枠、4ゲーム目も黒枠、何と5ゲーム目も黒枠であった場合、6ゲーム目はどの色に賭ける?

 問1.「6回連続で黒枠に入る確率は?」

   正解:2の6乗分の1=0.015625=1.5625%

 問2.「6回目に黒枠に入る確率は?」

   ア.  黒枠の方が高い。

   イ.  赤枠の方が圧倒的に高い。

   ウ.  どちらも同じ確率。

   …正解:5どちらも同じ50%の確率なので答えは「ウ」。

 「もうそろそろ赤枠に入るだろう」というありがちな読みは完全な間違い

 

②   モンティ・ホール問題

 A~Cまでの3枚の扉があり、3枚の扉の内、一つだけ扉の向こうに賞品が置いてある。ある回答者がAの扉を選んだ時、答えを知っている出題者がその回答者に大きなヒントをあげるべく、Bの扉を開けてみせた。もちろんBには賞品が置いてなかった。その後、出題者は改めてAかCのどちらかをもう一度選び直しても良いと回答者に提案した。

 さて回答者はA、Cのどちらを選ぶべきか?次から選び、記号で答えよ。

.  二者択一の問題となったのだから、それぞれ賞品が置かれている可能性は50%で

 同じであり、A、Cどちらでも構わない。

.Aの方が賞品の置かれている可能性は高いのでAを選択すべき。

.Cの方が賞品の置かれている可能性は高いのでCを選択すべき。

  …正解:Aが当たりの確率は3分の1、Cは3分の2なので「ウ」

 これは普通の人の直観では特に理解しがたい「難問」として有名なもの。どれほど言葉で論理的に「ウ」が正解であると説明されても、直観的にはなかなか納得できない。しかしAを選ぶのか、A以外のB、Cのグループを選ぶのか、で考えると理解しやすくなるという。B,Cのグループの場合、全体で3分の2の確率で当たり。そしてBは外れであることが確定したのでCがグループとしての正解確率3分の2を単独で背負うことになる…さて、納得できた?

 納得できない方は以下の動画をご覧ください。

  数学史上最も議論を巻き起こした問題(モンティ・ホール問題)

   予備校のノリで学ぶ「大学の数学・物理」  2021/10/02 10:30

 

(1)錯視!驚きのワンダーランド

 以下、私が現代社会の授業用に作成したパワーポイントの画面を時折、使いながら10年以上鉄板ネタとして利用してきた錯視授業での教材例をご紹介いたしましょう。

 なぜこの錯視という現象を「心理学」の最初に取り上げるのかの説明も必要となります。そこで10年余り前に千葉県立東葛飾高校のリベラルアーツという特別仕立ての授業で使った講演資料の冒頭部分を以下、ご紹介いたします。

 

はじめに

 ・・・「錯視」という言葉から皆さんは何を連想されるでしょう?

 錯視現象には様々な種類があるので必ずしも一概には言えないのですが、少なくとも錯視を「視知覚の誤作動」とばかり捉えるのは一面的過ぎるようです。錯視は単なる視知覚の誤りではなく、「脳が限られた時間と情報を元にして外界をできる限り正確かつ瞬時に認識するために進化の過程で発達させた知覚システムの副産物」といったように捉えるのが一般的なのです。不思議と驚きに満ちた錯視体験はそうした脳の機能と知覚システムの素晴らしさを楽しく体感でき、理解させてくれる、格好の素材の一つでしょう。また錯視の理解を通じて脳の情報処理におけるある種のクセを知ることはついつい陥りがちな私達の認識の偏りや過ちを見直すうえでも少なからぬヒントを与えてくれるはずです。さらには錯視の解明から見えてくる脳のメカニズムは人の「心」の成り立ちや「自由意思」についても哲学的に深く考えさせてくれる大きなきっかけになります。錯視を突破口にして開けてくる世界は予想外に奥深く、幅広いのです。

 錯視研究は近年、急速に進展してきています。脳の研究の最先端とも関わりが深く、脳の解明に伴って錯視のメカニズムもまた解明が進んできているのです。とはいえまだまだ解明されていない錯視現象が数多く残されているようです。逆に視覚機能を含めた脳の仕組みは錯視の謎を一つ一つ丁寧に解いていくことで今後新たに解明される部分が多いに違いありません。

 驚異的な成果を挙げつつある、近年の大脳生理学、医学、薬学、心理学等の先端知識は私達、門外漢でも十分、興味深い内容であり、面白くかつ役立つ知識だと思います。そこで今回はそうした最先端の研究成果を分かりやすく紹介して下さっている心理学の北岡明佳氏、下條信輔氏や薬学の池谷裕二氏らの著書を参考に、錯視を突破口にして見えてくる科学の最先端の魅惑的で知的興奮に満ちた世界を少しだけ垣間見ていきたいと思います。ただし今回の道案内人はかなり頼りない人間ですので悪しからず。むしろそこがドキドキハラハラ…かえってすごい冒険になるかもしれません。ひとまずは…乞うご期待!

 では、以下、主に立命館大学の北岡明佳先生の錯視作品を「北岡明佳の錯視のページ」というホームページから幾つかピックアップしてご紹介いたします。

 論より証拠、まずは体験してみましょう。ほとんどは立命館大学の北岡明佳先生が作った錯視図形です。左は格子模様ですが、やけにクネクネしているように見えるでしょう。でも定規を当てると正方形の組み合わせなので、本来は四角が直線的に並んでいるはず。右はクレーンの鉄骨のような骨組みが平行に並んでいるのですがどれもが傾いて見えてしまう錯視です。

 私たちの視覚は無意識のうちに人類の都合に合わせ、一定の法則に従って物事を歪めて見てしまうよう出来ているのです。それが錯視現象の大きな原因の一つと考えられています。

 静止画像なのに動いて見えてしまう錯視図形を紹介しましょう。上は「ヘビの回転」という題で世界的に有名になった錯視図形。一つの模様を見つめると周囲の模様がグルグル回転し始めます。見つめた部分だけが静止します。いわゆる「周辺視」で生じる錯覚です。もちろんこれは動画ではありません。

 動いて見えてしまう錯視はけっこうインパクトがあるのでもう一つ。左の錯視では色の濃さ、明度の違いを計算して配色すると一定方向の動きが視覚の中で生まれます。右は円内の格子模様が陽炎の如く揺らめいて見えます。

   中央の球体が背景から浮き出たように立体的に見えると同時に背景や球体が少しずつ揺れて見えます。

   これらも立命館大学の北岡先生の作品です。左は斜めの直線がクネクネと曲がって見えてしまいます。右は格子の白い交差点のところが白黒にせわしなく点滅(シンチレーション)します。

   これも先ほどの錯視と同じですが、非常に強力な錯覚をもたらします。北岡先生の作品ではないのですがご紹介いたしましょう。AとBとは中央部を除くと完全に同じ色で同じ明るさなのですが、まったくそうは見えないでしょう。

 でも疑うのならAとBの中央部、地平線の部分に太めのバーをあててみてください。驚きの結果です。まず脳はBの部分を日陰となっていると見なします。そして瞬時に日陰の割には黒くない(暗くない)ので相当、白い(明るい)面なのだと判断し、そのように色や明るさを補正してしまうのです。明るさの恒常性とも関わる錯視と言えるでしょう。私たちが今見ている世界は100%完全な真実などではなく、どこかが必ず「歪んでいる世界」なのです。

   恒常性には「大きさの恒常性」、「位置の恒常性」(手ぶれ補正のような効果)「色の恒常性」など、多くの種類があります。脳は急激な変化をともなう特定の知覚対象を同一のものとして認識し続けるために感覚情報の処理過程の中で様々な補正を加えてしまうと考えられているのです。すなわち種々の知覚の恒常性のおかげで瞬時に補正されることによって、たとえば激しい動きの中においても私たちの視界はある程度までは安定し、とりわけターゲットを見失わずに済ませようとしているのです。私たちのこのような認識が可能となっている背景には各種の恒常性機能が縁の下の力持ちとしてオートマティックに働き続けている…という無意識的な脳の働きがあることを忘れてはなりません。

 北岡先生の作品に戻ります。藍藻(らんそう)錯視とよばれるもので強烈な錯視効果があります。左は四つの同心円、右は二つの同心円なのですが、どう見ても何度見てもそのようには見えません。私たちの視覚ではこれらの図が同心円であることに合点がいかないでしょう。

 私たちは世界を歪めて見ているのに、脳は頑なにそれを認めようとはしないのです。人類が抱えてきた根深い偏見、一向に減らない差別は案外、こんなところ(感覚や知覚レベル)から派生しているのかもしれません。

※北岡先生の錯視の作品は「錯視図形」で検索すると上位に出てくる「北岡明佳の錯視のページ」で沢

  山の種類が豊富に紹介されています。ぜひ、ご覧になってください。

 

   リバースパースペクティブと呼ばれる面白い錯視があります。自然界では顔がへこんでしまうという現象は滅多に起きません。従って顔と認識できるならばたとえへこんでいても膨らんだように見えてしまうのです(ホロウマスク効果)。クレーター錯視などと違って影の付き方とはまったく無関係に起きる錯視です。この錯視は肉眼よりも携帯、スマホで動画撮影した方がより効果的です。トラさんが切なげな瞳であなたを追いかけるように見つめてきます。

 首が回るように見えるというのも錯覚です。目がこちらを見続けるということは顔が向きを変え続けるからだと脳が解釈することで生じる錯視です。視覚情報が曖昧な時には、脳は幾つかの可能性の中から「現実世界で最も起こりうる解釈」をいつの間にか選びとるのです。

※トラの錯視は「イリュージョンフォーラム」でネット検索すると動画で視聴できます。またここから

   張り子のトラをダウンロードして自分で作成することも可能です。この錯視は見る角度によってはハ

   ッキリと確認できません。人によっては肉眼ではハッキリ見えないので、私は自分で12匹の張り子

   のトラを作成し、自分が動きながらスマホで動画撮影してパワーポイントに取り込んでから生徒に見

   せまし た(上の写真)。ただし動画の視聴よりも生徒に生の体験をさせた方がより効果的ですので、

   面倒ではありますが、トラの張り子をダウンロードして打ち出し、手順に示されたとおりに作成して

   みてはいかがでしょう。教室に展示して生徒自身のスマホで動きながら撮影してもらうと最大の効果

   を期待できますし、繰り返し体験させることが可能となります。

 

   人には他人を「見た目」で無意識的に判断してしまう傾向のあることが認知心理学で指摘されています。そしてそれがいわゆる認知バイアスとなって人間の適正な判断を妨げてしまうことがあると言われます。またこの安直な判断は外見による偏見や差別を助長する心理的メカニズムともなるでしょう。

   とは言え、ジックリと相手を観察する余裕が無い場合にはこうした手抜きの判断の迅速さが役立つことも無いわけではありません。つまり認知機能の節約と即断即決という、プラス面も認知バイアスにはあるのです。だからこそ認知バイアスははびこってきたのであり、頭では間違いかもしれないと分かっていてもバイアスを意識的に取り除くのは至難の業となってしまうのでしょう。

   これと同様に薄暗い森の中を俊敏な動きで樹上を移動していたサル達から受け継いだ人の視覚機能は様々な視覚情報を元に瞬時に判断する(=知覚する)能力を備えているようです。ですから「クレーター錯視」(これもネットで検索してみてください)のように影という僅かな手がかりから瞬時に凹凸や位置関係を決めつけてしまうのではないでしょうか。つまり視覚情報のすべてを総合的に判断しているとその処理に多くの時間がとられてしまい、サルはなかなか向こうの枝までとび移ることが出来ない事になってしまうのです。

   池谷裕二氏はヒトの脳の基本設計が「いかに時間をかけずに少ない情報から即断できるか」を課題としてなされてきたため、情報が多いと却って情報を上手に利用できなくなる傾向があると指摘しています(「寝る脳は風邪をひかない」P.16~17)。

 

 もう一つ、視覚に関する面白い実験をご紹介いたしましょう。次の逆さメガネの実験は、今、私達が見ている世界が客観的な物理的世界だけに止まらず、主観的な記憶を加味した映像作品、VR(仮想現実)的世界でもあることを窺わせる発見です。この実験では逆さメガネをかけることで目に映っていた逆さまの世界が、3週間ほどのトレーニングによっていつの間にか正立し、人によってはついに逆さメガネをかけたまま自転車に乗ることまでを可能にしたという驚きの結果をもたらしました。

   実験では外界が逆さに映る眼鏡をかけさせて大学生に生活させたところ、最初の頃は上下逆さまの世界に適応できずに多くの学生は立ち往生してしまったといいます。日常の些細なことにも支障をきたし、しばらくは混乱状態が続きましたがそれでも一週間、二週間と逆さ眼鏡で生活させてみるとついには自転車をこげるほどに「逆さの世界」に適応してしまうのだそうです。逆さ眼鏡をかけていた人は最初の内は上下逆さまの世界に見えていた外界が試行錯誤を続けるなかでいつの間にか逆さまではなく、正立した通常の風景に見えるようになったといいます。しかし体の動きを厳しく制限された別のグループはいつまでたっても逆さの世界に適応できず、立ち往生するばかりだったようです。

   「逆さメガネ」の実験から分かるように「正しい」という感覚を生みだすのは「どれだけその世界に長くいたか」ということ。網膜上で逆さになった世界を「正立」していると認識するのは、その世界に長く住んできたからであって、そういう経験の記憶が正しさを決めているのです。つまり記憶の中身次第では「正しさ」の基準がひっくり返ることだってある…ということです。

   生まれたときから目が見えなくて成人してから開眼手術をうけたばかりの人が外界をどのように「見る」のか、興味深い事例がいくつか報告されていますが、いずれも生まれつきの晴眼者とは違って最初は外界が「光と色の混ざった、わけのわからない、理解不能なもの」としか目に映らないようです。人が視覚でとらえたものをそれと認識し、その情報に基いて適切に行動するには探索的な活動の積み重ねによって蓄積されてきた様々な知覚、経験の記憶体が備わっていなければならない…と最近では考えられてきています。

   「あ」を書かせる課題は「30秒以内で三つ、書けたら後でジュースを驕るから誰かチャレンジしてみたい人、いる?」・・・などとチャレンジをそそのかして黒板に大きく書かせてみます。大抵は運動部の陽気な男子などが喜んで名乗りをあげるのですが、ほとんどが30秒以内で出来ずに頭をかいて俯いてしまいます。私は慣れていますので10秒前後で書けてしまいますが、もしも両手を使えれば数秒で書けてしまうでしょう。オーケストラの指揮者がそうであるように両手は同時になら左右対称に動くことを得意とするのです。

   一見、簡単そうに見える課題ですが、コツを知らないと誰でもかなり苦戦します。中には一分経っても「左右逆さま」までしか書けずに諦めてしまう生徒が少なからずいます。上下左右逆さまの図がなかなか思い浮かばない生徒は予想以上に多いのです。なぜこんな簡単な課題をすぐに出来ないのか、おそらく多くの生徒は不思議がるでしょう。

   人の視覚は逆さメガネの実験でも明らかにされたように逆さの世界に適応するにはかなりの時間を要するのです。ですから逆さ文字だけでなく、逆さで目の前の人物の似顔絵を描くことも相当、難易度が高いはず。

   心理学の実験では「鏡映描写」と呼ばれる意地悪な課題があります。手元には普通の紙が置かれていて紙に印刷された☆印の輪郭を鉛筆でなぞるように指示されます。ただしなぞる際には必ず正面の鏡に映された自分の手と☆印を見て描くよう、指示されます。もちろん目を閉じて描くのはルール違反になります。たかだか☆印をなぞるだけの課題が無茶苦茶難易度の高いものに感じるでしょう。おそらく手はジグザグしてしまい、幾度も輪郭をおおきく外れそうになるのでなかなか先に進めなくなります。

   なおドイツ製の逆さメガネはネット(アマゾン)で購入できますがパワポの写真のものは12万円近くしますので私は購入を諦めました。この「あ」を書かせる課題は逆さメガネ実験のちょっとした代用として私が考えついたものです。少なくとも逆さの世界の難しさをお手軽に体感できる実験としては役立つでしょう。「あ」を書かせる課題では二次元平面世界での逆さが3種類あることに気付きます。しかし鏡映描写の実験では三次元立体空間での逆さ、すなわち手の動きの中で前後の逆さも加わるのでかなり厄介。「逆さメガネ」の実験とほぼ同様の極めて難易度の高い課題になるのです。

   自分の見えている世界と実際の世界とが逆さまの関係であるとき、人の脳はしばらくの間混乱を余儀なくされます。しかし2~3週間、逆さの世界で生活すると、不思議なことにそれまで逆さに見えていた世界が正立して見えてしまう。つまりその時に見えている世界は脳の働きによって創り出された映像作品であり、必ずしも単純な物理的世界の反映ではないことが分かるのです。

 

   この授業は次の「見える・・・という事とは?」を締めの言葉とし、ひとまず一区切りとしてきました。

 

   何はともあれ私達は外界を決してありのままには見ていないようです。「見る」とは単純に「目に何かが映る」といった受身の現象などではなく、もっと能動的、創造的な営みなのであり、脳の働きを通していろいろな情報操作が無意識のうちに行われてしまっている、きわめて複雑で高度な現象だと考えるようになってきています。

 網膜に入ってくる光刺激は視覚を生み出す情報の2~3割程度に過ぎないといいます。残りの7~8割は外の視覚世界とは無関係な脳の内部情報が決め手となっているようなのです。人間の視覚野は大脳皮質全体の三分の一も占めているのもうなづけますね。

   確かに視覚の情報処理には的確さだけでなく、かなりのスピードが要求されます。次から次へと休み無く大量に飛び込んでくる視覚情報を瞬時に取捨選択して分類し、ある程度までの類型化を施してしまうような、自動的な情報処理システムが私達の脳の中で長い時間をかけて発達してきたに違いありません。

 我々の先祖であるサルが木から木へと次々に跳び移れるのは複雑な視覚情報の高速処理システムの発達抜きには考えられません(なおサルの視覚野は大脳皮質の半分近くを占めるようです)。

 「錯視」とはサルから進化した人類のこうした類型化を伴うスピーディーな視覚情報処理システムの特性(=一種のクセ)から生じてしまうものと考えられるのです。

従って仮にVR技術、メタバース技術の進展の中でより人間の主観、実感に寄り添ったリアルな視空間を再現したいのであるならば、ある程度までは物理的な正確性を犠牲にして平均的な「錯視」量をケースバイケースで加減しつつメタバース空間に反映させていくことが必要となります。実際、スカイツリーを浅草の雷門近くで仰ぎ見た時の主観的大きさ、迫力は、物理的には正確なデジカメではどうしても掬い取ることが出来ない…海のかなたに沈む夕日に人間が感じ取る大きさ、迫力、色味は通常のカメラ仕様ではなかなか再現できない…すなわち単純な幾何学的遠近法で描かれたメタバース空間には主観的なリアリティーが欠如し、あまりにも人工的過ぎる印象が避けられないのです。

   そして視覚のみならず、触覚、聴覚、味覚、嗅覚などの五感までもリアルに感じ取りたいのであるならば、それらの感覚同士の複雑な関係性を踏まえた各種の錯覚をも仮想現実に反映させる必要が出てくるに違いありません。より一層リアルなVR体験を追求するためには今後とも錯視をはじめとする錯覚の研究の積み重ねが必要不可欠となるでしょう。

※なお、実際の授業ではかつてこれ以外に「心理学ネタ編その6」で取り上げている「目は口ほどにもの

   を言い」も扱ってきました。時間的に余裕がある状況ならば錯視のところで触れてみると良いでしょ

   う。また錯視現象を明確に感じてもらうためにはパワーポイントのアニメーション機能を使った方が

   より効果的な場合があります。たとえば北岡先生の代表作とも言える「ヘビの回転」はアニメーショ

   ン機能を用いて右下の円の中心部に赤い円をゆっくりと入れていくと見ている人の視線がそこに誘導

   されることでその部分の回転錯視が消えていき、静止画像に見えていきます。同時にそれ以外の場所

   が周辺視になることによって回転するように見えてきます。これを体験してもらうことでこの錯視現

   象が「周辺錯視」(視野の中心部ではなく、周辺部で生じる錯視のこと)に属することが分かっても

   らえるでしょう。強烈で頑固な「藍藻錯視」も同心円の一番内側の円に緑の円をアニメーション機能

   でゆっくりと入れていくと、この図が同心円であることを納得できるようになるはずです。よく紹介

   されるミューラー・リヤーの錯視なども色の付いた線を用いれば分かりやすくなります。

      是非、皆さんでパワーポイントによる錯視図形の呈示の仕方をいろいろ工夫してみてください。

 

参考動画

【錯覚の謎】なぜ脳はだまされるのか?「錯覚」から見える脳の戦略 | ガリレオX

  第51回 ガリレオ Ch 2021/11/15  25:47 (2013年4月放送作品)

【心を世界に投射する!】プロジェクション・サイエンス  見えないものを見、存

   在しないものを感じる知性の不思議 | ガリレオX第185回

   ガリレオ Ch  2023/01/16 25:47

参考記事

あなたには、この12個の点が見えますか? 世界中が首をひねる【目の錯覚】

   ハフポスト日本版 の意見 2024.2.16

 ここで紹介されている錯視図形も非常に興味深い。ぜひ、生徒たちに紹介して欲しい。見えないはずの何かが見えてしまう錯視(きらめき格子…)とは逆に見えるはずのものが見えなくなってしまう錯視で、いずれも周辺視で生じていると思われます。

「失明しそうな人」だけに現れる不思議な症状【眼科医が解説】

   幻冬舎GOLD ONLINE 平松 類  2021.9.30

   失明間近の人には稀にその場所にあるはずのないものが見える、という不思議な症状が現れることがあるといいます。気味悪く思ってしまい、患者の多くは家族にも言えずに黙ってしまうため、正確な統計がないのが現状で発見者の名を取って「シャルル・ボネ症候群」と言われているとのこと。

   見えるのはそこにあるはずのない物だったり、人だったり。「見える時間もまちまちで、ほんのちょっとの間だけ見えたという人もいれば、数日間にわたって見えていたというように時間が長いこともある」ようです。原因は正確には分かっていないようですが、視覚処理のために働く脳内の電気信号の仕業だと考えられているとのこと。つまり目が見えなくなった分、眼球から電気信号が送られなくなった代わりに脳が勝手に記憶している画像を脳の視覚野に送り出している、ということでしょうか。また「夢」で見る映像も眼球を介さない点でよく似た現象と言えるでしょう。

 

補足:「からだの錯覚~脳と感覚が作り出す不思議な世界~」

      (小鷹研理 講談社ブルーバックス 2023)より

   視覚ではなく、身体感覚や自己イメージに関わる錯覚ですので視覚に絞ったテーマとは多少ズレてしまいますが、実際に体験するとその余りの不思議さ、不気味さに誰もが大きな驚きを覚えるはずの錯覚です。授業で実験すれば生徒たちの反応が爆発的に盛り上がること間違いなしのオススメ体験ですのでこの分野の補足としてここでごく簡単にご紹介いたしましょう。多くは二人一組で行い、短時間かつ素朴な道具立てできるお手軽な実験。「指が長く伸びていく」「手の甲の皮膚がグニョーンと伸びていく」「ゴム手袋が自分の手のように感じてくる」「他人の指や手が自分の指や手のように感じてくる」「自分の手、指が勝手に動いているように感じる」「自分の指が自分の指ではなく、半ばソーセージのような物体に感じてくる」といった、驚愕の不思議体験の数々を味わうことが可能となります。しかもこれらの体験は深遠なテーマである「意識」や「自我同一性」などへの興味関心をかき立て、人間への理解をきっとより深めていくことにつながるはず。ゴム手袋や鏡などの道具が必要となる実験もありますが、多くは100均で入手できる道具で、準備にさほどお金と労力はかかりません。生徒の興味関心が強い「金縛り」や「幽体離脱」現象、今後の発展が大いに期待されるVR(仮想現実)やメタバース技術、ゲーム技術などとも深く関わる分野ですので、一部の生徒たちの進路にも参考となるでしょう。ぜひ、授業を通じて生徒たちに体験させてあげたい実験です。

※参考記事

「金縛り」はその予兆だった…「幽体離脱」を引き起こす「2つの原因」

    現代ビジネス 小鷹 研理 の意見 2023.4.30

なんと手術中に「麻酔」が解けた女性…「壮絶な痛み」のなか「限界状況」で彼女

   に起こったまさかの「幽体離脱」現代ビジネス 小鷹 研理 の意見 2023.4.30

友達の手が自分の手のように感じる? ちょっと不気味な「からだの錯覚」の世界

   BOOKウォッチ の意見 2023.5.8

自分の足なのに「痒い」けれど「痒いところ」がわからない…「視覚」と「触覚」

   の一致が「自分のからだ」と認識させていた!

   現代ビジネス小鷹 研理 の意見 2023.5.29

   「金縛り」や「幽体離脱」と呼ばれる身体感覚や自己イメージにおける錯覚のメカニズムを「世界と

   自己の消失を回避しようとする意識の働き」として説明しようとする興味深い考察。特に余りにも強

 過ぎる痛みや恐怖から自己を守るために一定の肉体的感覚を鈍麻させて肉体と自意識とを少しだけ乖

 離させ、言わば強烈な痛みにさらされて危機に陥った自意識のシェルターを作り出そうとするメカニ

 ズムこそが「幽体離脱」として捉えられてきたのではないか、とする見方。これは解離性同一性障害

 (多重人格)の発生メカニズムを説明しようとする仮説の一つと重なるようで非常に興味深い。

  小鷹氏が紹介する「トントンスワップ」実験は二人組で実験可能なので、ぜひ、生徒たちに体感さ

 せてみたい。社会科の授業でこうした実験を取り入れると理系文系や教科の枠を超える事の重要性や

 楽しさをも体感させることが出来るはず。有名な「ラバーハンド錯覚」の実験(100均のゴム手袋と

 綿、仕切り板などを用意する)や「インビジブルハンド実験」(仕切り板用意)、「ボディジェクト

 の指」実験(四角い鏡用意)、「スライムハンド実験(鏡とスライム用意。最も衝撃的な体験ができ

 るといわれている)などは生徒からの反響がとりわけ大きいことが予想され、授業で体験させたいイ

 チオシの実験。

  一人で出来る実験としては「薬指のクーデター」実験もお手軽でオススメ。実験の詳細は「からだ

 の錯覚~脳と感覚が作り出す不思議な世界~」(小鷹研理 講談社ブルーバックス 2023)を参照の

 こと。また身体感覚をめぐる錯覚はこのブログの「その2:VRの科学と水槽の脳」とも深く関連する

 内容なのでそちらもぜひ参照してみてください。

子どもの発達障害で多い“五感の感覚過敏”、理解したい「世界の感じ方の違い」

 ダイヤモンド・オンライン 岩瀬利郎 の意見 2023.4.29

音が痛い、文字が見えない…「ギフテッド」ゆえの感覚過敏で「もうがんばりたく

 ない」と話す10歳少年の苦しみ AERA dot. オピニオン 2023.5.28

「同じ世界に生きているけど全然違う世界を見ている」 IQ130「ギフテッド」の息

 子に母が言った「がんばらなくていいんだよ」の言葉 

 AERA dot. オピニオン 2023.5.27

 

 この分野の授業をする際に、特に教師が注意すべきは誰にでも同等に錯覚が感じられるものではなく、しかも少なからぬ人が錯視やその他の錯覚を体験できないという事実。とりわけギフテッドの子や発達障害者の場合、視覚だけではなく五感に独特の感じ方が生じてしまう場合が見られる点には十分留意すべき。上で紹介した身体的感覚に関わる錯覚も小鷹氏によれば健常者であっても1~3割の人が錯覚を体験できないらしい。ただし「スライムハンド実験」の場合、錯覚が体験できない人は数%にとどまり、その錯覚体験の衝撃度は突出しているという。ならば準備に大した手間がかからず、手続きも単純で容易に実験できる「スライムハンド実験」は今後、中学や高校の授業を一気に活性化するためのイチオシの授業素材となると予想している。

 

参考文献一覧

「錯覚の心理学」椎名 健 講談社現代新書 1995

「視覚の謎」本田仁視 福村出版 1998

「逆さメガネの心理学」太城 敬良 KAWADE夢新書 2000

「だまされる脳」日本VR学会等 講談社ブルーバックス 2006

「見るとはどういうことか」藤田一郎 DOJIN選書 2007

「だまされる視覚」北岡明佳 DOJIN選書 2007

「進化しすぎた脳」池谷裕二 講談社ブルーバックス 2007

「脳はなぜだまされるか? 錯視完全図解」ニュートン別冊 2007

「人はなぜ錯視にだまされるのか?トリック・アイズ・メカニズム」

  北岡明佳 カンゼン 2008

「サブリミナル・インパクト」下條信輔 ちくま新書 2008

「単純な脳、複雑な『私』」池谷裕二 朝日新聞社 2009

「錯視入門」北岡明佳 朝倉書店 2010

「和解する脳」池谷裕二・鈴木仁志 講談社 2010

「まさか?のへんな立体」杉原厚吉 誠文堂新光社 2010

「知覚の正体」古賀一男 河出ブックス 2011

「錯覚する脳」前野隆司 ちくま文庫 2011

「知覚の正体~どこまでが知覚でどこからが創造か~」

  古賀一男 河出ブックス032 2011

「錯覚学~知覚の謎を解く~」一川誠 集英社新書 2012

「錯視図鑑~脳がだまされる錯覚の世界~」杉原厚吉 誠文堂新光社 2012

「脳には妙なクセがある」池谷裕二 扶桑社新書154 2013

「心の多様性~脳は世界をいかに捉えているか~」

  中村哲之他 大学出版部協会 2014

「錯視の不思議~人の目はなぜだまされるのか?~」

  ロバート・オズボーン 創元社 2015

「脳がつくる3D世界」~立体視のなぞとしくみ~」

  藤田一郎 Dojin選書064 2015

Newton別冊「ゼロからわかる心理学 錯覚の心理編」

  Newton Press 2021

別冊日経サイエンス「新版 意識と感覚の脳科学」鈴木光太郎編 2022

「からだの錯覚~脳と感覚が作り出す不思議な世界~」

  小鷹研理 講談社ブルーバックス 2023

Newton別冊「バイアスの心理学~認知のメカニズムと心のクセに迫る~」

  Newton Press 2023

 

 これらの本の中ではずば抜けて池谷裕二氏の本が分かりやすく、面白いと思いました。私の心理学ネタ授業の構想は池谷氏の著作がなければおそらくほとんど思いつかなかったほどに、彼の著作からは決定的な影響を受けています。とりわけ錯視の話から巧妙に脳の仕組みや機能へと話を進めていく池谷氏の論理展開は「目からウロコ」でした。それまでの私にとっては錯視と脳の働きとの関係こそが大きなミッシングリングとなっていたため、錯視体験とその後の授業との繋がりがイマイチ曖昧だったのです。また視覚の錯覚としての錯視現象から、認知の誤りに話を発展させていく展開も池谷氏の著作に基づいています。これらを「渡りに船」とばかりに授業に取り入れたことを今でもアリアリと覚えています。私のその後の心理ネタ授業を可能にしてくれた最大の恩人こそ、池谷氏であったのです。もちろん、心理ネタを始める最初のきっかけを与えてくれたのは北岡明佳氏であり、北岡氏の素晴らしい錯視作品にはいつも驚きと興奮を覚えました。

 改めてこの場を借り、池谷氏と北岡氏には深甚の感謝を申し上げます。

 有り難うございました。

 なお北岡明佳先生の作られた錯視図形はカッパのブログでの利用に関して北岡先生から事前に許可をいただいてここに掲載しております。北岡先生作成の錯視図形はレディー・ガガのアルバムにもデザインとして利用されたことがあり、著作やネット上に掲載するためには芸術作品と同様、著作権上の配慮が必要となります。ただし「北岡明佳の錯視のページ」というホームページの中でご自分の錯視図形を学校での対面授業で教育目的のために使う事は基本的に自由だとされていらっしゃいます。先生方も是非、まずは北岡先生のホームページを参照してみてください。

 なお参考文献の最後に太字で紹介したNewton別冊「バイアスの心理学…」は錯視の授業から始まり、差別、偏見の心理、さらには合理的な判断に導く道筋を示す授業への展開を考える上で大変、参考になる文献です。「倫理」などの科目で理科的な授業から社会科的な授業へと展開していくには不可欠な資料となるでしょう。こちらもイチオシ、必読の雑誌です。